生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
休日の昼下がり。
シルヴァレッタとコバルトの二人は、普段住んでいる地域からバスで十数分ほどの距離にある、駅前の大型スーパーマーケットを訪れていた。
都心へのアクセスが良いベッドタウンでありながら、周囲に大学のキャンパスや豊かな自然が残る、穏やかな郊外の空気が漂うエリア。駅前に鎮座するその大型スーパーは、地域住民の生活の要であり、休日ともなれば家族連れや学生たちでごった返す。
カートを押しながら日用品が並ぶ広大な二階フロアを歩く二人の姿は、傍目にはごく普通の、年の離れた兄妹か何かに見えたことだろう。今日のコバルトは、落ち着いた群青色のカーディガンを着ており、一見すると休日の女子中学生に見えなくもない。
「コバルト、欲しいものはあるか?」
衣料品や雑貨が並ぶテナントエリアでウィンドウショッピングをしていた最中、シルヴァレッタが唐突に足を止めて尋ねた。
「……えっ?」
並んで歩いていたコバルトは、予想外の問いかけに目を瞬かせた。
「どうしたの、藪から棒に。今日は日用品の買い出しに来ただけでしょ?」
「この前、クロムと飲みに行った時に、コバルトの誕生日が近いと聞いてな」
シルヴァレッタは、真っ直ぐな目で素直に理由を答えた。コバルトの誕生日は十二月一日。つまり、もう間近に迫っている。
その言葉を聞いて、コバルトは「ああ」と納得したように頷き、ふと何かを思い出したように視線を細めた。
「そういえば、その時にマラカイト姉さんに会ったんだって?」
「…………」
シルヴァレッタは、ピタリと押し黙った。
彼の脳裏に、半狂乱になって涙と鼻水を撒き散らしていた、かつての冷酷なスナイパーの姿がフラッシュバックしたのだろう。彼のこめかみから、タラリと冷や汗が一筋流れ落ちた。
「そういや、クロムが変なこと言ってたわね。『会ったのはノーカン』だって。……一体、何があったの?」
訝しげに尋ねるコバルト。
「……知らない」
うそです。
「ふぅん……? まあ別にいいか。姉さんも元気そうなら、それで」
深く追求してもロクな答えが返ってこないと察したのか、コバルトは気を改めて本題へと戻った。
「欲しいものって話だけど、特にないわ。……わざわざ誕生日を祝ってくれなくても良いのよ?」
彼女のその言葉は、決して気を利かせた遠慮や、乙女心からの建前などではない。彼女の性格を考えれば、純度百パーセントの本心からの言葉だろう。
彼女はかつて『脅し専門』の殺し屋として生きてきた少女だ。生きるか死ぬかの裏社会で、自分の誕生日を祝うという習慣など最初から持ち合わせていない。生き延びるために必要な装備や物資ならともかく、平和な社会の「贅沢品」を無条件でねだるという発想そのものが、彼女の中には欠落しているのだ。
「いつも世話になっているからな。これは、借りを返す良い機会だと思ったんだ」
シルヴァレッタは、自らの本音を真っ直ぐに吐露した。
彼の言う通りである。彼は、この身体の元の持ち主であるぼくの事情も含め、コバルトには衣食住から戦闘訓練に至るまで、数え切れないほどの世話になっている。
「そうは言ってもね、私は本当に必要なものしか欲しくないのよ」
コバルトは苦笑混じりに肩をすくめた。
「今日だって、ちょっと珍しい日用品を買いに来たワケでしょ? 私は、ささやかな日常が回っていれば、それで十分」
「しかし、せっかくの機会なんだ。何かないのか?」
「うーん、そうね……」
顎に手を当てて思案するコバルト。すると、ニヤッと意地の悪そうな笑顔を浮かべた。
「家族が欲しい、って言ったら?」
それを聞いて、腕を組み考えるシルヴァレッタ。
「俺が兄に……。いや、今までと変わらないな」
「そうでしょ? もう充分、欲しいものは手に入ってるのよ」
ニッコリと太陽のような笑顔を、コバルトはシルヴァレッタに向けた。
二人は会話を続けながらレジの列に並んだ。カゴの中には生活必需品が行儀良く並んでいる。コバルトが手慣れた様子で財布から紙幣を取り出し、店員に手渡して会計を済ませる。
「こちら、福引券になります」
