生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
先ほどまでの暴虐の嵐が吹き荒れていた戦場が、嘘のように静まり返った。
巨大なトカゲのバケモノ──かつてこの世界で生きていた人々がドロドロに溶け合い、個の自我を失って形成された人類の慣れ果て。
天を衝くような咆哮を上げていた地獄絵図は、まるで幻だったかのようにその姿を消した。
白銀のロボット、シルヴァレッタが両手から解き放った莫大なエネルギーの奔流。
それは、トカゲの巨体を内部から光で満たし、構成されていた彼らを細かな塵に変えて大地へと還したのだ。
風が、吹き抜ける。
ひび割れたアスファルト。
無残にへし折られた高層ビル。
黒煙を上げて燃え盛る瓦礫の山。
その廃墟の中心で、トドメの一撃を放った白銀は、ただ悲しげに立ち尽くしていた。
傍観者として過去のビジョンを見下ろしているぼくたちは、誰一人として言葉を発することができなかった。
ぼくは、眼下で繰り広げられたあまりにも悲惨な結末と、勝利したはずの白銀が纏う圧倒的な孤独感に、魂が震えるのを感じていた。
やがて、シルヴァレッタがゆっくりと飛翔した。
その巨体は再び小高い丘の上へと移動し、重力を感じさせない滑らかな動作で降り立つ。
ズシン! という地響きと共に着地した白銀の装甲は、戦いの激しさを物語るように所々が黒く煤けていた。
そして、ロボットの身体の輪郭が曖昧にブレ始める。
堅牢な金属の装甲が、まるで朝露が陽の光を浴びて蒸発するかのように、無数のまばゆい光の粒子へと分解されていった。
光の粒子は渦を巻き、
螺旋を描きながら、
果てしなく広がる天へと昇っていく。
その神々しい光の柱の中から一人の人間の姿が現れる。
──ギンだった。
シルヴァレッタのパイロットであり、この狂った世界で全てを背負う覚悟を決めた青年。
彼の身体を包んでいたパイロットスーツのような装甲は光へと溶け落ち、無防備な姿に戻っていく。
しかし、その顔は、勝利の喜びに満ちたものではなかった。
ギンの目は激しく涙を流し続けたせいか、痛々しいほどに赤く腫れ上がっていた。
頬には幾筋もの涙の痕がこびりつき、彼の表情には底知れぬ喪失感と絶望。
そして自らの手で引き金を引いてしまったことへの罪悪感が色濃く刻まれていた。
空から温かくも威厳のある声が響く。
物理的な音波ではなく、直接脳内に語りかけてくるような、テレパシーじみた響きだった。
《ギン。辛い戦いになるが、まだ始まったばかりだ》
それは、天へと昇っていく光の粒子──シルヴァレッタの意志。
《人類を次に繋ぐために、パストパス達は全て倒さないとならない……やれるか?》
パストパス。
それが、先ほど彼が屠ったあのトカゲの怪物の正式名称なのだろう。
人類の慣れ果てであり、尊厳を奪われた異形の集合体。
ギンは赤く腫らした目を伏せ、ギリッと唇を噛み締めた。
そして、何か重たいものを無理やり飲み込むようにして、コクリと深く頷く。
彼のその頷きには、虚勢や強がりは一切なかった。
あまりにも重すぎる現実を直視し、それでもなお前に進もうとする。
──本物の勇気が宿っていた。
「俺、戦うよ」
ギンの声は、ひどく掠れていた。
しかし、その言葉の端々には、決して折れることのない鋼のような意志が込められていた。
「コウタもリョウも、父さんと母さんも、俺がこの手で眠りにつかせた。……もう、やるしかない」
その言葉を聞いて、ぼくは心臓が冷たい手で鷲掴みにされたような感覚を味わった。
先ほど、トカゲの巨体が傷つき、剥がれ落ちていく表面の金属に浮かび上がっていた無数の人々の顔。
苦悶に歪んだまま浮き彫りになっていた亡者たち。
──その中に、ギンの親友であるコウタやリョウ。
