生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
薄暗い地下室の空気を切り裂くように、その声は唐突に響いた。
「ウラベ、オマエ学校行けよ」
テーブルに無造作に投げ出された地図と、発掘されたばかりの泥に塗れた石板の破片。それらを整理していた僕の手が、ピタリと止まった。
声の主は、木箱の上に胡座をかいてニヤニヤと笑っている金髪の少年──ディーだった。彼は肉食獣のような獰猛な光を真っ赤な瞳に宿しながら、ひどく軽い調子でとんでもない提案を持ちかけてきた。
「……学校、かい?」
「つか、決定事項な」
僕の戸惑いをよそに、ディーは懐から一枚の真新しいカードを取り出し、テーブルの上へと滑らせた。
「戸籍も、裏のブローカーを使ってバッチリ用意しといた。オマエは今日から『ウラベキミト』だ」
裏社会の戸籍ブローカー、そのルートで僕の戸籍を手に入れたという。それによって僕は学生という身分になったのだと、ディーは示したのだ。
「ウラベ、キミト……」
僕はその名前を口の中で転がし、そして、放り投げられたカード──学生証に印字された名門校の校章を見て思わず苦笑した。
「……買い被りすぎじゃないか? ここ、名門校じゃないか。いくら戸籍が出来たとはいえ、何の後ろ盾もない僕が突然こんな環境に放り込まれても、学力が追いつかないよ」
前世の記憶があるとはいえ、長らく学問の最前線から離れていた僕。若者たちの学習速度についていける自信は無かった。
「何言ってんだ!」
ディーはバンッと木箱を叩き、僕の弱気を笑い飛ばした。
「オマエの頭の良さは、この不老不死であるオレ様が保証すんよ! ピカイチだぜ、ウラベは。今までオレたちがどんだけオマエの頭脳に助けられたと思ってんだ!」
手放しで褒めちぎるディー。彼はこの若々しい少年の姿をしたまま、途方もない時を生きている不老不死の存在だ。人類が絶滅せずに存続している奇跡の根源を探究し、保護するという気高い理念を持つこの組織に身を置く彼の言葉には、言い知れない説得力と重みがあった。
「わたくシも、賛成ですワ」
不意に、辿々しい発音の女性の声が部屋の奥から響いた。静かな足音と共に姿を現したのは、銀糸のような長い髪を持つ美しい女性、アンジュだった。彼女もまた、ディーと同じく不死の時を生きる存在である。
「ウラベの頭脳があれバ、表の世界に出てモ必ず活躍できるワ。どうカ、この話ヲお受けになっテ」
アンジュは両手を胸の前で組み、祈るような、それでいて力強い眼差しで僕を激励してきた。
二人の熱意は痛いほど伝わってきたが、僕は現実的な問題を指摘せざるを得なかった。
「表の世界に出るとなれば、それなりに拘束時間も発生する。僕が抜けた後の組織の作戦立案はどうするんだ。……それに、最近は蓄えが厳しいって、ディー、君が言ってたろう。こんな名門校の学費、それに戸籍の購入費用は──」
「あー、アレぜーんぶ嘘!」
ディーはあっけらかんと手を振り、ケラケラと笑い声を上げた。
「オマエの戸籍買うのにドカンと金が必要になるから、ちょっと引き締めとこうと思ってテキトー言ったんだよ。資金なら、オレがちょっくらガラクタでも掘り出して売り払えば、すぐに元通り!」
それが真相だったのか。この若き不老不死は、僕の知らないところで密かに僕のための舞台を整え、資金まで工面してくれていたのだ。
「それに、ウラベなら学業の合間にも、きっちり俺たちの作戦立ててくれんだろ?」
ディーは立ち上がり、僕の肩を親しげに小突いた。
「オレは、そんだけオマエの事を買ってるんだぜ? 期待、裏切んなよ?」
そのニッと笑う無邪気な顔には、打算や裏工作など微塵もない、純粋な信頼だけが浮かんでいた。
「……ウラベ」
アンジュが、心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「貴方、表の世界デ、やってみたイ事はないノ?」
やってみたい事。
その問いかけに、僕は言葉に詰まった。
不老不死である彼らは、その特異な性質ゆえに、もはや表舞台で堂々と生きることは許されていない。社会のシステムの中で生活をする事はもう不可能なのだ。
……だからこそ、彼らは僕に希望を託そうとしているのかもしれなかった。死の淵から蘇り、新たな生を受けたこの僕に、彼らが歩めない「表の世界での可能性」を見出してくれているのだ。
なら、僕はその期待に応えるべきだろう。
このソラハキミトという少年の肉体を借りて生き長らえている以上、ただ裏社会で泥に塗れて生きるだけの人生で終わらせるわけにはいかない。生きなければ、堂々と。
僕は目を閉じ、己の魂の奥底、前世からずっと燻り続けていた無念と願いを引っ張り出した。
「……医療を、学んでみたい」
静かな地下室に、僕の声が響いた。
「ヒューッ!」
