生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
温かい紅茶から立ち上る湯気が、テーブルを挟んで漂っている。
ぼくの対面には、怒りから落ち着きを取り戻したコバルトと、そんな彼女をニコニコと見守っているバナジウムが座っていた。
『推しの住む部屋の壁になりたい』という、ぼくの面倒くさい美学は、コバルトの「紛らわしい!」という悲痛な叫びによって見事に粉砕された。
こうなったらもう、ヤケである。
中途半端に壁を気取って隠し事をするのはやめだ。
この身体──シルヴァレッタが直面している謎を解き明かすために、ぼくが知っている情報をすべて彼女たちに共有する。
ぼくは居住まいを正し、少し冷めた紅茶を一口飲んでから、単刀直入に切り出した。
「先日、カードゲームの大会会場でシナバーに会った時のことなんだけど」
ぼくは、伝わるよう言葉を選びながら慎重に告げた。
「シナバーは嘘をついている。アイツは間違いなく、ぼく……ウラベイサクという人間を知っている様子だった」
その言葉を聞いた瞬間、コバルトは驚きで目を大きく見開いた。
「な、何でアンタがそんなこと言えるのよ」
コバルトは身を乗り出して問い詰めてくる。
無理もない。あの時、シナバーは「ウラベ何某には心当たりがない」と満面の笑みでハッキリと否定していたのだ。
コバルトはその言葉をすっかり信じ込んでいた。
ぼくは、どう説明したものかと回答に戸惑った。
「……何となく、じゃダメかな」
「ダメに決まってるでしょ!」
コバルトが怒って反論したその時、横からバナジウムが静かに口を開いた。
「……あ。いえ、コバルトちゃん。あり得ますよ」
バナジウムは顎に手を当て、持ち前のずば抜けた頭脳で過去の記憶を検索し、一つの答えを導き出した。
「ウラベメンタルクリニックの隠し扉で見つけたレポート。あの『最低傑作』のデータの中に、他人の嘘を突き止めるような文言が確かにありましたね」
バナジウムの指摘に、コバルトもハッとしたように息を呑んだ。
「あ!」
コバルト自身、その残酷な研究レポートを自らの声で読み上げ、あまりの非人道的な内容に涙を流して崩れ落ちた経験がある。
あの時、彼女が読み上げた一文が、ぼくの脳裏にも鮮明に蘇る。
『過去の患者や被験者達から、嘘を鋭利に感じ取れる精神器官の解析に成功した。これを組み込む事で、欺瞞に満ちたこの世界での生き辛さを増幅させることが可能である』
ウラベキミトという狂った科学者が、己の息子も同然であるウラベイサクの脳に意図的に組み込んだ、呪いのような精神器官。ぼくは、その事実を肯定するように静かに頷いた。
「そこに書かれていた全ての精神疾患を、今のぼくが有しているかどうかは分からない。でも他人の『嘘』については、明確に判別が可能……だと思う」
ぼくが補足すると、二人は息を呑んで沈黙した。
やがて、バナジウムが真剣な顔つきで疑問を呈した。
「なら、シナバーちゃんは敵……なんでしょうか? どうしてジュエル時代の仲間であるコバルトちゃんに嘘をついてまで、ウラベイサクを知っている事を隠そうとしたのか」
「そこまでは分からない」
ぼくは首を横に振った。
「敵か味方かは断言できない。けれど、あえて黙ったという事は彼女が何らかの目的を持って動いている証拠だと思う」
コバルトは、かつて自分たちを『姉妹』としてまとめ上げてくれた恩人であるシナバーが、自分に嘘をついていたという事実にショックを受けているようだった。
「何で、何であの子がそんな事を……?」
彼女は両手で顔を覆い、ややパニックになっている。裏社会で生き抜いてきた者であっても、信じていた身内の裏切りには脆かった。
「おそらく、彼女が『シンシヤ』である事も深く関わってるんじゃないかと、ぼくは思ってる」
「「…………ん?」」
……えっ? もしかして、バナジウムもそっち側?
