生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
カードは光さす道となる 一
日本三大企業の一角、アカシャグループ。その本家敷地内にある迎賓館の広大な娯楽室は、本来であれば国賓級のVIPをもてなすために用意された極上の空間である。
分厚いペルシャ絨毯が敷かれ、壁には世界的な名画が飾られている。アンティーク調の重厚なマホガニーのテーブルの上には、上品なティーセットが並べられていてもおかしくない。
しかし今、その豪奢なテーブルの上を占拠しているのは、色鮮やかなイラストが描かれたラバー製のプレイマットと、プラスチックのプロテクターに厳重に保護された紙の束。
──いわゆるトレーディングカードゲームのデッキだった。
テーブルを挟んで向かい合っているのは、二人の少女。
一人は、かつて暗殺組織『ジュエル』で実技トップの成績を収め、裏社会を生き抜いてきた元暗殺者のコバルト。もう一人は、アカシャグループの社長令嬢であり、死者の記憶を少しだけ体験できるという特異な能力を持つ幼女、ルクだ。
そして、その対局を部屋の片隅に立って静かに見守っているのが、ぼくの身体に意識を宿した銀色の弾丸、シルヴァレッタと、ルクの専属ボディガードである2メートル近い長身の執事、ヒバリである。
豪室の静寂を切り裂くように、コバルトは凛とした、しかしどこか冷酷な響きを帯びた声で告げた。
「私の場にカードが無いため、手札の『闇の魔王・アンタークティカ』を相手に見せて、効果を発動します」
コバルトは、手札から黒いオーラを纏った、巨大なペンギンを模したような怪物が描かれたカードを指先で弾くようにしてルクに提示した。その無駄のない動きは、流れるようにスムーズで美しい。
「……何かありますか?」
コバルトが、相手の介入権を確認するカードゲーマー特有の定型句を口にする。
ルクは、自分の手札を見つめ、小さく唇を噛み締めた。
「ありません」
ルクが静かに応える。その言葉を聞いた瞬間、コバルトの口角が僅かに吊り上がった。
「では、条件の達成により裏側表示で『闇の魔王・アンタークティカ』を場に出し、デッキの『ダークペンギン』カードたちを全てリソース領域に表側表示で送ります。全部で五体です」
コバルトは山札から次々とカードを抜き出し、プレイマットの端にあるリソース領域へと流れるように配置していく。シャカ、シャカ、とカードが擦れる小気味良い音が娯楽室に響く。
「何かありますか?」
コバルトの、確認という名の冷酷な問いかけが再び飛ぶ。
「ありません」
ルクは、先ほどよりも明らかに嫌そうな顔をして、少しだけ声を震わせて答えた。
「リソース領域に『ダークペンギン』キャラクターが表側表示でちょうど五体存在します。よって、とあるキャラクターの登場条件を満たしています」
リソヤミゴタイ。
「フェイタルデッキから『真魔王・サウスポール』を場に出します」
タンッ! と、コバルトがひときわ強く、一枚のカードをプレイマットの中央に叩きつけた。そこには、氷の玉座に座る、禍々しいオーラを放つ巨大な宇宙生物のイラストが描かれていた。
「そして、コストとして裏側表示の『闇の魔王・アンタークティカ』をリソース領域に送り、その後、表側表示にします」
コバルトの手は止まらない。
「何かありますか?」
「ありません」
ルクの顔はすでに苦々しさで歪んでおり、その声からは、かつての威厳など見る影もなくなっていた。
「『闇の魔王・アンタークティカ』が裏側表示の状態でリソース領域に送られていたことにより、強制効果が発動します」
コバルトは、人差し指をルクの盤面へと突きつけた。
「お互いの場にあるライフカードは、全て手札に加わります」
インチキ効果もいい加減にしろ。
