side:Yixuan
「…………うーむ、やはり髪が長いと一苦労だな」
浴室前の脱衣所で、ドライヤーを使って髪を乾かす。
結局、ナラカの仕事場への宿泊が決まり、夕飯を作っている間に風呂へ入ってしまえ、と言われたので家主のお言葉に甘えることにした。
普段の道着は洗濯機へ。
今は置かせてもらっている部屋着、肩出しのニットワンピースに着替えているが、店員に進められるまま買ったものなので丈が短すぎた。
ストッキングも合わせて買ったのは幸いだったな。色々と見えるのを気にして、一歩も動けなくなるところだった。
しかし、こうも長湯したのは久しぶりだ。
雲嶽山の風呂は広いが、一人で使える機会はほぼない。念入りに魂を洗濯し、入念に身体の手入れしてしまった…………少し、のぼせているか。
「ふぅ、すっきりした」
「そりゃよかったな。こっちも出来たぞ」
「おぉ、フルコースだな」
「其処まででもないだろ。潘の奴、倹約し過ぎなんじゃないか? 悪いこととは言わねえが、肉体労働のお前らに脂質が足りない食事は物足りないだろ」
「あやつはあやつで頑張ってくれているのだが、野菜が多めなのは否定できんな」
脱衣所を出ると、ナラカはテーブルに座って待っていた。
テーブルの上にはメインの丼ものだけではなく、付け合わせのサラダに、野菜のたっぷり入った汁物、箸休めに向いた蒸し豆腐。
ナラカのところに泊めさせて貰うと、下手な安ホテルでコンビニやらの味気ない食事をするよりも、遥かに上等なものが出てくる。
味も栄養価も比ではないため、福福、葉兄妹、潘は街に来た際は泊まりに来るほどだ。
我が弟子達ながら遠慮がない。
何せ奴等と来たら、ちゃっかり着替えを置いてあったりする。師が師なら、弟子も弟子だな。
「ふむ、今更ながら申し訳なくなってきたな」
「だったら改善してくれ。頼られて悪い気はしないが、色々と手間なんでな。兎に角座れよ、冷めるぞ」
「お前さんもお前さんだなぁ。文句は言えども、無碍にはせん。だから私達も甘えたくなるのさ」
言ってろ、とうんざりした口調でありながら、ナラカの表情は満更でもなさそうだ。
そういう顔をするから、私達も思わず頼ってしまうというのにな。
しかし、頼ってばかりでは流石に心苦しい。アキラとリンの世話を見るのは当然として、何かを恩返しの一つも考えておかねばならんか。
そう思いながらも、促されるまま椅子に座った。
香ばしい脂と甘い香りに、食欲が掻き立てられる。メインが何かは分からないが匂いだけで唾液腺が弾けそうだ。
「「いただきます」」
両手を合わせ、すっかり慣れた食前の挨拶を口にする。
新エリー都では、一部の人間しか行わない風習だが、ナラカの姿を真似て雲嶽山ではすっかり馴染みとなっていた。
恵みを齎した神だけでなく、料理が出来上がるまでに関わったすべての命、すべての人間に捧げる感謝。
初めて見た時はナラカのような男が、と驚いたものだが、短いが謙虚で敬意ある言葉には感じ入ったものだ。
すべてに感謝を捧げ、丼の蓋を開けるとそこには黄金に輝く卵と茶色の衣による絶妙な色合いが姿を現した。
「おぉ、かつ丼か。これは食いでがあるな」
「働いてきたんだ、これくらいガッツリ食べないとな」
「これは福福に言ったら、文句を言われそうだ」
「潘の野郎、どれだけ倹約してんだ。週に何回かは肉を食った方がバランスいいだろ」
「ないわけではないぞ。福福は虎のシリオンだからな、肉が好きなだけさ。こちらの汁物は、ゴマ油を使っているな」
「ああ、けんちん汁だ。かつ丼の味が濃いからな、薄味だが色々と根菜が入ってるから出汁が効いてて飲みやすいし、食べやすい」
メインの前に、まずは汁物で口を潤す。
汁を啜れば、ゴマ油の香りが鼻腔を刺激し、遅れて醤油で味を調えた出汁の旨味が口に広がった。
ホクホクとした根菜、大根、人参、里芋の味が嬉しく、コンニャクと椎茸によって歯応えの変化も楽しめる。
思わず、溜め息をついていた。
飛びぬけた味というわけではないが、ほっとする優しい口当たりと味わいだ。
「さて、かつ丼を頂くとしようか。あむっ……!」
「なかなかいい出来にはなったかな」
「むぐっ、んぐっ……ごくん! うむ、旨い。正に絶品だな」
「そりゃよかったよ」
箸で割り下の沁み込んだカツと白米、卵と玉ねぎを掬い上げ、パクリと一口。
卵はふわふわ、カツはしっとりとしていながらもサクリとした衣の感触が失われていない。
