終末世界のラーメン屋台の店長さん   作:一反木綿豆腐

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イヴリン・シェヴァリエと味噌ラーメン

 

 

 

 あらゆる裏稼業に従事する者にとって、必須となる条件。

 

 それは不動心。

 

 連中は口を揃えて、そう言っていた。

 奴等の所業を微塵も認めるつもりはないが、成程その主張には一理ある。

 

 あらゆる残虐に眉一つ動かさず。

 あらゆる非道に心一つ乱さない。

 

 でなければ指先に鈍りが生まれ、十全な性能を発揮できず。

 十全な性能を発揮できなければ、与えられた仕事さえ熟せない。

 

 その解決策が、心と身体を切り離す処置。

 的外れすぎて笑えたのは、よく覚えている。

 

 手段を間違えている。

 方法を間違えている。

 思想を間違えている。 

 理想を間違えている。

 

 あれは、あらゆる意味で間違っていた。

 間違えたものを間違えたまま、あらゆる負債と犠牲だけを積み上げて。

 最終的に何処へ辿り着きたかったのかさえも忘れ果て。

 

 あまりにも■■で。

 あまりにも悍ましい。

 

 

 ──だから、思わず彼女に忠告した。

 

 

 心が凍てついていないのなら。

 大事な物が残っているのなら。

 

 アンタはその道に向いていない、と。

 

 

 


 

 

 

 本日の「一期一会」は、ルミナスクエアの運河近くに店を出していた。

 夜ともなれば、運河に反射する夜景の美しさに惹かれ、無数のカップルが訪れる。

 

 そうしたカップルに狙いを定めて店を出したのだが、今日は閑古鳥が鳴いていた。

 無理もない。デート中の食事で屋台ラーメンを選ぶカップルなど、それこそもう互いの本心に触れ、自らを取り繕う必要のない関係性に至った者達のみ。

 

 其処にまで至っていなければ、人というものは見栄を張りたがる。

 洒落たバー、高級なレストラン。相手によく見て貰いたければ、選択肢は自然とそちらに寄る。

 

 もう少し気温が落ちていれば、結果はまた少し違ったかもしれないが、こればかりは仕方がない。

 

 人の心など移ろいゆき、正確には読めないものだ。

 昨日は目を廻すほど忙しくとも、翌日は同じ場所でも開店休業状態になるなど珍しくもない。

 

 ガウタマは椅子に座って足をぶらぶらと遊ばせて。

 ナラカは腕を組んで屋台の天井を眺めるばかり。

 こうなっては場所を変える他なく、そろそろ潮時かと思った頃。

 

 ガウタマのウサギ耳がピクリと動き、ナラカの視線も同時に動く。

 

 

「まだやっているか……?」

「よお、ご覧の通りだよ」

「ンナ! ンナァッ!(こんばんわ、イヴリン! 一名様ご案内ー!)」

 

 

 暖簾を潜って現れたのは、目も眩むような美人であった。

 

 切れ長の目と紫紺の瞳は、見る者に冷徹な印象を与えながら、疑う余地のない美貌を妖しく輝かせる。

 後ろで纏めたアップスタイルの金髪、レザー製のズボンと肩に羽織ったジャケットは如何にもシゴデキクールビューティーといった趣。

 引き締まった身体を無数のベルト引き締め、厳しさすら覚えそうだが、ノースリーブのシャツとはち切れんばかりのスタイルが色香へと変えていた。

 

 その実態は、受ける印象と何一つズレることない凄腕キャリアウーマン。

 

 名はイヴリン・シェヴァリエ。

 ナラカが太鼓判を押す上客であり、「一期一会」の常連。

 新エリー都の歌姫アストラ・ヤオの身辺警護とマネージャーを兼任する美女であり、また苦労人でもある。

 

 

 


 

 

 

 肩にかけたジャケットをガウタマから受け取ったハンガーにかけて、軒先へと吊るす。

 そして、グローブを外し、椅子に座ったところで、イヴリンはようやく一息をつく。

 

 今日はひと際忙しい一日であった。

 

 朝から護衛対象は何時もの我儘ぶりを発揮して、仕事をすっぽかして居なくなるわ。

 打ち合せ相手からは終始下種な視線を感じ、表にこそ出さなかったが怖気を覚えるわ。

 事務所スタッフのミスで、ステージ設営関係者に頭を下げて回り、尻拭いをする羽目になるわ。

 

