生きるのに向いてないぼくは地の文になりました   作:あさはかな

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前日譚 七

 深夜の山中を縫うように走る高速道路は、まるで世界から切り離された巨大な黒い管のようだった。僕はハンドルを握りながら、延々と続くアスファルトの闇を静かに見つめていた。

 助手席の窓を少しだけ開けると、標高の高い山特有の、肺の奥まで凍りつくような冷たい空気が車内に滑り込んだ。僕は最寄りのサービスエリアの標識を見つけ、ウィンカーを出して本線から離脱した。

 

 平日の深夜ということもあり、広大な駐車場には大型トラックが数台、エンジンをかけたまま等間隔で停まっているだけだった。僕は車を停め、温かい缶コーヒーを自販機で購入して、チビリと一口啜ってシートへ深く身を沈めた。

 

 

 僕の人生はひたすらに未来への渇望と焦燥に彩られていた。

 

 人類の救済。

 迫り来る絶対的な破滅を回避し、人間という、今は愚かで仕方のない種族でも、彼らを正しく導き存続させるためには途方もないリソースと力が必要だと考えたからだ。

 

 

「よお、待たせたな」

 不意に助手席のドアが無造作に開かれ、冷気と共に金髪の少年が車内に転がり込んできた。質の良いジャケットを羽織り、ストリートファッションに身を包んだその姿は、深夜のサービスエリアをうろつく不良少年にしか見えない。

 

 だが、彼こそが、僕と共に裏の世界で暗躍し、歴史の闇を生き抜いてきた不老不死の人外──ディーだ。ディーはシートベルトも締めずにどっかりと座り込むと、開口一番、ひどくつまらなそうな顔で吐き捨てた。

 

「ニセD.O.Eの活動は縮小するしかねーな」

 空き巣のみに絞った活動を行う偽物のD.O.E。僕が資金集めのために立ち上げ、ディーが現場を指揮していたその組織の現状についての報告だった。

 

 僕は缶コーヒーをもう一口啜り、静かに頷いた。 

「バブル崩壊は、そこまで裏社会にも影響を落としているか」

「ああ。この国中で開発がストップしちまった。金持ち連中はこぞって財布の紐を固くして、投資に回す余裕なんざ欠片もねえ。かと言って、海外にはオレはそう簡単に出向けねえしな。現状維持が精々って所だ」

 

 ディーは忌々しげに舌打ちをして、ダッシュボードに両足を乗せた。

 バブル崩壊。それは、経済を根底から狂わせ、人々の精神を泥沼へと引きずり込んだ未曾有の破綻だった。

 前世で大企業のトップに君臨していた僕から見ても、この数年間の狂騒は異常としか言いようがなかった。その根底にあったのは、ただ一つの盲信──「土地神話」だ。

 

『土地というものは限られている──よって地価は「絶対に」下がらない』

 そんな根拠のない妄想が、まるで宗教のように人々の心に蔓延した。企業も個人も、持っている土地を担保にして銀行から湯水のように金を借り、その金でさらに別の土地や株を買い漁ったのだ。

 銀行側も、土地さえ担保に取っておけば絶対に損はしないと信じ込み、融資の審査など、あってないような状態で金をばら撒き続けた。

 

 実体を伴わないマネーゲーム。額面の数字だけが天文学的に膨れ上がり、誰もが自分は永遠の豊かさを手に入れたのだと錯覚していた。

 だが、そんな夢幻が長く続くはずもない。マネーゲームは、所詮ゲームの中の出来事。現実を直視してインフレを危惧した銀行が金融引き締めに転じ、不動産向け融資の総量規制という劇薬を投じた瞬間、神話(ゲーム)は音を立てて崩れ去った。

 

 地価は急転直下で暴落し、担保価値は底が抜け、莫大な不良債権だけが残された。昨日まで羽振りの良かった企業が次々と倒産し、建設途中で投げ出された廃墟のようなビルが街に溢れた。人々は一夜にして借金地獄に突き落とされ、絶望の中で首を吊る者すら後を絶たなかった。

 

 かつて僕がソラハキミトという少年と出会った時の、あの泥臭くも力強い「一生懸命」な活気に満ちたこの国の姿は、もうどこにもなかった。強欲と虚栄に踊らされ、自らの手で首を絞めた愚かな人々の残骸が、あちらこちらでゾンビのように湧いていた。

 

 

「経済が冷え込めば、当然、土地に落ちる金も減る。地上げ稼業にも冬の時代が来たってわけだ」

 ディーがぼやくのを聞きながら、僕は冷徹に思考を巡らせていた。

 

 今のままではダメだ。資金繰りが滞れば、僕の思い描く「人類救済」という壮大な計画の進行が遅れる。

 ──ならば、ここで盤面を大きく作り変える必要がある。 

 

