生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
昼下がり。
喧騒に包まれた駅ビル周辺とは打って変わって、路地裏にひっそりと佇むその純喫茶は、静かで落ち着いた空気が流れていた。
カランカランとドアベルを鳴らして店内に入ると、自家焙煎のコーヒーの深く香ばしい匂いと、静かに流れるクラシック音楽が三人を包み込む。
シルヴァレッタたちは案内された奥のテーブル席に腰を下ろした。
向かいの席に座った青年は、運ばれてきたアイスコーヒーのグラスについた水滴を指でなぞりながら、ひどく縮こまった様子で、テーブルに額がくっつくのではないかというほど深く頭を下げた。
「オレ、アキラっていいます。先ほどは、あんな無礼な態度とってすみませんでした……」
消え入るような声での謝罪だった。
先ほどまで暗幕の向こうで不気味な笑い声を上げ、シルヴァレッタのルーツである『氷の塊』というヴィジョンを言い当てたあの老婆と同一人物だとは、やはりどうしても信じられない。
目の前にいるのは、どこにでもいるような冴えない風貌の、気弱そうな青年にすぎなかった。
「いえ、私も余計な口出しをしてしまってごめんなさい。……今思い返すと、営業妨害みたいなことを言っちゃってたし」
コバルトも素直に非を認め、申し訳なさそうに眉を下げた。
彼女は鋭い空間認識能力によって、暗幕の向こうの人物が老婆ではないと瞬時に見抜いてしまったわけだが、一般社会のルールに照らし合わせれば、占いの館の雰囲気をぶち壊すような野暮な指摘だったとちゃんと自覚したのだろう。謝れてえらい。
「それで、相談というのは……?」
コバルトが本題を促すと、アキラはガバッと顔を上げ、すがりつくような、それでいて血走った切実な目でコバルトを真っ直ぐに見つめた。
「オ、オレの演技のどこがダメだったんでしょうか!? 教えてください!」
その悲痛な叫びに、コバルトは面食らって目を瞬かせた。
てっきり、営業を妨害されたことへの苦情や、あるいは何かオカルト的な因縁をつけられるのかと思っていたのだろう。
しかし、飛び出したのはあまりにも予想外の、そしてひどく個人的な質問だったのだ。
「演技がダメだった? そんな事一言も言ってないわよ」
コバルトが戸惑いながら答えると、横で静かに話を聞いていたシルヴァレッタが、真剣な顔でアキラを弁護するように口を開いた。
「占いの時の老婆の演技か。俺は完璧だったと思うぞ。声の出し方も、あの雰囲気の作り方も、素人目には本物の老婆にしか見えなかった」
「で、でも、そちらの少女には見破られました!」
アキラは首を横に振り、悔しそうに唇を噛んだ。
そして、自らの込み入った事情をポツリポツリと説明し始めた。
「オレ、実は声優やってて……。あの占いのブースは、元々はオレの婆ちゃんがやってるんです。でも、婆ちゃんが身体痛めたからずっと休んでて……。テナント料ももったいないし、オレが代わりに入って、それで婆ちゃんの声を真似て店番をしてるんです」
なるほど、とぼくは合点がいった。
だからあんなに本格的な『老婆』の演技ができていたのか。
本業が声優で、しかも身内の真似をしているなら、あのリアリティにも納得がいく。
だが、
わざわざ追いかけてきてまで演技指導を求めることと、どう繋がるのだろうか。
アキラはテーブルの上でギュッと両手を握りしめ、話を続ける。
「オレ、オーディションでいつも『演技に説得力が無い』って言われて落ち続けてて……。もう後がないんです! 今度、老婆の役のオーディションがあって、それに全てを賭けてるんです! だから、あのブースでの店番も、実践的な役作りの一環だと思って真剣にやってたのに……」
アキラは再び深く頭を下げた。
「キミに見破られたってことは、オレの演技にはまだ何か決定的な『粗』があるってことですよね! どうか、アドバイスをお願いします!」
必死な形相で頼み込むアキラ。
その言葉を聞いたシルヴァレッタとコバルトの二人は、思わず顔を見合わせた。
「いや、だから演技は問題なかったと思うわよ。声も仕草も完璧だったし。……私が見破れたのは、私がちょっと特殊なだけだから、気にしないで」
コバルトは適当にお茶を濁して謙遜した。
まさか「幼少期から暗殺組織で鍛え上げられて、異常な空間認識能力があるんです」などと馬鹿正直に言えるはずもない。
しかし、アキラは食い下がった。
「な、なら!」
彼は身を乗り出し、さらに熱を帯びた声で訴えかける。
「特殊なキミでも納得できるような、完璧な老婆の声と演技を出せるようになれば……オレは絶対にオーディションに受かると思うんです! ……協力してください!」
そのあまりにも強引な理屈と、決して引かないアキラの態度に、コバルトは「えぇ……」とドン引きした表情を浮かべ、ちょっと面倒そうな感情をありありと顔に浮かべた。
だが、隣でそのやり取りを静かに聞いていたシルヴァレッタが、ふいに口を開いた。
「協力しよう、コバルト」
その唐突な決断に、コバルトは慌ててシルヴァレッタの袖を引いた。
「ちょ、ちょっと何言ってんの。私たち、エルムのところに行くんでしょ?」
「急ぐほどでもない。……それに、たまにはこういう話もいいんじゃないか?」
シルヴァレッタは、どこか穏やかな、人間味を帯びた微笑みを浮かべて青年の頼みを快諾した。
彼のルーツ探しという重い本筋から少しだけ外れた、見ず知らずの他人の夢を応援するという日常のワンシーン。
