生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
「そもそも、ことの始まりからしておかしかったんです」
バナジウムの静かな、しかし確信に満ちた声が会議室に響いた。
「ことの、始まり?」
ラピスラズリが、小首を傾げて問い返す。
彼女の瞳には、純粋な疑問が浮かんでいた。
バナジウムは頷き、そして視線を隣に座る少女へと移した。
「コバルトちゃんが、依頼を受けて公園に訪れた、あの日の出来事です」
突然名指しされたコバルトは、目を丸くして自身を指差した。
「……私?」
「そうです。……コバルトちゃんは極めて優秀です。ジュエルにいた頃は、私たち二期生の中で実技トップの実力を持っていましたし、その後あたしの組織に合流してからも、どんな困難な任務もしっかりと完璧にこなしてくれました」
バナジウムは、まるで自慢の姉を褒め称える妹のような、誇らしげなトーンで語った。
それは事実だった。
ぼくが見てきた限りでも、彼女の空間認識能力や身体能力、その洗練された身のこなしは、到底一般人の及ぶところではない。
「な、何よ突然……」
コバルトは、予期せぬストレートな称賛を浴びて顔を真っ赤に染めた。
普段は勝気でツンツンしている彼女が、身内からの素直な褒め言葉には照れてしまうその姿は、なんとも年相応の少女らしくて微笑ましく映る。
バナジウムは微笑み、言葉を続ける。
「ですから、そんなプロフェッショナルであるコバルトちゃんが、任務中にミスを犯すなんて万が一にもあり得ないことなんです」
「うんうん」
コバルトは腕を組み、自慢げに何度も頷いた。
自分の実力を正当に評価されていると感じ、すっかり気を良くしているようだ。
「でも、あの日。コバルトちゃんは、億が一とも言えるような、信じられない大ポカをやらかしました」
「あれっ?」
急に梯子を外されたコバルトは、見事にポカンと口を開け、間抜けな声を出した。
得意げな表情から一転してマヌケ面になった彼女を見て、クロムがプッと噴き出しそうになるのを必死に堪えている。
バナジウムの表情は真剣そのものだった。
彼女は冗談を言っているわけではない。
「あの日、コバルトちゃんのすぐそばに雷が突然落ちました。それに驚いて、コバルトちゃんはセーフティの外れた拳銃を、あろうことか一般人であるイサクさんの前に放り投げてしまったんです」
バナジウムの指摘に、コバルトは「あー……」と言いながら、バツが悪そうに視線を泳がせた。
確かに、暗殺組織で実技トップを誇った彼女なら、いくら近くに落ちたからといっても、雷の音に驚いて商売道具である銃を手放すなどプロとしては考えられない失態だ。
「様々な偶然が、その一瞬で恐ろしいほど噛み合っていたんです。偶々、コバルトちゃんの気が緩んでいたその瞬間に、偶々、雷がすぐ近くに落ちて、偶々、彼女が拳銃を放り投げたその先にいた人物が……偶々、人生に絶望した自殺志願者だった」
バナジウムの言葉を聞いて、ぼくの意識の奥底で、あの日の冷たい雨の感覚が一瞬蘇った。
雨の中、絶望に打ちひしがれていたぼく。
そこへ、まるで天からの啓示のように、金属の冷たい重みを持った拳銃が滑り込んできた。
ぼくはそれを迷うことなく拾い上げ、自らのこめかみに押し当てて引き金を、引いた。
バナジウムは深刻な雰囲気を纏い、全員を見回して言った。
「これほどまでの偶然の一致……あまりにも『非常識』だと思いませんか?」
その問いかけに、会議室の空気が一段と張り詰めた。
確率論で言えば、ゼロに等しい天文学的な数字だ。
──それが現実に起こったという事実。
ここでシナバーが、静かに口を開いた。
「あの公園で見つかった、赤黒い小石のようなオーパーツ。……あのオーパーツは、ボクの知識だと『不幸の石』と呼ばれていたものだ」
シナバーの声は低く、ひどく不吉な響きを持っていた。
「その石は、所有者が次々と、あり得ないような悲劇や不運に襲われるという呪われた逸話を持っていて、忌み嫌われて持ち主を転々としていたんだ。最終的には二束三文のガラクタとして、DOEの元に渡ったらしい。……でも、今のバナジウムの推理を聞くと、その『不幸』の意味について、全く違った解釈ができる」
バナジウムがシナバーの言葉を引き継ぎ、力強く頷いた。
「そうです。その数々の不幸の正体は、単なる呪いなどではなく『あり得ない確率で引き起こされたアクシデント』だったんです」
バナジウムはホワイトボードの前に立ち、マーカーを手にして図を描きながら説明を始めた。
「本来、あたしたちの生活するこの世界では、あらゆる事象の確率は『常識』的な範疇に収まるように機能しています。サイコロを振れば、いずれ必ず一から六の目が均等に出るように。あり得ないことは起こらないようになっている。……ですが、あの石はその『常識』の限界を取っ払ってしまう機能を持っている。確率を極限まで歪め『非常識』を引き起こしているんです」
言わば、強制的に『非常識』を引き起こす石。
その概念を聞いて、ぼくは背筋が寒くなるのを感じた。
あの日の雷も、
コバルトの失態も、
そしてぼくの手元に銃が転がってきたことも。
