生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
朝。ぼくの住む安アパートの薄っぺらいドアから、コンコンと控えめなノックが響いた。
不眠不休のシルヴァレッタにとっては朝も夜も関係なく、突然の来訪者にも動じずに、ベランダから部屋に戻り、飲みかけのペットボトルに蓋を閉め、それを座卓に置いて、玄関へと歩を進めドアをガチャリと開けた。
「おはようございます。ウラベさん」
そこに立っていたのは、小綺麗な身なりをした中年女性だった。顔に貼り付けたような、ひどく穏やかで、それゆえに得体の知れない薄気味悪さを感じさせる笑みを浮かべている。
ウラベ。
それがぼくの名前らしい。言われてみればそんな気もするし、別の名前だった気もする。シルヴァレッタも「俺はウラベだ」と言わんばかりの装いで、平然とした顔で話を合わせる。まさか自分の名前を、見知らぬ中年女性の来訪によって知ることになるとは思わなかった。
「最近、お顔を見せにいらっしゃらないので心配していたんですよ。……バイト、辞められたそうですね?」
女性の言葉に、ぼくの意識はゾクリと粟立った。
どうしてこの女が、ぼくがバイトをクビになった事を知っている? 記憶は殆ど失っているが、話をするような人付き合いが一人もいなかった事は憶えている。なので誰にも言っていないし、そもそもつい一昨日の夜の出来事を、この女性はどうして知り得たのだ?
「『迫害同盟』の皆さんも心配しておりましてよ」
迫害同盟。
第一印象になるけれど、なんというかその、字面だけで関わってはいけないカルト団体の名前だと感じた。いや、みたいも何も、彼女の異様な情報網といい、その貼り付いた笑顔といい、間違いなくカルト的なそれだろう。
「社会はウラベさんのように繊細な方には冷たいですからね。苦しかったら、またウチに相談に来ても良いのよ?」
女性は慈愛に満ちた声で語りかける。
どうやら、過去のぼくはこの「迫害同盟」とやらに縋り、相談していた時期があったらしい。しかし、さすがはぼくだ。そんな(一見)心暖かい団体への関わりすら長く続けられなかったようだ。
「……気が向いたら、行く」
シルヴァレッタが適当な相槌を打ち、ドアを閉めようとする。幾許かの現代知識や常識をぼくから学んでいるらしい彼だったので、目の前の女性の異常性に気付いたのだろう。
しかし、女性の動きの方が早かった。彼女はドアの隙間にスッと高そうな靴のつま先をねじ込み、そのままグイと顔を近づけてきた。
「気が向いたら、なんて言わずに。ね? 今すぐ行きましょう。温かいお茶でも飲んで、苦しみを分かち合いましょう? 今のアナタに必要なのは人の温もりよ?」
女性の口調は優しいままだが、その目は一切笑っていなかった。有無を言わさぬ強引な圧力が、薄暗い玄関に満ちる。
「いや、今日は……」
「遠慮なんていいの! さあ、行きましょう。ね? ウラベさんのためなんですから!」
女性はシルヴァレッタの腕をがっしりと掴み、強引に外へ引きずり出そうとする。
速くも化けの皮が剥がれた様子の女性に、どうしたものかと困っている様子のシルヴァレッタ。ぼくが思うに、ここまで強引な手合いはどんな手を使っても関係を断つのが一番なのだが、そんなアドバイスは、ただの脳の片隅の思考に過ぎないぼくでは当然ながら届けられない。
シルヴァレッタは少し面倒くさそうに息を吐いた後、女性のしつこさに逆らうのを諦めたように、あっさりと頷いた。
「……分かった」
そうなるよね。お前はそういうやつだもの。
シルヴァレッタが女性に腕を引かれ、アパートの廊下へと足を踏み出そうとした、まさにその瞬間だった。
バァァァンッ!!
