生きるのに向いてないぼくは地の文になりました   作:あさはかな

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人は常識を当てはめたい 三

 むせ返るような古本の匂いと、淹れたてから随分と時間が経って酸化したコーヒーの香りが混ざり合う、ヤドリギ探偵事務所の所長室。

 普段はエルムが一人で気怠げに過ごすには十分な広さを持つその部屋も、今日ばかりはひどく手狭に感じられた。

 

 部屋の中央にある来客用のソファにはシルヴァレッタ、コバルト、そして純白のドレスを持て余し気味に座るラピスラズリ。

 その後ろの壁際には、腕を組んで所在なげに寄りかかるメイド服姿のクロムが陣取っている。

 

 さらに窓際では、エルムの姪であるルクが回転椅子にちょこんと座り、その後ろには二メートル近い巨躯を誇る専属ボディガードのヒバリが、彫像のように直立不動で控えていた。

 

 そして、部屋の主である探偵・アカシャエルムは、散らかった自身のデスクに腰を掛け、彼ら全員の顔を興味深そうに見渡している。

 

「……なるほどね。事の顛末は、大体理解したわ」

 シルヴァレッタたちはこれまでの経緯を余す所なく全て語った。

 彼らが直面している絶望的な状況について語り終えた頃には、壁掛け時計の針はすでに二時間も先の時刻を指していた。

 

 ……ただし、彼女らは一つだけ重要な事実を意図的に伏せている。

 

 それは、過去に迎賓館に集まった際にルクから聞かされた「ウラベキミトの正体は、五十年前のソラハキミトの遺体にアカシャウスイの魂が乗り移ったものである」という、世界の根幹を揺るがすようなオカルトの真相だ。

 

 ルクとの『ナイショの約束』を守り、エルムの純粋な推理の楽しみを奪わないためである。

 

 

 エルムは顎に手を当て、デスクの上に散乱した資料に視線を落としながら、深いため息をついた。

 

「物理法則や因果律を無視して、実質、相手だけを無力化する『常識への上書き』とかいうオーパーツ由来のチート装置……それも大概ふざけた代物だけど。アタシから言わせれば、それ以上に厄介で恐ろしいのは、『人類監視AI』の方だね」

 エルムは、普段の飄々とした態度を完全に消し去り、底冷えするような重苦しいトーンで語った。

 

 日本三大企業の一つであるアカシャグループにおいて、かつて時代を何十年も先取りするようなプロダクトを次々と生み出してきた希代の天才エンジニアである彼女だからこそ、そのAIの持つ異常性と実現性を誰よりも正確に理解できるのだろう。 

 

「人類監視だなんて……いくら高度なAIといっても、そんなの不可能じゃありませんの?」

 ラピスラズリが、信じられないといった様子で疑問を投げかける。

 彼女の常識からすれば、世界中のすべての人間の行動をリアルタイムで予測し、監視するなどというのは、SF映画の中だけの絵空事に過ぎない。

 

「それが、可能なんだよ。既に」

 エルムは、ラピスラズリの甘い希望を無残に打ち砕く、残酷な事実を口にした。

 

「まともな企業や国家がやろうとすれば、当然プライバシー保護の壁にぶち当たる。でも、倫理観というブレーキを完全に無視して、非合法的な手段で世界中のありとあらゆるネットワークから個人情報を──それこそ、防犯カメラの映像から、SNSの書き込み、クレジットカードの購買履歴、スマートフォンの位置情報から心拍数に至るまで、すべてのビッグデータをかき集めれば、完璧に個人の行動を予測できる。いわゆる、究極のプロファイリングだ」

 エルムはデスクの上にあったペンを指で弾いた。

 

「その『KIL』って組織は、法も倫理もかなぐり捨てて、テクノロジーの可能性だけを純粋に、そして狂気的に追い求めた探究者たちの成れの果てなんだろうね。……エンジニアの端くれとして、その圧倒的なデータ収集能力と演算のアルゴリズムに関われるのは、正直、羨ましいって気持ちがなくもないけどさ」

 彼女の顔には、技術者としての純粋な知的好奇心と、それを悪用する者たちへの強烈な嫌悪感が入り混じっていた。

 

「そのダイヤモンドって少年が口にしていた『脅し』……それが、奴らの莫大な資金源のカラクリだろう」

 エルムは眉間を揉みながら推察を続ける。

 

「手に入れた桁違いのビッグデータ群……ヒュージデータとでも呼ぶべき膨大な情報から、特定の個人あるいは企業の行動パターンを完全に予測する。そして、ターゲットが悪事を働く現場を先回りして押さえるか、あるいは誰も知らないはずの証拠を突きつけて、『バラされたくなかったら金を払え』と口封じの代金をせしめる。……奴らにとってみれば、運用してる人類を監視するシステムそのものが、金を生み出す無尽蔵の『宝の地図』と同義になっているようなもんだ」

 

「なんてこと……」

 コバルトがギリッと奥歯を噛み締めた。

 

「所詮、人間のすることだからね。大量の金を効率よく稼ぐシステムには、どうしても人間の『悪』や『弱み』が絡む要素が不可欠になる。綺麗事じゃ金にならないのさ。──奴らは世界の裏側で、人類の経済活動に最適化されたシステムを完成させてしまったんだ」

 エルムの苦々しい顔を見て、コバルトはふと背筋に冷たいものを感じ、身を乗り出した。

 

