「ナラカさん、遅いですねー」
「まだ30分しか経っておらんぞ」
「だなぁ。いくらルミナスクエアでも、普段使わない食材を買い揃えるとなると、そう簡単にはいかないさ」
腕相撲勝負から30分。
儀玄達は、組み立て式のテーブルを囲んでいた。
屋台の近くには『本日終了』の建てられ、ボンプのガウタマは受け取った無茶振りの報酬を数え、笑っている。
どうやら「一期一会」の真の支配者、経営者である彼でも納得する金額であったらしい。
それを横目に、儀玄はナラカが出ていく前に置いていった紹興酒を少しだけ口に含む。
つまみは「一期一会」の自家製チャーシューとメンマ。
どちらもラーメンに合わせて作られたものだが、酒にも十分に合う。
慣れていない者には癖のある紹興酒でも、旨味たっぷりの二品があれば飲みやすいだろうと思うほど。
自身と同じく普段は飲まない潘と釈淵も、酔いが進み過ぎない程度にはやっている。
酒の飲めない年齢ではないが、アルコールの類を好んで口にしない瞬光と福福はオレンジジュースを美味しそうに飲んでいた。
「戻ったぞ雲嶽山のモンスターども!!」
明らかに苛立った声色のナラカが買い物袋と発泡スチロールの箱を両手で持って帰ってきた。
どうやら走ってきたらしく、額に薄っすらと汗が浮かんでいる。
「急かしているつもりはなかったんだがな……」
「急に来るから知り合いんとこの問屋が閉まる寸前だったんだよ!」
「いえ、連絡は私からしたではありませんか。大将が取り付く島もなく即切りしただけで」
「オメーの電話は、必ず妹自慢から入るから面倒なんだよ! あとな、ラーメン以外作らされるの分かってんのにまともに応対するわけねーだろっ!!!」
「それはそう。本当にそう……」
「やめろ、潘。申し訳なさを出すとこいつは容赦なく切り込んでくるぞ。堂々としていろ」
「儀玄、堂々としてんじゃねえ! 無駄に似合ってんのが腹立つぅぅぅ!!」
烈火の如く怒り狂うナラカに、愛弟子達が一様に苦笑を浮かべるばかりで恐れる様子はない。
大抵、彼は万事が万事こんな調子であるし、暴力にも訴えもしなければ、嫌がらせで料理の味を落とすような真似もしないことを知っている。
無論、儀玄も同じ。いや、一歩先を行く。
根が真面目で手が抜けず、他でもない自分を頼ってきた相手を無碍にもしない性分を見抜いての甘え。
自身でもどうかと思う部分はあったが、頼り甲斐があるのが悪い、と半ば無理やりに納得させている。
「まあいいや。やるかぁ」
「大将、手伝おうか……?」
「いらね。今日は食う側だろ、潘。それにオレが仕事場に入られるの嫌いなの知ってるよな?」
「はいはい、そうでした。んじゃま、勉強させてもらおうかなぁ、っと」
「物好きだな、お前も」
屋台の中に、買ってきた食材を並べ、普段のようにタオルと前掛けを身に着けると、手早く調理に取り掛かった。
ナラカの調理に興味がある潘はカウンターから眺め、残る三人は和やかに談笑する。
心地良い賑やかさを耳にしながら、儀玄は自分でも驚くほど好きなナラカの真剣な横顔を眺めた。
はて、アレが私の好みの顔立ちなのか? と考えながらも、自身でもよく分からない理由を探るために内面に潜る。
お陰で、ニヤニヤと眺めてくる愛弟子三人に儀玄は気づくことはなかった。
「いやー、参っちまうなぁ。アレは美味い、絶っっ対に上手い……!」
「潘さんのお墨付き! 楽しみだなぁ……!」
「ほいほい、ちょっくらお退きになってくださいよいっとぉ」
暫らく経ち、潘が戻ってくると同時に、ナラカがテーブルの上へと携帯用ガスコンロを三つ並べる。
その後、三つの鍋を持ってきてガスコンロの上に置き、弱火で天下した。
「ふむ、鍋か。悪くないな」
「ところがどっこい、ちょいと違う」
鍋の蓋を開けると、濛々とした湯気が立ち上り、ほのかに昆布出汁の香りが漂ってきた。
