生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
シルヴァレッタ、コバルト、ミカタの一行は地方のターミナル駅を訪れていた。
彼らはクロガネから共有された地図データを頼りに、いくつもの景色を通り過ぎていく。
新幹線を降りた後は、ガタゴトと規則的な音を立てるローカル線の電車へと乗り継ぐ。
そして古びた路線バスに揺られた、その先が旅の目的地だった。
都市の喧騒はとうの昔に過ぎ去り、車窓からの景色は緑豊かな山裾と、どこまでも高く広がる青空。
そうして一行が降り立ったのは、静寂に包まれた地方の霊園。
──そこは、丘の斜面を切り拓かれて作られた、見晴らしのいい場所だった。
吹き抜ける風が木々の葉を揺らし、眼下には小さくなった街並みが穏やかに広がっている。
その静かな景色を見守るかのように、ウラベキミトの墓石はひっそりと佇んでいた。
「私、管理者に酒を墓石に注いでもいいか確認とってくるね」
コバルトが周囲を見渡してそう言うと、来た道を引き返し、霊園の入り口にある管理小屋へと小走りで向かっていった。
彼女の足音が遠ざかると、区画には再び静寂が降りる。
シルヴァレッタは、冷たい石の前に浮かぶ小さな影を見つめ、静かに問いかけた。
「アカシャウスイは、どんな人だったんだ」
その問いに、ミカタは空中でゆっくりと振り返った。
半透明の羽の動きが、わずかに緩やかになる。
「スイじっちゃんは、オイラの恩人だ」
ミカタは答えた。
妖精としての無邪気さはなく、五十年前の記憶を反芻するひとりの人間の表情が浮かんでいた。
「仕事をくれただけじゃなく、いろんな話も聞いてくれたんだ。本当に、色んな……」
そこで言葉を切ると、ミカタは遠い目をして遠くの空を見つめた。
工場で泥だらけになって働いていた日々。
そして、自分のようなちっぽけな少年の言葉にも真っ直ぐ耳を傾けてくれた、ひとりの老人の温かい眼差し。
ミカタの脳裏に思い出が蘇る。
その姿をシルヴァレッタはただ、じっと静かに見つめていた。
やがて、ミカタは小さく息を吐き、ポツリと呟いた。
「変な気分なんだな、オイラ自身の墓を見るのって」
「……そうだったな。肉体はミカタの、ソラハキミトのものだった」
シルヴァレッタが淡々と事実を返すと、ミカタはコクリと頷いた。
五十年前、死刑執行された少年テロリスト『ソラハキミト』の身体に、『アカシャウスイ』の魂が乗り移った事で、彼はウラベキミトとして生きた。
この墓石には、ミカタ自身の肉体だった骨と同時に、恩人の魂が眠っているのだ。
「生き返ったって実感もないからさ……この姿も受け入れてはいるんだぜ。でも、ここはオイラの場所でもあって、スイじっちゃんの心が眠ってる。なんだか、そういう気持ちになってるんだ」
どこか割り切れない、けれど確かな愛着を孕んだ感想を口にするミカタ。
その言葉が風に溶けた頃、砂利を踏む軽い足音と共にコバルトが戻ってきた。
彼女の手には、木製の柄杓と水を張った桶が握られていた。
「ダメかと思ったけど、『後で水をしっかり掛けてくれれば良いよ』って言ってもらえたわ」
安堵したようなコバルトの報告を受け、シルヴァレッタは背負っていたバッグを静かに地面に下ろす。
中から取り出されたのは、ずしりと重い一升瓶の酒と、透明なグラスのコップが二つ。
「ミカタ」
シルヴァレッタは、墓石の前の平らな石段にそれらを並べると、ミカタに向き直った。
「俺たちは場を外す。二人で存分に語り合ってくれ」
そう言って、彼は酒とコップをミカタへと手渡すように示した。
その最大限の配慮にミカタは居住まいを正し、深く頭を下げた。