 散々といえば散々であったが、疲れよりも充足感が勝る。

 かつて、消えぬ虚無感をずっと抱えていた頃に比べれば、喜ばしくさえある。

 それはひとえに、ただ己の心を何一つ偽ることなく生きる彼女のお陰だろう。

 

 

「それで、今日は何にする?」

「限定ラーメンはないのか、残念だ。そうだな、今日は味噌と半チャーハンをセットで」

「クソァッ! 半チャーハンをキャンセルする気は……?」

「ない。今日は、朝から何も食べていないのでな」 

「そっかぁ……じゃあ、しょうがないかぁ……でもなぁ、めんどくせぇなぁ……」

「客の注文に文句を付けるのはどうかと思うが」

「うん、そうね。でもね? めんどうなものはね? めんどうなんだよね?」

 

 

 チャーハンを注文すると、毎度この調子。

 自分に正直すぎる姿は彼(・)女(・)と似通っている。

 但し、ナラカは文句を垂れるだけでやることはやる。

 彼女は一度でも臍を曲げれば梃子でも動かない違いがある。

 

 文句を聞き流しさえすれば、どちらが扱い易いかは言うまでもない。

 

 そして、イヴリンにとって彼女が生きる原動力とするのなら、「一期一会」は引き締めた兜の緒を緩め、息をつける場所と言ったところか。

 

 きっかけは何のことはない。

 任(・)務(・)帰りに、たまさか「一期一会」に立ち寄ったことが始まりであった。

 

 

「飯食ってないだけあって、顔色よくないな」

「そうか?」

「ああ。まあ、化粧と充実感で隠れてるが」

「ふっ、それなら良かった。欲の皮が張った連中にバレれば、疲労に付け込まれてしまう」

「よくやるよ。あの我儘娘の面倒を見て、そんな連中と付き合っていくなんざ、オレには無理だ」

 

 

 最初の内は注文だけを伝え、応答がある程度。

 その内、二、三言だけ言葉を交わす機会が増えていった。

 

 警戒心はあったが、それが溶けていったのは絶妙な距離感のせい。

 踏み込み過ぎず、余計な詮索もせず、かと言って自ら声をかけないわけではない。

 

 ラーメンの味も悪くはなく、チャーハンは絶品、時折頼む餃子も好みの作り。

 何よりも彼女にすれば、注文してから目の前に並べるまでの時間が短い店は、食べ逃す心配が少ない。

 

 また店主であるナラカの気遣いも、ありがたい。

 

 

「ふと思ったのだが……」

「んぁ? なんだ?」

「ラーメンのかえし、だったか。そのタレの量、毎回違っていないか?」

「へぇー……そこに気付くとは、やはり天才か……!」

「そこまでか?」

「少なくとも同業以外に気付かれたことないなぁ。つーか、そこまで見てるのはアンタの職業柄か」

 

 

 イヴリンの忙しさは、見ていても分かるのだろう。

 だからか、他の客に提供する時は丼に湯を入れて温めておくのだが、イヴリンの場合は丼を温めない。

 勿論、温めておいた方が冷めるまでの時間が長くなり、味にも勢(・)い(・)が生まれる。

 

 ただ、緊急に呼び出される可能性のある彼女には、熱すぎれば十分な量を腹に納められない。

 其処でナラカはある時から、丼を温めることをやめた。

 

 それに気づくまで随分かかったものだが、気づいた時の心境は喜びに近いものであった。

 自らの内を悟られた驚き、言葉ではなくただ行動で示す人間性。

 思わず笑みが零れたものだ。

 

 そして、今もまた────

 

 

「毎回変えてると言うか、客によってかえしの量が違う」

「ほう、どうしてだ? 味が変わるだろう」

「だからだよ。人によって濃い薄い、かえしが強い方がいいか、出汁が強い方がいいかは変わるだろ?」

「…………呆れたな。そこまでしていたのか、君は」

「い(・)つ(・)も(・)の(・)味(・)に収まる範囲だがね。まっ、材料費は安いんだ、これくらいはな。それに、見立てを外したことはないんだぜ?」

 

 