レジの初老の女性店員が、お釣りやレシートと一緒に、二枚の小さな紙片をコバルトに手渡した。それは、いかにも福引券といった風情の、安っぽいざら半紙に赤と金のめでたい装飾がデカデカと印字されたものだった。『歳末大感謝祭・大抽選会』という文字が踊っている。
「一階のラウンジで福引をやっております。ぜひご参加ください」
「……そういえば、店に入った時にカランカランと鐘の音が鳴っていたな」
店員の案内を聞いて、シルヴァレッタがポツリと呟いた。
「ついでだから、やっていきましょ」
コバルトは二枚の福引券をヒラヒラと揺らし、楽しそうな声で福引への参加を促した。
店の一階、吹き抜けになっているラウンジの福引会場は、休日ということもあって凄まじい熱気に包まれていた。紅白の幕が張られた特設ステージの前には、長大な行列が蛇行して伸びている。会場の入り口に立てられた大きな看板には、豪華な賞品のラインナップが写真付きでデカデカと掲示されている。
『一等:海外旅行』
『二等:超一流レジャー施設へのご招待』
この不景気な世の中にあって、大手スーパーの威信をかけた気合の入ったラインナップである。高級和牛や最新ゲーム機など、即物的なものも取り揃えられている。
列に並んでいるのは、大量の買い物袋を抱えた家族連れや、カートを押した老夫婦など。みんな一様に、手元の福引券を握りしめて期待に胸を膨らませている。
「パパ、絶対に海外旅行を当ててよね! 私、冬に海で泳ぎたい!」
「おう、任せとけ! パパの右手が真っ赤に燃える!」
シルヴァレッタたちのすぐ前に並んでいる家族連れ、小学生くらいの女の子から過剰な期待の眼差しを向けられた父親が、腕まくりをして気合を充填させていた。微笑ましい休日のワンシーンだ。
「……結構並んでるわね。どうする?」
数十人は下らないであろう行列を前にして、コバルトが少しだけ辟易したように帰宅の選択肢を提示してきた。
「せっかくの機会だ。やっていこう」
しかし、シルヴァレッタは迷うことなく並ぶことを選んだ。彼にとって、こういうありきたりの娯楽に参加すること自体が新鮮で、興味深い経験なのだろう。
小一時間ほど、二人はゆっくりと進む列の中で雑談しながら順番を待った。
かつて裏社会で生きてきた少女と、出自不明の『弾丸』だった男。そんな血生臭い因果を背負った二人が、スーパーの福引のために一時間も大人しく並んで他愛のない世間話をしている。ぼくは特等席からその光景を存分に楽しんだ。
いよいよ二人の順番が回ってきた。
「まずは私からね」
コバルトが福引券を一枚渡し、受付の老人の店員に向かってコクリと頷く。
目の前にあるのは、六角形の木製の箱にハンドルがついた、昔ながらの回転抽選機——通称『ガラポン』だ。コバルトは細い指でハンドルを掴むと、ガラガラとゆっくり回した。遠心力で内部の玉が撹拌される音が鳴り、ポロッと、小さな穴から一つの玉が受け皿に転がり落ちる。
出たのは、無慈悲な『白い球』だった。
「はい、お嬢ちゃんはコレね」
老人の店員が、慣れた手つきでカゴの中からポケットティッシュを一つ取り出し、コバルトに手渡した。
「ま、こんなもんよね」
コバルトは特に落胆する様子もなく、ポケットティッシュを素直に受け取って苦笑いした。元より彼女は、自身の運などという不確かなものを信用していないのだろう。
そして、次はシルヴァレッタの番だった。彼は福引券を手渡すと、ガラポンの前に立ち、その木製の機械を不思議そうにまじまじと観察した。
「……ゆっくり回すのが良いのか?」
シルヴァレッタが大真面目な顔でコバルトに尋ねる。
「そうそう、気合も忘れずにね」
コバルトがテキトーに軽く相槌を打つ。
シルヴァレッタは、大きく息を吸い込み、ギュッと回転機の取っ手を握りしめた。そして、まるで時限爆弾の解体作業でもしているかのような、異常なまでの集中力とミリ単位の慎重さで、ゆっくりと、ゆーっくりとハンドルを回し始めた。
ゴトッ……ゴトッ……と、中の玉が重力に従って落ちる音が、無駄にスリリングに響く。
やがて。
受け皿に転がり落ちたのは、参加賞の白ではなかった。
鮮やかな『青色の球』だった。
カランカランカランッ!!
