生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
「……随分と手荒い歓迎だね」
そこにはキャンピングカーの床にうつ伏せに押さえ込まれ、ロープでぐるぐる巻きにされたシナバーの姿があった。
ミノムシのように身動きが取れなくなったシナバーは、床に頬を押し付けられながらも、呆れたような、しかしどこか予想通りだと言わんばかりのトーンで呟いた。
「悪いわね、シナバー」
コバルトは、拘束の結び目をギュッと締め上げながら、冷たく言い放つ。
「まだアナタが完全に敵だと決まったわけじゃないけど……警戒はさせてもらうわ」
当然の処置だった。シナバーには、視覚と記憶を一時的に奪うという、極めて厄介な能力がある。
もし能力を使われたとしても、こうして物理的にぐるぐる巻きにしておけば少なくとも危害を加えられることはないし、能力の持続時間が切れるまでに逃げられることもない。
これは、コバルトたちが下した最善の判断だった。
「まあ、致し方ないね。ボクが逆の立場でもそうするよ」
シナバーは抵抗する素振りも見せず、ふう、と小さく息をついて現状をあっさりと受け入れた。
車内の張り詰めた空気が、ほんの少しだけ緩む。
シルヴァレッタは静かに席に座り直し、床に転がる少女を見下ろした。ぼくも特等席から、この奇妙な再会をじっと観察している。
「なあ」
腕を組み、壁に寄りかかり直したクロムが、苛立たしげに足先で床を叩きながら切り出した。
「さっき言ってた『巨大ロボット』ってのは一体何なんだよ」
クロムの問いに対し、シナバーは床から顔を少しだけ上げて、真面目な顔で聞き返した。
「……クロム姉さんって、アニメ見る?」
「はぁ? そんな暇ねーな。ウチは忙しいんだよ」
クロムは鼻で笑って即答する。
すると、ラピスラズリがおずおずと手を挙げて口を挟んだ。
「それって『大ちゃん』?」
シンシヤ先生として活動するシナバーが手掛ける、生命讃歌をテーマにした子供向けの大人気アニメ『勇者ペンギン大ちゃん大冒険』。
「ああ」
シナバーは短く肯定を返し、真っ直ぐな瞳で姉妹たちを見つめ直した。
「伝説の物語さ」
「……たいそうな自画自賛ね」
コバルトが、心底呆れたようにため息をついた。
自分で原案を考えた子供向けアニメを「伝説の物語」と呼んで憚らないその態度は、あまりにも痛々しいクリエイターのナルシシズムに見えたからだ。
しかし、シナバーの顔から先ほどの飄々とした笑みが消え失せた。
「……そうじゃないんだ。あれはボクがゼロから創り出した物語じゃない」
彼女の顔に浮かんだのは、深い沈痛の面持ちだった。
「どういうことだ?」
シルヴァレッタが、低い声で尋ねる。
シナバーは、床に転がったまま、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「ボク……ジュエルに来る前は、本当は孤児じゃなかったんだ。あそこには、潜入したんだよ」
「……何だと?」
クロムが目を丸くし、コバルトとラピスラズリも驚きに顔を見合わせた。
『捨てられた孤児を宝石に見立てて買い集め、有効活用をお題目に暗殺者を育て上げる』というジュエルの成り立ちにおいて、身寄りのない子供であることが絶対条件だったはずだ。
そこに意図的に潜入していたとなれば、話の前提が根底から覆る。
「ボクは幼い頃から、こうでね。言ってしまえば、天才だったんだ」
シナバーは、自嘲気味に笑う。
「元いた施設の大人たちが、それこそ命よりも大事に保管していた資料を、毎日毎日読み聞かせてもらって育った。そうやって、着々と知識を蓄えていったんだ」
「……その、元いた施設というのは?」
ラピスラズリが、息を呑んで尋ねる。
「研究機関D.O.E」
シナバーの口から出たその名前に、ぼくの意識が激しく粟立った。
海外の取引先から貰ったという大層ご立派な装飾箱の中に銀色の弾丸が収められていたと、あの依頼人が語っていた歴史研究の私設財団、それに連なる名前だ。
「……何だと?」
クロムが再び声を上げる。
「ウチらが知ってるD.O.Eは、金にしか興味のねえ、盗みのノウハウを教え込むだけの腐りきったゴロツキの集まりだったはずだぞ!」
「どういう事だ?」
シルヴァレッタも、驚きを隠せない様子で問いかけた。
ルクの口から語られた、ウラベキミトが真似をして作ったという『偽物のD.O.E』と様相が違うのだ。
「……ボクがいたのは、姉さんたちが知っているような下劣な盗賊団の方じゃない。細々と、本当に細々と、歴史を探究し続けていた、少人数の組織だった」
シナバーは痛切な声で答えた。
「表舞台からはとっくに退いて、かつての遺産と僅かな蓄えを食い潰すだけの、限界集落のような組織だったよ」
彼女の語るその光景は、権力や金銭欲とは無縁の、ただ純粋に歴史の真実を追い求める者たちの寂れた姿だった。
「でも……それでも、彼らは必死だったんだ」
シナバーの目に、熱いものが宿る。
