生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
身体の主導権がシルヴァレッタへと返還される。
そして彼はゆっくりと周囲を見渡した。
視界に広がるのは、都市のエアポケットのような静かな駐車場に停められた、あの見慣れたグレーのキャンピングカーの車内だった。
断熱材がしっかりと効いた空間は、外の厳しい寒さを忘れさせてくれる。
しかし、車内を満たしている空気は、その室温とは裏腹に、ひどく冷たく張り詰めていた。
今日、バナジウムが手配してくれたカフェで起きた出来事。
ぼくが身体の主導権を握っていた間にシナバーが接触を図ってきたこと、そして彼女が未知の異能を行使してぼくたちに迫ってきたこと。ぼくがそれをみんなに伝え終えた後だったからだ。
コバルトは事態を深刻に受け止めていた。彼女はすぐさま頼れる姉妹たちをこのキャンピングカーへと緊急招集したのである。
限られた居住スペースには、現在四人の人物がひしめき合っていた。
一人はもちろん、この身体を動かすシルヴァレッタ。
そして、腕を組んで険しい表情を浮かべているコバルト。
彼女の隣にはラピスラズリがちょこんと座っており、車内の壁に背中を預けて苛立たしげに貧乏ゆすりをしているのはクロムだ。
重苦しい沈黙がしばらく続いた後、コバルトが意を決したように口を開いた。
「そういうわけで、シナバーが現れたの……。私たちの敵として」
その一言は、狭い車内に爆弾を落としたかのような衝撃をもたらした。
「……はぁ?」
クロムが、心底信じられないといった様子で眉間に深いシワを寄せ、声を荒らげた。
「冗談キツいぜ、コバルト。なんでだよ。アイツが一番、ウチらを家族のように思ってたじゃねえか。……バラバラだったウチらを『姉妹』としてまとめ上げたのは、他でもないあのシナバーだろ!」
クロムの反発はもっともだった。冷酷な暗殺組織『ジュエル』の実力主義という地獄の中で、彼女たちに「姉妹」という温かい繋がりを与え、希望を抱かせてくれたのはシナバーだ。
その恩人が、なぜ今になって自分たちに牙を剥くのか。クロムは納得がいかないといった様子で、壁を軽く蹴り上げた。
「私だって信じられないわよ!」
コバルトもまた、悲痛な叫びを上げた。彼女自身、かつての家族が自分を欺いていたという事実を、未だに消化しきれていないのだろう。
「でも、事実なの。あの子は、得体の知れない能力まで使って、私たちに危害を加えようとしてきたのよ」
「能力……一定時間の間あたしたち、いえ人類全てがシナバーを認識出来なくなる。それどころか、あの子に関する記憶すら綺麗に抜け落ちてしまう。そんな、透明人間と記憶操作を掛け合わせたような恐ろしい能力ですわね」
ラピスラズリは、ぼくが体験した異常な現象を、先ほどぼくから聞いた情報を元に反芻した。
「でも、不思議なことに……ウラベだけが、その能力の影響を受けないのよね」
その言葉を聞いて、クロムとラピスラズリの視線が一斉にシルヴァレッタへと向けられた。
「……俺はどうなんだろうか」
シルヴァレッタは右側頭部、帽子で隠された銀色の傷口のあたりを軽く撫でながら、ぽつりと呟いた。
彼自身が表に出ている時にシナバーの能力を弾くことができるのかどうかは、まだ未知数だった。
「分からない」
コバルトは悔しそうに唇を噛み締め、俯いた。
「その銃弾が埋め込まれた不死の身体が特別だから能力を弾くのか、それとも、『ウラベ』という精神体が特別だから弾くのか。……今の段階では、断定はできないわ」
ぼくは、特等席からその議論を聞きながら、内心で思考を巡らせていた。
クロガネの睡眠能力を無効化した時、ぼくは自分がすでに死んでいる『亡霊』だから影響を受けない可能性が高いと思っていた。
でも、コバルトの言う通り、脳の大部分が『銀色の弾丸』というオーパーツに置き換わっている、医学的な異常そのものが原因である可能性も十分にありそうだ。
もし後者であれば、シルヴァレッタが主導権を握っていてもシナバーの認識阻害能力は通じないことになる。
どちらにせよ、一度経験してみなければ分からないことだった。
「……仮に、アイツが本当にウチらの敵なんだとしたらよ」
クロムが、いつもの通り指揮官然とした冷静な疑問を投げかけた。
「その目的は一体何なんだ? なんで今更、ウチらの前に姿を現した?」
「可能性が高いのは……」
