生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
三人の高校生たちは満足げな溜息を吐き、穏やかな海風が吹き抜ける展望台から、帰路につくためのロープウェイ乗り場へと歩き出した。
ぼくたち傍観者も、重力から解放された半透明の身体をフワフワと漂わせながら彼らの後を追う。
ぼくの背中には相変わらずマイカがコアラのようにへばりついており、彼女の魂の質量がズシリと背中に乗しかかっていた。
「いやー、やっぱり地元の夜景は最高だな! 東京行ったらこんな景色、ビルばっかりで見られないんだろうな」
「何言ってんだよリョウ。東京にはスカイツリーとか東京タワーがあるだろ。都会のネオンの海もすげーらしいぞ」
「でも、海と山に挟まれたこの独特の形はないだろ? オレは絶対、この街の景色が一番だと思うね」
高校生たちは、そんな他愛のない、しかし未来への希望と郷愁が入り混じった会話を弾ませながら、ロープウェイのゴンドラへと乗り込んでいく。
彼らの会話は、春からの新生活に向けた明るいものだった。
どうやら、リョウとコウタと呼ばれた二人は高校卒業を機に上京するらしい。
地方から大都会へと巣立っていく若者特有の不安を掻き消すようなカラ元気と、無限に広がる未来への期待感が、彼らの背中から溢れ出しているように見えた。
ぼくは、背中にへばりつくマイカの重みを感じながら、前を歩く三人の高校生をじっと見つめ、静かに口を開いた。
『この中にシルヴァレッタがいるんだとしたら、ギンという少年だと思う』
ぼくのその推測に、隣で浮いていたコバルトが、腕を組みながら深く頷いた。
『うん。人間味はあるけれど、抑揚のない喋り方はどこか近しいものがあるわ。それに、あの二人と違って、彼だけがどこか一歩引いて世界を観察しているような、そんな冷めた視線を持っている。……アイツの印象に一番近いわね。彼についていきましょう』
コバルトの分析は的確だった。
他の二人が感情豊かに騒いでいるのに対し、ギンと呼ばれた少年は、微笑みを浮かべてはいるものの、その相槌や言葉の端々に年齢に似合わない静けさを湛えている。
それは、あの無表情で感情の起伏が乏しかったシルヴァレッタの姿と確かに重なる部分があった。
ぼくたち全員はこくりと頷き、彼らが乗り込んだロープウェイのゴンドラの中へと壁をすり抜けて侵入した。
ゴンドラがゆっくりと降下を始める。
窓の外には、まるで宝石を散りばめたような美しい夜景が、次第にその角度を変えながら広がっていく。
「明日はどうする? せっかくの休みだし、朝から街に繰り出そうぜ」
「いいな! オレたちの旅立ち前の思い出づくりだ! 映画観て、そのあとハンバーガー食って、ゲーセン行くか!」
「コウタは相変わらず子供っぽいな。でも、まあ悪くない。ギンもそれでいいか?」
リョウとコウタに話を振られ、窓の外の夜景を見つめていたギンが静かに振り返った。
「ああ。二人ともしばらく会えなくなるし、明日はとことん付き合う」
「よし、決まりだな! 朝九時に駅前集合!」
ロープウェイが山麓の駅に到着すると三人は軽快な足取りで改札を抜け、駐輪場へと向かった。
それぞれが自転車に跨り、「じゃあな」「明日遅刻すんなよ」と声を掛け合い、彼らは夜の街へと散っていく。
ぼくたちは、迷うことなくギンの乗る自転車の後を追った。
半透明の身体で夜空を滑空しながら、ペダルを漕ぐ彼の背中を見下ろす。
冷たい夜の空気が、ぼくたちの身体をすり抜けていく。
ギンは、海沿いの観光エリアから次第に離れ、閑静な住宅街へと入っていった。
古びた街灯が点々と道を照らす中、彼は一軒の民家の前で自転車を止めた。
少し年季の入った二階建ての家だった。
ギンが玄関を開け、中へと入っていく。
ぼくたちもそれに続き、壁をすり抜けて家の中へと侵入した。
「ただいま」
ギンが短く声をかけると、奥の台所から、エプロン姿の母親と思われる女性が顔を出した。
「おかえり。遅かったわね。ご飯どうする?」
「食べる」
