生きるのに向いてないぼくは地の文になりました   作:あさはかな

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人はしがらみを断ち切りたい 二

 深夜。

 都市の喧騒から少し離れた、海沿いの埋立地エリアに広がる広大な廃墟群。

 

 潮の香りと錆びた鉄の匂いが入り混じる冷たい夜風が、割れた窓ガラスを通り抜けてヒュウヒュウと不気味な音を立てている。

 かつては機械の駆動音と人々の熱気に包まれていたであろうその場所は、今や無残に打ち捨てられ、月明かりだけが冷たくコンクリートの残骸を照らし出していた。

 

 ここは、かつてのジュエル本拠地。

 捨てられた孤児を買い集め、有効活用をお題目に冷酷な暗殺者を育て上げていた非道な組織の、忌まわしきゆりかごだ。

 

 三年前に『アルファベット狩り』と呼ばれる裏社会の一斉摘発によって完全に壊滅され、立ち入り禁止のテープが風化して千切れたまま放置されているこの工場跡地に、シルヴァレッタ、コバルト、ラピスラズリ、そしてバナジウムの四人は足を踏み入れていた。

 

 崩れかけた建屋の影に身を潜めながら、バナジウムが手元のタブレット端末の青白い光で周囲の構造図を確認し、静かに口を開いた。

 

「偶然か必然か、ここはかつてアカシャウスイの時代にアカシャ本社の息がかかった工場だったようです。多くの人が働き、そして時代と共に廃れた……そんな場所だったみたいですね」

 

 アカシャウスイ。

 日本三大企業の一角を担うアカシャグループのトップであった人物であり、エルムの曾祖父に当たる男。

 五十年前、彼の経営する工場で働いていた一人の少年が、後に世界を震撼させるテロリストとなった事実を、ぼくたちはエルムの調査で既に知っている。

 

 その情報と、バナジウムがもたらした新たな事実が、暗い廃墟の中で一つの太い線となって繋がりつつあった。

 バナジウムの言葉を聞いて、コバルトが腕を組み、廃工場の高い天井を見上げながら「……偶然じゃないのかもね」と、重苦しい声で口にした。

 

「少年テロリストの件もあるわ。もしかしたら、その実行犯を出した工場をウラベキミトが暗殺組織を立ち上げるための本拠地として手に入れ、再利用した。子供を金で買い集めて暗殺者に仕立て上げるなんていう狂気の沙汰を、わざわざこの因縁の場所で行っていたのかもね。……何か、ひどく執念じみたものを感じるわ」

 

 コバルトの言葉には、自身の忌まわしい過去と、それを仕組んだ見えざる手に対する強烈な嫌悪感が滲んでいた。

 幼い頃から死線を潜り抜けるような地獄の訓練を強いられ、少しでも基準に満たなければ路傍の石のように捨てられていく。

 そんな環境を生き抜いてきた彼女にとって、この場所はトラウマの象徴でもあるのだ。

 

 コバルトの隣で、純白のゴスロリドレスの裾を汚れから守るように軽く持ち上げていたラピスラズリも、周囲の暗闇を懐かしむような、それでいてひどく冷ややかな目で見回した。

 

「ええ。決して、良い思い出ばかりではありませんが……ですがここは、あたし達姉妹が出会った、始まりの場所でもありますわ」

 ラピスラズリは、コバルトとバナジウムの顔を交互に見て、ふわりと微かに微笑んだ。

 そして、真剣な眼差しをバナジウムに向けて発言する。

 

「それで、バナジウム。貴女はここへ来れば『ヒント』があると言いましたけれど……一体、この廃墟のどこに何があると言うのかしら?」

 

 その問いに対し、バナジウムはタブレットの画面を消して、ゆっくりと顔を上げた。

 彼女の瞳には、いつもの明るく元気なリーダーの姿とは違う、底知れない深淵を覗き込むような暗い光が宿っていた。

 

「……『非常識』」

 バナジウムは、まるで呪文でも唱えるかのように、その単語をポツリと呟いた。

 

「えっ?」

 コバルトが意表を突かれたように反応する。

 

 『非常識』、それは先日、不老不死の人外、ダイヤモンドが口にしていた、彼女らの才能や能力を象徴する概念。

 

「当たり前に受け入れて、疑うことすらしてきませんでしたが……」

 バナジウムは、自分の両手をじっと見つめながら、静かに、しかし確信に満ちた声でそう続ける。

 

 

「あたし達は、世間一般から見れば、あまりにも『非常識』な存在に育ちました。……そう思いませんか?」

 

 

「どういう事だ」

 シルヴァレッタが、少しだけ首を傾げて説明を促した。

 

「あたし達は、親に捨てられたり、あるいは孤児院から買い叩かれたりした、元々は何の取り柄もないただの孤児だったはずです。少なくとも、生まれつきの超人などではなかった。……『そうだった』んじゃないかと思うんです」