あるいは、彼が愛した両親の顔が含まれていたのかもしれない。
あの時、ロボットのシルヴァレッタの動きがピタリと停止した理由。
それは、あまりにも残酷すぎる現実を突きつけられ、引き金を引くことを躊躇したからに他ならない。
しかし彼は、救済するために終わらせるという選択をした。
「今の人類に明日は無いと聞かされて、ずっと夢物語を聞いている気分だったけど……今日やっと実感できた気がする」
ギンは、血の滲むような思いで言葉を紡ぐ。
彼の背負わされた業の深さは、傍観者であるぼくたちの想像を絶するものだった。
「人類を、その文明を始めからやり直す。そのために俺は戦う」
ギンは決意を新たにした。
もはや、この世界そのものを元の平穏な姿に戻すことはできない。
取り返しは、つかない。
──だからこそ全てをリセットし、ゼロからやり直す。
それが彼に課せられた、あまりにも残酷で、あまりにも壮大な使命だった。
その決意を聞き、光の粒子となったシルヴァレッタは、まるで親が子を包み込むような慈愛に満ちた声で激励した。
《ああ、ギン。共に戦おう。この星に来て、君に会えて、本当に良かった。……今は休んでくれ》
そう言って、シルヴァレッタの光は完全に天へと吸い込まれ、見えなくなった。
ギンは、ただ静かに空を仰いでいた。
相棒であるシルヴァレッタを見送っているのか。
それとも、これから続く地獄のような戦いに想いを馳せているのか……その横顔からは定かではなかった。
ただ、彼の小さな背中が世界の重み全てを背負ってしまったかのように、ひどく頼りなく、そして痛々しく見えた。
──その時。
「お兄ちゃん!」
凄惨な戦いの余韻と、悲壮な決意に満ちたこの丘に、少女の大きな声が響き渡った。
ぼくらが驚いて声の方を見ると、この丘に建てられていた観光施設の古びた建物から一人の少女がギンに向かって駆け寄ってくる。
長い黒髪を揺らし、笑顔を浮かべたその少女は、足元の瓦礫やひび割れた地面など気にする様子もなく一直線にギンを目指して走ってきた。
そして、少女はその勢いのままギンの胸にポスッと抱きつく。
「お兄ちゃん、おかえり」
少女はギンの胸に顔を埋め、心底安心したように甘えるような声を出した。
ギンは、すぐに先ほどまでの悲壮な表情を和らげ、優しく、本当に愛おしそうに少女の頭を撫でた。
「ただいま、アオイ」
ギンは少女の名前を呼んだ。
アオイ、それは彼の妹の名前だったか。
両親を自らの手で葬り去るという地獄を経験した直後に、唯一残された家族である妹との再会。
その光景は、あまりにも美しく、そして残酷なコントラストを描いていた。
ぼくは、その感動的な兄妹の再会を見つめながらも、先ほどのシルヴァレッタの言葉が頭の中で引っかかっていた。
『シルヴァレッタは「この星に来て」と言った。つまりアイツは宇宙生命体なんだろうか?』
ぼくは、傍らで同じようにビジョンを見つめている仲間たちに向かって疑問を提起した。
「この星に来て」という表現。
それは、彼が地球で造られた存在ではなく、外宇宙からやってきた存在であることを強く示唆している。
占いの「遠い、遠い過去から連綿と続く物語」という一文。
それが、宇宙からの飛来者としてのルーツを意味しているとすれば辻褄が合う。
ぼくの疑問に対し、盟主が顎に手を当てて思案顔になった。
『DOEの資料では宇宙に関する記述は見当たりませんでしタ。ですガ、研究者の中にはその可能性を指摘する方も確かにいましタ……慧眼ですネ』
盟主は、かつての歴史研究の文献を、そして指摘をした研究者に思いを馳せるように呟いた。
それに呼応するように、コバルトが腕を組んで深く頷いた。
『シルヴァレッタが宇宙人……そう言われると納得しかないわ。どこかズレてると思ってたけど』
