生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
「『偶然の産物』──あの赤黒い小石のようなオーパーツについてですが、我々の手に負えないと判断しました。そのため、誰の目にも触れず、手の届かない安全な場所に厳重に保管する措置を取っています」
バナジウムが発したその報告を聞いて、ぼくは安堵した。
当然の処置だと思った。
あの石は、ただそこに存在するだけで世界の因果を捻じ曲げ、あり得ない『非常識』な確率を強制的に引き起こす。
下手な使い方をすれば、それこそ世界そのものを崩壊させるきっかけにすらなり得る、途方もなく危険な代物なのだ。
バナジウムはホワイトボードの前に立ち、言葉を続ける。
「今は工場跡地で発見された方、『蠱毒の願望器』について調査を進めています。……あのような忌まわしい代物、二度と使用したくはありません。ですが、この八方塞がりの現状を打破する何らかのきっかけを見つけるには、今はそれしか材料が残されていないのです」
彼女の表情には、かつての仲間たちを犠牲にして成り立っていたシステムを再び掘り返さなければならないという、苦渋の決断が滲み出ていた。
その言葉を受けシナバーが腕を組んで深くため息をついた。
「今、ボクらが所在を知っているオーパーツは、その二つしか無いからね。もし他にも存在していればいいんだけど……」
シナバーが諦め半分に呟いた、その時だった。
「……ありますわ。もう一つ」
純白のゴスロリドレスに身を包んだラピスラズリが、静かに、しかしはっきりとした声で応えた。
「おい、本当か!」
クロムが目を丸くして身を乗り出す。
ラピスラズリがコバルトの方へ視線を向けると、コバルトは小さく頷き、彼女の代わりに答えた。
「ええ、あれも間違いなく常識の範疇を超えた力を持っている」
シナバーが驚愕に目を見開き、「一体どこにそんなものが!」と食い気味に問い詰める。
シルヴァレッタが落ち着いた声で答えた。
「明朗解決ツクヨミの館だ」
⬛︎◆▲
翌日。
抜けるような青空が広がる冬の晴天の下、シルヴァレッタ、コバルト、ラピスラズリ、シナバーの四人、そして一般人には視認できない妖精のミカタを連れた一行は、都心の巨大なターミナル駅へと足を運んでいた。
行き交う大勢の人々の波を縫うようにして進み、彼らが向かったのは駅に直結した巨大な商業ビルの最上階。
フリースペースとして解放されたその一角に、怪しげな紫色のベルベットの布で覆われた小さな占いブースが存在している。
それが『明朗解決ツクヨミの館』だ。
四人がブースの前に立つと、奥に座っていた小柄な老婆が顔を上げた。
彼女こそが、シナバーに何度も助言を与えたという占い師のお婆さんなのだろう。
「あらあら、お嬢ちゃん。久しぶりねぇ!」
占い師のお婆さんはシナバーの顔を見るなり、まるで実の孫に再会したかのように顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに声をかけた。
その声に反応して、シナバーがブースの前に歩み出る。
「お婆ちゃん! 身体を痛めてたって聞いてたけど、もう大丈夫なの?」
シナバーの心からの気遣いに、占い師のお婆さんは「ええ、ええ」と何度も頷きながら、ニコニコと元気そうな姿を見せた。
「無理をしすぎたみたいでね。孫にはすっかり心配と迷惑をかけてしまったわ。でも、見ての通りもうピンピンしてるわよ」
そんな和やかな再会の挨拶が交わされる中、お婆さんはブースの前に立つ面々を不思議そうに見回した。
「ところで、今日は随分と大勢で来てくれたのね。みんなどんな御用件かしら? 恋愛相談? それとも進路の悩み?」
その問いに対し、シルヴァレッタが一歩前に出て、帽子を深く被り直しながら丁寧に問いかけた。
「営業時間中に申し訳ない。実は、どうしても貴女に直接お伺いしたい話がある……後で少々お時間をいただきたいのだが、構わないだろうか」
シルヴァレッタの真剣な声音と、只事ではない雰囲気を感じ取ったのか、お婆さんは少しだけ驚いたような顔をした後、静かに頷いて承諾してくれた。
その日の夜遅く、ネオンが瞬く都心の夜景を一望できる、高級ホテルの最上階に位置するレストランの個室。