「自分たちの組織が、そう遠くない未来に確実に滅びるのを分かっていながら、残された時間を大事に、大事に使っていた。……ボクに、その膨大な古代の資料を読み聞かせたのは、言うなればボイジャー計画のようなものだったんだ。いつか途絶える彼らの探求の証を、宇宙の果てへ向けて放つ探査機のように……ボクという『天才』の頭脳に、未来を託そうとしたんだ」
滅びゆく組織の大人たちが、たった一人の幼い天才少女に、人類の歴史の深淵を読み聞かせる光景。
それは狂気じみていながらも、どこか崇高で、悲しい祈りに満ちていたのだろう。
「『大ちゃん』のストーリーの大元は、その時の資料なのさ」
シナバーは、ポツリとそう締めくくった。
「ということは……」
「ああ。大ちゃんの物語のベースは、人類が滅びる前の世界で本当にあった話。……ボクらが誰も憶えていないだけでね」
シナバーの口から、衝撃の事実が明らかになった。
カードゲーム環境を支配し、アニメで子供たちを熱狂させているあの物語。
それは単なるフィクションではなく、かつて過去に滅び去った古代文明の歴史をオマージュしたものだったのだ。
「……興味深いのは、それをフィクションだと信じている現代の人々が、その物語に強く惹きつけられることだ」
シナバーは、少しだけ声のトーンを上げて、大ちゃんが世間で爆発的な人気を誇る秘密について語り始めた。
「そう人々が感じるのは、考えてみれば当然の話なんだろう。……記憶には全く残っていなくても、脈々と受け継がれてきた人間の魂の奥底は、確かに憶えているんだ」
シナバーの目には希望の光が点っていた。
「あの時の感動を、あの時の絶望を、そして希望を。ただ無意識のうちに思い返しているだけなんだよ」
魂レベルでの共感。
だからこそ、彼女の創り出す作品は人々の心に深く突き刺さり、受け入れられる。
まるで自分自身の過去の体験であるかのように。
キャラクターと共に
笑い、泣き、怒り、そして喜ぶ。
そうなるのは、生命としての必然だったのだ。
そこまで一気に語り終え、シナバーはふと、不思議そうな顔をして四人の顔を見回した。
「……驚かないのかい?」
彼女は、シルヴァレッタたちの反応があまりにも薄いことに疑問を呈した。
本来なら「人類が滅亡していた」などというトンデモ話をいきなり聞かされれば、コバルトが腰を抜かし、クロムが腹を抱えて笑い飛ばすはずだ。
しかし、彼らは皆一様に、真剣な顔で黙って聞き入っているだけだった。
「……たまたま、知ってただけだ。十分驚いてるよ」
クロムが、ばつが悪そうに頬を掻きながら返した。
先日、ルクから『人類は過去に何度か完全に滅んでいる』という事実を聞かされていなければ、シナバーの想像通りのリアクションを返していたのだろう。
「それは良かった」
シナバーは、彼らがなぜそんな世界の真実を知っているのか深く追及することなく、フッと軽口を叩いて受け流した。
「では、先ほどの『巨大ロボット』というのは、何なんですの?」
ラピスラズリが、話の軌道を元に戻すように尋ねた。シナバーの目が、真剣な光を帯びる。
「今度、映画で発表する新しい作品。そこに出てくる『パスト・パス・パシフィック・パーパス』は、この星の命運を分けた、最終機動兵器なんだ」
パスト・パス・パシフィック・パーパス。
かつての依頼人が見せてくれた、古い装飾箱。
その裏に刻まれていた、【Past Path Pacific Purpose】という文字。
それが、古代に存在した機動兵器の名前だったというのか。
「人類の終わりに最後まで抗った、この星の守護神のような存在。……その記録が、研究機関D.O.Eの資料に残されていた」
シナバーの声には、確かな畏敬の念が込められていた。
車内は、深い沈黙に包まれた。
人類の滅亡、そして最終機動兵器。
話のスケールが、裏社会の暗殺組織や一介の精神科医の野望といったレベルを遥かに通り越し、惑星規模の壮大な叙事詩へと跳躍してしまっている。
ラピスラズリもクロムも、そしてシルヴァレッタでさえも、その途方もないスケールの大きさに完全についていけない様子だった。
しかし、沈黙を破ったのはコバルトだった。
「……まだ、話してないことがあるわね」
コバルトは、床に転がるシナバーを冷たく見下ろして問いただした。
「…………」
シナバーは無言のまま、視線を逸らした。
「人類が滅亡した過去があるのも分かった。巨大ロボットが守護神だったのも分かったわ。でもね……」
コバルトは、一歩前に出てシナバーに詰め寄った。
「それだと、アナタがわざわざ私たちに能力を使ってまで近づき、『ウラベイサク』を求めた理由にはならないわ。……私は、そんな壮大な話なんかで誤魔化されないわよ」
コバルトの指摘は鋭かった。
歴史の探求とウラベイサクという個人の精神、あるいは銀色の弾丸というオーパーツ。
それらがどう結びつき、なぜシナバーが敵に回ってまで彼を狙うのか。その肝心な部分が完全に欠落しているのだ。
「どうしても知りたいって言うのなら──」
彼女はふっと顔を上げ、かつての姉に向かって、挑戦的な響きを含んだ声でこう言った。
「カードで決着をつけないかい? ……コバルト姉さん」