生きるのに向いてないぼくは地の文になりました   作:あさはかな

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前日譚 三

 あの別れの日から、早くも二年の月日が流れていた。

 僕は、会社の業務を信頼できる役員たちに任せ、世界中を巡る旅に出た。

 

 目的は明確だった。

 最先端の科学や文化、人々の暮らしや最新の医療技術に直接触れ、どうすれば社会を、そして人々の生活を真に豊かにできるのか。その答えを探求するためである。

 

 古き良き歴史と最先端の環境技術が融合した街並み

 摩天楼が象徴する圧倒的な資本主義の熱気と革新のスピード

 新興国が見せる混沌としながらも力強く脈打つ生命力

 

 僕は数え切れないほどの国を渡り歩き、それぞれの土地で息づく文化を肌で感じ取った。その経験は、どうすれば人間の生活をより良いものへと昇華できるのか、その試行錯誤を行う上で大いに役立つ、かけがえのない財産となった。

 

 一方で、様々な国を巡るうちに、僕は一つの重い事実に直面せざるを得なかった。

 

 それは、いかに優れた最先端のシステムや医療技術、あるいは革新的な思想であっても、それが生み出された「その国の常識」や「歴史的背景によって形作られた文明」の土台があるからこそ成立しているという側面だった。

 

 ある国で完璧に機能している福祉制度や社会システムをそのまま母国に持ち込もうとしても、土壌が違うため根付くことはない。それらを取り入れるには、あまりにも遅すぎた。あるいは決定的に適合しないものが数多く存在したのだ。

 

 どんなに素晴らしい種であっても、蒔く土地が合わなければ芽は出ない。

 僕は世界を知れば知るほど、自分の国の硬直化した現実に直面し、深いジレンマに陥っていった。

 

 そして、多くの国で暮らし、数え切れないほどの人々と対話を重ねていく中で、僕の中に一つの確固たる視点が芽生え始めていた。

 それは「国もまた、一つの巨大な生き物」という捉え方だ。

 

 人間の身体が無数の細胞や微生物、さらには腸内細菌や寄生生物といった多種多様な要素のバランスによって体調が整えられ、生命活動を維持しているように。

 国という巨大な生命体もまた、その内側に住まう個々の人々の暮らしや思考、喜怒哀楽といったミクロな活動に大きく影響を受けている。

 

 そして同時に「国」という大きな志向性やシステム、法律、歴史的慣習が、住まう人々の考え方や常識、倫理観をトップダウンで強力に規定し、縛り付けている。

 個人と国家は、互いに影響を与え合いながら、一つの巨大な有機体として呼吸を続けているのだ。

 

 この視点に立ってみると、さらに恐ろしい思考が導き出された。

 人間と同じように、国にも「年齢」や「寿命」という概念が存在するのではないか……という推測だ。

 

 古くから「三つ子の魂百まで」という言葉がある。

 人間は幼少期に培われた性質や考え方が、その後の生涯を決定づける。

 

 これを国という生命体に置き換えてみた時、人換算で三歳に達するまで──

 つまり、建国や体制が確立して間もない「若い時期」に培われた国の常識や社会システムが、その後、寿命を迎えて破綻するその日までに決定的な影響を及ぼし続けるのではないか、と僕は推測した。

 

 建国の初期段階において、

 人々の間にどのような常識を根付かせるか。

 どのような法整備を行うか、どのような倫理観を共有するか。

 

 そうした「早い段階での仕組み作り」に失敗すれば、後からいくら外科手術のように最先端のシステムを導入しようとしても、拒絶反応が起きてしまう。早い段階で良い仕組みを築かないと、文字通り手遅れになってしまう。

 

 その観点で冷徹に分析すれば、正直なところ僕の国はすでに妙齢期に差し掛かっており、抜本的な改革を行うには手遅れに近い状態だった。

 蓄積された既得権益、硬直化した官僚機構、そして人々の間に蔓延する「変わることへの恐れ」

 これらを根本から覆すことは、もはや不可能に近いと悟らざるを得なかった。

 

 だが、絶望ばかりではなかった。

 僕の胸の奥には、一つの微かな、しかし確かな希望の光が宿っていた。

 

 ──それは「国際社会」という概念の成熟だ。

 

 交通網が発達し、情報が世界を駆け巡り始めたこの時代。

 国家間の壁は徐々に低くなり、世界中の人々が国境を越えて繋がり始めている。

 

