生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
シルヴァレッタとコバルトの二人は映像制作会社のレコーディングスタジオを訪れていた。
今日の彼らの目的はルクが通う小学校の課外学習、児童向けアニメ映画のエキストラ・アフレコ収録。その『付き添い保護者』としての参加である。
スタジオのコントロールルームは年季の入ったミキサーやモニターが所狭しと並び、幾本ものケーブルが這うプロフェッショナルな空間だった。分厚い防音ガラスの向こう側にはマイクが何本も立てられたレコーディングブースが広がっている。
二人は『ゲスト』と書かれたラミネート加工のカードを首からぶら下げ、コントロールルームの後方で他の保護者たちに混ざって、少し居心地悪そうにその光景を眺めていた。
と言うのも、帽子を深く被った、どう見ても父親にしては若すぎる男と、どう考えても母親はありえない、中学生に見える少女が、休日のパパとママのような顔をして小学生たちの課外学習を見守っているからだ。周囲の保護者たちが彼らから微妙な距離を取っているように見えるのは気のせいなどではない。
ガラスの向こうのレコーディングブースにはヘッドホンを首にかけたスタッフ数名と、少し緊張した面持ちの小学校低学年の子供たちが数名集まっていた。その中には、ひときわ落ち着いた様子で周囲を観察している、お馴染みのルクの姿もある。彼女は相変わらず子供らしいフリルのついたワンピースを着こなしながらも、どこか大人びた雰囲気を醸し出していた。
やがて(スタッフが気を利かせてくれたのだろう)マイクのスイッチがオンになり、ブース内の音声が高性能なスピーカーを通じて、こちら側にもクリアに流れ始めた。
『みんな、今日の体調はバッチリかなー?』
ブース内で進行役を務める男性スタッフが台本を片手に、子供たちをリラックスさせるような明るく優しいトーンで語りかけた。
『ばっちりー!』
『げんきー!』
スピーカーから子供たちの元気いっぱいの無邪気なガヤが響いてくる。ルクも周りに合わせて、一応口の形だけは「げんきー」と動かしているようだったが、その目は明らかに「早く終わらないかしら」と語っていた。
『はい、みんな元気でよろしい!』
スタッフの男性は満足げに頷くと、パンッと手を叩いて高らかに宣言した。
『それじゃ、準備万端と言うことで。これより「大ちゃん・ザ・ムービー 〜パスト・パス・パシフィック・パーパス〜」のアフレコ収録を開始しまーす!』
その明るい号令を合図に、ブース内の子供たちとスタッフ、そしてコントロールルームで見守っていた保護者たちから、パチパチパチと温かい拍手が鳴り響いた。スタジオ内は、これから始まる楽しい映画作りへの期待感と和やかな空気に包まれた。
しかし。
その拍手の輪の中で、シルヴァレッタとコバルトの二人だけはピタリと動きを止めていた。手を叩くことも忘れ、幽鬼のように立ち尽くし、ガラスの向こうのスタッフを呆然と見つめている。
『Past Path Pacific Purpose』
先ほど、スタッフの口から発せられた映画の副題。それは、絶対に聞き間違えるはずのない、そしてここで耳にするなど到底あり得ない文字列だった。
かつてコバルトを「便利なゴミ捨て場」扱いして弾丸の不法投棄を依頼したポンコツな男。彼とオンラインで対峙した際、画面越しに見せられた一つの画像。
それは、D.O.Eという海外の歴史研究財団から譲り受けたという、アンティークな装飾箱だった。中には、ぼくの身体に意識を宿すことになった『銀色の弾丸』が収められていた。その箱の裏に、かすれたアルファベットで刻み込まれていた意図の読み取れない文字の羅列。
それがまさに『Past Path Pacific Purpose』という文字列だったのだ。
シルヴァレッタの身体は硬直していた。隣に立つコバルトも血の気が引いたような顔でシルヴァレッタを見上げている。
子供向けアニメ映画の副題が何故、あのいわくつきの弾丸の箱に刻まれた文字と完全に一致しているのか。偶然の一致で片付けるには、あまりにも長くて特異な単語の並びだ。
「……す、すみません」
いち早く我に返ったコバルトが、コントロールルームの端で機材を操作していた若い現場スタッフに近づき、ヒソヒソ声で話しかけた。
「……なんでしょう?」
