生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
消毒液の鼻を突く匂い。
シルヴァレッタがゆっくりと重い目蓋を開くと、無機質で清潔な病院の一室にいた。
白い壁、点滴のスタンド、そして窓から差し込む白々とした陽光。
ぼくの意識もまた、彼の視覚を通して同時に覚醒を果たしていた。
──そうか、ぼくは残りカスだったのか。
シルヴァレッタの意識の裏側で、ぼくは安堵した。
つい先ほどまで見ていた、あの途方もなく美しく、そして悲しい星空の夢。
完全体の『ウラベイサク』と思われる存在が、ソラハキミト少年と語り合い、最後に「ぼくの残りカスたちを助けてくれ」と言い残して消えていった光景。
つまり、あの『ウラベイサク』が本物で、今こうしてシルヴァレッタの頭の片隅にへばりついているぼくは、文字通り『残りカス』ということになるのだろう。
自分が単なる残滓であると突きつけられたことが、スッと腑に落ちて、ぼくはとても心地良かった。
「……ねえ」
不意に、隣から声がした。
シルヴァレッタが首だけを動かして視線を向けると、隣のベッドにはコバルトが横たわっていた。
彼女もまた、つい今しがた目を覚ましたところらしい。
まだ少しぼんやりとした様子で、けれど確かな鋭さを瞳に宿してこちらを見つめている。
「今の夢……いや。その前にシルヴァレッタ。アンタ、夢は見た?」
コバルトの唐突な問いかけに、シルヴァレッタは静かにコクンと頷いた。
「ああ。見た」
「どんな夢?」
「ウラベイサクと、ソラハキミトが……どこまでも続く星空の下の水面で、語り合っていた」
シルヴァレッタが淡々と夢の内容を語ると、コバルトは息を呑んで目を丸くした。
「……やっぱり。私も全く同じ夢を見たわ」
彼女の言葉から、ぼくは推測した。
あの星空の空間は個人の脳内ではなく、もっと広い、魂のネットワークで辿り着く場所。
つまり、この世とあの世を橋渡しする、三途の川と呼ばれるような場所だったのだろう。
そんなぼくの思考を遮るように、ピョコピョコと不審な音が病室の床から響いた。
シルヴァレッタとコバルトが横になったまま同時に視線を落とすと、シルヴァレッタのベッドの下から、こそーっと申し訳なさそうに覗く小さな影があった。
それは、あの星空の夢の中の『ぼく』が救済し、シルヴァレッタたちを助けるよう託した存在。
『ミカタ』だった。
「ご、ゴメンよ……」
ミカタは、ベッドの下から這い出してくると、ぺたんと座り込み、深く頭を下げた。
「オイラのせいで、皆に迷惑かけちまった。病院に運ばれるような事になって……本当に、すまねぇ」
その言葉には、重たい罪悪感が込められていた。
しかし、コバルトたちにとって優先したい話はそんな事ではない。
彼女はベッドの上から身を乗り出し、強い口調で問い詰めた。
「そんな事よりも、ミカタ! アンタ、自分の正体は思い出せたの!?」
その切実な問いに対し、ミカタはビクッと肩を震わせた後、ゆっくりと、重々しくコクンと頷いた。
そして、消え入りそうな、今にも泣き出しそうな声で答えた。
「……オイラ、ソラハキミト、だった」
五十年前の世界的テロの実行犯として処刑された少年。
それがミカタの正体だった。
シルヴァレッタがミカタに問いかける。
「ミカタ。夢の中で、ウラベイサクが俺たちの『助けになる』と言っていたが、何か心当たりはあるか?」
シルヴァレッタの直球の質問に、ミカタは顔を上げ、うーん、と短く唸って小さな腕を組んだ。
「助けになるって言われてもなぁ、チカラを分けてやるくらいしか……。オイラ、それぐらいしか出来ないぜ?」
ミカタの能力。
それは、対象にエネルギーを送り込み、その者の潜在的な力を引き出すというもの。
だが、それがどう状況を打開する「助け」になるというのだろうか。
しかし、シルヴァレッタの眼には、確信めいた光が宿っていた。
「……俺に使ってみてくれ」
シルヴァレッタが真剣な顔で提案する。
「ど、どういう事?」
コバルトが眉をひそめて尋ねる。
シルヴァレッタは、ゆっくりと上体を起こし、自らの仮説を口にした。
「今の夢で確信した。……俺は、おそらく勇者だ」
そう来たか。
「勇者……?」
コバルトが呆けたような声を出す。
シルヴァレッタは、自らの推論を丁寧に語り始めた。
「あの日、俺が大ちゃんの着ぐるみを着て、ダイヤモンドを撃退した時……いくら何でも出来過ぎた話だと思っていたんだ」
あの夜の死闘。
圧倒的な力を持つダイヤモンドに対し、シルヴァレッタはアニメのマスコットキャラクター「大ちゃん」の着ぐるみを着ることで、信じられないほどの戦闘力を発揮した。
「あの日、俺は着ぐるみを着て、正義のヒーローである『大ちゃん』、つまり勇者になりきった。けれど、それだけで人類の『常識』が俺を勇者と認定するとは思えない。この世界を覆う『常識』のルールで補完するには、もうひと押し、決定的な要素が必要だったはずだ」
シルヴァレッタの言葉に、コバルトはハッとして息を呑んだ。
「……中身が、本物の勇者だったから?」
シルヴァレッタは静かにこくりと頷いた。
「あの日、俺に勇者であるという自覚は無かった。だが、世界を形作る『常識』にとっては、そんな個人の自覚はどうでもよかったんだ。外見と、中身。その二つが揃っていた。それだけで充分だったんだ。だからあの日、俺は世界からの補正を受け、とてつもない力を発揮できた」