 もし、国際社会という考え方が真の意味で一般的になり、この星全体で一つの共同体として機能するようになるのなら……それは即ち、この星に「一つの新しい巨大国家が誕生する」という意味を持つ。

 

 惑星規模での新しい国家の誕生。それはつまり、再び「三歳」の幼少期を迎えるということだ。

 その壮大な試みが施行され、星全体で初期段階から良い仕組み、公平なルール、命を尊ぶ常識を築き上げることができるチャンスが、まだ人類には残されている。

 僕は世界を巡る中で、そのダイナミズムを確かに肌で感じ取っていた。

 

 一方で、強烈な危機感も抱いていた。

 もし、その惑星規模の統合に失敗し、各々が自国の利益のみを追求する旧来の価値観に後退してしまえば、人類は自らの首を絞め、破滅へと向かうだろう。

 正しい歩みを進め、真の豊かさを手にするためには、これが「最後のチャンス」になるという予感、いや、確信めいた焦燥が僕の背中を押し続けていた。

 

 先鋭的な先進国家を一通り視察して回った後、僕は自らの推測と希望を確かめるべく、生まれて間もない若い国……つまり、発展途上国や後進国と呼ばれる地域へと赴いた。

 

 そこには、まだシステムが固まりきっていない無限の可能性と混沌が入り交じった原始的なエネルギーが満ちていた。僕は自らの資産と知識を惜しみなく注ぎ込み、できる限りの尽力を尽くした。

 

 学校を建て、

 医療システムを構築し、

 持続可能な産業の土台を作る。

 

 より良い国づくりのための手伝いに、僕は文字通り身を粉にして勤しんだ。

 

 若い国々が正しい「三つ子の魂」を培えるように。

 そしてそれが、いつか国際社会全体を牽引する希望の光となるようにと、そう願いながら。

 

 ──しかし、運命は残酷だった。

 

 劣悪な衛生環境と、過酷な気候。

 休む間もなく動き続けた僕の肉体は、知らず知らずのうちに限界を迎えていた。

 

 ある日、僕は突然の高熱と激しい眩暈に襲われ、そのまま意識を失って倒れた。

 土着の流行り病、いわゆる風土病に感染してしまったのだ。

 

 近代的な設備もままならない現地の病院で、僕は病床に伏せることとなった。

 燃えるような高熱が全身を焼き、呼吸をするたびに肺の奥底から激しい咳が込み上げてくる。

 衰弱していく中で唯一の外界との繋がりは、本国から付き添ってくれていた優秀な秘書からの報告だけだった。

 

 彼女は毎日、僕の枕元に座り様々な情報を届けてくれた。

 今お世話になっているこの国で、人々の暮らしはどう変化しているのか。

 僕がアドバイスしたインフラの整備や教育の施行は上手くいっているのか。

 

「社長、ご提案いただいた農業システムですが、順調に稼働を始めました。現地の方々も大変喜んでおられます」

「新設した学校に、子供たちが笑顔で通い始めましたよ。……これも全て、あなたのご尽力のおかげです」

 

 彼女がもたらすニュースは、概ね良好なものばかりだった。僕が蒔いた種が、少しずつ、しかし確実に芽を出し始めている。その事実だけが、病魔に蝕まれる僕の心を慰め、生きる気力を繋ぎ止めてくれていた。

 

 ──しかし

 ある日、彼女の口から告げられたのは、僕の魂を根底から打ち砕くような、最悪のニュースだった。

 

 

◆

 

「……ゲホッ! ゲホッ! な、なんだって……?」

 僕は激しく咳き込みながら、信じられない言葉を耳にして跳ね起きた。

「ソラハの坊主が……テロを起こしただと!? そんな馬鹿な事があるか!」

 僕はベッドから身を乗り出し、秘書に向かって強く怒鳴りつけた。

 

 後に語り継がれることになる、その凶報。

 ウェイターに扮した少年テロリストが、晩餐会で同盟国の要人の頭を撃ち抜いたという、世界を震撼させた暗殺事件。その実行犯として逮捕されたのが他でもない、僕が工場で雇い入れたあのソラハキミトだというのだ。 

 

「事実です……」

 秘書は僕の怒号に怯むことなく、しかし痛切な悲しみを込めて報告を続けた。

 