短いやり取りの後、ギンはブレザーを脱いでハンガーに掛け、そのまま居間の食卓へと着いた。
居間は温かみのあるオレンジ色の照明が灯り、テレビがつけっぱなしになっていた。
画面には、夜のニュース番組が映し出されている。
『──続いてのニュースです。東欧の国境付近で続く軍事衝突は、開戦から一年が経過した現在も泥沼化の様相を呈しています。本日未明、首都への大規模なドローン攻撃が行われ、民間施設を含む複数の建物が炎上、多数の死傷者が出ている模様です。また、これに連動するように、中東地域でも武装勢力による原油採掘施設へのロケット弾攻撃が発生。国際的なエネルギー供給網への懸念から、原油価格は過去最高値を更新しました。では次のニュースです──』
テレビのスピーカーからは、深刻な表情をしたキャスターの声と、瓦礫の山と化した街で泣き叫ぶ人々の映像が流れていた。
大国の思惑が交錯し、罪のない人々が戦火に巻き込まれていく悲惨な光景。
その報道を見て、コバルトが絶句した。
『ウソ、これって戦争の報道、なのよね? こんなに短く、軽く扱うだなんて……』
その気持ちはぼくも、いや、この場にいる全員が同じ気持ちだった。
ぼくたちの世界で、もし戦争が起こったのだとしたら──
間違いなく一大報道として扱われ、昼夜を問わずその話題で持ちきりになるだろう。
だが、この世界ではキャスターの面持ちこそ鎮痛なものだが、扱いはまるで日常の一コマ。
まるで強盗事件が起こった程度の軽さである。
『……これが、この世界の常識なのでしょウ』
盟主が呟いた。
常識。現状、敵としてはだかる大きな壁。
ぼくは、何て巨大なものを相手にしているんだと、改めて痛感した。
一方、テレビを見つめながら、ギンは運ばれてきた温かい味噌汁を一口啜ったあと、母親に向かってポツリと呟いた。
「物騒だよね、今って」
その声には、単なる高校生の感想を超えた、世界に対する深い憂いのようなものが滲んでいた。
母親は、冷蔵庫から麦茶のピッチャーを取り出しながら、深いため息をついて返した。
「そうね。毎日毎日、テレビをつければ戦争だ、テロだって、嫌なニュースばっかり。そのせいで、ガソリン代も電気代も上がる一方だし。今日スーパーに行ったら、また値上げされてて本当にやんなっちゃう。給料は全然上がらないのにねえ」
母親の口からこぼれたのは、生々しく切実な生活の愚痴だった。
世界情勢の悪化が、遠い異国の出来事ではなく、食卓の上の値段という形で、彼らの生活を確実に蝕んでいるようだ。
やはり戦争は誰にとっても得をしないのだと、ぼくは改めて感じた。
しばらくして、玄関のドアがガチャリと音を立てて開いた。
「ただいまー」
少し疲れたような、野太い声が響く。
「おかえり、父さん」
ギンは食卓に着いたまま、テレビから視線を動かさずに声だけで返事をした。
「おかえりなさい、あなた。遅かったわね」
母親が小走りで玄関へ向かい、スーツ姿の父親から重そうなビジネスバッグとコートを受け取る。
父親はネクタイを緩めながら、どっこいしょと重い腰を下ろすようにして食卓へと着いた。
父親は冷たいビールをグラスに注ぎ、一気に煽ると、ふうっと大きな息を吐いた。
そして、周囲を見回して眉をひそめた。
「アオイは? またメシも食わずに部屋でゲームか?」
父親の呆れたような声に、ギンが箸を止めて妹を庇うように静かに答えた。
「飽きるまでは仕方ないよ、そういう年頃だ。それに、あいつなりにオンラインで友達と繋がってるみたいだし」
「繋がってるったって、顔も知らない相手だろ? ……まったく、最近の若い奴の考えはわからん」
父親はボヤきながらも、出された焼き魚に箸を伸ばす。
そこには、どこにでもある、ありふれた一家団欒の風景が広がっていた。
少しの愚痴と、少しの不満。
そして確かな家族の温もり。
ぼくたちは、その光景を部屋の隅から見つめ、何処か和やかな気持ちになりつつも
──深い困惑を隠せずにいた。
『これが、本当にシルヴァレッタの記憶?』
ぼくは、信じられない思いで口にした。