彼女の言う「ズレ」とは、現実世界でぼくの身体を操っているシルヴァレッタの、ひどく合理的でありながら人間味に欠け、常識から微妙に外れた言動の数々を指しているのだろう。
不眠不休で動き回り、人間の感情の機微に疎い。
確かに、宇宙人だと言われれば全てに納得がいく。
『ならUFOも実在するのか!?』
ミカタが、空中でクルリと宙返りをしながら、目をキラキラと輝かせて身を乗り出した。
彼にとって宇宙やUFOという未知の概念は、好奇心を大いに刺激するものらしい。
『イメージとは違うっすけど、さっきの光がキラキラーって昇ってくのがUFOな可能性、微レ存。調査員は見た!』
マイカが、オタク特有の早口とテンションでミカタの言葉に被せてきた。
彼女はテレビ番組のパロディのような口調で、先ほどの光の粒子の昇天をUFOの挙動だと断定しようとしている。
『……みんな思ってたより、宇宙、好きなんだな』
殺伐とした戦いの直後だというのに、みんなは宇宙談義に花を咲かせ、ワイワイと盛り上がっている。
そのどこかピントのずれた、しかし平和なやり取りに、ぼくは思わずホッコリと頬を緩めていた。
──しかし
その和やかな空気は、
不意に、
そして唐突に。
冷水を浴びせられるように断ち切られた。
「……ピーチクパーチクうるさいんだよ、他所者が」
低く、ドロドロとした悪意に満ちた怒声。
それは、ギンに抱きついていた少女、アオイの口から発せられたものだった。
「……アオイ、どうした?」
ギンが、妹の突然の豹変に驚き、戸惑いながら尋ねた。
するとアオイは、先ほどの悪鬼のような声が嘘だったかのように、パッと花が咲いたような愛らしい笑顔をギンに向けた。
「ちょっと待っててね、お兄ちゃん」
アオイは、甘えるような声でそう言うと、ギンの胸からゆっくりと身体を離した。
そして、彼女は小さく一歩下がり、右手の指を天に向けて、パチンと軽快に鳴らす。
瞬間──
世界が
死んだ
風に舞っていた乾いた木の葉が、空中でピタリと静止した
遠くから微かに聞こえていた海風の音が、完全に途絶えた
空を流れていた雲が、その形を固定された
全ての物理法則が
時間の流れが
たった一人の少女の指鳴らしによって、完全に停止してしまった──
『なっ!?』
ぼくは驚愕の声を上げた。
理解が追いつかない。
ここは夢の世界であり、過去の記憶を再生しているだけのビジョンのはずだ。
登場人物である彼らは、あくまで録画された映像のようなものであり、傍観者であるぼくたちを認識することなど絶対にあり得ない。
しかし、アオイという少女は、明確にこちらを認識して「他所者」と呼び、あまつさえこの世界そのものをコントロールして時間を止めてしまった。
『か、身体が動かない!』
コバルトが、悲痛な声を上げた。
彼女の言う通りだった。
過去のビジョンの時間が停止したと同時に、傍観者として空中に浮かんでいたぼくたちの動きも完全に封じられてしまっていた。
指一本、自由に動かすことができない。
まるで見えない強力な万力で全身を締め付けられているかのような、絶対的な拘束だった。
アオイは、ゆっくりとこちらを一瞥する。
その顔には、先ほどまでの無邪気な妹の面影は微塵もなかった。
そこにあったのは、神にも等しい力を持つ絶対者としての──
冷酷で、
傲慢で、
それでいて底知れぬ狂気を孕んだ余裕の笑みだった。
「人がせっかく、お兄ちゃんと永遠に一緒にいられる幸せな夢に浸ってるって言うのに……」
アオイは、凍りついた世界の中でただ一人、滑らかな動作でこちらへと歩み寄ってくる。
彼女の足音が、無音の世界で不気味に響き渡る。
「邪魔者は、懲らしめないとねぇ?」
少女の瞳の奥には、ドス黒い怨念が渦を巻いていた。