シルヴァレッタたちは、お婆さんをディナーに招待していた。
照明が柔らかな光を落とし、純白のテーブルクロスの上には銀の食器が整然と並べられている。
運ばれてくる繊細な料理の数々に、お婆さんは「こんな贅沢、バチが当たってしまいそうだわ」と恐縮しきりだったが、四人は彼女を丁重にもてなした。
食後の紅茶が運ばれ、個室の空気が少しだけリラックスした頃合いを見計らって、シルヴァレッタが静かに本題を切り出した。
「今日、わざわざお時間をいただいたのは他でもない。……貴女の商売道具である、あの白くて丸い球体。貴女が『月』と呼んでいるあの不思議な道具についてだ。恩人から譲り受けたと聞いたが、どんな経緯だったんだ?」
単刀直入なシルヴァレッタの問いかけに、お婆さんはカップを持った手をピタリと止めた。
彼女は柔和な顔つきから、スッと日常の温かさが抜け落ち、遠い過去を見つめるような静かな表情へと変わっていく。
「……あれはね」
お婆さんは、ポツリと呟くように語り始めた。
「アタシの大事な、本当に大事な恩人の、忘れ形見なのよ」
「どんな方だったんですか?」
コバルトが、身を乗り出すようにして真剣な声で尋ねる。
お婆さんは視線を窓の外に広がる眩い夜景へと向ける。
──まるでその光の海の中に、かつての恩人の姿を探しているかのようだった。
「アタシがまだ若かった頃の話よ。この街の片隅で占い師をやっていたわ。当時はね、アタシも他の占い師と同じように、普通の水晶玉やタロットカードを使って、手相を見たりしながら細々と生計を立てていたの。でも、今みたく不思議な力で未来がはっきりと見えていたわけじゃない。ただ、目の前に座る人の悩みを聞いて、その本質を読み解き、背中を押してあげる。そういう占いだったわ」
お婆さんの声は、静かな個室の中で、まるで古い蓄音機から流れるレコードのように郷愁を帯びて響いた。
「あの頃は、本当に激動の時代だったわ。復興に始まり、高度経済成長で街が信じられないスピードで姿を変え、やがて誰もが浮かれたバブルの時代が来て、そして、その泡が弾けて一気に崩壊した。社会の価値観が目まぐるしくひっくり返り続けて、人はみんな、自分という確固たるものを見失っていた。ただ時代という大きな濁流に流されるまま。……そんな時代だったの」
激動のさなかの人々の熱狂と喪失。
ぼくの知識の中にもあるその時代の空気感を、お婆さんは肌で感じながら占い師として多くの人々の迷いと対峙してきたのだろう。
「そんな中だったわ。アタシのブースに、一人の若い女性がやって来たの。ひどく痩せ細っていたのが印象的だった。でもね、目だけは、決して死んでいなかった。真っ直ぐで、悲痛なほどの決意を宿した、強い目をしていたの」
お婆さんは、当時の情景をありありと脳裏に思い浮かべているような、深い愛惜の表情を浮かべて話を続ける。
「彼女は、自分は考古学を学んでいると言ったわ。世界中の歴史を紐解き、真実を探求する素晴らしい学問よ。……それなのに、彼女はアタシにこんな悲しい質問をしてきたの。『今までの全てを捨てて、幸せを追い求めるべきでしょうか』って」
考古学を学んでいる女性。
歴史探究という名目のためなら手段を選ばず、世界中から遺物を盗み出し、やがて金銭欲に魅入られて腐敗していったという組織、DOE。
その女性は、もしかするとまだ純粋な理念を持っていた方のメンバーだったのではないか。
組織が変質していく中で、己の信念と現実との間に挟まれ、苦悩していたのだとしたら。
「ああ、この子は今、とてつもない絶望の淵に立たされて、追い詰められているんだ。……アタシは直感でそう感じたわ。だから、いつも通りの占いの手順を丁寧に取りながら、彼女の心の奥底に絡みついている糸を、一つずつゆっくりと探っていったの。そうしたら、彼女をそこまで追い詰めている『幸せ』の正体が、ハッキリと見えたわ」
「……それは、何ですの?」
ラピスラズリが、息を呑むようにして問いかけた。
お婆さんは、哀しげに首を横に振りながら、重々しい口調で答えた。
「お金よ」
その二文字が放たれた瞬間。
シナバーの顔が、ハッと強張った。
彼女の人懐っこい顔立ちが苦痛に歪み、まるで自らの古傷を抉られたかのような沈痛な表情を浮かべたのだ。
