生きるのに向いてないぼくは地の文になりました   作:あさはかな

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人は常識を当てはめたい 五

 平日の昼下がり。

 冬の冷たい風が公園の木々の葉を揺らしている。

 

 シルヴァレッタは清掃業務の昼休憩に入っていた。

 彼はマンションに併設された静かな公園のベンチに腰を下ろし、コンビニで買ったミックスサンドイッチを無表情のまま黙々と頬張っている。

 

 彼の傍らには、愛飲している『みかんレモン水』のペットボトル。

 わざわざ少し遠くのドラッグストアまで足を運んで買い占めるほど、お気に入りの飲料だ。 

 

 先輩清掃員であるケイの指導のもと真面目に労働し、わずかな休息の時間を過ごす。

 そんなシルヴァレッタの平和で平凡な日常の様子を、ぼくは彼の意識の奥底から、ぼんやりと見つめていた。

 

 

 その時だった。

 ザッザッと、等間隔に砂利を踏みしめる足音が近づいてくる。

 

 シルヴァレッタがサンドイッチを咀嚼する手を止め、足音のする方へ視線を向けた。

 

 そこには、黒いロングコートに身を包んだ金髪の少年が立っていた。

 その眼差しは獲物を狙う肉食獣のような獰猛な光を赤い眼に宿している。

 

 ──暗殺組織ジュエルの一期生にして、不老不死の人外を名乗る少年、ダイヤモンドだった。

 

「よう」

 ダイヤモンドは軽い調子で声をかけてきた。

 

「なっ……!」

 シルヴァレッタは目を見開き、咄嗟に立ち上がろうと身構える。

 しかし、ダイヤモンドの動きの方が遥かに速かった。

 

 彼の手には、小さな筒状のデバイス。

 そのスイッチが押された瞬間、その先端から強烈な閃光が放たれ、シルヴァレッタの目に直接叩き込まれる。

 ──『クロガネフラッシュ』のペンライトだ。

 

 閃光を浴びたシルヴァレッタの意識が、急速にブラックアウトしていく。

 彼を突き動かしていた『意思を持つ弾丸』の自我が強制的にスリープモードへと移行させられ、肉体は糸の切れた操り人形のように崩れ、手にしたサンドイッチは地面にポトリと落ちた。 

 

 シルヴァレッタの意識が落ちたことで、代わりに『死者の自我』であるぼくが表層へと浮かび上がる。

 ぼくはゆっくりと瞬きをし、自身の両手を見つめ、そして目の前に立つ金髪の少年を見上げた。

 

「……ウラベイサクだな?」

 ダイヤモンドは、薄く笑いながら尋ねてきた。

 

「……何パーセントだったの?」

「三パーセントだ」

 ダイヤモンドはコートのポケットにペンライトをしまいながら答えた。

 

 ウラベ博士の残した遺産である人類監視AI。

 世界中のヒュージデータから人類の行動を予測するあのシステムが、ぼくというイレギュラーな存在の浮上をどこまで予測したのかと思って尋ねたが、想像よりかなり高く出ていた。

 

「だが、その質問をしてくれば百パーセントお前だとよ」

 笑いながらダイヤモンドは答えた。

 百パー。AIが。

 

「……それ、壊れてるよ」

「ちげぇねぇ」

 ぼくらは軽口を言い合う──旧来の友人同士のように

 

「目的は?」

 ぼくは、警戒することもなく淡々と尋ねた。

 不老不死の彼が、わざわざこんな白昼堂々、公園のベンチまでぼくに会いに来る理由が見当たらなかったからだ。

 

 

「イサク、オレの味方にならないか?」

 ダイヤモンドの口から飛び出したのは、全く予想外の、そしてあまりにもストレートな勧誘だった。

 

「断る。メリットがない」

 ぼくは即答した。

 

「まあ、聞けよ」

 ダイヤモンドはぼくの拒絶を気にする様子もなく、ベンチの隣にどっかりと腰掛けた。

 そして、冬の気配が近づく冷たい空の彼方を仰ぎ見ながら、静かに口を開く。

 

「イサク、お前は人類全てを幸福にするのは可能だと思うか?」

 出てきたのは、突拍子もないスケールの質問だった。

 

「……まず幸福の定義は?」

 

