生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
十二月中旬。街はすっかり冬の冷たい空気に包まれ、行き交う人々の吐く息は白く染まっていた。
駅に併設されたコーヒーショップの窓際席。そこに座るシルヴァレッタは、あたたかいコーヒーの入ったマグカップを両手で包み込むように持っていた。すると、向かいの席にサングラスをかけた男が座る。
──その男はクロガネだった。
「……コバルトさんは?」
クロガネが、周囲をそれとなく窺いながら尋ねる。
「近くには居るらしい。事情があって俺には教えてもらっていない」
シルヴァレッタは淡々と答えた。
彼女が姿を見せない理由、その一つは明白だ。警護対象であるシルヴァレッタを守るため。
目の前の男、クロガネの持つ危険な能力を警戒しての行動だ。
クロガネには、至近距離で目を合わせた相手を強制的に眠りに落としてしまうという、恐るべき能力がある。今はサングラスを掛けているとはいえ、一瞬でも隙を見せれば相手を眠らせてしまう絶対の能力。警戒するのは当然だった。
ただ、もう一つの理由がなぁ……
「まあ、致し方ないですね」
クロガネは自分が警戒されていることに対して不満を漏らすどころか、むしろ当然だと言わんばかりに深く納得して頷く。
「……それで、三つ子の身請けの話はどうなったんだ?」
シルヴァレッタが本題を切り出す。ソラハ一号、二号、三号と呼ばれる三姉妹。彼女たちは過酷な虐待の末に救出され、安全な場所での保護が急務となっていた。
「ええ。先週、施設での受け入れが終わったところです。みんな、元気ですよ」
クロガネは、ソラハ三姉妹の境遇について落ち着いた声で語った。
「……そうか、一安心だな」
シルヴァレッタは、マグカップをテーブルに置き、微かに安堵の息を漏らした。
しかし、精神科医でもあるクロガネの表情は晴れなかった。
「いえ、ここからが本番です」
彼は厳しい口調で、シルヴァレッタの安堵を切り捨てた。
「過酷な環境から脱出したその後に緊張の糸がほぐれ、症状が強く出るケースは珍しくありません。ましてや、前代未聞の境遇に遭った方達です。予断は許せません」
専門家として真っ当な、そして重みのある意見だった。
救い出せばそれでハッピーエンド、というわけにはいかない。
──そんなのはおとぎ話だけだ。
トラウマを抱えた人間の心は、安全な場所を手に入れた瞬間にこそ、これまでの抑圧を爆発させて崩壊してしまうことだってあるのだから。
「そうか……」
シルヴァレッタは沈痛な面持ちで俯いた。
「それで、交換条件と仰ってましたね。そちらからのリクエストとは何でしょう?」
クロガネが、コーヒーを一口啜ってから尋ねてきた。
その言葉を聞いて──
ぼくは覚悟を決めた
シルヴァレッタの口がゆっくりと開かれる。
「お前の能力で、ウラベイサクを呼び出して欲しい」
「……は?」
クロガネは間の抜けた疑問の声を漏らした。
無理もない。目の前で話している男が、自分を呼び出してくれと頼んでいるのだ。
「どうやら、俺が寝ている時に『ウラベイサク』は表に出るらしい」
シルヴァレッタは真剣な眼差しで、サングラス越しにクロガネを見据える。
「だが俺は、お前の能力以外で眠ったことがない。だから協力して欲しいんだ」
それを聞きクロガネは少しの間、考え込むそぶりを見せ「そういう事でしたか……」と小さく呟いた。
彼なりに、シルヴァレッタの抱える特殊な事情と、異常な状況の理屈を噛み砕いたのだろう。
「協力は惜しみません。ただ、一つお願いがあります」
「何だ?」
「アナタの名前を教えてください」
その問いに、シルヴァレッタは一切の迷いなく、己の存在を証明するかのように返した。
「シルヴァレッタ」
「ではシルヴァレッタさん。自分の目を見てください」
クロガネの言葉に従い、シルヴァレッタはじっと彼の目を見つめた。
クロガネが、己の目を覆っていたサングラスを一瞬だけ外す。
その瞬間
視界が完全に暗転した。
──そして。
今、身体の主導権を握っているのは、ぼくだった。
「……イサクくん、ですね?」
向かいの席から、クロガネに声をかけられる。
ぼくは顔を上げず、視線だけクロガネに向けて、俯いたまま小声で交渉を持ちかけた。
「……なあ、クロガネ」
「何でしょう?」
「逃げるの、手伝って」
ぼくの唐突な願いに、クロガネは少しも驚くことなく、にこやかな笑顔を浮かべて答えた。
「無理です。殺されかねませんので」
ですよね
まあ、当然だ。クロガネは一度はぼくを拉致しようとした実績がある。そんな人物が、逃げるのを助けるとなれば、そのまま攫うかも、と疑われても仕方がない。
だからぼくは──
一目散に逃走した
「あっ、アイツ!」
遠くの席から、聞き覚えのある少女の声が響いた。
コバルトだ。やはり店内に潜伏していたか。
しかし、だからこそ、ぼくに勝機があった。
あのコバルトが何も頼まずに店の中にいるワケがない。ましてや、食い逃げなんてする筈がない。
すなわち──支払いのタイムラグが確実にあるという事だ。
今のうちに距離を稼がないと!