彼女がかつて所属していた、研究に勤しんでいた方のDOEという組織。
金銭欲の呪縛から逃れ大義を保つも、限界集落のように朽ちていった組織と、女性の悩み。
その二つに符号を感じたのかもしれない。
「お金があれば、確かに人は幸せになれるわ。生活は豊かになり、苦労は消える。でもね、アタシは彼女の心を見た。今までの自分の信念、仲間、研究……その全てと引き換えにしてまでお金を手に入れることは、彼女の心にとって絶対に健康的じゃない。もしそんな選択をすれば、彼女は心を完全に壊してしまう。それはアタシには痛いほど分かったわ」
お婆さんは、カップの縁を指でなぞりながら、言葉を紡いだ。
「だから、アタシは彼女の目を真っ直ぐに見て、こう言ってやったの。『追い求めるのではなく、寄り添えるものに身を委ねなさい』って。貴方が本当に大切にしたいものは、きっと違うんだって……そう願って」
その助言は、迷える女性の心を根底から揺さぶったのだろう。
「そうしたら……そのお客さんはボロボロと泣き崩れてしまったの。大声を上げて、子供のように泣きじゃくってね。アタシは、ただ彼女の背中をさすって、あやす事しか出来なかったわ」
お婆さんの瞳に、うっすらと涙が浮かび始めた。
「ひとしきり泣いて落ち着いた後、彼女はアタシに深く頭を下げて、占いの代金を払ってくれた。その後、あの白い球──月をアタシに預けたの。『必ず取りに戻るから、それまでどうか預かってください』って」
女性はそこで一度言葉を切り、そして、まるで遺言のようにこう言い残したという。
「『もし、わたしが死んでいたら、その月は自由に使ってください。それは、本当に未来を見通す月です。貴女になら、この月を託せます』……とね」
お婆さんの顔が、深い悲しみと後悔で痛切に歪んだ。
個室の静寂が、より一層重く、冷たく感じられる。
「翌週。アタシは朝の新聞で、小さなベタ記事を見つけたわ。若い女性が、遺体となって発見されたという報道をね。……写真は、あの子の顔だった。記事によれば、どこかに長時間監禁され、残忍な殺され方をされたという見方が強いって話だったわ」
息を呑む音が、個室のあちこちから漏れた。
組織の裏切り者として、あるいは組織の秘密を持ち出した者として、凄惨な制裁を受けたのだろうか。
それが裏社会の、そしてオーパーツという世界の理を狂わせる力に魅入られた者たちの末路。
お婆さんは、両手で顔を覆い、ポロポロと涙をこぼし始めた。
「白状するわ。最初、アタシはその新聞記事を見て、恐怖で震えが止まらなかった。あの月を持っているアタシのところにも、得体の知れない連中がやって来て、あの子と同じように残忍に殺されてしまうんじゃないかって。……夜も眠れず、物音に怯える日々が続いたの」
彼女は震える声で、自らの弱さを吐露した。
「でもね……何年も経って、アタシがこうして平穏な生活を過ごせているうちに、ようやくハッキリと気づいたのよ。あの子は酷い拷問に耐え抜いて、息絶える最後の瞬間まで、アタシのことや月の在り処について、ひと言も喋らなかったんだって」
お婆さんの目から溢れる涙が、テーブルクロスにいくつもの染みを作っていく。
「あの子は、命にかえてまで、見ず知らずの占い師であるアタシを守り抜いてくれたのよ。……なら、アタシはその気高い気持ちに応えるべきだ。そう思って、アタシはあの子から託された『月』を、占いの道具として使うようになったの。そうしたら……本当に、人の未来を正確に言い当ててしまうのよ。この月はね」
お婆さんの壮絶な告白に、シルヴァレッタたちは言葉を失い、ただ沈痛な面持ちで俯くことしかできなかった。
圧倒的な暴力と恐怖の前に屈することなく、己の命を賭して一つの遺物と、占い師の命を守り抜いた名もなき女性。
その壮絶な覚悟の重さが、彼らの心に深く突き刺さっていた。
重苦しい、追悼のような静寂が流れる中。
ずっとシルヴァレッタの隣で黙って話を聞いていた妖精のミカタが、宙にふわりと浮かび上がり、半透明の羽を力なく垂れ下げたまま、ポツリと、ひどく掠れた声で呟いた。
「イノチに、かえてまで……」
その小さな呟きには、かつて「ウラベイサク」という名を聞いて泣き崩れた時と同じような、底知れぬ悲哀と、どこか深い喪失感が込められているように、ぼくには聞こえた。