 ぼくが聞き返すと、彼は短く、たった一言で答えた。

「主観」

 

 その言葉を聞いて、ぼくは少し考えた後──

「……」

 完全に押し黙るしかなかった。

 

 ぼくの沈黙を見て、ダイヤモンドはニッと皮肉げに笑った。

「ウラベと顔も声も似ちゃいるが、中身は別だな」

 

 ウラベ。

 それは五十年前、少年テロリスト『ソラハキミト』の死刑執行後に、アカシャウスイの魂が乗り移って蘇った存在。

 彼は現代の社会システムを維持したままでの『人類の救済』という途方もない野望を抱き、そのために悪事に手を染める組織を次々と設立した。

 

「そうだ……不可能なんだよ」

 ダイヤモンドは、どこか諦観の混じった、感慨深い声で語り続けた。

 

「ウラベは最後までそれを追い求めたが、どう足掻いても無理だ。積み重なった歴史だとか、文化、常識云々の問題じゃない。──人類という種そのものが追い求める『幸福』なんてものは、しょせんは夢物語でしかないんだ。必ずどこかで自滅の道を歩む」

 

 かつてこの星の人類が何度も滅びかけ、その度に勇者たちに泣きついてきた歴史を知る彼だからこそ、その言葉には重く、血を吐くような実感がこもっていた。

 

「だから、いまオレは次善策を追い求めてる」

 ダイヤモンドは、ぼくの顔を真っ直ぐに見据えて言った。

 

「ハッピーエンド?」

 ぼくが皮肉交じりに伺うと、彼はこくりと静かに頷いた。

 

「時間をかけて、少しずつ削っていく。苦しみは最小限に、悲しみは最低限に。争う理由すら奪い去り、そうしてゆっくりと数を減らしていって、人類を終わらせる。……次なんてない、完全な絶滅だ」

 

 一切の苦痛を排除した無菌室の中で、静かに種としての寿命を終える。

 それが彼にとっての、人類への最大限の慈悲であり、幸せな結末なのだという。

 

 ぼくは、その絶望的で徹底的にニヒリズムに満ちた考えに──

 どうしようもなく、同意した。

 

 

「それで今は、ウラベの汚点である『アルファベット』の残党を狩っている」

 ダイヤモンドは、三年前に起きた裏社会の一斉摘発に端を発した組織壊滅行動。

 通称『アルファベット狩り』のその後に至る今を語り始めた。

 

「終わりに向かうなら、もう未来への準備なんてモンは必要ないからな。RGBのデザイナーベイビー計画も、ジュエルの暗殺者育成も、何もかもが無意味になる。オレは、ウラベのやりたかった事、やりたくもなかった事を、次々と潰して回っていく」

 彼はつまらなそうに鼻で笑う。

 

「何せ、不老不死のオレには時間が無限にある。しかも、ウラベが作ったジュエルを利用して、みっちりと鍛えさせてもらった。……皮肉なもんだろ?」

 孤児を集めて暗殺者に仕立て上げる非道な組織、ジュエル。

 その一期生として彼が身につけた暴力が、皮肉にもその組織自身を、そしてウラベの組織すべてを滅ぼすための牙となったのだ。

 

 ぼくは彼の話を聞いて、一つの確信を持って尋ねた。

「ジュエルの前は……いや、前の前はどこにいたの?」

 

 その問いに対し、ダイヤモンドは隠すことなく、あっさりと答えた。

「盗賊団DOE。そこのリーダーをやっていた」

 やはりそうか。

 

 歴史探究の理念を忘れ、世界中から遺物を盗み出すだけの金に塗れたゴロツキの集まりへと腐敗した組織DOE。

 五十年前、蘇ったウラベキミトが身を寄せ、そして絶望して去った場所。

 

「ウラベは、オレが勧誘したんだぜ?」

 ダイヤモンドは、少しだけ懐かしむような、それでいてひどく苦々しい顔で言った。

 

 不老不死である彼は、五十年前から、いやもっと前からずっと組織にいて、そうして若き日のウラベキミトと出会っていた。

 そして、彼と共に歴史の闇を歩み、彼の思想にも触れ、共に笑い合ったのだろう。

 

「一応、確認だけど」

 ぼくは、もう一つの疑問を口にした。

「世界の滅びは直接体験したの?」

「いいや。オレが生まれたのは、この世界だ」

 

