生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
月明かりが差し込む、ぽっかりと開けた資材置き場の空間。
朽ちかけた古い木箱の上に座っていたその存在は、シルヴァレッタの呟きを聞きつけると、ピタリと歌を止め、ゆっくりとこちらへ首を向けた。
背中に半透明の羽を生やした、まさしくおとぎ話に出てくる妖精のような生き物だった。
その澄み切った瞳と視線が交差する。
シルヴァレッタは瓦礫の影からゆっくりと立ち上がり、警戒を保ちながら、その妖精の目の前へと歩み寄った。
「キミは、何者なんだ?」
低く落ち着いた声で、シルヴァレッタが問いかける。
すると、その妖精のような生き物は、シルヴァレッタの姿をまじまじと見つめた後、パーッと花が咲いたように顔を明るくした。
「オイラが見えるのかい!?」
鈴を転がした、少し幼さを残した少年のような声だった。
その予想外に無邪気な反応に、シルヴァレッタはわずかに目を見張ったが、すぐに小さくこくりと頷いた。
「ああ、見える。……俺だけじゃない。皆にも見えている」
シルヴァレッタが背後の暗闇に向かって目配せをすると、それまで息を潜めていたコバルト、ラピスラズリ、そしてバナジウムの三人が、警戒を解ききれない様子ながらも物陰からゾロゾロと姿を現した。
その三人の姿を認めた瞬間、妖精は木箱からぴょんと飛び降り、空中をフワフワと、軽やかに飛び跳ね回り始めた。
「やった、やったぁ! オイラのことが見えるヤツらが、こんなにいっぺんに来てくれた! 一年待った甲斐があったぞ! シッケー、シッケー!」
全身で喜びを表現しながら、妖精は不思議な言葉を発して歓喜のダンスを踊った。
「……一年?」
喜び舞う妖精の言葉の端に引っ掛かりを覚え、コバルトが訝しげに尋ねた。
「おう!」
妖精は空中でクルリと宙返りをして、シルヴァレッタたちの目の前でホバリングしながら元気よく答えた。
「オイラ、ちょうど一年くらい前に生まれたんだ。それからずっとこの場所にいてさ、人間の姿は何度か見たんだけど、誰もオイラのことが見えてなくて素通りしていくんだ。声をかけても無視されるし……ずっと一人ぼっちで、すっげー寂しかったんだよ」
妖精は少しだけ羽をうなだれさせ、寂しそうに視線を落とした。
「どうやって生まれたか、憶えてますの?」
純白のゴスロリドレスの裾を軽く押さえながら、ラピスラズリが優しく問いかけた。
その問いに、妖精は「うーん」と小さな腕を組んで宙で唸り、何かを一生懸命に思い出すような仕草を見せた。
「こう、地面からニョキニョキって生えたんだ!」
やがて妖精は、両手を下から上へと勢いよく突き上げるジェスチャーを交えながら、自信満々に答えた。
「『生まれた!』って感覚がはっきりあったから間違いないぜ! 土の中からポンッと飛び出してきたんだ!」
まるでおとぎ話の植物か何かのような誕生の仕方だが、相手が常識外の存在である以上、それが真実なのだろう。
「……その、地面から生えたというのは、具体的にどこからですか?」
すかさずバナジウムが、タブレット端末を小脇に抱えながら、探るような鋭い視線で質問を重ねた。
彼女は、この妖精の誕生地点にこそ求めている『オーパーツ』のヒントがあると感じているのだろう。
「ついてきて! こっちこっち!」
妖精は手招きするように空中を泳ぎ、廃工場のさらに奥へと案内を始めた。
シルヴァレッタたちは顔を見合わせ、無言で頷き合うと、淡く光る妖精の軌跡を追って歩を進めた。
崩れかけた鉄骨や瓦礫を慎重に乗り越え、かつての工場跡地の中心にあたる、四方をコンクリートの壁に囲まれた開けた空間へと辿り着いた。
「ここ! こっからニョキニョキーって生えたんだぜ!」
妖精は、ひび割れたコンクリートの床の一部を指差し、えっへんと胸を張って自慢げに語った。
そこは他の場所と大して変わらない、ただの廃墟の床にしか見えなかった。
バナジウムはその地点をじっと見つめ、数秒の思考の後、決断を下した。
「ラピス姉さん。ここを掘りましょう!」
バナジウムの指示に、ラピスラズリはコクリと頷いた。そして、バナジウムは妖精に向かって丁寧に問いかける。
「……妖精さん、良いでしょうか? ここを少し、壊させてもらいます」
「別に良いぜ! オイラの家ってわけでもないしな!」
妖精が快く許可を出すと、ラピスラズリは「では、遠慮なく!」と、優雅なドレス姿にはおよそ似つかわしくない力強い足取りでその地点へと歩み寄った。
彼女は小さく息を吐き、右手の拳を勢いよく振り下ろした。
ドゴォォォォンッ!!!