 客の顔を見て提供するタイプの高級店は、彼と同じ技術を用いると聞く。

 訪れた客の顔立ち、顔色から体調を察し、塩加減を調整し、その日の味を決める、と。

 

 それと似た真似を、あっさり成立させるナラカの腕前と観察眼に、イヴリンは素直に関心した。

 もっとも、その腕を振るうのがラーメンであるのが、僅かばかりに笑いを誘う。

 

 

「………………」

 

 

 気の緩んでいる自覚はあったが、カウンターに頬杖をついてナラカの仕事姿を眺める。

 

 思えば、出会った時から不思議な男だった。

 

 鋭い目付きの中に浮かぶ穏やかな光。

 厳しい身体つきに反した安心感。

 口の悪さに比例する愛嬌。

 

 何もかもがチグハグな印象を受けるにも関わらず。

 そのすべてが破綻せず、理路整然と並べられて融合しているかのような自然体。

 

 だからだろう。

 表に出していなかったはずの事実を突き付けられてなお、この店に通っているのは。

 

 

『アンタさぁ、今の仕事向いてないんじゃない……?』

『………………』

『……悪い、やっぱ今のなしで』

 

 

 常連と呼ばれても遜色ない程度には、顔を出すようになった頃。

 

 不意に、そんなことを言われた。

 言った本人はしまったとばかりに顔を顰め、自身は驚きと緩みに対する舌打ちを押し隠す。

 

 その瞬間から、イヴリンにとってナラカは最大の警戒対象となった。

 

 隠していたはずの裏の顔を、どうやって知ったのか。

 知ったとして、目的は何なのか。同業者なのか。標的は自分か。

 

 或いは────

 

 

『屋台? ああ、もしかして「一期一会」? それなら知ってる』

『知っていたか。有名なのか?』

『それ、裏(・)で(・)って意味だよね? 単に私のお気にの店ってだけ。そういう噂も情報もなかったよ』

 

 

 警戒心のまま、今は「組織」から抜けた、当時の「同僚」に調査を依頼した。

 

 結果は白。

 

 その存在が確認できたのは、旧都陥落の直後。それ以前の経歴は一切不明。

 日雇いの仕事やアルバイトで生計を立て、あまり表立ってはいないもののホロウレイダーの真似事。

 何処の犯罪組織にも所属しておらず、市政・TOPSとも繋がりがない。

 ヤクザやマフィアとショバ代で揉めたことはあるそうだが、治安局を介して解決していた。

 

 

『…………おぉ? 何だ、来たのか』

『そんなに意外か』

『そりゃあな。余計なことを言った。アンタみたいなタイプは二度と来ないと思っていたが』

 

 

 その正体を己でも探るため、改めて店を訪れた。

 迎えたナラカは警戒もせず、追い返しもせずに、ただただバツの悪い顔をするだけ。

 

 思い返せば、間抜けも間抜け。

 口にさえしなければ永遠に警戒しなかったであろう相手を、わざわざ警戒させているのだから同業者としては三流以下。

 

 そんな三流以下を相手取る必要はない。

 要警戒リストに入れ、もう二度と近寄らないければ済む話。

 

 それをわざわざ訪れたのは、正体を見抜かれた己に対する苛立ちか、それとも────

 

 

『何時から気付いていた』

『最初から。そういうことをやっている奴の動きだと思った』

『何故、黙っていた。危険だとは思わなかったのか?』

『オレにとって必要ならするが、別に必要でもなかったしな。相手が隠してることを暴いて遊ぶ趣味はないね。危険に関しても、アンタは分別のついてるタイプだしな』

『…………何者だ?』

『ただのラーメン屋台の店主で、ガキ二人の保護者だ。今んとこ、それ以上にも以下にもなるつもりはねえよ。オレの仕事は、その範囲で十分だ』

 

 

 決定的で核心をつく返答ではなかったが、ナラカの言葉に嘘は感じられなかった。

 冷たい問いかけに対しても、普段通りの態度で答えるだけで焦りもなく、また恐怖もない。

 

 ナラカは注文がないのをよいことに、警戒するボンプのガウタマを下がらせ、煙草に火をつける。

 

 