 

 バナジウムは、コバルトの並外れた空間認識能力や、ラピスラズリの規格外の怪力。

 そしてクロムやマラカイトといったかつての姉妹たちの姿を思い浮かべるように視線を巡らせた。 

 

「それが、このジュエルの本拠地に集められ、訓練を受けるうちに……『何かしらの影響』で、誰もが『非常識』な才能を手にした。それを、訓練の成果だと思い込まされていただけ。そんな気がするんです……」

 バナジウムが提示したその恐るべき推論に、廃工場の空気が一気に張り詰めた。

 

「……確かに」

 ラピスラズリが、自身の細く華奢な腕を見つめながら、バナジウムの意見に深く同意した。

 

「あたしのこの怪力が、もし生まれつきの才能だったとするならば……たとえジュエルから大金を積まれたとしても、元の親や施設があたしを手放すとは思えませんわね。それだけの特異な才能があれば、見世物にするなり何なり、手元で大事に育てて利用するはずですわ」

 

 彼女の言う通りだ。

 ラピスラズリの怪力は、頑丈な錠前を素手で力尽くでこじ開けられるほどのものであり、通常の人間の筋力を遥かに超越している。

 そんな異能を持った赤ん坊が、目先の札束を積まれたところで簡単に売られるとは考えにくい。 

 

「ええ」

 バナジウムは深く頷き、核心へと踏み込んだ。

「だからこそ、あたしはこう推測しました。この地には、あたし達を『非常識』な存在へと作り変えた、その元凶となるオーパーツが眠っているのだと。……そう思えてならないんです」

 

 オーパーツ。

 人類が滅亡と再生を繰り返した歴史の中で、先史の文明が遺した常識では計り知れない力を持つ遺物。

 もし、ジュエルという組織がそのオーパーツの力を利用して孤児たちを改造し、暗殺者としての『非常識な才能』を強制的に植え付けていたのだとすれば、辻褄が合う。 

 

 しかし、コバルトは慎重な疑問を呈した。

「……だとしたら、三年前にアルファベット狩りで一斉摘発された時に、警察やその背後にいる組織が回収していったって可能性はないの? そんな重要な遺物をそのまま放置しておくかしら」

 

 コバルトの指摘はもっともだった。

 摘発を行った側も、組織の全容を解明するために隅から隅まで捜索したはずだ。

 

 だが、バナジウムはその可能性を完全に肯定しなかった。

「ですが、ゼロではありません。確かにあの日、みなさんは警察の突入から逃げることで精一杯でした。組織の幹部や職員たちも大混乱に陥り、貴重品を持ち出す暇もなければ、ましてや厳重に隠す暇もなかったでしょうが……」

 

 バナジウムは、三年前の凄惨な夜の光景を思い浮かべるように目を細めた。

「あの混乱に乗じて、誰の目にも触れない場所にオーパーツが取り残されている可能性は、十分にあります。あたしは、そう思うんです!」

 

 バナジウムの自信に満ちたその言葉に──

 どうして? とぼくは二度思った。

 

「……ん?」

 ここでシルヴァレッタが、突然腑に落ちないといった様子で疑問符を浮かべた。

 

 

「……何故、逃げたんだ?」

 シルヴァレッタが、ひどく純粋な、『常識的』な疑問を口にした。

 

 

「「「え?」」」

 コバルト、ラピスラズリ、そしてバナジウムの三人は、シルヴァレッタが何を言っているのか理解できないというように、揃って疑問符を浮かべた。

 

「いや……」

 シルヴァレッタは、自分の頭の整理をするように、ゆっくりと言葉を紡いでゆく。

 

「君たちは、親に捨てられ、組織に無理やり連れてこられて、望みもしない地獄のような訓練を強いられていたんだろう? なら、警察が摘発に踏み込んできたのなら、そのまま警察に『助けてくれ』と保護を求めれば良かったじゃないか。被害者として扱われたはずだ」

 シルヴァレッタの真っ当すぎる正論が、廃工場に響き渡った。

 

「なのに……君たちは皆、揃いも揃って『逃げる』という選択肢を取った。そして散り散りになり、今も裏社会の影で生きている。……それは、どうしてだ?」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 コバルト達の顔から、サーッと血の気が引いていくのがわかった。

 

 彼女たちは、自分たちが如何に『非常識』な選択肢に凝り固まっていたか。

 そしてそれを今まで少しも疑問に思っていなかったという事実に、今更ながら気付かされたのだ。

 

「た、確かに……そうです!」

 バナジウムが、愕然とした表情でシルヴァレッタの問いかけを肯定した。

 

「何故……何故、あたし達は、助けを求めることすら思いつかず、逃げることしか考えなかったのでしょう!? まるで『逃げろ』とプログラムされていたかのように……!」

「わ、私も……今のいままで、疑問にすら感じてなかった」

 コバルトも、自分の頭を抱えながら青ざめた顔で呟く。

 