その宣言と共に、ルクの盤面に裏向きで置かれていた5枚の「命」とも呼べるカードが、ルールによって強制的に剥がされる。ルクは震える手でその5枚のカードを手に取った。手札が増えること自体はカードゲームにおいて有利に働くことが多いが、このゲームにおいてライフカードがゼロになることは、文字通り「死に体」になることを意味している。
「その後、何かありますか?」
コバルトが、慈悲の欠片もないトーンで最後の手順を確認する。
ルクは、手札に加わった5枚のカードを見つめ、ギリッと奥歯を噛み締めるような悔しい顔をした。
「〜〜っ! ありません……!」
絞り出すような、悲痛な声だった。
「では」
コバルトは、盤面の中央に君臨する『真魔王・サウスポール』のカードを指先でトントンと叩いた。
「『闇の魔王』カードをコストにした事で真魔王のパッシブ効果が発生します。その効果により、このカードは先行一ターン目であっても攻撃が可能です。ライフカードがゼロのプレイヤーに直接攻撃」
コバルトは、暗殺で標的にトドメを刺す時のような、氷のように冷たい笑顔を浮かべた。
「リーサルです。対戦ありがとうございました」
コバルトが綺麗にお辞儀をする。
「……ありがとうございました」
ルクもまた、マナーに従って小さな声で対戦終了の挨拶を返した。
──やや長い沈黙が流れた後、ルクは手札のカードをテーブルに置き、顔を上げてコバルトをジト目で睨みつけた。
「ねえ、コバルトお姉ちゃん」
「何?」
「……楽しかった?」
「最の高」
様子をずっと見守っていたシルヴァレッタが、腕を組んだまま首を傾げて問いかけた。
「今のは、何だったんだ……?」
それな
彼には、紙の束を使って行われるこの複雑なゲームのルールや、先行一ターンキルという概念が全く理解できていないようだった。コバルトが、自分のデッキを手際よく片付けながらシルヴァレッタに答える。
「カードゲームよ。ほら、前にルクちゃん達と映画に行ったじゃない? あのアニメを題材にした対戦カードゲームなの」
対戦とは。
先日、街へのお出かけの際に映画館で鑑賞した、あの子供向けアニメのことだ。シルヴァレッタがスクリーンに食い入るように見入り、密かに無音のスタンディングオベーションを送らんばかりに感動していた、あの作品である。
それを聞いたルクが、椅子の上でだらんと姿勢を崩しながら補足した。
「次回の映画で、私の通っている学校から何人かエキストラとしてアフレコに参加することが決まってね。そのうちの一人に、私が選ばれちゃったのよ」
アカシャグループの社長令嬢である彼女が通う学校となれば、相当な名門校に違いない。スポンサーの繋がりか何かで、そういった特別な体験学習の機会が与えられたのだろう。
「で、私はそのアニメにあまり詳しくないから、コバルトお姉ちゃんに相談してみたの。そしたら『まずはこのカードゲームで敵キャラの恐ろしさを肌で知ってみると良い』って話になったんだけど……」
ルクは、コバルトの使っていたカードたちを忌々しげに指差した。
「恐怖を通り越して、呆れたわ。何もさせてもらえずに終わるんだもの。とんだクソゲーね」
社長令嬢らしからぬ、およそ上品とは言えないスラングを交えてため息をつくルク。先行で一切の反撃を許さずに勝利するこの理不尽なコンボは、確かにゲームとしての対話を拒否していると言わざるを得ない。
しかし、コバルトは不満げに頬を膨らませて反論した。
「でも、よく出来てるのよ? このカードデザイン。闇の魔王は真魔王のほんの一部、残滓でしかなく、勇者ペンギンの大ちゃんたちが最初は太刀打ちすら叶わないって絶望的な描写が、しっかりとカードテキストで再現されてるの。……素晴らしい効果群だわ」
コバルトはいけしゃあしゃあと語りながら、カードのテキストを愛おしそうに撫でた。
「……まあ、環境デッキのトップTierが敵側のカードだらけになってるのは、ちょっとやりすぎかもだけど」
軽く苦言を呈しつつも、彼女はこのゲームの持つ原作再現度の高さを心から評価しているようだった。
