生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
冷たい風がプラットフォームを吹き抜ける。ぼくたちを乗せた電車は、都心から離れた郊外のターミナル駅でゆっくりと停車した。
ドアが開き、暖房の効いた車内からホームへ降り立つ。隣にはニコニコと笑顔を浮かべるバナジウムが、まるで親しい友人のようにピタリと寄り添っている。
「さて、イサクさん。このまま一緒に近くのカフェへ向かいましょうか。温かいお茶と美味しいケーキは如何でしょう?」
「……」
ぼくが無言で足早に改札へ向かおうとするとバナジウムは慌てる様子もなく、スッとぼくの前に立ち塞がった。
「ダメですよぉ、せっかくお招きしているのに。……それに、逃げられるとでも?」
彼女の周囲には誰もいないように見えたが、よく見ればホームのベンチで新聞を読んでいるサラリーマン風の男も、自販機の前でスマホをいじっている若者も、こちらに意識を向けている。
彼女が率いる『コバルトちゃんの好きにさせ隊』
──組織の構成員たちに囲まれているのは明らかだった。
ぼくは小さくため息をつき、観念して彼女の言葉に耳を傾けることにした。
「それにしても、よくこんな組織を作り上げたね」
ぼくが呆れたように言うとバナジウムは少しだけ真面目な顔になり、これまでの経緯を語り始めた。
「あたし、体が強い方ではなかったので、お勉強を頑張ったんです」
バナジウムは駅のホームのベンチに腰を下ろしながら、遠い目をして昔を振り返る。
「暗殺と言っても、現場での肉体労働だけじゃなく、作戦立案や情報収集も大事ですからね。そうやって、ジュエルの中で自分の居場所を確保したんです」
それが、彼女が『座学トップ』に上り詰めた理由だった。腕力やスピードで劣る彼女が、冷酷な実力主義の暗殺組織で生き残るために選んだ生存戦略。
「契機は、シナバーちゃんのジュエル参入でした」
バナジウムの口から、またしてもあの天才少女の名前が出た。
「彼女は、バラバラでいがみ合っていたあたし達を『姉妹』として一つにまとめあげてくれた。……なら、その姉妹たちの受け皿になるような、確固たる組織が必要だと思ったんです」
バナジウムは決心したような口ぶりになり、拳を握った。
「それで、あたしはジュエルの上層部に掛け合って外の組織へのアドバイス業務……コンサルティングの仕事を手に入れたんです。丁稚奉公みたいなもんですかね」
「子供が、裏組織のコンサル?」
「ええ。受け入れ先の組織は、あたしのような子供でも構わず実力主義を貫いてきました」
バナジウムは懐かしそうに目を細める。
「だから、あたしも全力でその期待に応えた。情報分析から戦略立案まで、徹底的に彼らの組織を改善して利益を出したんです。そしたらですね……その時のリーダーさんが言ってくれたんですよ。『もう、この子がリーダーやった方が良くない?』って」
「…………」
ぼくは、ひたすらに絶句した。
運の巡り合わせもあったかもしれない。
しかし、小学生の年齢で大人たちが血で血を洗う裏組織に単身乗り込み、その実力だけでトップの座に上り詰めてしまったのだ。
「ただ」
バナジウムは、ふっと顔を曇らせた。
「そんな風に自分の組織の基盤を整えた最高のタイミングで……あの『アルファベット狩り』が起きてしまったんです」
三年前の、裏社会の一斉摘発。
「気付いた時には、既にジュエルは壊滅。みんな散り散りになって、手を取れる相手がコバルトちゃんしかいなかったんです……」
当初の計画では彼女が乗っ取ったその組織に、ジュエルの二期生全員を保護して迎え入れるつもりだったのだろう。しかし、突然の来襲により計画変更を余儀なくされ、見つけ出せたのはコバルトだけだったのだ。
「だからあたしは、まずはコバルトちゃんを招き入れて、組織名を『コバルトちゃんの好きにさせ隊』にしたんです!」
「そうはならんやろ」
シリアスな過去話から急に飛躍したネーミングセンスに、ぼくは思わずツッコミを入れた。
「なら、聞くけど」
ぼくは、以前から疑問に思っていたことをぶつけた。
「コバルトは、あんなに優しくて甘い性格だ。なのに暗殺者稼業を名乗っていた。……自分に向いてない暗殺業を続けられたのは」
「はいっ! あたしのエゴひいきです!」
バナジウムは、満面の笑みで、何の悪びれもなく言い放った。
ぼくは心底呆れた。
しかし、彼女が組織のトップ権限を濫用し、コバルトに「誰も殺さなくていい暗殺者」を続けさせていたからこそ、巡り合わせで不法投棄の依頼が舞い込んでシルヴァレッタがここにいるのだ。結果オーライである。
「じゃあ、いまコバルトがやってる『要人警護』の任務も、君の差し金?」
ぼくが聞くと、バナジウムはあっさりと頷いた。
「言葉は悪いですが、そうなりますね」
