ある日の昼下がり。
ヤニねこの部屋には、いつもの面子がなんとなく集まっていた。別に何かする予定があるわけでもない。ヤニねこは寝転がってタバコを吸い、ハメねこはスマホをいじり、ヤクねこはその辺に座っている。カンサイねこも適当にくつろぎ、アルねこもいつも通り、昼間から片手に酒。
集まったところで特に何もしない。それでも帰らない。だいたいいつも、そんな感じだった。
「そういえばニャー、昨日バイト先で面白いこと教えてもらったにゃ」
煙を吐きながら、ヤニねこが唐突に言った。
「なんですか?」
「笑いのセンスが良くなるツボ」
「なんすかそれ」
あまりにも怪しかった。
「ここ押すと面白くなるらしいにゃ」
「へー。誰かに試してみましょうよ」
「いいね! やろう! やろう!」
ハメねことヤクねこの視線が動く。ヤニねこも見る。酒を飲んでいたアルねこまで、なんとなく同じ方向を見た。
全員の視線が、一人に集まる。
「……なんでうち見んねん!」
カンサイねこだった。
「いや、こういうのはカンサイさんかなって」
「うち十分おもろいやろがい!」
「でも、もっと面白くなるかもしれないですよ」
「なんやねん、その伸びしろあるみたいな言い方!」
「いいじゃん。一回やってみようよ」
「嫌やわ! なんでよう分からんツボ押されな――」
「タダだにゃ」
「値段の問題ちゃうねん!」
とはいえ、四人から見られ続けるのも面倒だった。
「……まあええわ。一回だけやで」
結局、カンサイねこが折れて床へ仰向けになる。
「で、どこ押すん?」
「確か……この辺だったにゃ」
「ほんまに覚えとるんやろな?」
「たぶん」
「待て待て待て!」
ぐっ。
「うっ――」
カンサイねこの目が見開かれ、そのまま白目を剥いて動かなくなった。
「…………」
「…………」
「…………」
ヤニねこが指を離す。
「先輩?」
「死んだ?」
「ニャーは言われたところ押しただけにゃ」
「殺した人の言い訳ですよそれ!」
「ん……?」
むくりとカンサイねこが起き上がった。
「なんや?」
「生きてた」
「勝手に殺すな!」
特に具合が悪そうでもない。むしろ本人だけ、なぜ心配されているのか分かっていなかった。
「じゃあ、本当に面白くなったか試してみるにゃ」
「切り替え早すぎるやろ!」
ヤニねこは近くに置いてあったタバコの箱を手に取った。
ピース。
「これでボケてみるにゃ」
カンサイねこの顔が引きつる。
「……またピースかいな」
嫌な記憶が蘇った。
以前、どうにかしてヤニねこを笑わせようとしたことがある。ボケた。ツッコんだ。思いつく限りのことをやった。それでもヤニねこは笑わなかった。
最後にはカンサイねこも意地になり、何がなんでもこいつを笑わせると決めた。追い詰められた末に選んだ最終手段は、ピースのタバコを二本取り出し、左右の鼻の穴へ一本ずつ突っ込むというものだった。
渾身の変顔。さらに両手を顔の横へ持ってきて――
『ダブルピースや!』
全力のダブルピース。
ここまでやれば、さすがに笑う。そう確信していた。
だが。
『…………』
ヤニねこは真顔だった。
『それ吸っていい?』
『そこちゃうやろ!』
笑わせるどころか、鼻にタバコを二本突っ込んだだけで終わった。苦い思い出だった。
「…………」
「どうしたにゃ?」
「いや……なんでもない」
だが、今日は違う。
目の前のピースを見ても、頭の中が妙に冴えていた。鼻に入れる必要なんてない。変顔もしなくていい。
今なら、いける。
根拠はないが、謎の自信だけはあった。
カンサイねこはピースの箱を受け取り、しばらく眺める。
「……これ、めっちゃ平和そうな名前しとるな」
「うん」
そのまま部屋を見回した。山になったゴミ、吸い殻、散らかった服、よく分からない空き容器。そして、その中心でタバコを吸っているヤニねこ。