「ありがとうな、二人とも」
シルヴァレッタとコバルトは無言で頷き合い、ミカタに背を向けて遠くへと歩き出した。
二人の背中が木立の向こうに消え、完全に姿が見えなくなったことを確認すると。
ミカタは大きく深呼吸をして、目の前の冷たい墓石へと向き直った。
「スイじっちゃん、久しぶり」
ポツリとこぼれ落ちたその声には、懐かしさと、少しの気恥ずかしさが混じっていた。
「オイラ、妖精になっちまった」
エヘヘ、と笑うミカタの顔は、かつて工場で無邪気に笑っていた少年の面影そのものだった。
彼は半透明の羽を揺らしながら、ゆっくりと墓石に近づいていく。
「聞いたよ。スイじっちゃん、人類の救済なんて目標掲げてド派手に活動したんだって? やっぱ、じっちゃんはスゲーや。オイラなんて、工場で走り回るのがせいぜいだったぜ」
世界の裏で暗躍し、途方もない野望を抱き続けた男の足跡。
それを聞いた時の驚きを、ミカタは素直な気持ちで墓石に向かって褒め称えた。
どれほど強大な存在になろうと、ミカタにとって彼は、
──自分を拾ってくれた、優しい『スイじっちゃん』のままだった。
「……今日は、約束を果たしに来たんだ」
ミカタは、小さな手で一升瓶を抱え込むようにして持ち上げた。
「酒、持ってきたよ。一緒に飲もうぜ」
トクトクと、澄んだ音が静かな霊園に響く。
ミカタは二つのグラスに並々と酒を注ぐと、その片方を墓石の前にそっと置いた。
そして、もう一つのグラスを両手でしっかりと持ち上げる。
「カンパイ」
ミカタが自分の持っているグラスを墓石の前のグラスにコツンと当てる。
硬く涼やかな音が鳴った。
「先にじっちゃんから飲みなよ」
ミカタはそう言って持っていたグラスを一旦置き、墓石の前に置かれていたグラスを持ち上げ、中の酒を惜しげもなく墓石へと注ぎかけた。
透明な液体が石肌を濡らし、墓石を濃い色へと変えていく。
「……美味いか? じっちゃん」
ミカタは優しく尋ねた。
風が吹き抜けるだけで、
返事は当然、無い。
それでもミカタは、嬉しそうに目を細めていた。
「それじゃあオイラも、いただきます」
ミカタは両手でグラスを持ち、グイッと酒を呷った。
アルコールの熱が喉を焼き、胸の奥へと落ちていく。
「プハー!」
ミカタは大きく息を吐き出し、パァッと顔を輝かせた。
「美味ぇな、酒って! やっぱオイラ、酒に強かったみてぇだ」
初めて味わう酒の旨さに感動し、無邪気な感想をこぼすミカタ。
しかし、その満面の笑顔は──次第に翳りを見せ始めた。
「なあ、じっちゃん。聞いたよ」
ミカタの顔が、だんだんと暗く曇っていく。
グラスを握る腕が、微かに震えていた。
「オイラが死んだ日に、じっちゃんも死んだんだってな。オイラがヤケにならなくても、じっちゃんとは酒が飲めなかったんだって。……だから、仕方がなかったんだって」
運命だったのだと。
誰もが納得しそうな残酷な事実。
共に酒を酌み交わす未来など
──最初からどこにも存在しなかったのだ。
「違う、違うんだ」
ミカタは、震える声で呟いた。
「そんなんじゃない、そうじゃないんだ……!」
ぽたり、と。
大粒の涙がグラスの中に落ちた。
それを皮切りに、ミカタの大きな瞳からボロボロと涙が溢れ出した。
「オイラは、じっちゃんとの約束を守れなかった。一生懸命働くって約束したのに、オイラは破っちまったんだ!」
静寂の霊園に、ミカタの悲痛な慟哭が響き渡った。
理不尽な運命に翻弄され、テロの実行犯として命を落とした絶望。
真っ直ぐに生きると誓ったあの夏の日の約束を、自らの手で汚してしまったという消えない罪悪感が、ミカタの心を、ずっと、ズタズタに引き裂き続けていた。
