生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
三月十四日。
西へ向かう列車の車窓には、朝の眩しい陽光が差し込んでいた。
都心のビル群は次第に姿を消し、代わりに緑豊かな丘陵地帯。
そして広々とした住宅街のパノラマが広がっていく。
シルヴァレッタ、コバルト、ラピスラズリ、ミカタの一行は小旅行を楽しんでいた。
列車は目的地のターミナル駅へと滑り込む。
そこは広大なペデストリアンデッキが幾重にも交差しており、家族連れや若者たちで溢れかえっていた。
改札を抜けて巨大なアーケードが覆う駅のエントランスへと向かうと、待ち合わせの場所に一人の少女が立っていた。
ジャージの上着に、ひざ丈のスカート。
そして彼女の手には、百円均一ショップで買ってきたような、ちゃっちい黄色の三角旗が握られていた。
かつてコバルトたちと同じ暗殺組織で育ち、今は『迫害同盟』という団体に身を寄せている少女、マイカだ。
彼女はシルヴァレッタたちの姿を認めると、パァッと顔を輝かせ、三角旗を頭上でパタパタと振り回した。
「いやーみなさん。おいでやすー」
気の抜けた、しかし心からの歓迎の声がエントランスに響く。
マイカは少し照れくさそうに笑いながら、一行を出迎えた。
その姿を見たラピスラズリが、ふわりと駆け寄る。
彼女の今日の装いも、フリルがふんだんにあしらわれた純白のゴスロリドレスだ。
「マイカ、元気そうで安心しましたわ」
ラピスラズリは、生き別れていた姉妹との再会を心から喜ぶように、安堵の笑みを浮かべた。
かつては組織の過酷な訓練の中で共に生き抜いた仲だ。
こうして平和な休日の日差しの下で顔を合わせられることが、何よりも嬉しいのだろう。
マイカは、ラピスラズリの豪華なドレスをまじまじと見つめ、感嘆の声を漏らした。
「ラピねーちゃん、すっごいゴスロリだね。目立ってるよー」
マイカの無邪気な指摘に対し、ラピスラズリは照れるどころか、自慢の衣装を披露するように、くるりとその場で一回転してみせた。
ふんだんに使われた純白のレースとフリルが、春の風を孕んでフワッと大きく広がる。
まるで精巧なビスクドールが意思を持って踊っているかのようなその愛らしさに、道行く人々も思わず足を止めて見惚れるほどだった。
ラピスラズリはスカートの裾を優雅につまみ、にっこりと微笑んだ。
「マイカ、今日はよろしくね」
コバルトが一歩前に出て、今日の観光案内役を引き受けてくれたマイカに激励の声をかけた。
休日の女子中学生のような装いのコバルトだが、その瞳にはかつての戦友に対する確かな信頼が宿っている。
するとマイカは、三角旗を肩に担ぐようにして、少しだけ面倒くさそうな、それでいて呆れたような顔をして口を開いた。
「ちょいコバルトに言っておきたいんだけどさ」
「何かしら?」
コバルトが不思議そうに首を傾げると、マイカはため息交じりに抗議した。
「バナジウムに、急に色々送ってくるのはビビるから勘弁してって言っといてほしいっす。雇用契約書やら血清のアンプルやら、まじビビった、あてぃし」
バナジウム。
コバルトたちをまとめ上げている、理知的なリーダー格の少女だ。
彼女の仕事の早さは筋金入りだが、まさか再会もそこそこに、一方的に雇用契約書とアンプルを送りつけるとは。
バナジウムの行動の速さと合理主義は、相手にとっては恐怖すら覚えるような代物なんだな、とぼくは思った。
「あ、あはは……分かったわ、伝えておく」
コバルトもバナジウムのやり口には苦笑するしかなかったようだ。
しかし、マイカの抗議はそれだけでは終わらなかった。
彼女は思い出したように、ジト目でコバルトを睨みつけた。
「あと、何? あの組織名。『コバルトちゃんの──」
マイカがその先を言いかけた瞬間、コバルトの顔がカッと茹でダコのように真っ赤に染まった。
「わー! わー!」
コバルトは両手を激しく振って、マイカの言葉を大声で掻き消そうとした。
『コバルトちゃんの好きにさせ隊』という、バナジウムが勝手に命名したふざけた組織名。