「吸っとる本人の生活、戦時中やけどな」
「ぶはっ!」
ハメねこが吹き出した。
「確かに!」
「ちょっ……!」
ヤクねこまで笑い始める。ヤニねこだけが、自分の部屋を見回した。
「誰の生活が戦時中にゃ!」
「お前や!」
「…………!」
カンサイねこが固まった。
今、ヤニねこがちゃんとツッコんだ。
「やった……」
「何が?」
「ヤニねこがツッコんだ……!」
「そこに感動してるんですか!?」
鼻タバコと変顔とダブルピースですら越えられなかった壁を、たった一言で越えてしまった。
「ほんまに効果あるやん……!」
「すごいっすね、そのツボ!」
「じゃあ次いこうよ!」
完全に面白がったヤクねことハメねこが、次のお題を探す。
「じゃあ……アルねこさんで何かお願いします!」
「人をお題にすな!」
「んー?」
当のアルねこは気にせず酒を飲んでいた。今日は湿気がひどい。ただでさえろくに手入れされていない髪が湿気を吸い、これでもかというほど膨らんでいる。
もはや身体より髪のほうが存在感があった。
カンサイねこはそれを見る。
以前だったら、
『上陸前のヒグマドンかーい!』
などと言って、
『ヒグマドンって何?』
『上陸前ってどういう状態?』
『先に説明して』
と、ボケた本人が逆にツッコまれていた。
だが、今は違う。
膨大な髪の真ん中から顔だけ出し、何事もないように酒を飲んでいるアルねこ。その姿を見た瞬間、カンサイねこの頭に答えが降りてきた。
「……アルねこ」
「んー?」
一拍。
「洞窟で見つけたハウルかーい!」
「ぶはっ!」
ヤクねこが噴き出し、ハメねこも腹を抱えた。
「ちょっ、似てる!」
アルねこは自分の髪を触る。
「髪そんな変?」
「顔しか出てへんやないか! お前はもうちょい気にせえ!」
するとアルねこが、何を思ったのか自分の髪へ手を突っ込んだ。
ごそごそ。
ずるっ。
髪の中から、タバコのカートンが出てきた。
「…………」
「…………」
「まだ入るよ」
「しかも収納機能まで付いとんのかい!」
また笑いが起こった。
「……なんや今日のうち」
カンサイねこは自分の両手を見る。
怖いくらい調子がいい。いつもなら勢いだけで投げたボケが、よく分からないところへ着地するのに、今日は言葉が勝手に出てくる。
「ほら、次なんか出してみ!」
「めちゃくちゃ調子乗ってるじゃないですか」
「ええやろ! 実際ウケとるんやから!」
その時、玄関から低い声が飛んできた。
「おい」
一同が振り返る。大家だった。
「さっきから何の騒ぎだ?」
「あ、大家さん」
「カンサイねこが面白くなったんですよ」
「……前からカンサイねこだろ」
「そういう意味じゃないです」
「どういう意味だよ」
ヤクねこが事情を説明した。バイト先で教えてもらった謎のツボ。押したら一瞬気絶し、起きたらカンサイねこの笑いのセンスが異様に良くなっていたこと。
「……大丈夫なのか、そのツボ」
大家だけがまともな疑問を口にした。
「大丈夫だったにゃ」
「気絶してる時点で大丈夫じゃないだろ」
もっともだった。
「ほんまやって。今日のうち、めっちゃキレとんねん」
「自分で言うなよ」
「ほな大家、なんかお題出してみ!」
「なんで俺まで参加するんだよ……」
大家は呆れながら部屋を見回し、その辺に転がっているゴミ袋を指さした。
「じゃあ、あれ」
「任せえ!」
いっぱいになってから何日経ったのか分からないゴミ袋。その横にもゴミ。さらにその横にもゴミ。
カンサイねこは一瞥した。
「……ヤニねこ、引っ越すん?」
「引っ越さないにゃ」
「部屋のほうがゴミ捨て場に引っ越してきとるやないか!」
「逆だろ! ゴミ捨て場が部屋に来てるんだろ!」
大家が反射的にツッコんだ。
「…………」
一瞬、部屋が静かになる。
大家自身も気づいた。
カンサイねこがニヤッとする。
「今ツッコんだやろ?」
