生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
視界を埋め尽くすのは、あまりにもスケールが大きすぎる暴力の応酬だった。
夢の中だというのに、その圧倒的な存在感と大気の震えは、透明なハズのぼくたちすらをもビリビリと揺さぶっていた。
眼下の街は、かつての平穏な姿を微塵も残していない。
ひび割れたアスファルト
無残にへし折られた高層ビル
黒煙を上げて燃え盛る瓦礫の山
その地獄絵図の中心で、二つの途方もない質量が、互いの存在を消し去るためだけに激突を繰り返す。
一つは、街を蹂躙するトカゲの形をした巨大な機械生命体。
全身を禍々しい鋼鉄の鱗に覆われ、その一つ一つが呼吸するように不気味な明滅を繰り返している。
そしてもう一つは、白銀の流線型装甲に身を包んだ、神々しいまでの威容を誇る人型の巨大ロボット──シルヴァレッタ。
ズガァァァァンッ!!
二つの巨体が正面から激突するたびに、空気が悲鳴を上げ、凄まじい衝撃波が円心状に広がっていく。
ビルに突き刺さったガラスの破片が粉々に砕け散り、暴風となって吹き荒れる。
その光景を空中から見下ろしているぼくたちは、誰もが言葉を失っていた。
咆哮を上げたトカゲが、その長大な胴体を捻り、身を翻した。
まるで巨大な鞭のようにしなる太い尻尾が、空気を引き裂きながらシルヴァレッタへと迫る。
シルヴァレッタは即座に両腕をクロスさせ、強固な盾としてその一撃を受け止めた。
激しい金属音と、青白い火花が散る。
しかし、数十メートルもある尻尾が生み出す遠心力と質量は、ガード越しであってもその勢いを殺しきれるものではなかった。
シルヴァレッタの巨体が、まるで玩具のように宙を舞い、後方のビルの残骸へと深々と叩きつけられる。
凄まじい土煙が舞い上がり、シルヴァレッタの腕部の装甲がひしゃげ、ひどく損傷しているのが見えた。
『お互いに受けたダメージはすぐに修復されてる。埒があかないわ……』
傍らでフワフワ浮かんでいるコバルトが、焦燥感を滲ませた声で呟いた。
彼女の言う通りだった。
ビルの残骸に沈んだシルヴァレッタがゆっくりと立ち上がると、そのひしゃげた腕の装甲の周囲に、まばゆい光の粒子が集まり始めた。
それはまるで、高度な3Dプリンターが空中に幾何学的なラインを描いて、物質をゼロから出力するかのような美しくも無機質な挙動だった。
瞬きをする間に、失われていた金属の装甲が光の糸によって編み上げられ、完全に元の滑らかな状態へと修復されていく。
一方、シルヴァレッタが反撃に転じ、トカゲの巨体に強烈な拳を叩き込んでも、過程は異なるが結果は同じだった。
装甲が陥没し、内部の機構が破壊されても、トカゲの身体は不気味な音を立てて蠢き始める。
まるで生き物の肉が盛り上がるような、あるいは粘菌が増殖するような、金属の細胞分裂とでも呼ぶべきグロテスクな修復だった。
両者ともに致命傷という概念が存在しない、狂気の無限再生の応酬。
『後はエネルギーの総容量の勝負、と言ったところでしょうカ』
盟主が、長丁場になることを覚悟するコメントを発した。
その声は、かつて人類が引き起こした過ちの歴史を俯瞰するような響きが含まれているように、ぼくには聞こえた。
そんな中、ぼくの背中に張り付いていたマイカが、不思議そうな声で問いかけてきた。
『どしたんイサク? 考え事?』
ぼくの視線は、両者の戦いの行方そのものではなく、ある一点に釘付けになっていたのだ。
それは、彼らがダメージを受けた際に見せる「修復のモーション」の違いだった。
ぼくの脳裏に、これまでの現実世界でシルヴァレッタが負った傷の治り方が思い起こされる。
かつて路地裏で、マラカイトが放った大口径の弾丸がシルヴァレッタの心臓を撃ち抜いた時。
心臓があるべき位置から赤い花が咲くように鮮血が吹き飛んだ後、その傷口は自律的に、通常の何十倍というスピードで塞がっていった。
そしてもう一つ、ウラベメンタルクリニックでクロガネと対峙した時。
ぼくが自らの首を深く切り裂いた傷は、身体に命令するとあっという間に塞がった。
あの時の治癒のプロセスは、光の粒子が集まって再構築されるような、そんな幻想的なものでは決してなかった。
傷口の肉がドロドロと蠢き、細胞が異常な速度で分裂して増殖していく。
そんな生々しくグロテスクな修復。
つまり、ぼくの肉体を操っている『シルヴァレッタ』の傷の治り方は、眼下の神々しいロボットではなく──
あの禍々しいトカゲのバケモノ側に限りなく近い。
ぼくは、震える声で呟いた。
『どういう事だ。ぼくの頭に打ち込んだのはロボのシルヴァレッタじゃない? どちらかと言うと人類の慣れ果てだった方が説明がつく。いや、でも、月の予言や、この夢の記憶はロボのシルヴァレッタを指し示してる……』
月の占いでは「遠い、遠い過去から連綿と続く物語」と語られた。