「よし、計画を前倒しして第二段階に入るか」

 僕が静かにそう告げると、ディーはダッシュボードから足を下ろし、パッと獰猛な目を輝かせた。

「お、さすが相棒。このクソつまんねえ現状をひっくり返すプランがあんのか?」

「ああ。別の裏の組織を立ち上げる。今までやったことのないような、新しいアプローチの組織だ」

 

 僕は缶コーヒーをドリンクホルダーに置き、ディーに向けて今後の構想を語り始めた。

「これからは、既存の権力者だけではなく、より多くの『個人』が大きな力を持つ時代になる。情報網の普及や情報化社会の到来により、個々の欲望、思想、行動原理が、かつてないほどに細分化され、かつ強い影響力を持つようになるだろう。社会がバブル崩壊の混乱に喘いでいるような今だからこそ、そう言った人々もターゲットとして十分機能するはずだ」

 

 僕が提示したのは、二つの全く新しい組織の設立案だった。

 一つは、後に『KIL』と呼ばれることになる情報収集組織。個人の行動データ、購買履歴、関係性、趣味嗜好。それらを徹底的に収集し、行動予測を行う。情報そのものを武器とし、時には行動をコントロールする。

 もう一つは、『RGB』と呼ばれることになる非合法な医療および研究組織だ。表の医学では救えない富裕層の命を繋ぐ裏の医療提供を隠れ蓑にして、遺伝子操作やデザイナーベイビーといった、人間の根幹に関わる非人道的な研究を進めつつ、次世代の財産も確保する。 

 

 ディーには表向きでは、これらの組織を立ち上げることで、情報と医療という二つの巨大な需要から新たな資金源を確保する、という説明をした。しかし、僕の中には、決して語っていない……いや、ディーには語るまでもない別の真の狙いがあった。

 

 

 ──倫理観というブレーキがあっては、技術の進歩はいつまで経っても日進月歩に過ぎない。

 

 現代の固定化された「人間の在り方」や「社会の進み方」は維持し続ける必要がある。それらを取り上げたら絶滅が見えているからだ。だが、その上で人類の救済という大目標を達成するには、倫理観に囚われていたら時間がかかり過ぎる。綺麗事で世界は救えない……。そう感じたのだ。

 

 KILで培う情報統制と行動予測のノウハウ。RGBで培う生命操作の技術。それらは、いずれ来る世界の滅びに対抗するための、必須のピースだった。だが、表社会のルールや倫理に従って研究をするようでは、僕が生きている間に目標とする最低限の技術到達点にすら到底間に合いそうにない。

 

 この肉体もいずれは老い、朽ちる。

 僕という存在がこの世にあるうちに、あらゆる禁忌を犯してでも技術の未来を先取りし、人類救済の目処を立てなければならないのだ。

 そのためには、今を生きる人々をモルモットにしてでも、莫大な資金とデータを最短距離でかき集める必要があった。

 

 僕の提案を聞いたディーは、しばらく目を丸くしていたが、やがてクククと悪戯っぽく笑った。

「個人情報の収集と行動予測で脅しをかける、それに裏の医療提供か。暴力しか頭になかったオレには、考えもしなかったぜ。情報を握り、命を握る。確かに、これからの時代、そいつは金になるし、力になる。……さすがウラベだ。オマエの頭ん中、どうなってんだ?」

「時代を少し先読みしているだけさ」

 

 僕は小さく息を吐き、さらに言葉を継いだ。

「それらの組織が軌道に乗り、資金が集まる目処が立てば。……僕が一つ、どうしても手をつけたかった事に手が出せる。ただ、それにはディー、君の協力が絶対に必要だ」

 

 僕が声のトーンを落とし、真剣な眼差しでディーを見つめると、彼は少し緊張した面持ちになり、身構えるように姿勢を正した。

「なんだよ、改まって。オレにできる事なら何でもやるって。昔から言ってんだろ?」

 

 その言葉に嘘はない。彼は僕を心底信頼してくれている。だからこそ、僕は彼にとって最も大切な領域に踏み込む提案をした。

「ディー、君のコレクションである『オーパーツ』達を解析して……僕たちの手で、新しい人工のオーパーツを生み出すんだ」

 

 常識的な科学や医学では絶対に解明できない、あり得ない『非常識』をもたらす古代の遺物、オーパーツ。それを現代の技術と、これから立ち上げる組織のノウハウを動員してリバースエンジニアリングし、意図的に創り出す。

 後に『RVS』と呼ばれることになるその構想を、僕は明確に打ち出した。

 