若いスタッフはヘッドホンを片耳だけ外し、いかにも面倒くさそうな、気怠げな態度で応対した。
「さっきの……パストなんちゃらって副題。あれは、どなたが決められたんですか?」
コバルトは挨拶も前置きもすっ飛ばして、いきなり核心へと切り込んだ。
その切羽詰まった表情と質問の意図が読めない内容に、若いスタッフは鬱陶しそうな感情を全く隠すことなく眉をひそめた。彼は周囲をチラリと見回し、コバルトをジロリと値踏みするように見つめてから、低い声で尋ね返した。
「……ネットとかSNSに、情報解禁前にバラしたりしないっすよね?」
「ええ、絶対にしません。約束します」
コバルトが真剣な顔で即答する。
その気迫に少しだけ気圧されたのか、若いスタッフは「はぁ」と短くため息をついてから、こう返した。
「詳しい事は俺たち末端のスタッフは知らないんすけど……。あの作品の副題は原案の『シンシヤ先生』が出してくるらしいっすよ」
「シンシヤ先生……?」
「ええ。まあ、うちのスタジオのスタッフは、上の人間も含めて誰もその先生に会った事は一度もないんですけどね。全部メールなんで」
これ以上問い詰めても、この若いスタッフから有益な情報は引き出せないだろう。それに、相手の「鬱陶しい」という感情を察知したコバルトは、少し申し訳ない気持ちになったのか、慌てて頭を下げた。
「そ、そうですか。変なことを聞いてしまって、お忙しいところすみませんでした」
コバルトがペコペコと謝りながら引き下がると、スタッフは「はいはい」と適当に相槌を打ち、再び機材の操作へと戻っていった。
……え、気付いてないってマ?
⬛︎◆▲
それから数時間後。
無事に子供たちの収録が終了し、スタジオのロビーで解散となった。
「お疲れ様。二人とも、見に来てくれてありがとう」
ポシェットを斜め掛けにしたルクが自動販売機で買ったオレンジジュースの缶を開けながら、シルヴァレッタとコバルトの元へとやってきた。
「お疲れ、ルクちゃん。立派な演技だったわよ」
コバルトが労いの言葉をかけるが、その顔には未だに深い困惑の色が張り付いていた。ルクのような賢い少女が、その異変に気付かないはずがない。
「……何かあったの?」
ルクはオレンジジュースを飲む手を止め、二人の顔を交互に見上げて尋ねた。
「映画の副題が気になったんだ」
シルヴァレッタが、周囲に人がいないことを確認してから、声を潜めて単刀直入に返した。
「どういう事?」
ルクがキョトンとした態度で首を傾げる。子供向け映画のタイトルが気になったからといって、ここまで深刻な顔をする理由が分からないといった様子だ。
シルヴァレッタの代わりに、コバルトが身を乗り出して小声で答えた。
「スタッフが読み上げた『Past Path Pacific Purpose』って名称。あれ、シルヴァレッタの銀色の弾丸が収められていた、アンティークの箱の裏に刻まれていた文字列と全く一緒だったの」
「えっ? あの巨大ロボの名前が?」
ルクの目が驚きに見開かれる。
「それで、スタッフの人にこっそり聞いてみたのよ」
コバルトは続ける。
「あの副題は、原案の『シンシヤ先生』って方が考えたらしいんだけど……。もし本当にあの箱の文字と関係があるなら、その先生が何を知っているのか真意を確かめたいの」
コバルトの言葉を聞いて、ルクは事の重大さを理解したように表情を引き締め、そして「うーん」と顎に手を当てて、ひどく困ったような、難しい顔をした。
「……それは、かなり難しい相談ね」
「難しいって、どういうことだ?」
シルヴァレッタが問い返す。
「実はね」
ルクはオレンジジュースの缶を両手で包み込むように持ち、ため息混じりに語り始めた。
「うちのクラスに、大ちゃんシリーズの熱狂的ファン……いわゆるガチオタクみたいな子がいて、前にその先生について熱く語ってくれた事があるんだけど」
ガチオタク。
「その『シンシヤ』って人は、完全な正体不明らしいの。制作会社の偉い人たちですら誰も直接会った事がないそうなのよ」
ルクは声を落として周囲を警戒しながら続ける。
「メディアへの露出は一切なし。打ち合わせは全てメール。とにかくその圧倒的な実力一本だけで大人たちを黙らせていて、自分のプライベートは一切切り売りしない。業界では『孤高の天才作家』として神格化されてるんですって」
それを聞いて、コバルトは絶句した。