噛むと衣が音を立て、中の厚い豚肉は弾力を残しながらも柔らかで、容易に噛み切れる。肉汁もたっぷりで、豚肉の旨味を存分に楽しめた。
「……む、どうした。いつものように改善点は口にしないのか?」
「いや、気になるところはあるんだが、わざわざ口に出すのは旨いと思ってる奴に冷や水浴びせてるようなもんだな、と最近思い始めた」
「お前さんも、変に気遣いをする奴だな。私は気にしないが」
「どうせ食うなら、気持ちも満腹になった方がいいしな。頭の中では考えてるよ」
ふむ、アレはアレでナラカの職人気質が出ているようで、す────素晴らしかったと思うが。
こちらはこちらで、料理人としての強い自覚と配慮が現れていて、す────すごくすごいな。
「何だよ、その顔は……」
「いや、何でもないが……?」
「チュピィ…………」(どうしてそんなに意地を張るの。認めちゃいなよ……)
顔と耳が熱い。
きっと長湯をし過ぎと食事で体温が上がったからだな、うん。
「ふぅ、よく食べた。お前さんといると、食の幸福が尽きることなし、だ」
「潘も頑張ってる方だろ」
「無論だ。ただまあ、中華だけだとバリエーションがな。味は同等でも、新鮮味が嬉しい」
「そればっかりはな。色々と味は変えてるんだろうが、土台が同じじゃな。あとさぁ…………」
「何だ……?」
食事を終え、同じソファに座る。
点けられたテレビからは街の不思議な噂を集めたバラエティ番組が流れていた。
内容は『怪奇! 時速100km爆速自転車男!』、『奇妙な殺人事件、ドッペルゲンガーの仕業か!?』などなど。
こうした番組は興味も関心もないが、BGMとしては優秀。
私も口数が多い方ではないが、沈黙は気まずさを覚える。無意味であっても音があるとないとでは天と地ほどの差があるものだからな。
しかし、ナラカとの間に流れる沈黙は苦痛ではない。寧ろ、穏やかに流れていく時間が心地良いほどだ。
だが、ナラカは何が気に入らないのか、眉間に皺を寄せて口を開いた。
「人の膝に足を乗せんな、重いだろうが」
「重いとは失敬な。デリカシーがないな、お前さんは」
「そういうお前は遠慮がない。オレはお前の足置きじゃねーぞ」
「この高さがいいのさ。ふぅ、足のむくみがなくなっていくようだ」
「……ったくよぉ」
私はソファを寝そべり、ナラカの膝の上に両脚を投げ出していた。
雲嶽山宗主にあるまじきだらしない姿だが、これでも普段は弟子の前で師として気を張っている。
こいつの前では情けない姿も弱いところも見せているのだ。これくらいは許されてもよいだろう。
しかし、ナラカの丸太のように太い脚でも少々高さが足りん気がする。
良い位置を探して脚の無造作に動かしていると、ナラカは舌打ちをしながらも妨げようとはしてこない。
そうして、ようやく見つけた良いポジションはナラカの肩。其処に足を組んで踵を置く。おぉ、いい感じだ。
「ふぅ、脚から疲れが抜けていくようだ。貯まった血が身体に戻っているな。そのまま動かないでくれ」
「いい加減にしろよ、この
「この人肌がいいのだ、堪えろ」
「踵しか触れてねえだろうが。何でお前のために堪えなけりゃならねえんだよ!」
「お前さんと私の仲だろう、固いことを言うな」
「甘えんぼさんか、お前は! オレの方が年下だぞ!」
「ふっ、私は俗にいう妹キャラだ。それが無理をして宗主などやっておるのだ。少しは甘えさせろ」
「自分で言っ、てん、じゃ…………」
普段通り、何の益もない会話を繰り広げる。
意味のある、益のある会話ばかりでは肩肘張って仕方がない。メイフラワーとの会話など正にそれだ。
弟子達とも無意味な会話をするが、やはり心の何処かで情けない姿は見せられないと意地を張っている自分がいる。
そういう意味で、ナラカは本当にちょうどよい。
口も悪ければ、言葉選びにも遠慮がない故、こちらも気を遣わなくてもよいのだから。
と思っていたのだが、ナラカの言葉が途中で途切れた。
何事かと見てみれば、ぎょっと目を見開いて、口をパクパクと動かすばかり。
はて、何を見たのか。
奴の視線を私の脚の付け根に向けられて────そこで、愚かな私はようやく気付き、脚を引っ込めて、服の裾を限界まで伸ばす。
「……み、見たのか」
「い、やぁ……見えちゃった、という、かね?」
「…………す、助兵衛め!」
(かわッッッッッッッッッッ!!!!!)
