生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
「このアタシに何でも相談してごらん? 月が二人を導くよ、ヒッヒッヒ」
わざとらしいほどに芝居がかった、魔女のような笑い声。
その得体の知れない歓迎の言葉を受けて、シルヴァレッタはごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
普段、どんな理不尽なクレーマーを相手にしても決して表情を変えない彼だが、明らかに緊張しているようだ。
シルヴァレッタは姿勢を正し、真っ直ぐに暗幕を見据えて、静かに、しかし力強い声で尋ねた。
「俺のルーツを教えて欲しい」
かつて、ぼくが自身のこめかみに拳銃を押し当てて引き金を引いたあの日。
ぽっかりと空いたはずの致命的な穴を塞ぐように金属質の部品として嵌め込まれ、ぼくの身体を乗っ取った『意思を持つ銀色の弾丸』
──それが彼、シルヴァレッタだ。
彼自身も自分が弾丸にされたこと以外の記憶を持たず、自分が何者なのかをずっと探し求めている。
シルヴァレッタの問いかけに対し、暗幕の隙間から差し出されていた皺だらけの二つの手は、一度スッと奥へと引っ込んだ。
数秒の沈黙の後、再び暗幕の隙間から手が現れる。
その両手には、ぼんやりと鈍い光を放つ真っ白な球体が大切そうに抱えられていた。
占いの道具といえば、透明な水晶玉を思い浮かべるのが一般的だろう。
しかし、この『明朗解決ツクヨミの館』を司る老婆の仕事道具は、どうやらこの白く濁った球体のようだ。
「さあさ、お兄さん。この月に手をかざしなさい。……そして念じるのじゃ!」
老婆が恭しく白い球体をテーブルの中央に置き、促す。
シルヴァレッタは言われた通り、その『月』と呼ばれた白い球体の上に両手を静かにかざし、ゆっくりと目を瞑って念じる様子を見せた。
彼が目を閉じたことで、彼と視覚情報を共有しているぼくの視界も、完全な真っ暗闇に包まれる。
視覚が遮断された分、聴覚や嗅覚といった他の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。
お香の匂いが鼻をつき、ブースの外から微かに聞こえる駅ビルの喧騒が遠く響く中、ぼくはこれからどんな結果が飛び出すのかと、特等席で期待して待つことにした。
暗闇の中、老婆の息遣いが聞こえてくる。
「んむむー……」
「ふーっ……!」
それは、いかにも『今、全神経を集中させて何かと交信しています』とでも言わんばかりの、ひどくわざとらしく、それでいて力強い息継ぎだった。
ぼくたち客側にわざと聞こえるように、アピールするように吐き出されるその過剰な演技に、ぼくは心の中で少しだけ苦笑してしまった。
やはり、駅ビルのフリースペースに出店しているような占いは、こういうエンターテインメント性が命なのだろう。
結果だけが全てではない。
楽しむべきは、この過程。
やがて老婆の息遣いがピタリと止まり、彼女は一つの答えを絞り出すように、低く厳かな声で紡ぎ始めた。
「……厚く覆われた氷の塊。その中にお主の魂は眠っておる」
──うそじゃない
かつて、ウラベ博士という狂気の精神科医が残した非合法組織『RGB』の研究レポート。
そこに記されていた通り、ぼくの精神には「嘘を鋭利に感じ取れる精神器官」が組み込まれている。
出生前から意図的に付与された悪意溢れる産物だ。
しかし、今となっては相手の発言が真実か虚偽かを見抜く、一種の「嘘発見器」として非常に役に立っている。
ぼくはその鋭利な感覚器官により、老婆の言葉に嘘が含まれていないことを知った。
ぼくは驚愕した。
これだけ胡散臭い雰囲気と過剰な演技を纏っているにもかかわらず、老婆の放った
「氷の塊の中に魂が眠っている」
というクリティカルな言葉から、一切の『嘘』が検出されなかったのだ。