「あ、ありがとうございます、お兄さん!!」
アキラは感極まったようにシルヴァレッタの手を握りしめ、何度も頭を下げた。
その様子を見て、コバルトは「はぁ……」と大きなため息をつき、
「やれやれ、仕方ないか」と、呆れながらも付き合う決心を固めたようだった。
⬛︎◆▲
日を改めて。
シルヴァレッタたちが暮らす郊外。その駅前にある、少し古びたカラオケルームの一室に、シルヴァレッタ、コバルト、そしてラピスラズリの三人が集まっていた。
密室で、どれだけ大声を出しても誰にも迷惑がかからない場所として、演技の特訓にはうってつけの環境だ。
「付き合わせてすまん、ラピスラズリ」
シルヴァレッタが、ソファの端にちょこんと座るラピスラズリに申し訳なそうに頭を下げる。
「付き合っ!? い、いえ! あたしのことはお気になさらず!」
当のラピスラズリは、顔を真っ赤にしてパタパタと手を振り、嬉しそうに身悶えしていた。
彼女にとって、シルヴァレッタから頼りにされ、行動を共にすることは至上の喜びなのだ。
ほどなくして、ドアをノックする音が響き、アキラが部屋に入ってきた。
「すみません、お待たせしました!」
アキラはペコペコと頭を下げながら、テーブルの向かい側に座る。
「それじゃ、早速だけど。その『老婆の役』は具体的にはどんなキャラクターなの?」
コバルトが、手元のウーロン茶を飲みながら単刀直入に尋ねる。
アキラは周囲をキョロキョロと見回し、少し声を潜めて言った。
「この話は、絶対にナイショでお願いします。……来春から放送される『大ちゃん』の新シリーズで、三匹の老魔女が出るんです。そのうちの一匹で、イジワルだけど面倒見のいい、そんなサポートキャラのオーディションを受けるんです」
「おお!」
その『大ちゃん』という単語を聞いた瞬間、シルヴァレッタが目を輝かせて大きく反応した。
シルヴァレッタぁ……お前ホント可愛いなァ……。
「なるほど、だから占い師の代役を買って出て、老婆の演技をしていたのね」
コバルトが合点がいったように頷く。
「そうなんです。婆ちゃん自身はあんなコテコテの魔女みたいなキャラじゃないんですけど、占いに来る客は大抵が一期一会なので、少々大げさな演技をしても特に気にはされません」
アキラは頭を掻きながら言う。
「あ、でも」
アキラは何かを思い出したように付け加えた。
「小学生ぐらいの女の子には、少し訝しげな顔をされたんですよね……。やっぱり、子供って鋭いや」
彼はそう言って苦笑した。
──おそらくその子はシナバーだろう。
シナバーは先日、初詣の後に立ち寄った喫茶店で「ちょこちょこ出向いてアドバイスを貰いに行ってる」と言っていた。つまり一期一会ではなく常連客。
そんなシナバーでさえ声で判別できなかったということは、祖母の声を完璧に模倣出来ていたのだろう。
しかし常連客ゆえに違和感が拭えず、結果「キャラ変」と表現されていた。
「では、まずはその占い師の演技を、いつも通りにやって見せてもらえます?」
ラピスラズリが、優雅に足を組み直して提案する。
「承知しました!」
アキラは気合を入れ直すと、ゴソゴソとカバンを探り、先日占いの館で見せたあの白い球体を取り出してテーブルの上に置く。
そしてコホン、と一つ咳払いをして、彼は目を閉じた。
数秒後。
再び目を開けたアキラの顔からは、先ほどまでの冴えない青年の面影は完全に消え去っていた。
背中を丸め、目つきを鋭くし、そして地の底から響くような、しわがれた声を発した。
「ヒッヒッヒ。ツクヨミの館へようこそ、お嬢ちゃん。──今日は何を聞きたいんだい?」
それは、あの薄暗いブースの中で聞いた、不気味で威厳のある老婆の声そのものだった。
堂に入ったその演技は、カラオケルームの安っぽい空間を一瞬にして神秘的な占いの館へと変貌させてしまったかのようだった。
「これは中々……」
ラピスラズリが、素直な感嘆の声を漏らす。
彼女の目から見ても、その演技は十分に見応えのあるものだったらしい。
「では魔女様? 今夜、あたしには大切なお仕事があるので……その調子を教えていただけるかしら?」
ラピスラズリが、悪戯っぽく微笑みながら尋ねる。
彼女の言う『お仕事』が、高層マンションのバルコニーから狙いを定める物騒な空き巣稼業であることは、シルヴァレッタとコバルト、そしてぼくだけが知る秘密だ。
アキラは完全に役に入り切ったまま、ニヤリと口角を上げた。
「それじゃ、この月に手をかざして念じな。月が全てを教えてくれるさね」
ラピスラズリは言われた通り、白い球体にそっと手をかざした。
アキラは、先日と同じように「ふーむ……」「はぁーっ……」と、大げさな息継ぎをして交信の儀式を始める。
その過剰な演技は、いかにも魔女らしい胡散臭さと凄みを同時に醸し出していた。
そして、目を開いたアキラは、ひどく重々しいトーンで、まるで本当に未来のヴィジョンを見たかのように、占いの結果を述べた。
「始まりの一人が立ち塞がる。今夜の仕事は諦めな、……さもなくば死に至るよ」
カラオケルームの空気が、一瞬にして凍りついた。
それは、単なる演技の練習として放たれた言葉のはずだった。
しかし、アキラの口から紡がれたその不吉な予言は、妙なリアリティと、抗いがたい呪いのような重みを持って、ラピスラズリに向けられていた。
『始まりの一人』
その言葉が何を意味するのか
──その夜ぼくらは思い知ることとなる