コバルトとバナジウムは、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような見事なまでにポカーンとした顔でぼくを見つめ返した。
そして二人は顔を見合わせてから、カフェの店内に響き渡るような大きな声で叫んだ。
「「ええぇぇぇー!?」」
「嘘でしょ!? あのシナバーが、シンシヤ!?」
「天才クリエイターにして、カードゲーム環境の支配者であるシンシヤ先生の正体が、シナバーちゃん!?」
二人は大いに驚愕し、パニックを加速させていた。
ぼくは頭を抱えた
コバルトがポンコツなのは十分に理解していたが、ジュエルの座学トップであり、既存の裏組織を乗っ取って『コバルトちゃんの好きにさせ隊』のリーダーに君臨するほどの頭脳を持つバナジウムまで、シナバーとシンシヤが同一人物である可能性に微塵も気づいていなかったのだ。
「た、確かに……!」
バナジウムはテーブルに両手をつき、ブツブツと謎の考察を深め始めた。
「アニメ『勇者ペンギン大ちゃん大冒険』のストーリーの根底に流れるテーマは、過酷な世界を生き抜く『生命讃歌』です。それは、ジュエルという地獄のような環境で、私たちを姉妹としてまとめ上げ、生きる希望を与えてくれたシナバーちゃんから窺い知れた心情と、完全に一致しますね……!」
バナジウムの目はキラキラと輝いている。
……どうやら彼女、冷徹な組織のトップであると同時に、シンシヤ先生に強火なファンガールだったらしい。
推しへの純粋な信仰心が、彼女の明晰な頭脳を曇らせていたのだ。そう信じたい。
「……あの子なら、やりかねないわね」
コバルトも、バナジウムの考察に深く頷きながら賛同した。
「ジュエルにいた時、殺伐とした毎日の気晴らしになればと思って、カードゲームの楽しさをあの子に教え込んであげたのは私なのよ」
おまえのせいか
コバルトは遠い目をしながら過去を懐かしむ。
「あの子、カードのフレーバーテキストを読むのが好きで、特に生命の尊さを謳うような文句がすごくお気に入りだったわ」
ぼくは、ようやく話が本筋に戻ってきたことに安堵した。
そして一呼吸おいてから、
……結論を口にした。
「装飾箱に刻まれていた英語の文字列の謎を突き止めるには、あの子に接触して直接聞き出すのが一番良いと思う」
ぼくがそう発言すると──
「「…………」」
対面に座るコバルトとバナジウムは、突然、ポカンとした顔でぼくを見つめた。
「ど、どうした?」
二人の急な変化に、ぼくは訝しげに問いかけた。
二人は顔を見合わせ、そして、本気で不思議そうな顔をして首を傾げた。
「「あの子って……誰?」」
──え?
ぼくの背筋を、強烈な悪寒が駆け抜けた。
つい数秒前まで、熱心にシナバーについて語り合い、シンシヤ先生との同一人物説に驚愕していた二人。
その二人が、いきなり会話の主語であったシナバーの存在を、記憶からすっぽりと抜け落としてしまっていた。
「え……嘘だろ。さっきまでシナバーの話を──」
ぼくが焦って次の言葉を紡ごうとした、その瞬間だった。
カランコロン、とカフェのドアベルが鳴り、一人の少女が店に入ってきた。
セミロングの髪に、
活動的なサロペット姿。
──シナバーだ。
彼女は軽快な口笛を吹きながらこちらに歩いてくる。
ぼくは弾かれたように彼女を指差し、叫んだ。
「ほら! あの子! シナバーだよ!」
しかし、対面に座る二人の反応は、あまりにも異様だった。
「……イサクさん? いきなりどうしたんですか?」
バナジウムは、ぼくが指差している方向──シナバーが立っているはずの入り口付近を見つめながら、本気で疑問符を浮かべている。
「どこを指差してるのよ。入り口には何もないじゃない」
コバルトもまた、呆れたようにぼくに告げた。
「それに……」
「シナバーって……」
「「誰?」」
ぼくは絶句した。
コバルトにも、バナジウムにも、シナバーの姿が見えていない。
それどころか、彼女に関する記憶すら消え去っている。
ぼくは、入り口に立つシナバーの方へ視線を向ける。すると──
シナバーもまた、ぼくとバッチリ目が合ったまま、完全に絶句して立ち尽くしていたのだ。