それをこんな人が行き交う往来のど真ん中で呼ばれることなど、年頃の少女の羞恥心が耐えられるはずもない。
顔を真っ赤にして必死に静止するコバルトと、きょとんとするマイカ。
シルヴァレッタとラピスラズリ、そして空中を飛び回るミカタは、そんな二人の賑やかなやり取りを、どこか温かく、微笑ましいものとして見つめていた。
「さて、まずは博物館!」
一頻りの騒ぎが落ち着いた後、マイカは気を取り直したように三角旗を前方に突き出した。
彼女が先導して向かったのは、駅から少し歩いた先にある、近代的なビルの中に併設された郷土資料館だった。
「この街はさ、昔から絹織物がすっごい盛んだったらしいんすよ」
マイカの案内で館内に入ると、そこにはこの土地が歩んできた重厚な歴史が静かに展示されていた。
養蚕から糸を紡ぎ、機織り機で布を織り上げるまでの工程が、精巧なジオラマや当時の道具とともに解説されている。
シルヴァレッタは、古びた木製の機織り機の前で立ち止まり、その複雑な構造を食い入るように見つめていた。
彼自身のルーツ、オーパーツという過去の遺物から来る探求心が、こうした歴史的な展示物に対する興味を掻き立てるのだろう。
「美しい布ですわね」と、ラピスラズリは展示されている豪奢な着物に見惚れている。
彼女の純白のドレスとは全く異なる和の美しさに、純粋な好奇心を刺激されたようだ。
一般人には見えないミカタは、「おー、懐かしいなー!」と展示されている蚕の繭の模型の周りをブンブンと飛び回って喜んでいる。
コバルトは真面目な顔で解説のパネルを読み込み、マイカの適当なガイドを補足するように歴史の知識を吸収していた。
それぞれが思い思いのペースで、この街の過去と文化に触れる時間は、かつての血生臭い日常からは想像もつかないほど穏やかなものだった。
博物館を堪能し、時計の針が正午を回った頃。
マイカは一行を連れて、駅前の路地裏にある小さなラーメン屋へと案内した。
「この街に来たら、コレ一択っしょ!」
自信満々に暖簾をくぐるマイカ。
カウンター席に並んで座り、注文したラーメンが目の前に運ばれてくると、香ばしい醤油の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
そのラーメンは、一見すると昔ながらのシンプルな中華そばのようだった。
しかし、スープの表面には透明なラードの層がキラキラと浮いており、何よりも目を引くのは、丼の中央にこんもりと盛られた『刻み玉ねぎ』だった。
「玉ねぎ……?」
コバルトが不思議そうに呟く。
一般的なラーメンのトッピングであるネギの代わりに、細かく刻まれた生の玉ねぎがたっぷりと乗っているのだ。
「騙されたと思って食べてみ」とマイカに促され、シルヴァレッタがレンゲでスープを一口すする。
濃口の醤油と出汁の深い旨味、そして表面のラードがコクを加えている。
そこに、シャキシャキとした刻み玉ねぎの辛味と甘味が絶妙に絡み合い、こってりとしているのに後味は驚くほどさっぱりとしていた。
「……美味いな」
シルヴァレッタが短く、しかし実感のこもった声で呟くと、コバルトも麺をすすりながら目を輝かせた。
「本当ね! 玉ねぎのシャキシャキした食感が、濃いめの醤油スープとすごくよく合うわ。ラードのおかげでスープもずっと熱いままだし、考えられてるわね」
「お上品な味とは少し違いますが、これはこれで後を引く美味しさですわ」
ラピスラズリも、純白のドレスを汚さないように慎重に麺をすすりながら、満足げに微笑んだ。
ミカタはシルヴァレッタの肩に止まり、「オイラも! オイラも!」と懇願したので、周りに気付かれないように、彼の口へと麺を運んだ。
ミカタは「うっめー!」とご機嫌な様子だった。
腹ごしらえを終えた一行は、再び午後の陽射しの中へ歩み出た。
「後は、この街自慢の複数の商店街巡りっす。街ブラしまくりんぐ!」
マイカが上機嫌で三角旗を振る。
駅前からは放射状に何本もの大きな通りが伸びており、それぞれが活気ある商店街を形成していた。
一行はまず、石畳の歩行者専用道路へと足を踏み入れた。