「ちょっと! 待ちなさいよ!」
背後からコバルトの怒声が聞こえるが、ぼくは振り返らない。
自動ドアを抜け、駅のコンコースを疾走する。
改札口をスマホで強引に突破し、一番早く出発する車両のプラットフォームへと階段を駆け上がる。
発車ベルが鳴り響く中、ぼくは滑り込むようにして電車のドアに飛び込んだ。
プシュー、という音と共に電車のドアが閉まり、ゆっくりと車両が動き始める。
「……ふう」
ぼくは荒い息を吐きながら、座席にドカッと腰を下ろし、額の汗を拭った。
これでいくらか時間は稼げるはずだ。シルヴァレッタが目を覚ますまで約六時間、絶対に逃げ切ってみせる!
──そう安堵した、まさにその時。
「ダメですよ。コバルトちゃんを困らせちゃ」
オワタ \(^O^)/
隣の席から、ふわりとした、しかしどこか底知れない声がかけられた。
見ると、一人の少女がニコニコと笑いながらぼくを見つめていた。
休日の女子中学生のような身なりだが、その瞳の奥には、一般人にはない冷酷な知性が宿っているように見えた。
「……ちなみに、誰?」
ぼくが投げやりに尋ねると、少女はこともなげに答えた。
「組織のリーダーやってます、バナジウムです。コバルトちゃんの一個下ですよ!」
鉱石由来の名前、つまりジュエル関係者だろう。
ぼくはこの状況を打開する手札を増やそうと、クリティカルな質問をぶつけてみることにした。
「その組織の正式名称は? ……たぶん、コバルトがすごく困るやつだよね」
これまで他の組織はキチンと名称を口にしていたコバルトが、頑なに自分の属する組織を「組織」としか呼んでいなかった。
あのコバルトの性格からして、そうせざるを得ないほど、何らかの理由がある筈だ。
意地悪く意趣返しをするぼくに対し、バナジウムは「あはは」と楽しそうに笑い「これは一本取られました」と言ってから、その組織の名前を誇らしげに告げた。
「『コバルトちゃんの好きにさせ隊』ですっ!」
予想の
上
メ
ナ
ナ
あまりにもふざけたネーミングに、ぼくは本気でドン引きした。
「なぁにそれぇ」
「むっ、失礼な。彼女を愛し、支援し、自由を守るための由緒正しき組織ですよ」
バナジウムは胸を張って答える。
ぼくは呆れながらも、質問を続けた。
「リーダーって話だけど、いつからやってるの?」
「三年前からですね」
三年
……え、この子ヤバい子か?
「……つまり、三年前の『アルファベット狩り』によって居場所をなくしたコバルトを、自らの組織に招き入れたって事?」
ぼくの推論を聞いて、バナジウムは目を丸くし、そしてパチパチと拍手をした。
「大正解です。さすがイサクさん、察しが良いですね」
「じゃあ、お前がゼロから立ち上げたベンチャー企業みたいなもんか」
ぼくがそう言うと、バナジウムは人差し指を立てて左右に振った。
「残念、違います。M&Aの方が近いですね」
「……は?」
「既にあった裏組織を、チャチャっと自分のものにしたんですよ」
三年前、この子はまだ小学生の年齢のはずだ。そんな子供が、既存の裏組織を乗っ取ったというのか。
「どうやって……」
愕然とするぼくに対し、バナジウムは自慢げに、そして何よりも誇らしげにこう言った。
「あたし、ジュエルでは座学トップでしたので」