「な、何で……ボクを憶えていられるんだい?」
シナバーは、信じられないものを見るような目でぼくを見つめ、震える声で問いかけてきた。
彼女のその言葉を聞いて、ぼくの脳裏に一つの閃きが走った。
「……能力か!」
メカニズムや詳しい効果は不明だが、シナバーは何らかの異能──透明人間のような状態になる能力を使っているのだ。
クロガネの「目を合わせた相手を強制的に眠らせる」能力や、ルクの「死者の記憶を体験できる」能力のように、彼女もまた人智を超えた力を持っている。
だが、どうやら、
その能力は、
何故だか──ぼくには全く効いていない。
シナバーが、わざわざ能力を使って認識阻害をかけた状態で、ノコノコと一人でぼくたちのいるこの店に入ってきた。
偶然などではない。確実に、ぼくたちに何か干渉するための明確な狙いがあって近づいてきたはずだ。
どんな狙いにせよ、今はぼくら三人の身の安全を確保することが先決だ。
彼女はかつて暗殺組織ジュエルに所属していた人物だ。見えない状態からの奇襲を受ければ、いくらコバルトやバナジウムでも防ぎようがない。
ぼくは、理屈を考えるよりも先に行動に出た。
テーブルを素早く回り込み、対面に座っているコバルトとバナジウムの間に強引に体を割り込ませた。
そして、両腕を大きく広げ、二人の肩をガッチリとホールドし、自分の胸に抱き寄せるようにして密着した。
「キャッ!?」
「わわっ! イ、イサクさん!?」
突然のスキンシップに、コバルトとバナジウムが軽く悲鳴を上げて身をよじった。
「じっとしてて!」
ぼくは短く叫び二人を強く抱き寄せたまま、入り口に立つシナバーを鋭く睨みつけた。
透明人間状態の相手への防衛策として、ぼくが咄嗟に思いついたのがこれだった。
シナバーの能力が視覚や記憶に干渉するものであっても、物理法則まで無視できるわけではない。
もし彼女がぼくたちに危害を加えようと近づいてくれば、ぼくが二人を抱きしめている以上、必ず物理的な接触が発生する。
触れられれば、いくら認識が阻害されていても「そこに何かがいる」と気づくことができる。
ましてや、抱き寄せているのは戦闘のプロであるコバルトだ。接触という異常事態が起きれば、彼女の暗殺者としての本能が瞬時に反撃行動へと移るだろう。
シナバーは、ぼくの行動の意図を即座に理解したようだった。
彼女は入り口で足を止め、呆れたような、それでいてどこか面白がるような表情を浮かべた。
「……両手に花かい? 隅に置けないね、シルヴァレッタ」
シナバーが、からかうように言葉を投げてくる。
ぼくは、二人をしっかりとホールドしたまま、ニヤリと不敵に微笑んでみせた。
「これなら、手が出せないんじゃないか?」
ぼくの挑発に対し、シナバーは「ちぇっ」と悔しそうな反応を返した。
この状態のぼくたちに手を出すのは、リスクが高いと判断したようだ。
「……残念、日を改めるよ」
シナバーはそう言い残すとクルリと背を向け、カフェのドアを開けて出て行った。
カランコロン、とドアベルが鳴り、彼女の後ろ姿が遠ざかっていくのを見届けて──
ぼくは、ようやく心底ホッとして、大きく息を吐き出し、二人を抱き寄せていた腕の力を緩めた。
「……ふぅ」
ぼくが安堵の息を漏らした、次の瞬間──
パァァァンッ!!
頬を引っ叩かれた
「い、いきなり何すんのよ!!」
顔を茹でダコのように真っ赤にしたコバルトの、渾身のビンタがぼくの頬にクリーンヒットしたのだ。
さらに下半身からは、ドスッ! ドスッ! と鈍い音が響く。
バナジウムが、満面の笑みを貼り付けたまま、何度も何度もぼくのすねを蹴り付けてきているのだ。つま先が容赦なく急所を抉る。
「コバルトちゃんだけじゃなくあたしまでなんて、解釈違いです……!」
「アンタってヤツは! さっきまでフェアじゃないとか何とか抜かしておいて、いきなりこれ!? 最低、バカ! ポンコツ!」
カフェの店内に、二人の怒号と打撃音が響き渡る。
シナバーの能力の効果が、いつ、どのタイミングで切れて、二人の記憶が戻るのか。
──それを聞いておけば良かった、と深い後悔の念に包まれながら、ぼくはひたすら叩かれ続けるのだった。