『…………何故、あんなことを? 言う必要などなかったはずだ。でなければ、私は君を警戒さえしなかった』

『まあ、そうかもしれんが…………向いていないと思ったのは事実だよ』

『────根拠は?』

『うーん、これはオレの所見に過ぎんが、アンタは空っぽだったからな』

『………………』

『自覚はあるか。だけどな、空ということはいくらでも詰め込めるということだ。そういうのは、アンタの稼業にゃ向いてない』

 

 

 何も持たずに生まれ、何も持たずに死ぬ。

 確かに、自分はそのような人間であった。

 

 だが、変わるきっかけがあったとするのなら──

 

 

『逆なんだよ。思想、使命、執念。詰め込むものは何でもいいが、余白はない方が心は動かん』

『………………』

『人は人の中に意思を残す。アンタの中にはもうあの嬢ちゃんが居座っているだろう? そういうのはオレにも覚えがある。要は、似た者同士ということだ』

『似た者同士、か……』

『もっとも、オレはアンタのような仕事は一回もやったことはないし、やるつもりもない。他人に利用されるなんざ真っ平だ。殺したくなる』

『発言の物騒さは、こちら側の人間のそれだな。もっとも、そんな分かりやすく口にするのはアマチュアだが』

『おっと、口が滑ったか。まあ、一度滑らせてるんだ、二度も三度も同じだろう?』

 

 

 ────以後、イヴリンにとってナラカは良き理解者であり、また先達となった。

 

 その正体は、相変わらず分からない。

 自身の心、その芯を突かれた時点で探る気持ちは消え失せた。

 似た者同士というのなら、自らもまた些細な言動や仕草から彼の芯を突けばよい。

 そうでなくとも機会があれば、彼の方から口を開くだろう。

 

 自身を変えた彼女──アストラのように、ナラカもまた心の中に居座るようになった。

 

 よく「一期一会」を訪れるアストラに余計なことを吹き込む訳でもなく、手を出すような真似もしない。

 得も言われぬむず痒さと頼もしさは、これまでの人生にないものであり、同時に心地が良く。

 

 そして、「組織」の外にいる彼は、考えようによっては、自身にとっての切り札にもなるのではないか、とも考えていた。

 

 

「味噌ラーメンと半チャーハンセット、お待ち」

「む? 今日はチャーシューと煮卵が多いが」

「オレは分かりやすく頑張ってる奴が好きでな。だからおまけだ」

「ンナァッ!!(また! またおまけした! 今日は! 今日はまだ売り上げ目標達成してないのに!)」

「何だか、すまないな」

「ンナっ(悪いのはナラカだから、イヴリンはお腹一杯食べるんだ!)」

 

 

 普段よりチャーシューは2枚多く、ハーフカットの煮卵は1つ多い。

 朝から何も食べていない故、量が増えれば腹も十分以上に満たされるのは嬉しい誤算だった。

 

 ガウタマはナラカの肩に飛び乗ると、バシバシと平手打ちを見舞わす。

 叩かれた頭が結構な勢いで揺れているので相当な力で叩かれているのだろうが、当人は気にした様子すらない。

 

 

「いただきます……ずずっ……」

 

 

 湯気の立つ丼からレンゲでスープを掬い上げ、一口。

 冷めているわけでなく、熱すぎるわけでもないスープは、飲み込むと思わず吐息が漏れる。

 味噌は味の主体であるが効きすぎているわけでなく、その奥に潜む出汁と一欠け乗せられたバターの風味が優しく舌の上に広がっていく。

 一味が隠し味として入っており、時折現れるピリッとした辛味が、次の一口へと進ませる。

 

 

「ふっ、私にとっては味噌ラーメンと言えば、すっかりこれになってしまったな……ず、ずるるっ……」

 

 

 加水率高めの中太ちぢれ麺はぷるぷるの食感と共に、スープによく絡む。

 啜る度、噛む度に広がる味わいは、醤油や塩の麺に比べると主張は控えめだが、それがスープの味わいを引き立てていた。

 

 珍しいものなど何一つないが、口にするとホッとする優しい味わいというのがイヴリンの評価である。

 

 

「このままでもいいが、…………ずっ、やはりこれが一番好みだな」

 

 

 二口、三口と箸を進めるイヴリンが手を伸ばしたのは、味変調味料のおろし生姜。

 

 これをたっぷりと入れてスープに溶かす。

 バターによって生まれたコクと後味が、生姜によってさっぱりとした印象に代わった。

 生姜に含まれる成分は血流を良くする効果があり、食べ終わる頃には身体の芯から温めてくれるのだ。

 

