生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
「亡霊、か……」
シルヴァレッタが自身の側頭部に埋め込まれた銀色の弾丸を無意識に撫でながら、ポツリと呟く。彼は、この身体の本来の持ち主である『ぼく』の存在を感じ取っているのかもしれない。
「……コバルト。亡霊の正体は不明だが、幸いなことに俺たちをここまで運んできたであろう足跡が雪の上にハッキリと残っている。これを辿れば、元いた道路に戻れそうだ」
シルヴァレッタが、獣道に向かって続く足跡を指差して提案した。
「そうね、まずは現状を把握しないと。私が偵察に──」
コバルトが即座に反応し、前に出ようとした。しかし、シルヴァレッタがその肩を掴んで制止する。
「いや、俺が行こう」
「どうして?」
「考えてもみろ。昨夜の男は君と瓜二つの三つ子の顔を知っている。もし万が一、道路に戻った時にあの男や、さらに手下たちを連れて張っていた場合、コバルトの顔で出歩くのはリスクが高すぎる」
シルヴァレッタは至極真っ当な理屈で嗜めた。少し考え込んでコバルトは「……それもそうね」と、悔しそうに納得した。
「……無茶はしないでよ。周囲の安全を確認したら、後は迎えを呼んで帰るだけなんだから」
「分かってるさ」
コバルトの心配そうな声にシルヴァレッタは短く応え、一人で雪山の斜面へと足を踏み入れた。
⬛︎◆▲
ザクッ、ザクッ、ザクッ。
雪道を踏み締めながら、シルヴァレッタは斜面を登っていく。
昨夜、ぼくが女性二人を担いで一気に駆け下りた道だ。下りは勢いでなんとかなったが、登りとなると相当な体力を削られる。とはいえ、コバルトの特訓によって鍛え上げられたこの肉体と、疲労を感じないシルヴァレッタの強靭な精神力をもってすれば、他愛もなかったようだ。
三十分後。
急な斜面を登りきり、ガードレールを跨いで、シルヴァレッタはようやく元の林道へと戻ってきた。
周囲を見渡す。アスファルトの上にはスポーツカーが急発進して雪を乱暴に巻き上げたようなタイヤ痕が残っているが、昨夜のあの悪趣味な真っ赤な車の姿はどこにもなかった。見渡す限り、道路に人影もない。静まり返った冬の朝の冷たい空気だけが漂っている。
「よし。まずは部屋に戻って電話を……」
安全を確認し、シルヴァレッタが独り言を呟いた……その時だった。
ブロロロロロ……。
遠くから、重低音を響かせるエンジン音が近付いてくる。
シルヴァレッタが警戒して身構える中、カーブの向こうから一台の大型バイクが姿を現した。昨夜、顔のデカい男に突っ込んできたあのバイクだ。
バイクはシルヴァレッタの姿を捉えるとスピードを緩め、彼の数メートル手前で静かに停車した。運転手が、ゆっくりと近づきながらフルフェイスのヘルメットを脱ぐ。
「まさか、あの絶好の隙を突いて『共闘』ではなく『逃走』を選ぶとは……予想外でしたよ、イサクくん」
ヘルメットの下から現れたその顔を見て、シルヴァレッタは驚愕に目を丸くした。
整った顔立ちに、理知的な瞳。その男はクロガネだった。
「あ」
シルヴァレッタの口から、間の抜けた声が漏れる。
クロガネの能力──『目を合わせた相手を強制的に眠らせる』その絶対的なルールが発動したのだ。しちゃったのだ。
シルヴァレッタの身体から一瞬にして力が抜け、彼は糸が切れたマリオネットのように雪が積もるアスファルトの上へとバタリと倒れ伏してしまった。
「えっ?」
クロガネが完全に困惑した声を出した。
無理もない。彼は先日クリニックでの死闘において、自らの能力がぼくに全く効かないと判断したのだ。効かないはずの相手が、一瞥しただけで呆気なく眠りに落ちてしまっている。
あーもう、めちゃくちゃだよ。
「そんな……。自分の能力は、イサクくんには効かないのでは?」
クロガネが信じられないものを見るように、倒れたシルヴァレッタを見下ろして呟く。
ぼくはクソデカ溜息をつきながら、眠りこけたシルヴァレッタの意識の底から這い上がり、再びこの肉体の主導権を手に入れたのだった。
「……はいはい。イサクくんの登場ですよー」
ぼくは、アスファルトの上で「よっこいしょ」とだらしなく身体を起こし、頭についた雪を払いながら、ひどく面倒くさそうな声で憎まれ口を叩いた。
「で、わざわざこんな温泉街に来たお前の目的は、やっぱり『ソラハ』の救出?」
ぼくが確信を突くように尋ねると、クロガネは動揺を隠すように一度深く深呼吸をし、やがて静かに首を振った。
「……正確には、その後に産み出された『実験体三名』の保護です」
⬛︎◆▲
ぼくたちは山道を歩き始めた。
クロガネはバイクのエンジンを切り、手でハンドルを押しながら歩幅を合わせて隣を歩いている。……彼が歩くたびに、左脚を微かに引きずっているのが分かった。先日、ぼくが彼にナイフを突き立てた傷が、まだ完治していないのだろう。
「最高傑作……コバルトさんが誕生する五年前。ソラハの解析データを元に、三名の実験体が生み出されました。それが、この旅館で働いている三つ子の正体です」
クロガネは白く濁る息を吐きながら、忌まわしい過去を語り始めた。
「じゃあ、あの子たちはコバルトのプロトタイプみたいなものか」