 彼はコートのポケットから、あの無骨な銀色の指輪を取り出し、冬の太陽に透かして見せた。

「手に入れたお宝を、隅から隅まで愛でるのがオレの趣味なんだよ。DOEのリーダーとして世界中の遺跡を巡り、滅び去った古代文明の記憶に触れ続けた。……勇者たちの物語は、至高だったぜ」

 

 彼の脳裏には、人類の愚行を尻拭いし、命を散らしていった過去の勇者たちの悲痛な歴史が脳に焼き付いているのだろう。

 先日、ペンギンの着ぐるみを着て勇者を名乗ったシルヴァレッタに対して、彼が異常なまでの激昂を見せた理由。 

 

「思ったんだよ」

 ダイヤモンドは、指輪を握りしめ、ひどく冷たい目でぼくを見た。

 

「人類に次があっても無駄だ、無理だってな。どんなに優れた文明を築こうが、どんなに気高い勇者が現れようが、結局は自業自得で自滅する。……なら、オレが終わらせてやる。不老不死の、オレがな」

 

 ぼくは、黙るしかなかった。

 彼の言葉には、反論するだけの余地が一切なかった。

 歴史という圧倒的な事実と、彼自身の体験に基づく確固たる信念がそこにあった。

 

 ──彼の結論は残酷なまでに「正解」だった

 

 重苦しい沈黙が、冬の公園に流れる。

 遠くで、カラスが間抜けな声で鳴いた。

 

 

「……もう一度聞く」

 ダイヤモンドが、ゆっくりと立ち上がり、ぼくを見下ろして言った。

 

「オレの味方にならないか? イサク」

 彼の差し出した手は、人類の完全な終わりへと続く、安らかな絶滅への招待状だった。

 

 ぼくの心は、

 彼の思想に、

 完全に染まっていた。

 

 これ以上、この生き辛い世界で苦しみたくない。

 人類ごと、全てを無に帰してしまえばいい。

 そうすれば、ぼくの魂もようやく本物の安息を得られるはずだ。

 

 

 しかし──

 ぼくは、ゆっくりと首を横に振った。

 

 

「……ならない」

「どうして?」

 ダイヤモンドは、本当に不思議そうな顔をして眉をひそめた。

 ぼくの心が彼に傾倒していることを、彼自身も感じ取っていたはずだからだ。

 

「シルヴァレッタと、コバルトが好きなんだ」

 ぼくは、堂々と答えた。

 

 何の後悔もなかった。

 

「正しいかどうかより、好きかどうかで動きたい。……ごめんよ」

 

 それは、倫理や正義といった大層なものではない。

 人類の救済だの、完全な絶滅だのといった壮大なイデオロギーよりも、ぼくはただ、シルヴァレッタとコバルトを、その物語を、ただ特等席で眺めていたいだけなのだ。

 

 彼女が笑い、彼が静かに頷く。

 その他愛のない日常の光景が──

 

 ぼくの中にあった「終わりへの渇望」を……ほんのちょっぴり、上回ったのだ。

 

 

 だから、

 ぼくは彼の誘いを断った。

 心からの謝罪を込めて。

 

 

 ぼくの答えを聞いて、ダイヤモンドはしばらくポカンとしていたが、やがて肩を震わせて笑い出した。

「ッ、アハハハハ!」

 彼は空を仰いで笑い声を上げ、そしてニカっと、少年のように無邪気な笑みを浮かべた。

「そういうところは、本当にウラベにソックリだ」

 

 それは、かつての親友を思い出すような、どこか懐かしむような温かい響きを持っていた。

 ──しかし、すぐにその顔から笑みが消え、冷酷な狩人の目に戻る。

 

「なら、オマエは敵だ」

 

 ダイヤモンドは背を向け、去り際に見下ろすように言い放った。

「クビを洗って待っていな」

 

 コートの裾を翻し、砂利を踏む音と共に、ダイヤモンドの姿は公園の向こうへと消えていった。

 

 残されたぼくは、地面に落ちたサンドイッチを拾う。

「……さて」

 

 サンドイッチを口にして、大きなため息をついて、ぼくは呟いた。

 

「クビを洗う前に、ぼくがマンションを掃除しなきゃいけないのか」

 サンドイッチは、砂の味がした。

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