 何とも些細で、繊細な幸福な一時。

 それが、「一期一会」でイヴリン・シェヴァリエの感じ入るものであった。

 

 

 


 

 

 

「それで、嬢ちゃんにはもう言ったのか?」

「君は何時もそれだな」

「悪いな。気にしてんだよ、これでも」

 

 

 ラーメンとチャーハンを食べ終わると、二人は屋台の横へと移動し、夜風に当たった。

 

 夜景を反射する運河を背に、並んで柵に身体を預ける。

 火照った身体から体温を奪われる感覚が、今は心地良い。

 

 ナラカの言葉にイヴリンが苦笑したのは、顔を合わせる度に聞かれる内容だったからだ。

 イヴリンの正体をアストラに明かすべき。少なくとも、ナラカはそう考えている。

 

 アストラは、イヴリンの過去について何も知らない。

 そして、ナラカも知らぬ事実であるが、イヴリンはアストラの所属する高帝エンターテイメントと対立関係にあるフーガ・ミュージックから送り込まれた。

 

 いわゆる、スパイである。

 

 

「分かっているさ。……だが、なかなか決心がつかないものだ。弱さだな、これは」

「オレはそれを弱さとは思わん。むしろ、言い訳一つしないのは強さの証だ。となると、あとはきっかけかねえ」

「ありがとう。そう言われると、不思議と気が楽になる。しかし、君が明かした方がいいと思う根拠はなんだ? 急く必要はあるのか?」

「いや、何時になろうが結果は変わらんからな。どんな事実があったとしても、あの嬢ちゃんがお前を切るわけがない」

「……断言するな」

「確信だ。つーか、もうあの我儘娘、お前無しじゃ生きていけんぞ。責任取るついでに、気を楽にしておいた方がいいという話」

 

 

 イヴリンとて、アストラを疑っているわけではない。

 何の迷いもなく、屈託なく笑いながら家族と呼ぶ彼女を疑えるはずもない。

 

 どうしても、踏ん切りがつかないだけだ。

 同時に、明かした場合にアストラの身に危険が迫る可能性も否定しきれない。

 

 

「そういう君はどうなんだ。家族には明かしたのか?」

「いや、明かしてないが。別に隠してる気もないしな。聞かれないから言わないだけ」

「まったく、君という奴は。人は急かしておいて、それか」

「そうは言うがな、オレは終わった話、アンタは現在進行形。似てはいるが、立ち位置が違う。オレは先、アンタは後に続く形になってるんだよ」

 

 

 悪びれもせず己を棚上げして、ナラカは宣う。

 

 一理あるにはある。

 “オレは終わった話”というのは、「同僚」の調査からしても間違いなく事実だろう。

 詳しい内容も経緯も知らないが、彼が当の昔にそういった世界から足を洗った、或いは足を洗う以前に踏み入れずに済んだというのなら、確かに話す必要などないだろう。

 

 釈然としなさを覚えながらもイヴリンは、アストラの笑みを思い出す。

 あの笑みを曇らせたくはない。あの天真爛漫さが陰るなど、あってはならない。

 もっとも信頼に足る味方だという顔をしておいて、その実、最初から裏切り者であったなど、いくらアストラでも。

 

 その思いが、二の足を踏ませる。

 結局は自己保身だ、と切って捨てながらも、前へ進むための足は一向に一歩を踏み出さない。

 

 どうしようもない葛藤の中、ふと顔を上げればナラカは煙草に火を付けているところ。

 

 気にはしているが、心配はしていない。

 そんな素振りを見せるナラカに、人の気も知らないで、とばかりにイヴリンは溜め息をついた。

 

 

「済まないが、一本貰えるか」

「あのねえ。いい加減、自分で買ったらどうだ?」

「そこまで好きなわけでもない。君に覚えさせられた悪い遊びだ。責任を取って貰おう」

 

 

 流石に腹立たしくなったイヴリンは、曰く覚えさせられた悪い遊びを実践すべく、煙草を一本要求する。

 

 

「……どうだ? オレ、ちゃんと啞然とした顔できてるか?」

「ああ、まるで私の言動に間違いがあるかのようだ」

「間違いしかないだろうがぁ! そっちが勝手に始めたことですけどぉ!? オレ、勧めてないからね!? 人聞き悪いこと言うのやめてくださる!?」

 