彼自身の本体は、意思を持つ銀色の弾丸だ。
古代文明の巨大ロボットのパーツであるというルーツを持つはずの彼。
なぜこんなごく普通の、現代のような世界で、家族の温もりに包まれた高校生としての記憶を持っているのか。
ぼくの疑問に対し、シックなスーツ姿の盟主が、静かに推測を口にした。
『その中で、穏やかな日常の象徴なのでしょウ。人の夢には幾つか段階がありまス』
『段階?』
コバルトが、首を傾げて聞き返す。
『はイ。これはわたくしの経験ですが、シルヴァレッタさんのように落ち着いた方の夢は幾つかのステップに整えられて構成されていまス。今は彼の深層心理の中で最も楽しかった頃、あるいは最も平穏だった頃の記憶が、夢の第一段階として構築されているのでしょウ』
盟主の説明は理にかなっていた。
夢というのは、無意識の海から記憶の断片を拾い上げ、再構築するプロセスだ。
シルヴァレッタの魂の奥底に、なぜかは分からないが、この「ギン」という少年の平穏な日常が、大切なものとして刻み込まれているということになる。
その時、ぼくの背中に引っ付いたままのマイカが、ぼくの肩にアゴを乗せて盟主に尋ねた。
『じゃ、劇的な出来事は幾つかステップを踏んで、最後に現れる感じっすか?』
『そういうケースもありまス。しかし今回は恐らク──』
盟主が言葉を続けようとした、まさにその瞬間だった。
──ザザッ! ザザザッ!
突如として、世界に強烈なノイズが走った。
テレビの砂嵐のように、目の前の家族の団欒の風景が激しく歪み、色褪せ、ブロックノイズとなって崩れていく。
『な、何!?』
コバルトが驚きの声を上げ、身構えた。
『安心してください、これはザッピング。わたくしがそう呼んでいる現象でス』
盟主は全く動じることなく、冷静に説明した。
『ザッピング?』
『テレビのリモコンでチャンネルをパチパチ切り替える行為のことだ。つまり、夢の場面が急激にスキップしているんだよ』
ぼくがコバルトやマイカに分かりやすいように補足すると、盟主はコクリと頷いた。
『その通りでス。夢の主の意識が、平穏な記憶から、より強烈で決定的な記憶へとチャンネルを切り替えているのでしょウ』
ノイズがさらに激しくなり、ギンの家の居間が完全に闇へと溶け落ちていく。
『つまり、ここからが本番……』
コバルトがゴクリと息を呑むと同時に、世界は完全に暗転し、次の瞬間には全く別の場面へと移り変わっていた。
吹き抜ける風の穏やかさと、潮の香り。
視界が開けると、そこは先ほどまで高校生たちが立っていた、あの展望台だった。
だが、時間は夜ではなく、薄曇りの昼下がり。
展望台には、ギンが一人だけで手すりに寄りかかり、眼下に広がる街並みと、その先にある灰色の海をじっと見下ろしていた。
彼の表情は、先ほどの家庭で見せていた穏やかなものとは異なり、ひどく張り詰め、何かを覚悟しているかのように──硬い。
その時だった。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
地の底から響き渡るような、不気味な地鳴りが展望台を揺らした。
幽霊状態のぼくたちには直接の物理的な揺れは伝わらないが、周囲の木々が激しく揺れ、展望台の手すりが軋む音がはっきりと聞こえる。
「来たか……」
ギンが、手すりを強く握りしめながら低く呟いた。
──次の瞬間、眼下に広がる平和な街のド真ん中で、信じられない光景が繰り広げられた。
アスファルトの道路が爆発したかのように隆起し、ビルが飴細工のようにへし折れて倒壊していく。
濛々と立ち上がる土煙と粉塵の中から、巨大な、あまりにも巨大な影が姿を現した。
それは、
無機質な金属の装甲に覆われた、
禍々しいトカゲの形をした機械生物だった。
太陽の光を遮るほどの巨体を持ち、全身から青白い火花を散らしながら、街を蹂躙していく。
日常の象徴であった街が──
一瞬にして地獄絵図へと変わる。
ぼくたちは、その圧倒的な破壊の光景と、それをただ一人、静かに見下ろすギンの背中を、声も出せずに見つめることしかできなかった。