「シルヴァレッタの何に価値を見出したの? 不死?」
「ビジネス的にはそうですが、個人的感情の方が大きいですね」
バナジウムは、何かを思い出したようにクスリと笑って答えた。
「そっか。……それ、コバルトの報告書から読み取れたの?」
「それはもうっ!」
バナジウムは元気よく返した。
そうか。そうか…………、良かった。
──コバルトは、シルヴァレッタのことを気に入ったのだ。
元より人に対して悪い印象を持たないコバルトだが、特定の個人に対して強い興味や好意を抱くというのは、彼女をずっと見てきたバナジウムにとっても意外なことだったのだろう。
だからこそ、バナジウムは「コバルトの好きにさせたい」と思って、わざわざシルヴァレッタの護衛任務をアテンドしたのだ。
「良かった……」
ぼくは、つい口に出してしまった。
それを見て、バナジウムはにっこりと微笑む。
ぼくは真顔になり、バナジウムに向き直った。
「なあバナジウム。お前なら、ぼくの気持ちが分かるだろ。……どうして今、ぼくが逃げているのかも」
バナジウムは「ええ」と肯定した。しかし、その笑顔の奥には冷徹な組織のトップとしての顔があった。
「ですが残念ながら、あたし達は『コバルトちゃんの好きにさせ隊』ですので」
もうダメだ……おしまいだぁ……
⬛︎◆▲
そして一時間後。
駅の近くにある、バナジウムが手配したカフェ。
息を切らし、顔を真っ赤にしたコバルトが、ものすごい剣幕でカフェのドアを開けて飛び込んできた。
「……で、どうして私とは話がしたくないの?」
コバルトは、ぼくの対面の席にドカッと座るなり、怒りに震える声で尋ねてきた。その瞳には不信感と、避けられていることへのショックが入り混じっている。
「…………」
ぼくは、口を真一文字に結んで押し黙った。
「何とか言いなさいよ!」
沈黙に耐えきれなくなったコバルトが、テーブルを叩いて強い口調で迫る。見かねたバナジウムが、横から「まあまあ」と仲裁に入る。
「落ち着いてくださいコバルトちゃん。理由はシンプルなんですよ?」
バナジウムが全てを代弁してしまおうとするのを見て、ぼくは観念した。
この頭の回転が速く、ぼくの感情に共感している少女は、ぼくの抱える複雑な心理などすでに全て見抜いており黙っていてもペラペラと喋ってしまうだろう。だったら情けない理由であっても、ぼく自身の口から言うべきだ。
「──フェアじゃないと、思ったんだ」
ぼくが絞り出すように発言したことに、コバルトは目を丸くして驚いた。
「な、何よ。フェアって」
ぼくは、深呼吸をして、心の奥底に隠していた想いをぶちまけた。
「コバルト。……お前のことが好きなんだよ、ぼくは」
「ッ!?」
ぼくがそう言うと、コバルトの顔が一瞬にして沸騰したように真っ赤に染まった。
「な、ななな!」
コバルトは両手で顔を覆い、パニックを起こして言葉にならない悲鳴を上げている。その横で、バナジウムが「ふふふ」と楽しそうに笑みを浮かべていた。
「じゃ、じゃあ……フェアっていうのは」
コバルトが、顔を真っ赤にしたまま、指の隙間からぼくを見て尋ねてくる。
「そうだ。……シルヴァレッタに申し訳ない」
ぼくがそう言うと、それを聞いてコバルトはさらに顔を赤くして身悶えした。
「だって、シルヴァレッタの事が、同じぐらい好きだから」
「……ん?」
コバルトの身悶えがピタリと止まり、彼女は素っ頓狂な声で疑問を呈した。手から顔を離し、狐につままれたような顔でぼくを見つめている。
「だから、フェアじゃないんだ」
ぼくは、真剣な顔で説明を続ける。
「ぼくは、君と同じくらい、シルヴァレッタという男のことが好きなんだ。彼が君と関わり、絆を深めていくのを見るのが好きなんだ。そこにぼくが水を刺すなんて、あっちゃならない!」
「ちょ、ちょっと待って!」
コバルトが、頭を押さえながらストップをかける。
「つまり……」
コバルトは、ひきつった顔で確認するように聞いた。
「アンタが、私から逃げて極力黙っていたのは、シルヴァレッタとは直接話せないから……それだけ?」
ぼくは、さも当然のように深く頷く。
「さっきから、そう言ってるだろ」
──『推しの住む部屋の壁になりたい』という表現がある。
ぼくの現状はまさにそれなのだ。
シルヴァレッタとコバルトという、尊い二人の関係性を特等席から見守る壁(正確にはシルヴァレッタの目だが)
ならば、壁は壁らしく、彼らの関係に横槍を入れずに黙っているのが正しいだろう。
ぼくは、その美学と心理を、懇切丁寧にコバルトに説明した。
「…………」
全てを聞き終えたコバルトは、数秒間、完全に無表情でフリーズしていた。
やがて彼女はワナワナと肩を震わせ、顔を真っ赤にして地団駄を踏み鳴らした。
「紛らわしいのよォォォォォッ!!」