 最初、ディーは僕の言葉の意味が理解できなかったのか、ポカンと口を開けて固まっていた。しかし、数秒の沈黙の後、彼の脳内でその壮大な計画の輪郭がハッキリと形を結んだのだろう。彼の顔がパッと明るくなり、やがて腹の底から湧き上がるような大爆笑を深夜の車内に響かせた。

 

「ヒャ、ヒャハハハハハ! ま、マジか! オレらの手でオーパーツを作る!? ハハハッ、そんな事、何百年と生きてきても考えたこともなかったぜ! そりゃ良い、最高にイカれてる! ウラベ、お前やっぱり天才だよ!」

 ディーは涙を流しながら笑い転げ、ダッシュボードをバンバンと叩いた。彼からの評価は、すこぶる好評だった。

 

「その為には、君の宝物を開帳してもらう事になる。……頼めるか?」

「おう、もちろんだ!」

 ディーは即答した。

「幾つかは、ニセD.O.Eの協力のお礼って事で協力者連中に放出しちまったが、目ぼしいヤツらは手元に残してある……特に、『不幸の石』と『蠱毒の願望器』は役に立つんじゃねーか? アレは、不老不死のオレの手にも負えなさそうなヤベー代物だからな」

 

 ディーの口から出た禍々しい名称。それらが持つ超常のルールを解き明かし、制御可能な装置へと作り変えることができれば、僕の計画は飛躍的に前進するはずだ。

 

「よし。なら、役割分担だ」

 僕は具体的な行動計画へと話を移した。

 

「ニセモノのD.O.Eは、僕が代わりに代表に入って指揮を執る。規模を縮小してでも、資金源としては残しておくべきだからね。その代わりディーには、これから立ち上げる新しい組織の『人材探し』を頼みたい。能力と野心があり、倫理観の欠如した優秀なコマが必要だ」

「オレがスカウトマンか。まあ、裏社会の顔の広さなら任せとけ。……でも、オマエが表でやってるクリニックはどうするんだ? アレも一応、実験場の一つって話だったろ?」

 

 ディーの懸念はもっともだった。精神科医としての表の顔も、僕にとっては重要な隠れ蓑であり、患者の精神状態をモニタリングする貴重な環境だ。特に、最近は『人の嘘』を鋭敏に感じ取れる患者といった、今後の裏の活動に役立ちそうな被験体も増えてきていた。

「いったんは営業日を減らして対応する……頼りにしてくれている患者には心苦しいけどね。完全に代行を任せられる、優秀で口の堅い人材が見つかるまでは、僕がしっかりD.O.Eの土壌を整えておくよ」

 

 僕がそう答えると、ディーは顎を撫でながら、やや不満そうな顔つきになった。

「そうなるとよぉ……人材を集め切って組織が立ち上がったら、オレはどの組織のトップになるんだ? 情報だの、医療だの、オカルトの研究だの……どれもこれも、オレの性に合わねーぜ? オレはもっとこう、直接的に血が沸き立つような現場が良いんだよ」

 

 彼らしいクレームだった。不老不死であり、圧倒的な暴力の経験を持つ彼にとって、机上の研究やデータの管理など退屈以外の何物でもないだろう。

 

 僕は、彼がそう言うことを見越していたかのように、薄く笑みを浮かべてみせた。

「なら、さらに計画を前倒ししよう」

「……あ? まだあんのか!」

 ディーは呆れたように目を剥きながらも、その奥底には新しいオモチャを与えられた子供のような嬉しそうな光を宿していた。

 

「さっきも言った通り、これからは『個人の時代』が来る。と言うことは……邪魔な個人をターゲットにして排除する価値は、これまで以上に高まるということだ。情報でコントロールできないイレギュラーを処理する手段が求められる」

 僕は、最も血生臭く、そして最も効率的な最後の組織の構想を口にした。

 

「そこで、僕が考えたのは……最高の暗殺者を育てる環境だ」

 

 ──後に『ジュエル』と呼ばれることになる、孤児を集めて極限状態の訓練を施し、殺戮兵器へと仕立て上げる非道な組織。

 

「ディー、君にはそこの一期生として紛れ込んでもらいたい。そして、君自身の圧倒的な暴力と才覚で、今一度その実力でトップに立ってもらいたいんだ」 

 僕の提案を聞いた瞬間、ディーの獰猛な瞳が、月明かりを反射してギラリと赤く輝いた。

 

 資金

 情報

 医療

 技術

 そして、暴力

 

 すべての準備は整いつつあった。僕は助手席のディーを見据え、人類の救済という名の、壮大で狂気的な絶望のシナリオの幕を、今まさにこの手で引き上げようとしていた。

 

 

 窓の外では、凍てつくような冬の風が深夜の高速道路を吹き抜けていった。

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