生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
目を開けると、そこは眺めの良い広大な丘の上だった。
眼下には、まるで宝石箱をひっくり返したかのような、息を呑むほど美しい夜景が広がっている。
漆黒の海に両側を深く挟み込まれた、特徴的なくびれを持つ扇形の地形。
その陸地に沿って、無数のオレンジ色や白色の街灯りが絨毯のように煌めいている。
海からの冷たい風が吹き抜け、遠くにはフェリーの汽笛のような微かな音が響いていた。
空には満天の星が瞬き、冷涼な空気が肺を満たしていく。
『皆さん、無事夢の中に来られましたネ』
背後から、落ち着いた声が響いた。
振り返ると、そこにはシックなスーツを着こなした盟主が立っていた。
彼女の顔には安堵の微笑みが浮かんでいる。
『私たち、どうなってるの? 半透明だし、フワフワ浮いてるし』
隣でコバルトが自身の両手を不思議そうに見つめながら尋ねた。
ぼくたちは皆、足先が地面から数センチ浮き上がっている。
自分の手を顔の前にかざすと、手のひらを透かして眼下の夜景がぼんやりと見えた。
風の冷たさや音は感じるのに、地面を踏みしめる触覚や、重力という概念がすっぽりと抜け落ちている。
『ここはシルヴァレッタさんの夢の中でス。我々はこの世界に干渉できず、幽霊のような存在になったと考えてくださイ』
盟主が、周囲を見渡しながら静かに説明した。
他人の夢を覗き見るオーパーツ『夢見の杖』の力。
それは、他者の深層心理が構築した世界に傍観者としてダイブするというものらしい。
あくまでもこの世界の主役は夢を見ている本人。
ぼくたち異物は、物理的な干渉を一切許されないホログラムのような状態なのだ。
『水に浮かぶのとはまた違うっすねー。風船になった気分っす』
マイカが、空中でクロールをするような仕草をしながら、率直で無邪気な感想をこぼした。
緊張感もなく、子供のようにこの非現実的な状況を楽しんでいるようだ。
『オイラは普段と変わりないぜ』
頭上から聞き慣れた快活な声が降ってきた。
見上げると、妖精のミカタが半透明の羽をパタパタと動かしながらフヨフヨと宙を舞っていた。
一般人には視認できない存在である彼にとっては、半透明で宙に浮いているこの状態こそが日常なのだろう。
その時。
盟主が、空を飛ぶミカタの姿をじっと見つめ、小さく口元を綻ばせた。
『……可愛イ』
ひどく純粋で人間らしい感嘆の漏れだった。
『そうか、ここはオーパーツの中の世界。だから盟主にもミカタが見えるのか……』
本来、このミカタという妖精は限られた者にしか見えない。
しかし、盟主は彼の姿をはっきりと視認し、その愛らしさに反応している。
ぼくは直感的に理解した。
この夢の世界は、シルヴァレッタの脳内であると同時に、オーパーツの力が作り出した超常の領域でもある。
だからこそ、その影響下にある盟主にもミカタを認識できているのだろう。
『……イサク?』
ぼくの呟きを耳にしたマイカが、ぼくの顔をまじまじと見つめ、そう尋ねてきた。
『な、なんだよ』
ぼくが思わずたじろいで後ずさると、マイカの顔がパッと明るくなり、花が咲いたような満面の笑顔になった。
『イサクだー!』
マイカは歓喜の声を上げ、空中を滑るような滑らかな軌道で、ぼくに向かって猛烈なタックルを仕掛けてきた。
『ぐえっ!』
ぼくは避けきれず、マイカに正面から抱きつかれてしまった。
幽霊状態とはいえ、傍観者同士には魂の質量のようなものがあるらしく、彼女の腕がぼくの首にしっかりと絡みついているのがわかる。
『う、鬱陶しい! 離れろ!』
『良いではないかー』
ぼくが必死に引き剥がそうとするが、マイカはえへへ、とだらしなく笑いながらコアラのようにへばりついて、一向に離れる気配がない。
生前のぼくが、一体この少女とどんなフラグを立ててしまったのか。
記憶を失っているぼくには知る由もないが、この状況はあまりにも居心地が悪かった。
ぼくは、隣で呆れ顔をして立っているコバルトに視線を向け、必死に目配せをして助けを求めた。
しかし、コバルトはぼくの視線を受け止めると──ニヤリと笑みを浮かべ、ひどく意地の悪い声でこう言い放った。
『それ、マイカにあげるわ』
『』
『毎度ありー!』
あっさりとぼくを売り飛ばしたコバルトの言葉に、マイカはさらに喜んで、ギューっとぼくの首を強く抱きしめてきた。
『コバルト! 今は──』
ぼくが抗議の声を上げようとした、まさにその時。
『オイラもオイラもー!』
空気を読んだのか読まなかったのか、妖精のミカタまでが上空から急降下してきて、ぼくの顔面に思い切りダイブし、そのままギューっとしがみついてきた。
右にマイカ、顔面にミカタ。
完全に視界と身動きを封じられたぼくは、夢の世界の絶景の丘の上で、もはや何の罰ゲームなのかわからない状況に陥っていた。
『ほ、本題! ここはシルヴァレッタの夢の中なんだろう? アイツは!?』
ぼくは顔にへばりつくミカタをなんとか払い除け、マイカを引き摺ったまま、ゼエゼエと息を切らしながら叫ぶように主張した。
そもそも、ぼくたちがここに来た最大の目的は、シルヴァレッタのルーツを探るためだ。
彼自身が「自分が勇者だと自覚した。その夢を見ているはずだ」と宣言したからこそ、このオーパーツを使ったのだ。
それなのに、肝心の夢の主であるシルヴァレッタの姿がどこにも見当たらない。