ディーが楽しげに口笛を鳴らした。
「これから、医療は科学の力で大きく進歩すると思う」
僕は、かつて企業のトップとして見てきた技術革新の波を思い描きながら、言葉を繋いだ。
「今まで諦めていた病気やケガ、それどころか、心の病だって治せる時代が必ずやってくる。僕は、今まで見捨てるしかなかった人たちを救う、そんな存在になってみたい……と思う」
見捨てるしかなかった人たち。
その言葉の裏には、重い悔恨があった。かつて、僕の経営する工場で働き、病気の母と弟イサクを支えるために必死に生きていたソラハキミト。彼から母親の死を告げられた時、上に立つ者としての自分の無力さに絶望した日の記憶が、今も魂に焼き付いている。
だからこそ、僕はもう誰も見捨てたくない。病気で理不尽に命を落とす者も、絶望の中で心を病む者も、全てを科学と医学の力で救い上げたい。それが、僕の語った夢だった。
「お医者さマ……素晴らしイ目標でス!」
アンジュは顔をほころばせ、心からの拍手を送ってくれた。
「じゃあ、オレらの不老不死もウラベが名医になったらスパッと治してもらって、無事に死なせてもらおうぜ! 頼んだぞ、センセー!」
ディーがふざけ半分に僕の背中をバシバシと叩いた。
「縁起でもない事を言わないでくれ……」
僕は苦笑いしながら、ディーの軽口を嗜めた。
しかし、ディーはすぐに表情から笑みを消し、射抜くような鋭い目で僕を睨みつけた。
「……で、こっからはガチな話な」
室内の空気が一瞬で張り詰める。
「オマエに表の切符を渡すのは、オレたちの総意だ。だが……組織を抜けるのは、絶対に許さねーぞ?」
それは、ただの束縛ではない。僕という存在を絶対に手放さないという、彼なりの強烈な親愛と執着の表れだった。僕も表情を引き締め、キッとした視線で彼を真っ直ぐに見据え返した。
「ディー、君は僕の命の恩人だ。この身を救い、生きる場所を与えてくれた。君たちには一生懸命尽くすつもりだよ」
「……一生、か?」
ディーが、確認するように低く聞き返した。
「一生。その命をかけて尽くす」
僕は迷うことなく断言した。
この身体に刻まれた誇りに恥じるような、薄情な人生は決して許されない。
僕はそれを強く心に誓っていた。
「……ハッ。なら良い」
ディーは僕の覚悟を受け取ると、ふっと息を吐き出し、いつもの軽薄な雰囲気に戻ってニヤリと笑った。
「どうせならさ、表の世界に行くついでに、もっとデカい目標立てねーか?」
「デカい目標?」
「ああ。例えば……オレは世界征服だ!」
ディーは木箱の上に立ち上がり、両手を広げて高らかに宣言した。
「オレが世界中の遺跡から手に入れたオーパーツたちを使って、人類を根底から支配する悪の親玉になる! んで、最後には正義の勇者にカッコよく殺されるんだ!」
「また縁起でもない事を……」
僕が呆れて嗜めるが、ディーは全く引かなかった。
「勇者に殺されるなら、オレは本望だよ」
ディーは、ふざけた態度の中に、どこかひどく真面目で、狂気に近い熱を孕んだ口ぶりで語った。
「なんだったら、そのためにオレは不老不死に生まれたんじゃないか……。そんな予感がするんだ」
人類の奇跡を探究するこの組織で、彼が何を見て、何を感じ取ってきたのかは定かではない。だが、彼のその目は、遥か未来の自身の最期をはっきりと見据えているようだった。
「なラ、わたくしハ……」
ディーの突拍子もない宣言に続いて、アンジュが静かに、しかし深い慈愛を込めた声で紡ぎ出した。
「居場所のない人々ニ、安らぎの場所ヲ作りたいワ」
彼女は両手を胸に当て、目を閉じた。
「どこにも行き場のなイ人に居場所を作ってあげるノ。神のように選り好ミなんてしなイ。人が人と手を繋ギ、助け合ウ。……そんな、温かイ場所を作りたいワ」
それは、途方もない時間を生きる彼女が抱き続けた、純粋で究極的な愛の形だった。
「世界征服に、安らぎの場所か……」
僕が圧倒されて呟くと、ディーが木箱から飛び降り、僕の目の前に立って顔を近づけてきた。
「で? ウラベ、オマエはどうすんだ?」
ディーが僕の目を覗き込むようにして促してきた。
「医者になって人を救う、それは分かった。だが、それだけじゃオレやアンジュの目標には負けてるぜ。オマエの、本当にデカい目標は何なんだ? あるんだろ?」
大きな目標。
僕がこの数奇な運命を経て、ソラハ少年の身体で蘇り、医学を学んでまで成し遂げたいことの究極の形。それは、限られた目の前の患者を救うだけでは終わらせられない。
この理不尽で、悲劇を繰り返すだけの社会そのものを根本から治療しなくては。
僕の頭の中には、すでに一つの巨大な言葉が形作られていた。
──それ以外に、僕がこの命を懸けるに値する目標は考えられなかったのだ。
僕はディーとアンジュの顔を交互に見つめ、静かに、しかし絶対の確信を持ってそれを口にした。
「人類の救済」