凄まじい轟音と共に、彼女の華奢な拳がコンクリートの床に叩きつけられ、その瞬間、人間の筋力の限界を遥かに超越した規格外の怪力が爆発し、分厚いコンクリートの床がまるで薄いビスケットのように粉々に砕け散り、深く抉り取られた。
土煙が舞い上がり、周囲に破片がバラバラと降り注ぐ。
「ほえー……」
その常識外れの破壊力を目の当たりにした妖精は、目を真ん丸に見開き、あんぐりと口を開けて間の抜けた感嘆の声を漏らした。
土煙が少し晴れたところで、コバルトがスッと前に出た。
「……何かあるわ!」
彼女の研ぎ澄まされた空間認識能力が、砕けたコンクリートと土砂の奥深くに眠る『異物』を正確に探り当てた。
彼女は抉れたすり鉢状の穴の底へと移動し、土を手で掻き分けた。
そして、コバルトが慎重に掘り起こし、両手で掲げたもの。
それは、銀色に鈍く光る、不気味なほど精巧な『果実』を模したオブジェクトだった。
手のひらに収まるほどのサイズだが、表面には複雑で緻密な幾何学模様が刻み込まれており、人工物なのか自然物なのかすら判別がつかない。
「何これ……」
コバルトは、その銀色の果実を目の高さに持ち上げ、不思議そうに眉をひそめた。
「見た目通りの重さのはずなのに、なんだか存在感が、ひどく重い? いや、深いって言うべきかしら……? うまく言えないけど、ただの金属の塊じゃないわ」
「コバルトちゃん。それが、私たちを探し求めていた『オーパーツ』だと思います!」
バナジウムが、確信に満ちた声で断言した。
「……その果実に触れてみて、他に何か違和感や危険な感覚はありますか?」
コバルトは目を閉じ、自身の感覚を研ぎ澄ませて果実と向き合ったが、やがてゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。あとは何も感じないわ」
そのやり取りを見た後に、ラピスラズリが妖精に向かって優しく微笑みかけた。
「妖精さん。あたし達、実はこの銀色の果実を探しにきたんですの。……これ、持って行っても良いかしら?」
すると妖精は、空中でクルクルと回りながら明るく答えた。
「良いよ良いよ! それはオイラのモンじゃないし、ずっと土ん中に埋まってただけの石っころみたいなもんだからさ!」
妖精の快諾を得て、コバルトはホッと息をつき、その銀色の果実を慎重にポケットへとしまった。
これで、第一の目的は達成された。バナジウムの推理通り、この場所にオーパーツは眠っていたのだ。
するとシルヴァレッタは、妖精をじっと見つめ──静かな声で提案した。
「……ついてくるか?」
その言葉に、妖精はパーッと顔を明るく輝かせた。
「良いのかい! やったー! オイラ、もう一人ぼっちは嫌だったんだ!」
妖精がはしゃぐ一方で、コバルトが慌ててシルヴァレッタを咎めた。
「ちょ、ちょっとシルヴァレッタ! こんなファンタジーな生き物を連れて歩いたら、悪目立ちするどころの騒ぎじゃないわよ! 大パニックになるわ!」
しかし、バナジウムが冷静に首を振ってコバルトを制した。
「いえ、コバルトちゃん。大丈夫ですよ」
バナジウムは妖精を指差した。
「先ほど、彼は『人間の姿は何度か見たけど、誰も見えてない』と言っていました。つまり、この妖精の姿は、一般の人間に認識される可能性は薄いんです」
そのバナジウムの言葉を聞いた瞬間だった。
「ウスイ……?」
空中で飛び跳ねていた妖精の動きが、ピタリと止まった。
彼は何かに弾かれたようにその単語を呟き、急に押し黙ってしまった。
「どうしましたの、妖精さん?」
急に様子がおかしくなった妖精を心配して、ラピスラズリがそっと尋ねる。
「う、うん……」
妖精は自分の顎に手を当て、考え込む様子を見せた。
「なんか、今の言葉が引っ掛かってさ。何だろう……? すっげー大事なコトだった気がするんだけど。んー、全然思い出せねえや……」
妖精は唸りながら、空中でパタパタと力なく羽ばたく。
シルヴァレッタは気を取り直し、この場を切り抜けるための情報を整理するべく、バナジウムに向かって尋ねた。
「バナジウム。どうしてこの妖精が俺たちには見えていて、普通の人には見えないのか。……その理由はわかるのか?」
バナジウムはこくりと頷き、自身の推理を披露した。
「はい。私たちは皆、かつてこの場所で暗殺組織ジュエルとして育てられました。その過程で、今コバルトちゃんが持っているこのオーパーツの影響を色濃く受け、非常識な能力を開花させた。つまり、私たちの根源はこのオーパーツと波長が合っているんです。だからこそ、オーパーツから生まれたと思われるこの妖精の姿を認識できる」
バナジウムはさらに、シルヴァレッタを見つめて続けた。
「そしてシルヴァレッタさんは、ご自身の本体が意思を持ったオーパーツそのものであるからこそ、同じオカルトの領域に属する妖精の姿が見えている。……そう推測します」
その見事な論理的帰結に、コバルトは深く納得したように息を吐いた。
「なるほどね。……なら、街中で人目を気にする必要はなさそうね」
コバルトが安堵の表情を見せると、頭を抱えていた妖精もモヤモヤを振り払うようにバッと顔を上げ、再び無邪気な笑顔に戻った。
「なあなあ! それじゃあ、これからどこに行くんだい!?」
元気よく飛び回る妖精に、シルヴァレッタは優しく微笑みかけた。
「俺たちの車に連れて行こう」
シルヴァレッタたちが現在寝泊まりし、拠点としている無骨なキャンピングカー。
あそこなら、誰の目も気にすることなく、この妖精からさらに詳しい話を聞くことができるだろう。
「ええ、それが良いでしょう」
バナジウムも承諾し、四人は廃工場からの撤退の準備を整えた。
帰り際、ラピスラズリがふと思い出したように、ふわりとスカートを揺らして妖精に尋ねた。
「そういえば妖精さん。あなたのお名前は、何て言うんですの?」
月明かりの下、半透明の羽をきらめかせながら、妖精はニカッと満面の笑みを浮かべ、夜空に向かって高らかにこう答えた。
「オイラは、ミカタってんだ!」