両脇には、古くからの呉服店や老舗の和菓子屋と、若者向けの新しいカフェや古着屋がモザイク画のように混在して軒を連ねている。
歴史と現代が見事に調和した、歩いているだけでワクワクするような通りだ。
「コバルト、あのアクセサリーショップ、可愛くなくなくない?」
「どっちよ……ちょっと見ていきましょうか」
マイカとコバルトは、ガラス張りの雑貨屋を見つけては吸い込まれるように店内へと入っていく。
かつては銃やナイフを品定めしていた少女たちが、今はキラキラと光るヘアピンやイヤリングを前にして、年相応に目を輝かせている。
その横顔を見るだけで、ぼくの心に温かいものが広がっていった。
少し歩いた先で、今度はラピスラズリがある店の前でピタリと足を止めた。
そこからは、甘く香ばしいカステラ生地の匂いが漂ってきている。
ガラス越しの機械の中で、白餡を包んだ小さな丸い焼き饅頭が、次々とリズミカルに焼き上げられていた。
「あら……とっても可愛らしいお菓子ですわ」
「買って食べるか」
シルヴァレッタが財布を取り出し、出来立ての温かい饅頭を一つずつ配ってくれた。
焼印が押されたその素朴な饅頭を一口かじると、ふんわりとした生地の中から、優しく上品な甘さの白餡が口いっぱいに広がる。
ラピスラズリは「美味しいですわ」と頬を綻ばせ、ミカタも「フワッとしてるぞ!」と笑った。
その後も、アーケードに覆われた別の商店街を抜け、レトロな喫茶店を外から眺めたり、路地裏の古本屋を覗き込んだりと、目的のない贅沢な時間を彼らは心ゆくまで堪能した。
やがて、西の空がオレンジ色に染まり、長く伸びた影が石畳の通りを覆い始める頃。
一行は再びターミナル駅のエントランスへと戻ってきていた。
休日の終わりを告げるような、どこか寂しげで、けれど満ち足りた夕暮れの空気が彼らを包み込んでいる。
「今日は楽しかったわ、マイカ。ありがとう」
コバルトが、心からの感謝を込めてマイカに微笑みかけた。
一日中歩き回った疲れも見せず、その表情は晴れやかだった。
「ふひ。いつもは引きこもってるからこんなに出歩いたのは久々っす。こちらこそサンクス、コバルト」
マイカは照れくさそうに鼻の頭を掻き、いつもの怪しげな笑いを漏らしながらも、本当に楽しそうに答えた。
そんなマイカに対し、ラピスラズリがふと、気になっていたことを尋ねた。
「マイカはこれからはどうしますの?」
彼女がこれからどのような道を進むのか。姉妹としての純粋な心配からの問いだった。
マイカは少しだけ真面目な顔になり、空を仰ぎながら答えた。
「組織に所属するっすよ、契約書にサインしちゃったし。ただ、おうちはこれまで通り迫害同盟にお世話になるつもり」
バナジウムが強引に送りつけてきた雇用契約書。
マイカはそれにサインし、コバルトたちと同じ陣営に加わる決意を固めたらしい。
しかし、生活の基盤は今のまま、迫害同盟に置くという。
その言葉を聞いて、シルヴァレッタが静かに頷いた。
「それが良い、クロガネにもよろしく言ってくれ」
『迫害同盟』
そこには、かつてぼくたちと対峙したクロガネという男がいる。
彼もまた、過去の因縁に縛られながらも、彼なりの信念で生きている人間だ。
シルヴァレッタの言葉には、かつての敵に対する奇妙な連帯感のようなものが滲んでいた。
「それで、組織のこれからの方針はどうなるんすか?」
マイカが、今後の自分たちの行動の指針を尋ねた。
それに対し、コバルトは深くため息をつき、夕焼け空を見つめながらボヤいた。
「可能ならオーパーツをもう少し回収して今後に備えたいんだけど、情報がないのよね……」
『月』は調査に預けて今は使えないし、と残念そうに呟くコバルト。
迫り来る敵、ダイヤモンドに対抗するためには、この世界の非常識の根源であるオーパーツの力が必要だった。
しかし、それがどこにあるのか、皆目見当もつかない状況なのだ。
手詰まり感を漂わせるコバルトたち。
しかし、マイカはあっけらかんとした顔で、とんでもない爆弾発言を投下した。
「オーパーツなら、ウチの盟主さまが一つ持ってるっすよ」
「「……えっ?」」