彼女は当てずっぽうを言っているわけではなく、本当に何らかのヴィジョンを視て、真実を語っている。
老婆のしわがれた声は、さらに深いトーンへと沈み込み、予言を続ける。
「遠い、遠い過去から連綿と続く物語じゃ。穏やかな風が汝を祝福した。その平穏を守らんとすべく汝は象られた。しかして、その平穏は終わりを告げ、厚き氷の中で長きにわたる眠りに堕ちたのじゃ……」
一見すると抽象的で意味不明な、ポエムのような言葉の羅列。
普通の人間なら「なんだそりゃ」と首を傾げて終わるだろう。
だが、ぼくたちには、その言葉のピースはカチリと音を立てて噛み合っていく。
遠い過去。連綿と続く。平穏。
そして、守らんとすべく象られたという目的。
それは、見事なまでの一つの符号と一致していたのだ。
かつて、コバルトに銃弾の処分を依頼してきた依頼人が画面越しに見せてくれた画像。
シルヴァレッタが弾丸そのものだった頃に収められていたという、黒ずんだ木材に真鍮の意匠が施されたアンティークな装飾箱。
その箱の裏に刻まれていた、かすれたアルファベットの文字列。
【Past Path Pacific Purpose】
老婆の紡いだ言葉は、この四つの英単語が示す意味とリンクしている。
D.O.Eという海外の歴史研究財団に端を発し、人類が滅亡と再生を繰り返した先史文明のオーパーツであるという、あのおとぎ話のようなルーツ。
その壮大な物語の断片を、目の前の占い師は間違いなく言い当ててみせたのだ。
シルヴァレッタは目を瞑ったまま、微動だにせず黙り込んでいる。
横で息を呑んで聞いていたコバルトが、堪えきれなくなったように小さな声で話しかけた。
「……今ので、何か思い出せることはあった?」
コバルトの問いかけに、シルヴァレッタはゆっくりと目を開いた。
ぼくの視界にも、再び薄暗いブース内の光景と、怪しげに光る白い球体が飛び込んでくる。
シルヴァレッタは短く息を吐き、ポツリと呟いた。
「いや、特に何も」
決定的なヴィジョンや過去の記憶がフラッシュバックしたわけではないらしい。
しかし、彼は自らの胸にそっと手を当てて「……だが」と力強い声で続けた。
「こう、胸にスッと収まる。そんな感情を抱いた。俺に纏わる結果なのは間違いないと思う」
記憶としては思い出せなくとも、魂の奥底に刻まれた本能のようなものが、老婆の言葉を「真実である」と肯定しているようだった。
それを聞いて、暗幕の向こうの老婆はひどく満足そうに笑った。
「ヒッヒッヒ……。月の導きは絶対じゃよ」
見事な手際だった。
占いの類を全く信じていなかったぼくでさえ、この結果には舌を巻くしかない。
「そちらのお嬢ちゃんも、聞きたいことはあるかえ? 今回は特別にサービスするよ」
老婆は機嫌を良くしたのか、今度はコバルトの方へと矛先を向けた。
「えっ、私? うーん……」
コバルトは少し迷うような素振りを見せた後、「それじゃあ」と口を開いた。
そして、狭いブース内の空気を一瞬にして凍らせるような
──とんでもない爆弾級の発言を投下しやがった。
「どうして老婆の真似事をしてるの、貴方」
「…………」
暗幕の向こうの老婆が、ピタリと押し黙った。
先ほどまでの不気味な笑い声も、わざとらしい息遣いも完全に消え失せ、不自然なほどの沈黙が落ちる。
コバルトには、鋭敏な空間認識能力がある。
過去、アパートが襲撃された際にもいち早く異変に気づき、ウラベ博士の書斎でも壁に隠されたスペースの存在を即座に見抜いた。
その常人離れした感覚器官が、目の前の暗幕の向こうにいる人物を総合的に分析し、『老婆ではない』という確固たる結論を弾き出していたのだ。
「別に老婆の真似事なんてしなくたって、占いの結果は上々じゃない。だから、どうしてわざわざそんな演技をしてるのかなー、って思ったの。その手も特殊メイクだし」