全てはあの石が周囲の確率を歪め、あり得ない偶然を強制的に発生させた結果だったというのか。
シナバーは目を細め、さらに深い真実へと足を踏み入れた。
「この説に辿り着くと、ボクがかつて深く関わっていた組織、DOE。その悲願。そして、この世界がなぜ今まで滅んでいないのかという、途方もない真相にも辿り着けるんだ」
「……まさか」
クロムが、信じられないものを見るような目でシナバーを見つめ、青ざめた顔で呟いた。
シナバーはこくりと重々しく頷く。
「この世界は、何らかの大いなる意志、あるいはシステムによって『常識』が強く機能している」
とある学者がリンゴの落下を見て重力に気付いたように、当たり前と思っていたものに、この瞬間ぼくらはハッキリと違和感を覚えた。
「物理的な確率も、人々の意識も、一定の枠組みから大きく逸脱しないように制御されているんだ。……本来、世界はもっと混沌としていて、それこそ、とっくの昔に滅亡していてもおかしくなかった筈なんだ。でも、その『常識』という名の安全装置が働いているおかげで、人類は今日まで存続できている」
少しの沈黙の後、バナジウムが総括するように語った。
「あの石は、その常識の枠組みを壊す『偶然の産物』……その象徴とも言える存在です」
「『偶然の産物』……」
シルヴァレッタが低く呟いた。
バナジウムはシルヴァレッタを見つめ、優しい眼差しを向けた。
「シルヴァレッタさんが覚醒している状態でも、イサクさんと話せたと言っていましたよね? あれも、偶然によってその可能性が引き出されたからでしょう。可能性がゼロでさえなければ、何が起こってもおかしくない。それが、偶然の産物の効果なんです」
あの赤黒い小石に触れている間、シルヴァレッタと直接言葉を交わすことができた。
あれもまた、石が引き起こした「非常識な確率の偏り」の恩恵だったのだ。
クロムが、頭を掻きむしりながら疑問を口にした。
「……ってことはよ。あのダイヤモンドの野郎が持ってる『非常識を常識に収める』っていう人工のオーパーツは、その偶然の産物って概念の作用を、逆に辿ることで生み出されたって事か?」
「ええ、そう思われます」
バナジウムが肯定した。
シナバーが皮肉めいた笑みを浮かべて補足する。
「人類の滅びを回避しているシステムそのものが『常識』によるものだというのなら。非常識を常識に収める力を持っているダイヤモンドは『人類を味方につけている』と言っても過言じゃない」
途方もないスケールの話に、会議室のメンバーたちは圧倒されていた。
自分たちが立ち向かおうとしている存在が、世界を存続させている理そのものだという事実。
だが、その壮大なスケールの話を切り裂くように、コバルトが立ち上がり、バンッと長机を両手で叩いた。
「でも! なんでそんなとんでもないものが、あの公園の茂みの中に落ちてたのよ!」
コバルトの叫びはもっともだった。
世界の根幹に関わるようなオーパーツがただの公園に無造作に転がっていたのか。
バナジウムは冷静に答える。
「それも、石の持つ力による『偶然』の連鎖が引き起こしたもの……という可能性も否定できません。ですが、あたしはもう一つ、極めて現実的で、かつ恐ろしい一つの可能性が考えられます」
「可能性、かしら?」
マラカイトが、怪訝な顔で尋ねた。
バナジウムはマラカイトへと視線を向け、静かに問いかけた。
「マラカイト姉さんは、あの夜、コバルトちゃんを見張っていて、イサクさんの自殺の現場を見ていたんですよね? ……プロの狙撃手であるあなたの目から見て、あの時の状況に何か違和感はありませんでしたか?」
マラカイトは美しい眉をひそめ、記憶の糸をたぐるように考え込む素振りを見せた。
「……違和感」
マラカイトは呟き、そしてハッと息を呑んだ。
「イサクはこめかみに銃口を直接押し当てていたわ! なら、弾丸は頭蓋骨を貫通する。……でも、銀色の弾丸は、実際には貫通せず『脳内にとどまった』!」
マラカイトの指摘に、バナジウムはこくりと深く頷いた。
「そうです。本来なら人間のこめかみの硬さだけでは、至近距離からの銃弾は貫通します。……けれど」
バナジウムは、ゴクリと唾を飲み込み、その恐ろしい推論を口にした。
「もし、そこに『金属』のような硬い物体が、あらかじめ埋め込まれていたとしたら? その硬質な抵抗に衝突したことで、銃弾の速度と威力が減衰されて、結果的に脳内に留まるという『可能性』が生まれる。……そして、可能性さえあれば、あの石が引き起こす偶然が作用して、弾丸は脳内の絶妙な位置で止まり、そしてシルヴァレッタさんのチカラによって傷口を塞ぐ形に落ち着く」
その言葉を聞いて、ぼくの右側頭部──
シルヴァレッタが弾丸として定着した場所が、金属の感触で塞がれているあの傷口が、ドクンと脈打った気がした。
「……じゃあ!」
コバルトが、両手で口を覆い、驚愕に見開いた目でシルヴァレッタを見つめた。
シルヴァレッタもまた、バナジウムの推理が導き出した唯一の答えに辿り着き、自らのこめかみに手を当てながら、呟くような声でこう言った。
「偶然の産物は、元々あの公園に落ちていたわけじゃない。ウラベイサクの頭に、埋め込まれていた……」