生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
深夜。
月明かりすら厚い雲に遮られ、星一つ見えない真っ暗な空の下。
かつてニセモノD.O.Eの構成員たちと物色に入り、そして無残な血痕を残すこととなった、あの忌まわしい邸宅にコバルトとラピスラズリは再び足を踏み入れていた。
周囲の静寂は、耳鳴りがするほどに深く、重い。
二人は足音一つ立てずに外玄関を抜け、分厚い家玄関の扉をそっと押し開けた。
蝶番が微かに軋む音と共に、広々とした玄関ホールの暗がりが姿を現す。
そこに、まるで最初からそこが自分の指定席であったかのように、一人の少年がどっかりと腰を下ろして待っていた。
「よお、遅かったな」
金髪を無造作に遊ばせ、ストリートファッションに身を包んだその少年──
ジュエルの一期生、そして不老不死の人外であるダイヤモンドは、暗闇の中でも爛々と輝く獰猛な赤い瞳を二人に向けて、ニヤリと笑った。
「……で、わざわざオレをこんな場所に誘い出したのは、どーいうワケ?」
少年は、微塵の警戒心も見せずに率直に理由を尋ねてきた。
『人類監視AI』、その演算結果を逆に利用された事に疑問を呈しているのだ。
彼の右手中指には、依然として鈍い光を放つ無骨な指輪が嵌められている。
『RVS』が生み出した、周囲の非常識を強制的に『人類の常識』へと上書きし、あらゆる超常の力を無効化する人工オーパーツ。
その指輪が発動している以上、コバルトの空間認識能力も、ラピスラズリの規格外の怪力も、今は完全に封じ込められている。彼女たちは今、ただの無力な少女に過ぎない。
だが、コバルトは怯むことなく、堂々と胸を張ってダイヤモンドを真っ直ぐに睨み据えた。
「貴方を倒すためよ、悪の怪人さん」
その言葉を聞いた瞬間、ダイヤモンドは目を丸くし、次いで腹を抱えて爆笑した。
「アハハハハッ! 怪人! そりゃあ良い! 傑作だ!」
彼はケラケラと肩を揺らして笑いながら、ゆっくりと立ち上がった。
その細い身体から立ち上るプレッシャーは、先日の遭遇時よりも遥かに禍々しく、重い。
「なら、悪の怪人らしく振る舞ってやろうじゃねえか。いっその事、オマエらみたいなか弱い正義の味方を残酷に殺した後は、その細い首筋から血でも啜ってやろうか?」
獲物を前にした肉食獣のように舌舐めずりをして、ダイヤモンドがゆっくりと歩み寄ってくる。
常識に縛られた今の二人の身体能力では、彼が放つ攻撃を一撃でも食らえば、命はないだろう。
しかし、二人は逃げなかった。
「確かに、あたしたちでは貴方に到底敵いませんわ」
ラピスラズリが、純白のドレスの裾を少しだけ持ち上げ、凛とした声で言い放った。
「ですが、あたしたちには……『勇者』がついています!」
「は?」
勇者。
そのひどく場違いで、ファンタジーじみた単語を耳にして、ダイヤモンドはピクリと眉を動かし、歩みを止めた。
「勇者? 何を寝言を……」
ダイヤモンドが訝しむ中、コバルトとラピスラズリは顔を見合わせ、深くすーっと息を吸い込んだ。
そして、夜の豪邸に響き渡るほどの大きな声で、まるで迷子になった子供が助けを呼ぶように、元気いっぱいにその名を叫んだ。
「「大ちゃん、助けてー!」」
静寂。
そして、ペタ、ペタ、ペタ、というひどく間の抜けた足音が、外から近づいていく。
「……安心して! ボクが来た!」
入り口の扉をくぐってトコトコと歩いてきたのは、まるまると太った青いペンギンの着ぐるみだった。
短い手足をバタバタと動かし、大きなくちばしを揺らしながら、コバルトたちの前に立ちはだかるようにしてポーズを決める。
──中に入っているのは、もちろんシルヴァレッタである。
本当に大丈夫かな、これ
ヤドリギ探偵事務所の所長、アカシャエルムが授けた逆転の秘策。
それは「『人類の常識』を味方につける」というものだった。
相手の指輪が『非常識を常識に上書きする』のであれば、逆に『誰もが信じて疑わない常識』をぶつければいい、という理屈だ。
そこで提案された一つの事例。
ピンチになったヒロインたちが「助けて!」と叫べば、必ず正義のヒーローが駆けつけて怪人を倒す。
それは、万国共通、子供たちから大人に至るまで、共通認識としてインプットされている『物語の常識』である。