「いえ、彼女たちはソラハの『美しさ』だけ再現しています。来たる日の事前準備のため、という意味ではそうですが、コバルトさんとは中身は似ても似つきません」
クロガネの横顔に、暗い影が落ちる。
「そして、その実験体の管理を任されていたのが、あの男でした」
「暗がりで良く見えなかったけど……顔がデカくて、声の甲高いアイツのこと?」
ぼくが昨夜の男の特徴を挙げると、クロガネは「そうです」と肯定した。
「その後、あの男は『研究』とは名ばかりに、三人の少女たちを自分のオモチャのように扱ったようです。……性的暴力にも手を染めていました」
クロガネは、バイクのハンドルを握る手にギリギリと青筋を立て、心底から憎むような仕草を見せた。
「ふーん、それは最低だね。……でも、それが何で今は温泉旅館の三人娘になってるのさ? 昨夜のアイツの態度を見る限り、今でも支配下に置いてはいるみたいだったけど」
ぼくが疑問を口にすると、クロガネは淡々と経緯を解説した。
「三年前に起きた『アルファベット狩り』による一斉摘発の後、あの男は組織の残金と三人の少女を連れて、この地方に落ち延びました。最初は潤沢な蓄えがあったようですが、次第に資金が底を着き始めたようです」
「金が欲しいなら、ソープとかそういう風俗に沈めればよくない? 何でわざわざこんな雪山の温泉旅館なのさ」
ぼくが身も蓋もない、ノンデリな推測を口にした瞬間──
ピタリとクロガネの足が止まり、彼はバイク越しにキッと鋭い目でぼくを睨みつけた。
その目には、明確な殺意すら混じっていた。
「……ごめん、そんなに思い入れがあるとは思ってなかったんだ」
ぼくが軽く両手を上げて謝罪のポーズをとると、クロガネは怒りを必死に堪えるように「はーっ」と長く深く息を吐き、感情をコントロールしてから再び歩き始めた。
「……あの男は、裏の組織と関わるのを極端に嫌ったのでしょう。風俗などの裏稼業に関われば、いずれヤクザや別の組織の目にとまる。もし三人が価値を見出されてしまえば、力のないあの男はあっさりと奪われ、自分の手元から離れてしまう。そうなるぐらいなら、多少見返りが低くても堅気の『表の仕事』に落ち着かせるべきだと。……安全を取ったわけです」
要するに、独占欲と保身の塊だ。
「チキンだねー」
ぼくは心底見下したように鼻で笑い、嘲笑った。
「せっかくの金の卵を産む鶏を、自分の欲望と小遣い稼ぎのためだけに田舎の旅館に囲う、か。研究者としても悪党としても三流以下だね」
「しかし、表とは言っても……あの男が選んだこの旅館は、ドス黒い事業にも手を染めていました」
クロガネが、さらに陰惨な事実を口にする。
「ピンクコンパニオンってやつ?」
ぼくが尋ねると、クロガネは頷いた。
「それも、彼らに言わせれば『グレーゾーン』に手を染めたものです。単なる売春ではありません。権力者や大企業の重役たちを招き、絶対的な権力差を背景にした、精神的な屈辱と陵辱を提供する……言わば、歪んだ支配欲を満たすための秘密の宴です」
クロガネの声が、微かに震えていた。
「昨夜の惨状は見るに堪えないものでした。普段は立派な大人を装っている連中が、社会的なストレスにより鬱屈した感情を曝け出し、あまりにも稚拙で醜悪な欲望を解放した姿……聞きたいですか?」
クロガネが、血を吐くような声で尋ねてきた。
「興味ないね」
ぼくは即座に首を横に振った。
「……それに、キミだって言いたくもないんでしょ?」
ぼくがそう返すと、クロガネは小さく息を呑み、「……ええ」とだけ短く答えた。
やがて、前方の木々の隙間から、大正浪漫の風情を残す温泉街の屋根が見えてきた。
「それで、これからどうするの? 三人を助ける具体的な手段はあるわけ?」
ぼくは立ち止まり、クロガネに尋ねた。
「そのために……イサクくん。自分と共闘をお願いしたいのです」
クロガネはバイクのスタンドを立て、深く頭を下げた。
「君にやられた左脚は、まだ痛むのでね」
クロガネは自嘲気味に自らの脚を叩いた。
「情けない話ですが、あの男が何か武器を持っていたり、旅館の用心棒が出てきたりして真っ向からの戦闘になれば、今の自分では制圧する自信がありません。しかし、何とかあの男の至近距離まで近づき、目を合わせて眠らせることさえできれば、後は自分が何とかします。それまでの段取りを、君に整えて欲しいのです」
彼の作戦はシンプルだった。ぼくが戦闘要因、あるいは囮として道を切り開き、クロガネの絶対的な能力圏内まであの男を引きずり出す。
「まあ、あのクソみたいな男をチカラでねじ伏せるのには賛成だけどさ」
ぼくは腕を組み、現実的な懸念を口にした。
「その後はどうするの? 旅館はグレーな事業をやっていたかもしれないけど、経営者としては彼らなりに努力した結果だと思うよ。いきなり金ヅルを三人まとめて強奪したら、旅館側に多大な迷惑をかけることになる。……それは流石に可哀想では?」
いくらグレーゾーンの悪党の元にいるとはいえ、彼女たちはこの旅館の重要な『商品』だ。力ずくで連れ去れば、誘拐事件として警察沙汰にだってなるだろう。
ぼくがその疑問を投げかけると、クロガネはフッと、かつてクリニックで見せていたような自信に満ちた柔和な微笑みを浮かべた。
「ご心配なく」
そしてクロガネは、こう答えた
「三人は、自分が正式に『身請け』します」