意思を持つ銀色の弾丸。
どんな傷も癒える不死身の肉体。
そして、睡眠を必要としないバケモノじみたスペック。
それらはすべて。
彼がこの世界における「勇者」という特異点として存在しているからだと考えれば、確かに説明がつく。
シルヴァレッタは、ベッドの下にいるミカタを真っ直ぐに見据えた。
「だから、ここで俺が誰のガワも借りず、俺自身として『勇者の力』を自覚し、引き出すことができれば……必ずコバルトたちの助けになれる。そう考えた」
そして、彼は隣のベッドのコバルトを見た。
一切の揺らぎもない、真摯な瞳で。
「信じてくれるか?」
コバルトは、しばらくの間シルヴァレッタの目を見つめ返していた。
やがて、彼女は小さくため息をつき、困ったような、けれどどこか安心しきったような笑顔を浮かべた。
「……勝手にしなさい」
その言葉は、彼への全幅の信頼の証だった。
「シヴァっさんにパワーを送ればいいんだな?」
ミカタが、意気込みを見せるように小さな両拳を握りしめて確認する。
「頼む」
シルヴァレッタが短く答え、ベッドの上に胡座をかいてミカタの目を見つめた。
ミカタはシルヴァレッタの前に立つと、「うおおおおお!」と気合いの声を上げ、両手からエネルギーの波動をシルヴァレッタに向けて放射した。
直後。
「っぐ……!」
シルヴァレッタが、顔を苦痛に歪めて呻き声を上げた。
彼の右側頭部。
かつてぼくが撃ち抜いた傷跡を塞いでいる「銀色の金属」が、ドクン、ドクンと、まるで心臓のように不気味に脈動し始めたのだ。
「大丈夫!?」
コバルトが慌てて身を乗り出す。
「続けてくれ……!」
シルヴァレッタは歯を食いしばりながら、ミカタに指示を出した。
ミカタは「わ、分かった!」と頷き、さらに出力を上げてパワーを送り込み続ける。
右側頭部の銀色の脈動はさらに激しさを増し、やがて皮膚を押し上げるようにして、メキメキと形を変え始めた。
鈍く光る金属が、まるで生き物のように伸び上がり、一本の太く鋭い「ツノ」のような形状になっていく。
「ぐ、ぐぅぅぅ……!」
シルヴァレッタは苦悶の声を漏らしながら、おもむろに自らの右手を持ち上げ、その生え出した銀色のツノをガシッと力強く掴んだ。
そして──
ベキッ!!!
乾いた、およそ人体から鳴るべきではない硬質な音が病室に響き渡った。
シルヴァレッタは、自分の頭から生えた金属のツノを、自らの腕力で根元からへし折った。
折っちゃった。
「…………は?」
コバルトが、完全に理解の範疇を超えた光景を前に、間の抜けた声を出して惚けた。
しかし、当のシルヴァレッタは、手に握った銀色のツノの断片を見つめながら、「ふう」と、ひどく満足げにため息をついた。
頭部の傷跡は、ツノが折れた直後に何事もなかったかのように再び滑らかな金属で塞がっている。
「説明しなさい!」
我に返ったコバルトが、怒鳴り声を上げた。
無理もない。
自称勇者が力を覚醒させたのかと思ったら、頭から生えたツノを自力でもぎ取っただけで満足しているのだ。
「すまない、言葉で説明するのは難しいんだが……」
シルヴァレッタは、手の中の銀色の断片をコバルトに見せながら言った。
「このツノをバナジウムに渡そう」
その声には、一切の迷いがなかった。
⬛︎◆▲
数日後。
シルヴァレッタの直感は、見事に的中することになる。
バナジウムたちによる昼夜を問わない解析の結果、あの銀色のツノは、とんでもない効能を秘めた物質であることが判明したのだ。
──それは、特殊な加工を経ることで『血清』へと姿を変えた。
この血清を投与すると、一定時間、世界を覆う『常識のルール』からの干渉を完全にシャットアウトし、使用者自身の『非常識』な能力や状態を維持できる可能性が高いという、まさに打ってつけのお助けアイテムとなった。
敵がどれだけ『常識』を操作して現実を捻じ曲げてこようとも、この血清を打っていれば、その影響を受けることなく戦うことができる。
これからの戦いにおいて、これ以上ない切り札となることは間違いなかった。
キャンピングカーで、完成したアタッシュケース入りの血清の小瓶を前に、シルヴァレッタは平然とした顔でコバルトたちに告げる。
「足りなくなったら言ってくれ。また収穫する」
俺のツノをお食べ。
自分の頭の金属をへし折って仲間に提供する、自給自足の勇者という前代未聞の事態が発生した。
便利だけど、便利だけどさぁ……!
勇者なんだったら、もっとこう、カッコいい設定が良かったなぁ!
「本当に、これもミカタのおかげだ。ありがとう」
シルヴァレッタは、肩のあたりに浮いているミカタに向かって、心からの感謝を伝えた。
彼がシルヴァレッタの潜在能力を引き出してくれなければ、この血清を生み出すことはできなかった。
「へへ、オイラ、ちょっとは役に立てたか?」
ミカタは照れくさそうに頭を掻きながら笑った。
「ああ、大いにな。……ミカタ、どこか行きたいところはあるか? 礼と言っては何だが、俺たちが連れて行く」
シルヴァレッタがそう尋ねると、ミカタの顔からへらへらとした笑みが消え。
──静かな、けれど強い決意を秘めた表情へと変わった。
彼は真っ直ぐにシルヴァレッタを見上げて、こう言った。
「オイラ、スイじっちゃんの墓参りがしたい」