「警察が来たら逃げる。それが当たり前だと思い込んでいた。洗脳教育の賜物だと言われればそれまでかもしれないけれど……でも、それにしても、異常だわ。確かに、おかしい!」

 

 恐怖心だけでは説明がつかないほどの、完璧なまでの思考の誘導。

 まるで、彼女たちの精神の根本に、ある特定の状況下での『非常識』な行動パターンとして深く刻み込まれていたかのようだった。

 

「……こうなると、ここに何かが眠っているのも、本当のようですわね」

 ラピスラズリが、青ざめた顔のまま、しかし冷静な思考を取り戻して推論を口にした。

 

「どういうことですか、ラピス姉さん?」

 バナジウムが問うと、ラピスラズリは真っ直ぐにバナジウムを見つめ返した。

 

「先ほどのバナジウムさんが『オーパーツは警察に押収されている可能性』を低く見積もっていることに、違和感を覚えていましたの。常に最悪の事態も想定し、理知的に動く聡いバナジウムさんが、そんな希望的観測に基づいた甘い予測を立てるだなんて、変ですわ」

 ラピスラズリの鋭い指摘に、バナジウムはハッとして目を見開いた。

 

「……となると、可能性は一つしかありません」

 ここで、シルヴァレッタがコクンと深く頷き、ラピスラズリの推理を引き継いで断言した。

 

「バナジウムは、ここに『呼ばれた』んだ。……おそらく、まだこの廃墟に眠っている、オーパーツ自身に」

 

 オーパーツが意思を持ち、かつて自分と波長を合わせた少女たちを、無意識の内にこの場所へと呼び寄せている。

 そう考えれば、バナジウムが確たる証拠もないのに「ここに行けばヒントがある」と強く主張したことも、警察の回収を疑わなかったことも、全て合点がいく。

 

「……面白くなってきたじゃない!」

 コバルトが、恐怖を振り払うかのように、ニッと口角を上げて意気込みを見せた。

「相手が意思を持ったオーパーツだろうが何だろうが、ここまで来て尻尾を巻いて逃げるわけにはいかないわ」

 

「ええ」

 バナジウムも、迷いを断ち切ったように力強く頷いた。

 

「オーパーツにどんな意図があるにせよ、今あたし達には他に頼れるものはありません。ダイヤモンドの『常識を上書きする力』に対抗するための知識と手段を、絶対にここで手に入れましょう!」 

 

 決意を新たにした四人は、タブレットの光源を頼りに、廃工場のさらに奥深くへと歩を進めた。

 

 崩落の危険がある瓦礫の山を避け、錆びついた手すりの階段を上り、下り、彼女らが向かったのは、かつての工場の裏手にあった資材置き場として使われていたと思われる広大なスペースだった。

 

 

 ぼくの脳裏に、ふとある光景が何故か浮かんだ。

 

 この場所で、後のテロリストとなる少年がアカシャウスイと語り合う……という光景だ。

 もしこの資材置き場が──

 

 

 その時だった。

「ッ! 何かいるわ!」

 

 先頭を歩いていたコバルトが、突如として足を止め、鋭い警告を発した。

 彼女の並外れた空間認識能力が、暗闇の奥に潜む『異質な存在』を正確に捉えたのだ。 

「人じゃない。でも、野犬や動物の類でもないわ。……何なの、この気配は一体?」

 

 コバルトがかつてないほど困惑した表情で、暗闇を睨みつける。

 彼女の能力を持ってしても、その存在の輪郭や質量を正確に定義できないらしい。

 

 四人は息を殺し、極限の緊張感の中で、慎重に、音を立てずに資材置き場跡地へと近づいていった。

 やがて、瓦礫と鉄骨の隙間から、何か微かな音が聞こえてきた。

 

「これは……歌?」

 シルヴァレッタが、耳を澄ませて呟いた。

 

 それは、確かに歌だった。

 どこか懐かしいメロディ。

 言葉にならない、美しいハミングのような歌声が、静まり返った廃墟の空気を震わせている。

 

 四人がそっと瓦礫の影から資材置き場跡地の中心を覗き込むと、そこには信じられない光景が広がっていた。

 

 

 月明かりが差し込む、ぽっかりと開けた空間

 その中央に置かれた、朽ちかけた古い木箱

 そこに座っていたのは──

 

 背中に半透明の羽を生やした、手のひらに乗るサイズの『妖精のような生き物』だった。

 

 淡い光を放ちながら、誰もいない廃墟に向かって美しい歌を歌い、木箱に座って楽しげに小さな足をブラブラとさせていた。

 常識ではあり得ない、完全なるファンタジーの光景。

 

「……あれが、オーパーツなのか?」

 

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