正義は必ず悪に勝つ。それは現代においては常識として固まっているのだ。
……なお、「大ちゃん」の着ぐるみはシナバー経由で調達した公式仕様のものである。
結構動きやすい。
ダイヤモンドは、目の前に現れた青いペンギンの着ぐるみをまじまじと見つめ、数秒の沈黙の後、再び腹を抱えて吹き出した。
「ぷっ、フハハハハハハ! なーんだそりゃぁ!」
彼は涙を流して大笑いしながら、ペンギンの着ぐるみを指差した。
「ボクは大ちゃん! みんなを守る、勇者だ!」
シルヴァレッタは、普段の無口で無表情な彼からは想像もつかないほどノリノリで、着ぐるみの短い羽を振り上げて見得を切った。
そんなに大ちゃんが好きになったのか、シルヴァレッタ。
しかし、その和やかな空気は、ダイヤモンドの態度が急変したことで一瞬にして凍りついた。
「勇者……へぇ、勇者ね……」
笑い声をピタリと止めたダイヤモンドの顔から、一切の表情が抜け落ちた。
彼はギリッと奥歯を噛み鳴らし、その爛々とした瞳に、これまで見せたことのないほどの激しい憎悪と怒りを宿した。
「……軽々しく、その名を口にするなァッ!!」
怒声と共に、ダイヤモンドが地を蹴った。
そのスピードは、先日コバルトを圧倒した時よりもさらに速く、鋭い。
殺意を剥き出しにした拳が、空気を引き裂いてペンギンの着ぐるみの顔面へと叩き込まれた。
「ぐっ!」
シルヴァレッタは両羽を交差させてガードするが、その恐るべき破壊力に耐えきれず、床をズルズルと後退する。
「勇者ってのはなァ! かつて遠き日に、この星の窮地を救った連中にだけ与えられた名だ! お前らみたいな平和ボケした連中が、安いお遊戯で名乗って良い名前じゃねえんだよ! ……愚弄するなッ!」
ダイヤモンドは激昂したまま、嵐のような猛攻を着ぐるみに加え始めた。
右ストレート、左フック、そして肋骨を粉砕せんばかりのミドルキック。
その一撃一撃に、底知れぬ怒りと、そしてどこか悲痛な叫びが込められていた。
──彼は、一体何に怒っている?
過去に、ルクはこう語った。
現在の人類は、滅亡と再生を繰り返した果ての姿であり、地球のあちこちに眠っているオーパーツたちは、その滅び去った過去の文明が生み出した『名残』であると。
「知ってるか!? この星の人類は何度も滅んだ! 何度もだ!」
ダイヤモンドは、狂ったように叫びながら拳を振るう。
「外から来訪した理不尽な外敵がいた! 治療法のない恐ろしい病気で蝕まれた! 大地が枯れ果て、渇きに飢えた! ……だがな、何よりも!」
ダイヤモンドの蹴りが、着ぐるみの腹部に深々と突き刺さる。
「己が愚かさで自滅した!」
ダイヤモンドは、そう主張した。
「争い、奪い合い、騙し合い……その全てが自業自得だったんだよ! なのに! その度に、人類は身勝手に勇者に泣きついた!」
その叫びには、隠しきれない血の涙が滲んでいるように聞こえた。
「そして勇者たちは、その度にボロボロになりながら、愚かな人類の尻拭いをして、無意味に命を散らしていった!」
ダイヤモンドの悲痛な叫びは止まることがない。
「軽々しく勇者の名を口にするな! 起こすんじゃない! 彼らを、ゆっくり寝かせてやれッ!」
やや涙交じりに、痛切な思いを吐き出しながら猛攻を続けるダイヤモンド。
そして、彼は全身のバネを使い、必殺の一撃を放つモーションに入った。
「勇者に、人類は、必要ないッ!」
空気を切り裂くような鋭い踏み込みと共に、ダイヤモンドの右腕が、槍のような鋭さでシルヴァレッタの腹部──着ぐるみのどてっぱらを深々と貫いた。
ブチブチと布が裂け、肉と骨が破壊される生々しい音が玄関ホールに響き渡る。
「「大ちゃん!!」」
コバルトとラピスラズリが、悲痛な叫び声を上げた。
ダイヤモンドの腕は、シルヴァレッタの背中まで完全に貫通していた。
普通の人間であれば、即死。
いや、不死性を持つシルヴァレッタであっても倒れ伏すはずの一撃だった。
だが、
シルヴァレッタは、
倒れなかった。
「……ッ、なぜ、生きてる!?」
ダイヤモンドが、信じられないものを見るように目を見開く。
その理由は、彼の不死性だけではない。
エルムの策は見事にハマっていたのだ。(なんで?)