コバルトは首を傾げながら、容赦なく追及を続ける。
営業妨害やめてください。
こういう占いの館というものは、結果の正確性よりも、相手を非日常の世界へと引き込む『雰囲気』こそが最も重要なのだ。
ミステリアスでオカルトチックな演出があるからこそ、客は対価を払ってありがたーい言葉に耳を傾けられる。
だからこそ、相手はあえて小道具を使い、声色を変えて『老婆』というキャラクターに扮しているのだろう。
コバルトの指摘は、言うなればマジックショーの最中に
「その箱、二重底になってるよね?」
と大声で指摘するような野暮の極みだった。
数秒の痛いほどの沈黙の後。
暗幕の向こうから、変わらぬしわがれた老婆の声で、ひどく冷ややかな言葉が返ってきた。
「……今日は店じまいだよ。代金払ってお帰りいただこうかね」
そう言われては返す言葉もなく、これ以上居座っても仕方ないと判断した二人は、大人しく二人分の料金をテーブルの上に置き、そそくさと占いの館を後にした。
薄暗いフリースペースゾーンを抜け、シルヴァレッタとコバルトの二人は、喧騒に包まれた駅ビルの階段をゆっくりと降りていた。
折角、郊外から都心のど真ん中まで出てきたのだ。すぐに帰路に就くのはもったいない。
立ち並ぶ最先端のファッションビルや、迷宮のように広がる地下街など、巨大な都市の景観を色々と見て回ろうと二人は話し合っていた。
「それにしても、あの占いの結果、シナバーが言ってた通りピシャリね。ちゃんとアンタの話を指し示していた」
吹き抜けのガラス張りになった階段の踊り場で、コバルトが感嘆の声を上げる。
窓の外には、巨大な摩天楼のパノラマが広がっていた。
「ああ」
シルヴァレッタも深く頷き、自分の頭の金属部分を軽く撫でた。
「これで確定したな。俺のルーツは『厚く覆われた氷の中』……つまり南極だ。これは、シナバーの目的とも一致する」
「そうなると、次の私たちの目的はあの子に協力して南極を目指すことになるんだけど……どうしたものかしらね」
コバルトは腕を組み、小さくボヤいた。
『ウラベ遺産』……ウラベ博士が五十年もの歳月をかけて遺したという莫大な資産。
その在処は、あのクロガネでも全容を把握しておらず、手がかりが無い状態だった。
「エルムに相談するのがいいんじゃないか?」
シルヴァレッタが、一つの現実的な提案を口にする。
「しばらく会っていないし、中間報告も兼ねて話してみよう。彼女の頭脳なら話が進展するかもしれない」
ヤドリギ探偵事務所のアカシャエルム。
日本三大企業の一角を担う一族の令嬢でありながら、天才的な頭脳を持つ彼女。
「それ良いわね。早速連絡してみましょう」
コバルトが明るい顔で賛同し、スマートフォンを取り出そうとした、その時だった。
「あ、あの! 先ほどのお客様!」
頭上の階段から、焦燥感に駆られたような明瞭な男性の声が響き渡った。
二人が振り返ると、階段を一段飛ばしで駆け下りてくる一人の青年の姿があった。
年齢は二十代後半ほどだろうか。
ボサボサの髪に、着古したセーターとチノパンという、どこにでもいるような冴えない風貌の若者だった。
「誰だ?」
シルヴァレッタは全く見覚えのないその青年の顔を見て、怪訝な顔で疑問をこぼす。
しかし、隣にいたコバルトは即座にその正体を看破し、耳元で補足した。
「さっきの占い師よ。老婆に扮してた」
彼女の常人離れした空間認識能力が、先ほど暗幕越しに捉えた人物と、今目の前で息を切らしている青年が完全に同一の存在だと認知したのだ。
青年は二人の前で立ち止まると、膝に手をついて荒い息を吐きながら、必死な形相で顔を上げた。
「そ、相談があります! どうか、お時間をいただけないでしょうか!」
それは、先ほどまで暗幕の奥で全知全能の預言者を気取っていた老婆の態度からは想像もつかないほど、切実で、藁にもすがるような必死の懇願だった。