それは間違いなく、空から。
いや、宇宙から降り立った白銀のロボット、シルヴァレッタのルーツを示しているはずだ。
しかし、ぼくの頭にあるシルヴァレッタの特性はトカゲ機械と合致している。
ぼくは完全に混乱の渦に呑み込まれ、ただただ息を呑んで眼下の状況を見守ることしかできなかった。
⬛︎◆▲
眼下の戦闘は、盟主が予見した通り、純粋なエネルギーの削り合いの様相を呈していた。
そうして何度も何度も修復を繰り返すうち、やがて変化が現れた。
──トカゲの修復スピードが、明らかに鈍ってきたのだ。
ロボットの強烈な蹴りを腹部に受けたトカゲが、悲鳴のような金属音を上げて後退する。
今までなら瞬時に細胞分裂を起こして塞がっていたはずの装甲が、ドロドロとした黒い体液を流したまま、完全には修復されず、ボロボロと崩れ始めた。
エネルギーの枯渇。
無限に思えた再生能力が、限界を迎えようとしていた。勝機は目前だ。
誰もがそう思った、その時だった──
トドメを刺そうと拳を振り上げたロボットのシルヴァレッタの動きが、ピタリと停止した。
『そんな……!』
隣で見ていたコバルトが、両手で口を覆い、悲鳴のような驚きの声を上げた。
『どうした、何が見えた!?』
ぼくが慌てて尋ねると、コバルトは顔を青ざめさせ、震える指で眼下のトカゲを指差した。
『トカゲからボロボロと崩れてる表面の金属が……人のカタチをしてるの!』
その言葉を聞き、ぼくは目を凝らした。
トカゲの巨体が傷つき、剥がれ落ちていく表面の金属。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
崩れかけた金属の表面が波打ち、まるで地獄の釜の底から亡者が這い上がろうとしているかのように、無数の人間の顔や、腕、胴体の形が、苦悶に歪んだまま浮き彫りになっていたのだ。
人類の慣れ果て。
搭乗する前、ロボットのシルヴァレッタはギンにそう告げていた。
その言葉の真意が、今、最悪の形で目の前に突きつけられたのだ。
あのトカゲの身体を構築している巨大な金属の塊は、やはり、元々は人間だったものたちの集合体だった。
かつてこの世界で生きていた何万、何十万という人々がドロドロに溶け合い、個人の自我を完全に失い、ただ一つの怪物として何も分からずに暴れ回っていた。
それが、エネルギーの枯渇により、金属を別種の強固な形に保つ無限の修復能力が間に合わなくなり、素材の元となった人類の生々しい姿へと戻ってしまったのだろう。
ならば、ロボのシルヴァレッタがトドメの一撃を止めてしまった理由も痛いほどよく分かる。
──中に乗っているギンが、躊躇しているのだ。
金属の表面に浮かび上がった無数の人の顔。
もしかしたらその中に、彼が見知った顔があったのかもしれない。
同じ時代を過ごす者
すれ違ったことのある街の人々
日常を共にした知り合いや見知った顔
……もしかしたら、愛すべき家族や友人の姿。
それを自らの手で、完全に消滅させなければならない。
今、ギンは人類の業の佳境に立たされている。
敵が「人類の慣れ果て」であるという残酷すぎる真実を直視し、彼らを救済するために、その命を絶つことができるのか。
それとも、あまりにも重すぎる現実に打ちのめされ、引き金を引くことができずに崩れ落ちてしまうのか。
重苦しい、永遠にも似た沈黙が戦場を支配した。
トカゲは満足に動くこともできず、ただ苦痛に身をよじるように蠢いている。
ロボットは振り上げた拳を下ろし、ただ静かにその異形の姿を見下ろしていた。
その光景を、ぼくたちは、祈るような気持ちで見つめ続けた。
やがて。
ロボットのシルヴァレッタが、ゆっくりと動いた。
それは、絶望に屈した動きではなかった。
ギンは──勇気を振り絞った。
全てを背負い、彼らをこの狂った世界の法則から解放するという、重く苦しい覚悟を決めたのだ。
ロボットのシルヴァレッタが、トカゲに向けて静かに両手をかざした。
その瞬間、周囲の空間が歪むほどの凄まじいエネルギーが、ロボットの両手の間に集束し始めた。
『こ、こりゃすげえや。オイラの何億倍ものチカラがあの手に込められてるぞ』
ミカタが畏怖の念を込めて感嘆の声を漏らした。
空間の歪みは限界点に。
瞬間──
世界から全ての音が完全に消え去った。
爆音も、咆哮も、風の音すらも失われた絶対の静寂の中。
ロボットの両手から解き放たれた莫大なエネルギーの奔流が、
無音の衝撃波となってトカゲの全身を包み込んだ。
抵抗する術を持たないトカゲは、その一身に光の鉄槌を浴びた。
浮かび上がっていた人々の顔が、苦しみから解放されたようにスッと溶け落ちる。
そして、何十メートルもあるトカゲの巨体は、光に満たされ、細かな塵となって風の中にサラサラと溶け落ちていった。
世界に音が戻る。
そこには、ただ穏やかな風が吹き抜け、全てを終わらせた白銀のシルエットだけが悲しげに立ち尽くしていた。