ここで、シルヴァレッタが「おお」と感嘆の声を上げる。
「あの映画か! 声を当てるだなんて、大役だな、ルク」
彼にとって、あの感動的な映画の制作にルクが関わるというのは非常に名誉なことに思えたらしい。純粋な称賛の眼差しを向けるシルヴァレッタに対し、ルクは冷めた表情で肩をすくめた。
「正直、面倒なだけよ。週末の休みが潰れるし、周りの子たちはキャーキャー騒いでてうるさいし」
過去に能力──死者の追憶の体験──の使い過ぎによって大人びた精神を取得したルクには、児童向けアニメのエキストラ収録など退屈な行事でしかないのだろう。
すると、ヒバリが静かに口を開いた。
「お嬢様の日頃の行いによる賜物ですね」
ヒバリはニッコリと微笑んだ。
「……嫌味かしら?」
ルクがジロリとヒバリを睨みつける。彼女が時折見せる腹黒い本性や、周囲を振り回すワガママな振る舞いを、一番近くで見ている彼からの言葉だからこそ、嫌味に聞こえたのだろう。
「……」
ヒバリくんは何も答えず、ただ無言でニコニコと微笑んだままだった。メッチャ嬉しそう。
⬛︎◆▲
コバルトが、シルヴァレッタのためにアニメ作品の背景を解説し始める。
「『勇者ペンギン大ちゃん大冒険』。二年前に突如始まった、ペンギンの大ちゃんというキャラクターを主題にした子供向けアニメよ。色んな動物の仲間たちと共に、悪のダークペンギンたちに立ち向かう王道ストーリーね」
コバルトは指を一本立てて説明を続ける。
「放送開始と同時にこのカードゲームが展開されて、最初は対戦ルールなんてオマケ程度のコレクション要素でしかなかったの。でも、カードの効果が劇中のキャラクターの特性に合わせた絶妙なバランスで構築されている事に気付かれて人気が爆発。さらに、原作のインフレに伴ってカードのパワーもどんどん上がっていったのよ」
コバルトの語り口は熱を帯びていく。
「結果として、原作再現を突き詰めたテキストがコアな対戦カードゲーマーの心に火をつけて、一気に競技人口が増加したの。そして今じゃ環境の高速化が進みすぎて、さっきみたいに先行一ターン目で決着がつくような、理不尽なTierデッキが量産される魔境になっちゃったってワケ」
だから、対戦とは。
シルヴァレッタは、完全にチンプンカンプンといった様子で目を白黒させていた。
「……つまり、どういうことだ?」
彼が眉間にしわを寄せて尋ねると、ルクが紅茶のカップを手に取りながら、冷え切った声で短く返した。
「世も末よ」
カードゲームの世紀末環境に対する、これ以上ない的確な要約だった。
ルクは紅茶を一口飲むと、カップをソーサーに置き、コバルトに向けて提案を持ちかけた。
「で、コバルトお姉ちゃんはこの作品に詳しいだけじゃなくて、並々ならぬ愛着もあるみたいだし……アフレコ現場に、私の付き添いとして一緒に行かない?」
ルクの言葉を聞いた瞬間、コバルトの目がパァッと輝いた。
「え、ホント!? 行く行く! 絶対行く!」
元暗殺者の冷徹な顔など、どこへやら。ただのカードゲーマーの少女として、コバルトは身を乗り出して大喜びした。
「ありがとう、ルクちゃん! 制作現場の裏側を見られるなんて、夢みたいだわ!」
コバルトはルクの手を取ってブンブンと振り回し、喜びを爆発させている。ルクは「はいはい、わかったから」と苦笑いしながらも、どこか嬉しそうに彼女の熱狂を受け入れていた。
平和な休日の、微笑ましい一幕。
誰も血を流さず、命のやり取りもない、ただのカードゲームとアニメ談義。
ぼくは、シルヴァレッタの意識の奥底という特等席から、この穏やかな時間を心から楽しんでいた。
しかし。
この時のぼくは、まだ知る由もなかったのだ。
カードゲーム作品のお約束──壮大なスケールの話が待ち受けているなんて。
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