 

 実際に、ナラカは勧めてなどいない。むしろ止めたほどだ。

 自分を棚上げして、身体に悪いだとか、女だと印象が悪くなるだとか言っていたことはイヴリンの記憶に新しい。

 

 但し、それはそれ。

 こうして慌てふためかせてやれば、イヴリンも多少は溜飲が下がろうというもの。

 

 結局、ナラカは肩を落としながら煙草の箱を開き、差し出してきた。

 一本を無造作に引き抜き、口に咥える。あとは火を付けるだけ。

 

 

「……ん」

「ほらよ」

 

 

 彼の愛用するジッポライターに火花が散り、揺らめく炎が灯る。

 しかし、イヴリンはライターを握る手を掴んで蓋を閉じさせ、折角灯した火が消えた。

 

 

「あのさぁ……」

「────んっ」

「分かったよぉ! オレ、ほんとどうかと思うよぉ! こういうのぉ!」

 

 

 イヴリンは咥えた煙草を指さし、顔を向けた。 

 その姿に、もうどうにでもなれ、とナラカは煙草を咥え直して、身を屈める。

 

 やがて、二つの煙草の先端が触れ合い、火種が移っていく。

 

 俗に言う、シガーキス。

 

 たまたま近くを通りがかったカップルは、思わず頬を染めて見入ってしまう。

 

 無理もない。ナラカは兎も角として、イヴリンは女優に勝るとも劣らない美女。

 そんな彼女がこの行為を自ら要求するなど、まるで映画のワンシーン。

 

 まして、その紫紺の瞳に、男への様々な思いが光として灯っていれば、なおのこと。

 

 

「ふぅー……、やはり不味いな。せっかく君のラーメンを味わったのに、台無しだ」

「じゃあやめろやぁ! 毎回毎回、変な火のつけさせ方しやがって!」

 

 

 苦い。

 ひたすらに苦いだけの紫煙を浅く吸い、吐き出す。

 煙草(こんなもの)の何が良いのか、イヴリンには全く理解できてなどいない。

 

 だが、自身の先達と認めた男の真似事をするのは悪い気分ではなく、またナラカが慌てふためく姿を見るのは気分がいい。

 

 目を細めて笑みを浮かべたイヴリンの頬には、また別の理由で色を帯びているようで────

 

 

 





 イヴリン・シェヴァリエ
 三、四年ほど前からの常連客。脳は焼かれていないが被害者その4。
 ナラカを似た者同士、先達として見ている節があり、彼女としては珍しく、信頼も信用も向けている。
 また調査の結果、ナラカがホロウレイダーをやっていたことを知っているため、「組織」とは無関係の外部戦力、また切り札として期待している節がある。
 まあ、あとはシガーキスとか毎回しているので、どう思っているかを語るのは野暮ってもん。

 アストラもナラカもよくない目で見ていない。


 アストラ・ヤオ
 常連客。脳を焼かれていないし、被害者でもない。気ぶり勢。
 アキラとリンにはまだ出会っていないので、今回は割愛。


「もう付き合っちゃいなさいよぉ────!!!」

「そこよ、イヴ! 押して! 押し倒すのよ! 抱けぇっ! 抱けーっ!」
「いや、待ってアストラさん! 抱くのはナラカの方だから! これは譲れない!」

「ねえ、アキラ。大将とイヴ、いいわよね」
「……いい」
「大人の恋愛、って感じ」
「……すごく、いい」

「大将、私、アキラと結婚するわね」
「ああ、そうかい。好きにしろよ」
「言質取ったわよ! じゃあ大将はイヴと結婚して! リンは誰かいい人連れてきて! 夢の三世帯住宅よ!」
「他人巻き込んでじゃねえよ! オレがいいっつったのはアキラと結婚することだよ! アイツが誰と結婚しようが文句ねえってだけぇ! あとなぁ! 店で注文もせずに一時間以上居座って水だけで駄弁るとか、どういう神経してんだ!」
「じゃあ私、帰るわね! アキラを堕とす作戦を考えないと!」
「にどとくんな!」


 イヴリンをよくない目で見ている。
 出会った後でアキラとリンをよくない目で見る。

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