隣の部屋のドアが、蝶番が吹き飛ぶのではないかという勢いで蹴り開けられた。
そこから飛び出してきたのは、見覚えのある黒いパーカーに身を包んだ小柄な少女。彼女は松葉杖をついているにも関わらず、鬼のような形相でこちらを指差し、きのう路地裏で響かせた銃声よりも鋭い声で叫んだ。
「断りなさいよッ!!」
////
「まったく、アンタってやつは……!」
私は大きなため息をつきながら、殺風景極まりない六畳間を見渡した。
部屋にあるのは、真ん中に置かれた古びた座卓と、万年床になりかけている薄っぺらい敷布団だけ。飲みかけのみかんレモン水のペットボトルが座卓の上にキチンと立っていなければ、人が住んでいることすら疑わしいレベルだ。
先ほどの『迫害同盟』とやらを名乗る不気味な女を力ずくで追い払った後、私はそのままシルヴァレッタの部屋に上がり込み、座卓を挟んで説教を始めていた。
「いい? ああいう輩は、一度でも隙を見せたら骨の髄までしゃぶり尽くされるのよ! 相手がどれだけ優しそうな態度を見せても、とにかく強引にでも断りなさい!」
「分かった。善処しよう」
シルヴァレッタはすんなりと頷いた。
「だいたい、この身体の元の持ち主……ええと、ウラベだっけ? バイトもクビになって無職のうえに、あんなヤバそうな連中と繋がりがあるなんて、今後の生活が心配すぎない?」
私が顔をしかめて尋ねると、シルヴァレッタは「それなら問題ない」と、ポケットから元の持ち主のスマートフォンを取り出した。
「交友関係の心配なら無用だ」
そう言って、画面をこちらに向けてくる。そこに表示されていたのは、連絡帳アプリの画面だった。
【登録件数:0件】
「……ええ」
私は本気でドン引きした。
親も、友人も、知り合いすら一人もいない。先ほどの宗教勧誘の女が異常な執着を見せていた理由が、少しだけ分かった気がした。このウラベという男、社会的に完全に孤立していたのだ。孤独が過ぎる。
「……はぁ。まあ、変なしがらみがないなら、それはそれで好都合だけど」
私は気を取り直し、今後の彼の生活について提案することにした。いくら不死で意思を持つ弾丸とはいえ、この社会で生きていくには金がいる。
「ねえ、昨日の貸会議室の話、憶えてる?」
「ああ。君の組織のペーパーカンパニーだったな」
「そう。でも、偽装のために一応いくつか本物の清掃業のルートも持ってるの。カバーストーリー用の人員として、アンタをそこに斡旋してあげようか? とりあえずの生活費くらいは稼げるはずよ」
私がそう持ちかけると、シルヴァレッタは目を少し見開き、やがて柔らかく微笑んだ。
「助かるよ、コバルト。ありがとう」
冴えない風貌とはいえ、年上の男性の落ち着きと、どこか人間離れした純粋さが混ざったような笑顔を真っ直ぐに向けられ、私は思わずドギマギしてしまう。
「感謝なんていいのよ! 警護する要人が身寄りもなければ無職だなんて、私のプライドが許さないの!」
私は顔が熱くなるのをごまかしながら、そっぽを向いた。
——そして、翌朝。
コンコン、コンコン。
再び、薄い壁を通り抜けて隣の部屋からノックの音が聞こえてきた。
安アパートだけあって、隣の生活音どころか来訪者の足音まで丸聞こえだ。まあ、任務に就く私からすれば、殺気や気配を察知しやすいからむしろ好都合と言える環境なんだけれど。
(がっしりした大人の男性が四人?……それに建物の周囲にも見張るように二人いるわね)
私は松葉杖を引き寄せ、音を立てないようにゆっくりと自分の部屋のドアを開けた。
そして、気配を殺して隣室の入り口に視線を向ける。
そこに立っていたのは、昨日の不気味な笑顔の中年女性ではなく、むしろ対照的な存在だった。
「ウラベイサクさんでお間違いないですね。」
カッチリとした制服に身を包んだ、警察官たち。
彼らは、ドアを開けたシルヴァレッタに向かって、極めて事務的な、しかし有無を言わさぬ声で告げた。
「中を拝見させて下さい。それと、署までご同行願います」