「だから、だから本当は! じっちゃんと酒を飲む資格なんて、ないんだ!」
ミカタは声を張り上げて叫んだ。
涙が羽を濡らし、小さな身体が激しく震える。
「でも、でも!」
ミカタは頭をブンブンと強く振って、涙を撒き散らす。
どれだけ自分が愚かであろうと、
どれだけ資格がなかろうと、
──どうしても捨てきれない想いがあった。
「オイラはどうしても! じっちゃんと酒が飲みたかった! ずっとこの日を、オイラの手で失ったんだって後悔してた! 何度も何度も夢に見て、目が覚めて、オイラはなんてバカなことをしちまったんだって……苦しかったんだ!」
それは。
ソラハキミトが冷たく暗い獄中で死刑執行を待つ間に味わった、張り裂けるような絶望の記憶。
二度と戻らない日々への渇望。
取り返しのつかない過ちへの激しい悔恨。
「オイラは、オイラは! じっちゃんと酒が飲みたかった! 飲みたかったよ、じっちゃん……!」
ミカタは墓石にすがりつくようにして号泣し、言葉にならない叫びを霊園の空へと放った。
悲痛な声がこだましても、
返事はやはり、無い。
ただ、冷たい風がミカタの震える背中を──優しく撫でていくだけだった。
◆
どれくらいの時間が経っただろうか。
ひとしきり泣き晴らしたミカタは、腕で乱暴に顔を拭うと、すっきりとした顔で墓石を見つめた。
その瞳には、先ほどまでの絶望は消え、透き通るような強い意志が宿っていた。
「オイラ、今はじっちゃんの敵と一緒にいるんだ」
ミカタは、少し照れくさそうにエヘヘと笑った。
「みんな良いやつでさ、オイラ、とっても可愛がってもらってんだぜ」
自分を見つけてくれたシルヴァレッタ、優しく接してくれるコバルト。
彼らはウラベキミトの野望を壊すために動いているが、ミカタにとっては大切な新しい居場所なのだ。
「じっちゃんの野望も、じっちゃんと仲の良かったダイヤモンドってヤツも、今はオイラの敵なんだ」
ミカタはスッと空中に浮かび上がり、墓石を見下ろして高らかに宣言した。
「今日はそれを伝えにきた。センセンフコクってヤツだ!」
風が吹き抜け、霊園の木々がザワザワと鳴る。
ミカタは両拳をギュッと握りしめ、かつての恩人に向かって真っ直ぐに言い放った。
「オイラ達が勝つよ! それがどんな結果になるかは分からないけど、オイラはシヴァっさん達の味方になる。そう決めたんだ!」
過去の呪縛を断ち切り、今を生きる者たちと共に未来へ進むという決意。
「…………だから、だからさ」
ミカタは、ふわりと墓石に近づき、その冷たい表面を小さな手で優しく撫でた。
「喧嘩が全部終わって平和になったら、また来るよ」
その言葉には、今度こそ守り抜くという確かな強い響きが籠っていた。
「ううん、何度だって来る。オイラの一生を、じっちゃんに尽くすって──今度こそ約束する」
それは、妖精として悠久の時を過ごすかもしれないミカタにとって。
永遠を誓うに等しい、魂の契約だった。
──かつて果たせなかった「一生懸命」の約束を、誓うのだ。
「だから今だけはバイバイだ、じっちゃん」
ミカタはそう言うと、小さな手をブンブンと大きく振った。
そして、未練を断ち切るようにクルリと振り返り、シルヴァレッタとコバルトが待つ石段の下へと向かって飛び始めた。
「へへ、シッケーシッケー」
ミカタは機嫌よく、かつてアカシャウスイから教わった言葉を口にしながら歩みだす。
その軽やかな呟きは、澄み切った冷たい風に乗り、果てしなく広がる青い大空へと溶けて消えていった。
見上げれば
雲一つない無限の蒼穹が広がっている
過去の罪も 未来への誓いも
全てを優しく包み込むような
果てしない空が続いていく
空は
これからも共に──