「……本当にカンサイねこか?」
「せや言うとるやろ!」
また部屋が笑いに包まれた。
カンサイねこは絶好調だった。
「いやー、今日はええ気分や! ほら、次!」
「じゃあこれ!」
「任せえ!」
「次これ!」
「余裕や!」
いつしか、ヤクねことハメねこによる即席大喜利大会になっていた。
そんな中、ヤニねこはもう飽きてタバコを吸い、アルねこは酒を抱えて寝ていた。
◇
翌日。
「今日もいくで!」
ヤニねこの部屋には、自信に満ち溢れたカンサイねこがいた。昨日の成功体験が忘れられなかったらしい。
「今日のうちは一味ちゃうからな」
「昨日から何も食べてないにゃ」
「そっちの一味ちゃう!」
カンサイねこは得意げに笑った。
今日もいける。昨日あれだけウケたのだ。もはやツボなんて関係なく、自分自身の才能が開花したのかもしれない。
そんなことを考えていると、ヤニねこがタバコの箱を手に取った。
箱を逆さにする。
軽く振る。
ころり。
落ちてきたのは、一本だけだった。
「…………」
ヤニねこがそれを少し悲しそうに見つめる。
「これで最後にゃ……」
普段吸っているものより、少し高いタバコだった。
たまにはいいものを吸いたいと奮発して買ったものの、当然のように次の箱を買う金はない。つまり、この一本を吸えば終わり。
ヤニねこにとっては、わりと本気で貴重な一本だった。
それを見たカンサイねこの目が光る。
「待て!」
「?」
来た。
向こうからお題が歩いてきた。
昨日の感覚が一気に蘇る。
今日もいける。
カンサイねこは、ヤニねこの持つ最後の一本を指さした。
「比較的高いタバコの……最後の一本……」
一拍。
「これが――ひと繋ぎの財宝かーい!」
「…………」
「…………」
「…………」
誰も笑わない。
「……それはワンピースがな!」
耐えきれず、自分でツッコんだ。
「…………」
さらに静かになった。
「……あれ?」
ハメねこは真顔。ヤクねこも困った顔。ヤニねこは何事もなかったように、最後の一本を咥えた。
「効果切れたにゃ」
「ちょっと待てや!」
「昨日と同じ人ですよね?」
「同じや!」
「昨日よりひどくなってない?」
「うるさいわ!」
昨日の笑いのセンスは消えた。
なのに自信だけは残っていた。
最悪だった。
「もう一回や! ヤニねこ、昨日のとこ押せ!」
「いいにゃ」
カンサイねこが床へ仰向けになる。
「ほんまに場所合っとるんやろな?」
「たぶん」
「そこは昨日から変わってへんのかい!」
ぐっ。
「うっ――」
白目。
数秒後、むくりと起き上がる。
「……どや!」
「なんか面白いこと言ってください」
「急に言われても困るわ!」
「戻ってますね」
「戻っとる言うな!」
「もう一回押すにゃ?」
「やれ!」
ぐっ。
「うっ」
白目。
復活。
「なんか面白いこと」
「だから急に言われても!」
「ダメですね」
「なんでや!」
何度やっても変わらなかった。
最後にはカンサイねこが床へ寝転がったまま、恨めしそうにヤニねこを睨んでいる。
「……なんで昨日だけやねん」
ヤニねこは少し考えた。
「たぶん、一生に一度しか使えないツボだったにゃ」
「そんな大事なこと先に言えや!」
「ニャーも今知った」
「どんなツボなんですか……」
ヤクねこのツッコミだけが、静かに部屋へ響いた。
◇
それから数日後。
「そういえば先輩」
「ん?」
ヤクねこが、ふと思い出したように口を開く。
「この前バイト先で、新しいツボ教えてもらったっす」
「へえ」
「押すと膀胱が緩くなるツボらしいっす」
「…………」
ヤニねこが煙を吐く。
「誰で試すにゃ?」
「そうですね……」
ヤクねこの視線が、ゆっくり横へ動いた。
その先にはハメねこがいた。
「…………」
「…………」
「なんでこっち見るの?」
終。
面白いって難しいね…カンサイ…