さ、流石に油断し過ぎたか。
幸いなことに今日の下着はなかなかお高いものでデザインもよく、福福にも瞬光にも評判がよかった。
いや、違うな。下着は下着だ。見苦しいものだろうに。うぅむ、恥の感情が際限なく湧き上がり顔が熱い、思考が定まらん。
いかん。いかんな。雲嶽山の宗主が、これしきのことで心を乱すなど。
大きく息を吸い、大きく息を吐く。
暴れていた鼓動はそれで収まり、キッと睨みつけるとナラカはビクリと肩を震わせ、目を逸らす。
ほう? 随分と気まずそうな顔をするではないか。
ほう、見苦しいものを見せるな、くらいは言われるかと思ったが。ほうほう。
心に湧き上がる感情はなんだ。
喜び、優越感────なわけがない。怒りではないのは確かだが……恐らくは、恥を掻き消すための反動のようなものだな。
「すまん、見苦しいものを見せたな」
「いや、………………オレも悪かったよ。油断してた」
「何だ、眼福だったくらいは言うと思ったが」
「ふざけんなよ? オレを何だと思ってんだ」
「冗談だ。そう怒るな」
「そう言いつつ、何をしてんだお前」
「ん? 見られてしまったからな。体勢を変えている」
「それは分かんだけどさぁ。これはどうなんだ? どうだ、オレちゃんと馬鹿を見る顔できてるか?」
「ああ、できているな。まったく何て男だ」
「こっちの台詞ですけど???」
ソファの上で身体を回転させ、今度は頭をナラカの膝に乗せる。
俗に言う膝枕だ。
脚をソファの肘掛けに置く。初めからこちらにすればよかったな。
顔を引き攣らせながらこちらを見下ろすナラカの顔は、随分と面白い。
ふふふ、いい気味だ。私が心を乱したのだから、お前さんも思う存分に心を乱すがいい。
されど、ナラカは溜め息を吐き、肘掛けを使って頬杖をつくとテレビに集中してしまう。
やはり腹立たしい男だ。こちらを意識しているのかいないのか、判然としない態度ばかりする。
何か一言でも、と思ったが、頭に手を乗せられて、そのまま撫でられた。
リンあたりにでも同じような甘え方をされているのか、無意識であるらしい。
嗚呼、随分と懐かしい気持ちになる。こんな風にされたのは、何時以来か。
「……ん? ああ、悪い。手癖でな」
「いい、そのままにしてくれ。ふふ、リンは普段からこうしてくるのか」
「アキラもだ。こうやって引っ付いてくるよ。もういい歳だってのにな」
「満更でもなさそうな顔だぞ? しかし、頭を撫でられるなど何年ぶりだろうな。姉様にも、よくこうしてもらったよ」
「………………そうか」
「いくつになっても心地良いものだよ。二人にも、こうしてやってくれ」
「ああ、考えとく」
姉様とは全く違う手付きと力加減。
けれど、心地良さは勝るとも劣らない。我ながら、何時の間にやら驚くほど心を開いてしまったものだ。
願わくば、こうした時間が長く続きますように。
穏やかな時は、心についた傷を癒す薬となる。アキラとリンも私以上に辛い境遇だ、こうして癒されてきたのは想像に難くない。
嬉しいものだな。こうして、誰かに頼る喜びを再び得られそうとは。
だからこそ、アキラとリンを弟子として成長させてやらねば。ナラカにとっては、それが何よりも喜ばしい筈だからな。
ナラカ
こんな距離感なのに気にしてないのは、アキラとリンに次ぐレベルで付き合いが長いため
儀玄
割と意地を張って好意を認めてない部分もある。
青溟鳥
儀降が存命時代から開発をしていたため、微量であるが儀降のエーテルが身体、意識が自我の構成物として組み込まれている。雲嶽山の皆さんと同様に気ぶり勢。
小説の視点はどちらが読みやすい?
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一人称
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三人称