「事件の直後、本国ではすぐさま情報統制が敷かれました。幸いなことに……いえ、企業としては幸いなことに、当人が事件を起こす前に自ら工場への辞職を申し出ていて、退職手続きが完了していました。そのため我が社への影響を最小限に抑える隠蔽工作は、つつがなく遂行されています。……彼は当社とは全く無関係の、単なる一人のテロリストとして処理されました」 

 

 僕は愕然とした。

 目の前が真っ暗になり、全身の血液が逆流するような感覚に襲われた。

 

 あの少年が、要人を暗殺するテロを起こしたという信じ難い事実。

 そして、その情報が世界に漏れるのを防ぎ、企業との繋がりを揉み消すことだけに必死になっている本国の重役たち。

 

 僕が「責任は全て取る」と宣言したにもかかわらず、僕が不在の間に会社は彼を見捨て、自らの保身に走ったのだ。今、あの少年の味方は、この広い世界のどこにもいない。 

 

「ゴホッ! ゲホッ! ……今すぐ、今すぐ帰国の準備をしろ!」

 僕は点滴の針を引き抜こうとしながら、掠れた声で叫んだ。

「無茶です! 社長!」

 秘書が慌てて僕の腕を掴み、ベッドに押さえつけた。

 

「その体調では、長時間のフライトにはとても耐えられません! 命に関わります!」

「離せ! だが、坊主が! 僕は、最後まで責任を取ると、あの小さな背中に約束したんだ!」 

 

 僕の悲痛な叫びに、秘書は涙を浮かべながら強く言い返した。

「ですから、彼はもう辞職しているのです! 本人が自ら申し出たのですよ!? あなたが守ろうとした約束は、彼自身の手によって反故にされたんです!」

 

 秘書は、何よりも僕の身体を案じてくれていた。だからこそ彼女は会社を守り、僕の命を守るために、あえて少年を非難するような残酷な言葉をぶつけてきた。

 

「そんな馬鹿な話があるか!」

 僕は激しく抵抗しながら、涙で視界を滲ませた。

「坊主は、一生懸命を誓ったんだぞ! 命を懸けて家族を、弟を守ると、あの真っ直ぐな目で僕に約束したんだ! そんな子が自ら仕事を放り出して、どうしてテロリストなんかに……ゲホッ! ゲホッゲホッゲホッ!!」

 

 激しい咳の発作が僕の言葉を遮り、喉の奥から鉄の味が込み上げてきた。シーツを握りしめ、身悶えしながら、僕は混乱の極みにいた。

 

 何が何だか、全くわからなかった。

 

 少年は「弟のイサクの面倒を見る」と言っていた。

 工場に勤めていなければならなかったはずだ。

 日々の糧を得るために、泥にまみれて働かなければならなかったはずだ。

 

 それが、どうして、

 要人を暗殺するような国際的なテロ事件へと繋がるのか。

 その動機も、背景も、繋がりも全く理解できなかった。

 

 彼のような貧しい少年が要人の集まる晩餐会に潜り込むための手引きを、誰がしたというのか。

 ──彼を利用した巨大な悪意が存在するはずだ。 

 

 発作が収まり、荒い息を吐きながら、僕は天井を虚ろに見つめた。

 今すぐ飛んで帰って、彼を抱きしめ、真実を聞き出したい。

 しかし、僕の肉体はもはやベッドから立ち上がることすら許さないほどに衰弱しきっていた。

 

「……なら、せめて」

 僕は、縋るような目で秘書を見つめた。

「坊主が、テロをしなければいけなかった理由を調べてくれ。あの子には、守るべき弟がいるんだ。イサクという弟が……そこから、何か掴めるかもしれない」 

 

 彼がそこまで追い詰められた理由。家族を愛していた彼が、なぜすべてを投げ打って凶行に及んだのか。

 弟の存在が、その謎を解き明かす最後の鍵になるはずだった。

 

 しかし……僕の提案を聞いて、秘書は悲痛な表情のまま、深く俯いた。

 

 数秒の重苦しい沈黙の後、彼女は「……お言葉ですが」と前置きをして、僕の最後の希望を根底から打ち砕く、あまりにも残酷な事実を口にした。

 

「弟のソラハイサクは……テロの三日後に、病気で亡くなっています」

 

 

 

 

 その一言で僕は悟った

 ──少年は、使い捨てにされたのだ

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