突如として、老人の店員が手に持っていた真鍮製のハンドベルを、鼓膜が破れんばかりの勢いでけたたましく鳴らす。
「おめでとーッ!! 四等、温泉宿泊ペアチケット、大当たりー!!」
アンプを通したかのような大袈裟な祝福の声が、ラウンジ全体に響き渡る。周囲の客たちから「おおーっ!」というどよめきと、パラパラとした拍手が湧き起こった。
「「……温泉?」」
シルヴァレッタとコバルトの二人は、ハンドベルの喧騒の中で、完全に呆気に取られた顔をして顔を見合わせた。
ガッチャ! 無欲の勝利。
⬛︎◆▲
十一月三十日。
コバルトの誕生日の前日。二人は、新幹線の座席に並んで座っていた。
窓の外には、晩秋の澄み切った青空と、雪化粧を始めた山々の景色が猛スピードで後方へと流れていく。車内には、コーヒーの香ばしい匂いと、乗客たちの穏やかな談笑の声が満ちていた。
「まさか、本当に福引の旅行を当てる人がいるなんてね……」
コバルトは、窓枠に肘をついて流れる景色を眺めながら、どこか感慨深そうな声で呟いた。
彼女の膝の上には、駅の売店で買った駅弁の空き箱が置かれている。彼女の言う通り、スーパーの福引の当たりなど都市伝説のようなものだとぼくも思っていたが、こうして実際に新幹線に乗って遠出をしているのだから、現実なのだ。
「運も実力のうちと言うが……。俺自身、いまだに実感が湧かないな」
シルヴァレッタは、手元のペットボトルを一口飲み、少しだけ申し訳なさそうな顔でコバルトを見た。
「本当に良かったのか? 君の誕生日プレゼントが、こんな偶然の産物で」
彼なりに、幸運の賜物がプレゼントになってしまった事を気に病んでいるらしい。
「何言ってるのよ」
コバルトは、クスッと笑ってシルヴァレッタの方へ向き直った。
「私、裏の仕事をしてた頃は本当にいろんなところに任務に出向いた事があるの。雪国も、南の島もね。でも、それは全部『脅し』のためで、観光を楽しんだり、温泉にゆっくり浸かって休むなんて経験、一度もなかったわ」
彼女の瞳には、かつての血生臭い記憶への郷愁ではなく、これからの新しい人生への確かな喜びが宿っていた。
「だから……すごく嬉しい。連れてきてくれて、ありがとう」
彼女は、心からの感謝を込めて、真っ直ぐに微笑んだ。
「そうか……。どういたしまして」
シルヴァレッタは、その眩しい笑顔に少しだけ気圧されたように目を細め、静かに頷いた。
「それにね」
コバルトは、手元にあったボストンバッグのサイドポケットから、四つ折りにされた一枚の紙を取り出した。
「こんなもの見せられたら、向かわないわけには行かないわよ」
それは、スーパーでの福引当選直後、老人の店員から手渡された旅行券の引換に関する手続き書類の束の中に紛れ込んでいたものだった。旅行会社が作成したと思われる、目的地の温泉旅館のカラーパンフレット。コバルトが広げたそのパンフレットの表紙には、極太の明朝体でデカデカとこう印字されていた。
『名物! 美人三つ子がお出迎え! 至福の温泉宿へようこそ!』
そのキャッチコピーの下に掲載されていたのは、歴史を感じさせる立派な旅館の玄関前に立ち、揃いの和服を着て微笑む三人の若い女性の姿だった。
その顔に。
シルヴァレッタも、コバルトも、そしてぼくにも、見覚えがあった。
ありすぎた。
写真の中で微笑むその三つ子の女性たちは、今、シルヴァレッタの隣に座っている少女、コバルトの容姿をそのまま十八歳くらいに成長させたかのような……全く瓜二つの顔をしていたのだ。
「……行くしかないでしょ、これ」