コバルトとラピスラズリが信じ、呼び求めた『正義の味方』
そして、着ぐるみを着てヒーローを完全に演じきったシルヴァレッタ。
この空間を支配する指輪は、彼らを『怪人に立ち向かうヒーローと、それを応援するヒロイン』という、物語の常識へと強制的に上書きしていた。上書きしちゃった。
──『人類の常識』は、勇者を求めている。
ヒーローは、どんなピンチに陥っても、ヒロインの声援を受けて必ず立ち上がるものなのだ。
「……ボクは、勇者だ」
シルヴァレッタは、腹部を貫かれたまま、ひどく落ち着いた、しかし力強い声で呟いた。
「勇者は、命ある限り──」
彼は、自身の腹を貫いているダイヤモンドの右腕を両手でガシッと掴んだ。
「は、離せッ!」
ダイヤモンドが焦って腕を引き抜こうとするが、シルヴァレッタの万力のような力に阻まれ、ピクリとも動かない。
「何度でも、立ち上がるッ!」
シルヴァレッタは、ダイヤモンドの腕を掴んだまま、自身の身体から強引にギリギリと引っ張り出した。
鮮血が飛び散り、着ぐるみが赤く染まるが、彼は痛みを意に介さず、そのままダイヤモンドの身体を一本背負いの要領で宙に浮かせた。
そして、
床に向かって、
全体重を乗せて力強く叩きつけた。
「グハァッ!!」
ドゴォォォォンッ!! という轟音と共に、ダイヤモンドの身体が床に激突しクモの巣状に砕け散った。
「こ、このパワーは……!?」
血を吐きながら、ダイヤモンドが驚愕の声を上げる。
指輪の効果で、相手が逆に己を上回るパワーを発揮したのだ。
「大ちゃんは、勇者よ!」
コバルトが、勝利を確信したように力強く叫んだ。
「大ちゃん、負けないで!」
ラピスラズリも、純白のドレスを揺らしながら両手を口元に当てて声援を送る。
その声援を受け、シルヴァレッタは着ぐるみ越しに、二人に向けてビシッと親指を立ててサムズアップした。
……本当に、こんなんで良いんだ。…………えぇ?
エルムの言う「人類の常識を味方につける」という発想の勝利だった。
ぼくは困惑した。
「く、くく……ハハ、アハハハハハ!」
地面に倒れ伏したダイヤモンドは、口から血を流しながらも、突如として腹の底から湧き上がるような高笑いを響かせた。
その笑いには、怒りや憎しみはなく、純粋な歓喜のようなものが混じっていた。
「面白い……面白いよ、ジュエル! さすが、オレの古巣なだけはある!」
ジュエル。ラピスラズリやコバルトたちがかつて所属していた非道な組織。
ダイヤモンドは、その過酷な環境を生き抜いてきた一期生としての矜持と、後輩たちへの奇妙な連帯感を見せた。
「気に入った! こんな展開も、オレは嫌いじゃねえ!」
ダイヤモンドは、よろめきながらも立ち上がった。
彼が受けたダメージも相当なはずだが、不老不死の肉体はすでに再生を始めているようだった。
彼は傷ついた身体を引きずりながら、開け放たれた玄関の扉へと向かい、闇夜を背にして振り返った。
「オマエらは、一番最後にしてやる。……ウラベの汚点、アルファベットの残党狩りのな!」
三年前に起きた裏社会の一斉摘発、通称『アルファベット狩り』
その主犯である彼が、裏の世界をどうするつもりなのか。
ダイヤモンドは、獰猛な笑みを最後に残し、そのまま夜の闇の中へと溶け込むように姿を消した。
残された玄関ホールには、砕けた床と、腹部に大穴の空いた青いペンギンの着ぐるみ、そして静寂だけが残された。
「……勝った?」
着ぐるみの中で、シルヴァレッタがポツリと呟く。
そこにコバルトとラピスラズリが駆け寄り、無事を喜び合う。
正義は必ず勝つ。『人類の常識』の勝利だ。
もうどうにでもなーれ。