ぼくの叫びを聞いて、盟主も周囲を見渡し、首をひねった。
『……確かに変でス。近くには居るはずなのですガ』
夢というのは一般論で言えば、本人の主観的な視点で展開されるか、あるいは本人が登場人物の一人として客観的に描かれるかのどちらかだ。
しかし、この丘の上には、ぼくたち以外の人影が全く見当たらなかった。
その直後だった。
丘の展望台へと続く遊歩道の向こうから、ザッザッという足音と共に、三人の人影が現れた。
「リョウは東京行ったらまず何するんだ? オレはアキバ行ってオタクグッズとやらを見物するわ」
「コウタは本当、物好きだよな。オレは原宿行って最先端の流行を堪能したいぜ」
「二人とも、トラブルには気を付けろよ。東京は怖いところだと聞いている」
笑い合いながらこちらに向かって歩いてきたのは、ブレザーの制服を着た高校生の三人組だった。
彼らは幽霊状態のぼくたちには全く気づく様子もなく、展望台の手すりへと向かっていく。
どうやら彼らが、この夢の世界における登場人物のようだ。
「ギンも東京に出りゃ良かったのによー」
「ムリムリ、こいつシスコンだから地元出るなんて天地ひっくり返りでもしなきゃ有り得ねーよ」
「……妹を心配して何が悪い」
彼らは手すりに寄りかかり、眼下に広がる美しい夜景を見下ろしながら、等身大の若者らしい他愛のない雑談を繰り広げている。
進学や就職で故郷を離れる若者たちの、少しの不安と大きな希望が入り混じった、青春の一ページ。
ぼくたちの生きている現実世界と、何一つ変わらないありふれた光景だ。
だが。
ぼくは、彼らの姿をじっと見つめながら、強烈な違和感に襲われていた。
『彼らのうちの誰かが、この夢の主役……? いや、それは、おかしい』
ぼくが思わず声を漏らすと、ぼくの腕にベタベタと張り付いていたマイカが、不思議そうに首を傾げた。
『何が変なんすか?』
マイカの問いに対し、コバルトが腕を組み、険しい表情で代わりに答えた。
『シルヴァレッタは弾丸だった。その前があると言っていたけど、それはシナバーの推察通りなら、南極の巨大ロボットだったはずよ。……だから、夢の登場人物が人間のものである事が既に変なの』
シルヴァレッタの本体は、オーパーツである『意思を持つ銀色の弾丸』だ。
そして、そのルーツは、かつてこの星を守るために戦った古代文明の巨大ロボットのパーツであると推測されている。
もしここがシルヴァレッタの深層心理が構築した夢であるならば、本来は舞台が分厚い氷に覆われた極寒の地であったり、あるいは製造過程の工場や研究室になるのが自然だ。
それなのに、目の前に広がっているのは、現代そのもののような観光地の夜景であり、語り合っているのはごく普通の高校生たちだ。
彼のルーツとしては有り得ない光景が広がっている。
『夢の主役は、登場人物として現れまス』
盟主が、静かに補足した。
『ですので、シルヴァレッタさんは彼らのうちの誰か、という事になりまス』
つまり、あのリョウ、コウタ、ギンと名乗った高校生三人組のうちの誰かが、シルヴァレッタの過去の姿だということになる。
巨大ロボットのパーツであった彼が、なぜ人間の少年の夢を見ているのか。
ぼくたちが困惑と疑問を深める中、展望台の高校生たちの会話は続いていた。
「海外ではテロも起こったりして物騒な世の中だ。本当に気を付けてくれ」
「ギンは心配性だな」
「そうそう、よその国の話だろ?」
ギンと呼ばれた真面目そうな少年が、眉をひそめて忠告する。
それに対し、リョウとコウタは楽観的に笑い飛ばしている。
これもまた、平和な国に住む若者たちのリアルな反応だ。
「いや、日本だって他人事じゃない」
ギンは、手すりを強く握りしめ、夜景の彼方を見つめながら、ひどく真剣なトーンで言った。
「もしかしたら、第三次世界大戦だって起こるかもしれない」
「「ねーよ! アハハハ!」」
リョウとコウタが、ギンの危惧を鼻で笑う。
それは、彼らにとっては単なる友人をからかうための冗談に過ぎなかったのだろう。
だが。
そのセリフを耳にした瞬間。
ぼくは、いや、コバルトも、マイカも、ミカタも、盟主も──
ぼくたち全員、まるで冷水を浴びせられたかのように、全身を強烈な悪寒が駆け巡るのを感じていた。
『第三次、世界大戦?』
ぼくは、信じられないものを見るような目で、高校生たちを見つめた。
コバルトも顔面を蒼白にし、唇を微かに震わせている。
マイカはぼくの腕にすがりついたまま、その表情から完全に笑顔を消し去っていた。
彼らの言葉は、決定的な『異物』だった。
なぜなら
──ぼくたちの世界の歴史では、世界大戦は『一度』しか起こっていない。
現実世界に極めて近い、現代のような風景。
等身大の若者たち。
しかし、彼らの口から語られた歴史観は、ぼくたちの常識を根底から覆すものだった。
第三次世界大戦を危惧するということは、
彼らの世界ではすでに『第二次世界大戦』が起きていたということだ。
だが、ぼくたちの知る歴史において、世界を巻き込んだ大戦は「たった一度」きり。
それは義務教育で誰もが習う、絶対的な歴史の事実だ。
ここは、シルヴァレッタの夢の中。
巨大ロボットのパーツであったはずの彼が見ている、人間の少年の夢。
そして、ぼくたちの現実とは明らかに歴史の異なる、パラレルワールドのような世界。
──冷たい海風が、幽霊であるぼくたちの身体をすり抜けていった。