しかしルクは、続けて重要な情報を提供してくれた。
「でもね、そのシンシヤ先生なんだけど……一緒にメディアミックスで展開した『カードゲーム』の方も、本人がものすごい肝入りで参入させたらしくて。ゲームのルールからカードのテキスト、環境のバランス調整に至るまで、あーでもないこーでもないと、かなり強く口出しをしてるみたいなの」
ルクの言葉を聞いて、ぼくの脳裏に、あのアカシャ邸の迎賓館でコバルトが繰り広げた、血も涙もない先行一ターンキルの地獄盤面がフラッシュバックした。あの理不尽なゲームバランスの裏には、原案者の強烈なエゴが介在していたらしい。
「その熱の入り用は、本業であるはずのアニメの比じゃないらしくてね。大ちゃんマニアの間では『あの人はアニメをやるよりも、自分の理想のカードゲームを作るために原案の仕事をしてるんじゃないか』って噂になっているらしいわ」
ルクが呆れたようにそう付け足すと、今まで神妙な顔をして話を聞いていたコバルトが、突然「ポンッ」と手を打った。
「あ、その話、私も聞いたことあるかも!」
「え? コバルトお姉ちゃんが?」
ルクが驚いて顔を上げる。
「うん。ほら、私あのカードゲーム好きだから、ネットのコミュニティとか時々見てるんだけど」
コバルトは、まさかのオタク特有の早口で、すらすらと解説を始めた。
「公式が発表するコメンタリーがあるじゃない? その内容が『明らかにカードゲームの大型大会に直接顔を出してプレイヤーの生の熱気やプレイングを見てないと、その発言はできないよね』ってくらい、現場の解像度が高い内容になってるらしいのよ」
コバルトは興奮気味に身を乗り出す。
「だから、アニメファンたちの間では『原作の先生に会うには、カードゲームの大型大会に出るのが一番確実な方法だ』っていう都市伝説みたいな評判が回ってるの。……先生がお忍びで視察に来ているはずだ、ってね」
「……なるほどね」
ルクが腕を組んで頷く。
「ただねぇ……」
コバルトは急にトーンを落とし、悲痛な顔を作って見せた。
「その噂を信じた、純粋な子供のファンたちが、『もしかしたら先生に会えるかも!』ってカジュアルなファンデッキを握りしめて大会に乗り込んでいくの。……でも、そこは修羅の国。待ち受けているのは、勝つことしか考えていないガチのカードゲーマーたちが握る、先行一ターンキルのTierデッキたちよ」
コバルトは両手で顔を覆った。
「純粋なファンたちが、何もさせてもらえずにガチデッキにボコボコにされて、泣きながら帰っていく……っていう悲劇が、いつも大会で繰り返されてるらしいわ」
あまりにも残酷な、現代のカードゲーム大会の闇である。
それを聞いたルクは、冷ややかな目でコバルトを見つめ、短くコメントした。
「世紀末極まってるわね」
ルクのその冷たい視線には、「お前もその修羅の国側の人間だろうが」という明確な非難の意が込められていた。先日、何もさせてもらえずに敗北したルクにとって、その純粋なアニメファンたちの悲劇は決して対岸の火事ではなかった。
「うっ……ご、ごめん」
コバルトはバツが悪そうに視線を泳がせ、頭を掻いた。
しかし、ルクはすぐに気を取り直したように、パァッと表情を明るくして二人に提案を持ちかけた。
「でも、その噂が本当なら、絶好のチャンスよ」
「チャンス?」
シルヴァレッタが聞き返す。
「ええ。実はね、カードゲームが好きなクラスメイトが今日ここに来るはずだったんだけど『今日は大きなカードの大会があるから』って理由で、学校の課外学習をサボってそっちに行っちゃったのよ」
ルクはニヤリと笑みを浮かべて二人にアドバイスをした。
「その大会の会場、ここから電車で数駅のところよ。……行ってみる価値、あるんじゃない?」
シンシヤ先生本人が、お忍びで視察に来ているかもしれない大型大会。そこに行けば、弾丸の箱に刻まれた文字の真意を知る人物に直接接触できるかもしれないのだ。
「……!」
コバルトの顔に、明確な闘志と決意の光が宿った。彼女は自分のショルダーバッグを力強く叩き、ルクに向かって最高の笑顔を見せた。
「ありがとう、ルクちゃん! 最高の情報だわ!」
「どういたしまして」
ルクが手を振って見送る。
「行くわよ、シルヴァレッタ!」
「ああ、分かった」
コバルトに腕を引かれ、シルヴァレッタは足早にスタジオのロビーを後にした。