「じゃあ……私たちのこれからの行動も、すべて予測済みってことなの?」

 その問いに対し、エルムは少しだけ目を伏せ、冷酷な現実を告げた。

 

「……時間の問題だろうね。少なくとも、ラピスちゃんが普段お世話になってるD.O.Eの行動パターンは完全に掌握されてる。そして、奴らは豪邸での一件で、あなたたちの繋がりも把握したはずだ。だから、もう二度と迂闊な行動は起こさない方が良い。どこへ逃げようが、何を企てようが、何もかも、すべて先回りされて潰される」

 

 絶望的な宣告だった。

 相手は不老不死の人外であり、こちらの能力を無効化する『常識の上書き』装置を持ち、さらに行動のすべてをAIによって予測してくる。

 逃げ道など、どこにもないように思えた。

 

 

「ったく……」

 重苦しい沈黙が部屋を支配する中、エルムはボサボサの髪をガシガシと乱暴に掻きむしり、大きく天井を仰いだ。

 

「そんなモンの、一体何が面白いのかね?」

「え?」

「すべてが予測されてて、最初から答えが分かってる世界なんてさ。……自分の頭で『これか?』『こうすれば上手くいくか?』って悩んで、そんで間違えて、痛い目を見て……それでも自分で決断して進んでいく。それが、人生の醍醐味だろうに」

 エルムは心底つまらなそうに、もっともなボヤキを口にした。

 

「最初から百パーセント正解に辿り着くことが決まってる世界なんて、アタシだったら退屈して自殺しちまうよ」

 それは、天才ゆえにこの世界の退屈さを誰よりも知っており、それでもなお「未知」や「謎解き」に情熱を傾ける探偵・アカシャエルムという人間の、根源的な矜持だった。

 

「……すまない」

 シルヴァレッタが、静かに頭を下げた。

「せっかく貴女にウラベキミトの過去の調査を頼んでいたというのに。俺たちの個人的な厄介事の相談を持ちかけてしまって……調査の邪魔をしてしまったな」

 

 するとエルムは、先ほどまでの重苦しい空気を吹き飛ばすように、カラッとした朗らかな笑顔を見せた。

「いーよいーよ、気にしないで! ちょうどウスイの調査の方も、少し手詰まりで停滞してたところだったんだ。でもね、つい最近、アカシャウスイに関する『新事実』が明らかになって、アタシの中でめちゃくちゃ面白い仮説を立ててた所だったのよ」

 

「新事実、ですか?」

 コバルトが首を傾げる。

 

「ああ。当時の記録を根気よく漁ってたら、五十年前、ウスイが海外視察に行っていた時に同行していた『秘書の手記』が見つかってさ。それを読み解いていくとね……どうも、アタシのひいお爺様であるアカシャウスイは、テロリストの情報を隠蔽だの裏工作だの、そんな陰湿なことを画策するような人物ではなかったみたい」

 エルムの言葉に、シルヴァレッタたちは顔を見合わせた。

 

「つまり、現在アカシャの本社側に残されている当時の情報には、意図的に作られた『虚偽』が多く含まれてるってこと。……誰かが、すべての責任と不祥事の隠蔽工作を、海外にいて不在だったウスイに押し付けたんだよ」

 

「じゃあ……」

 壁際で話を聞いていたクロムが、怪訝な顔で口を開く。

「そのウスイってのは、五十年前のテロ事件の黒幕って訳じゃないのか?」

「まあ、そう考えるのが自然だよね。そもそも、彼にはそんなことをするメリットが全くないし」

 

 エルムはデスクの上の資料をパサリとまとめた。

「手記によれば、ウスイは海外の視察に掛かりきりで、本国で一体何が起きていたのか、その詳細をリアルタイムで把握できる状況じゃなかった。だから、当時アカシャの会社の中で『本当は何が起こったのか』そして『誰が、何を隠そうとしたのか』……アタシはこれから、その隠された社内の暗部を徹底的に調べてみるつもりだったんだよ」

 

 ぼくは深く感心した。

 

 ルクの能力によって明らかになった「死後の魂の転移」というオカルトを知らなくとも、エルムは残された記録の不自然さから、確実に当時の真実へと近づきつつある。

 

 彼女がウラベキミトの依頼という名目の中において、こうしてアカシャウスイの足跡を入念に調べているのは、もしかすると、オカルトめいた「ウスイの転生」という可能性すら彼女の柔軟な思考の中ではすでに視野に入っているからではないだろうか。

 

 やはり、この大人は信用できる。

 ルクが「叔母は優秀だから」と信頼を寄せていたのも頷ける話だ。

 

 

「んで、だ」

 エルムは机から立ち上がり、真剣な眼差しでシルヴァレッタたちを見た。

 

「『常識の上書きチート』についてなんだけど。こっちについては、一つ、打開策がある」

「そっちが!?」

 コバルトが、思わず立ち上がって驚愕の声を上げた。

 

 ぼくもまた、心の中でその驚きに完全に同意していた。

 オーパーツの構造を逆算したという、有無を言わさぬ『人類の常識への強制デバフ補正』

 そんなデタラメなチート能力に対抗する手段なんて、一体どこにあるというのか。

 

 皆が固唾を飲んで見守る中、エルムはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、盤面をひっくり返す逆転の一手を口にした。

 

「『人類の常識』を味方につけるんだ」

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