コバルトは、シルヴァレッタを真っ直ぐに見つめて答えた。
「ウラベイサク、そしてシルヴァレッタ……の『本体』かしらね」
シルヴァレッタはそれを聞いて、再び右側頭部の傷口にある銀色を指でゆっくりとなぞった。
「奇しくも、ターゲットがこの身体一本に絞られてしまったという事か」
だからあの時、シナバーは『マジか』と呟いたんだと、ぼくは思った。
かつて大会会場でシナバーがシルヴァレッタの前身である、ぼくの名前を聞いた時、彼女はひどく驚愕していた。本来であれば、「ウラベイサク」と「銀の弾丸」は別々に探さなければならないものだったのだろう。
しかし、二兎を得る苦労が、この一つの身体を狙うだけで、一兎で済むようになったのだ。彼女にとって、これほど効率の良い獲物はない。
「……目的がそうなら、その先は何なんだ?」
クロムが腕を組み、怪訝な顔で首を傾げた。
「シナバーが、この死なないバケモノみたいな身体に興味があるとは思えねーぞ。アイツは、昔から死も含めて『生命』ってものを心底尊重してた。不死だの不老だのといったものを欲しがるようなタマじゃねえ」
クロムのその人物評は、バナジウムが語っていたシナバー像とも完全に一致していた。
さらに言えば、彼女が現在「シンシヤ先生」として活動している子供向けアニメやカードゲームのフレーバーにおいても、生命の尊さを謳うテーマが一貫してブレていない。
彼女が個人の欲望のために不死を追い求めているとは、到底思えなかった。
「……推測ですが」
ずっと黙っていたラピスラズリが、おずおずと手を挙げて発言した。
「あたしたちの知らない、まだ誰も考えたことのないような『可能性』を、シルヴァレッタ様が秘めている。……そんな話はありえませんこと?」
「どうしてそう思うの?」
コバルトが不思議そうに尋ねる。
ラピスラズリは、少しだけ頬を朱に染めながら、しかし大真面目な顔で答えた。
「あたし、誰彼構わず男に惚れたりする、そんな軽い女じゃありませんわ。でも……あの日、アパートで夜空の星を眺めるシルヴァレッタ様のお姿を見た時、ビビッときたんですの」
彼女は両手を胸の前で組み、うっとりとした目をシルヴァレッタに向けた。
「この方は、その辺の殿方とは何か違う。何か、とてつもなく大きなものを背負っている。そんな『器の大きさ』を、あたしは直感いたしました」
「その点に関しては、信用して良さそうだな」
すぐさま、クロムはラピスラズリの直感を肯定した。
「ラピスラズリの『審美眼』は昔から確かだ。ジュエルにいた頃、表面だけ優しく繕ってる無能な職員を一目で見抜いて、うまく関わりを避けた。そうやって初期のドロドロした蹴落とし合いを生き抜いた実績がある。ウチも、コイツの直感には何度もお世話になったよ」
ラピスラズリの直感は裏社会の生存競争において実証済みらしい。
「でも、大きなものって何よ」
コバルトが腕を組んで考え込む。
「確かに、銃弾から蘇った不死の身体は異常よ。でも、突き詰めればそれは『個人単位』の不思議な話に過ぎないわ。それにさっきクロムが言ったように、不死の秘密をどうこうするなんてシナバーが考えるはずがない。あの子の考え方じゃないわ。だったら一体、あの子はこの身体に何を求めているの……?」
コバルトの疑問に、誰も答えることができなかった。
目的が分からない。理由も分からない。
シナバーというかつての旧友が、何を企み、何を成し遂げようとしているのか。
車内には再び重苦しい沈黙が降り下り、話は完全な硬直状態に入ってしまった。
その時だった。
「巨大ロボットさ」
キャンピングカーの壁越しに、外から唐突に声がかけられた。
「「「「!?」」」」
車内にいた四人が、雷に打たれたように一斉に驚き、声のした方向──キャンピングカーの入り口のドアへと鋭く目を向けた。
コバルトとクロムは瞬時に臨戦態勢に入り、ラピスラズリもスカートの裾を掴んで身構える。シルヴァレッタも静かに腰を浮かせた。
ガチャリ、と無遠慮にドアノブが回され、冷たい夜風と共に車内に姿を現したのは。
「やあ、姉さんたち。それにシルヴァレッタ」
セミロングの髪を揺らし、サロペット姿に身を包んだ少女。
他でもない、シナバーだった。
彼女は、自分に向けられた四人からの強烈な殺気と警戒の視線を全く意に介する様子もなく、ひどくリラックスした、人懐っこい笑みを浮かべていた。
「……日を改めると言ったけど、気が変わった。話し合いで、平和的に解決しようじゃないか」