しかし、鍋の中身は出汁だけなのか無色透明に近く、鍋つゆとしては物足りなく思える。
続き、テーブルに並んだのは山盛りの白菜、ネギ、えのき。
牡丹を模して綺麗に盛り付けられた薄切りの豚肉、鰤の刺身。
そして、滅多に食べられない蟹。足は持ち手となる部分だけ殻が残され、あとは綺麗な剥き身。肩肉の部分も置かれていた。
最後に漬けダレらしい、醤油ダレと胡麻ダレが並んだ。
「特性出汁しゃぶ一式、お待ちー」
「「「「出汁、しゃぶ……?」」」」
「火鍋の亜種だとさ。野菜は少しずつ入れて煮て、他のはさっと潜らせてタレをつけて食べるんだと。タレも大将手作りだからな、美味いぞぉ~……!」
「「「「ほぉ~~~~~……」」」」
「こっちは香辛料を一切使ってないから素材の味を楽しめる。火鍋は火鍋で悪くないが、もう食べたことがあるだろ? そんじゃま、おあがりよ……!」
馴染みのない料理に、儀玄達は興味深げな溜め息を漏らす。
馴染み深い火鍋は、痺れるような辛味が特徴の真っ赤な
どちらも香辛料と薬膳を使用しており、どちらかと言えば味の主体はスープの方。
これは確かに、どんな味なのか気になるところ。
すると、福福がやれやれと言わんばかりに、両の掌を見せ、首を左右に振りながら、口の端だけを釣り上げて笑った。
「ナラカさんときたら。潘さんも褒め過ぎですよ。いくらタレがあるからって、火鍋に比べれば……ふっ」
「笑ったな、福福。なら食ってみろよ。お前は胡麻ダレの方が好みだと思うぜ」
「ほほう、自信満々ですね。まあいいでしょう! 見せて貰いましょうか! ナラカさんの腕前としゃぶしゃぶの美味しさとやらを……!」
「あぁ、そうそう。野菜はどれに入れてもいいが、肉、魚、カニ、それぞれの鍋で湯がいてくれ。あと、湯がく時はしゃぶしゃぶと言え。それが作法だ」
「ほうほう……しゃぶしゃぶ、っと。おお、お肉の色が変わりました。流石に薄切りですね。では胡麻ダレをつけて、と。いただきまーす♪」
露骨な侮りを見せる福福であったが、誰も何も言わなかった。
そう、これは何時もの前振りだと儀玄だけでなく全員が知っている。
素直に作法に乗っ取り、掴んだ豚肉を出汁へと潜らせ、胡麻ダレに着けてパクリと一口。
ふむ、ほほぅ、などと漏らしながら咀嚼していた福福は、ごくりと飲み込むとカッと見開いた。
「美味し~~~~いっ♪ 胡麻ダレと豚肉の脂の甘味が合わさって、でも昆布の香りと味も仄かに感じますっ♪」
「ふっ、勝ったな」
「お肉も! お肉も相当高いお肉と見ました! 流石ですねナラカさん!」
「え? あ、いや、豚肉は近所のスーパーで売ってた安っすいやつ。ブリだの蟹だのメインの牛肉が高かったから、量増やしたくてな」
ナラカの言葉を聞いた瞬間、福福は真っ白になって身体に罅を奔らせた。
「ナラカさんはどうして毎回毎回、私に恥をかかせるんですか……?」
「人聞き悪いこと言うんじゃねえ! オメーが勝手に恥掻いたんだろうが! この貧乏舌が!」
「仕方ないじゃないですか! 雲嶽山は常にカツカツなんですよ! 師匠がお金の使い方が下手だから!」
「おい。私に飛び火させるな、福福」
「あ、あとしゃぶしゃぶと言うのが作法と言ったな。アレは嘘だ」
「やっぱり恥かかせようとしてるじゃないですかーやだぁー!」
ナラカの仕打ちに、うぉオんと泣き声を上げながら、福福は喚き散らす。
儀玄は過去を思い浮かべて、苦笑いを浮かべた。
大抵、福福はこんな調子。的外れなことを自信満々に口にして自爆するか、ナラカに揶揄われて轟沈する。
そして、一番弟子に思いも寄らぬところで後ろから刺され、ほんの少しだけ傷付いた。
しかし、福福の騙されやすいまでの純粋さは、雲嶽山を支える明るさであり、彼女のお陰で笑顔が保たれていると言ってもよい。
事実、他の愛弟子は馬鹿にするのではなく、喜ばし気に微笑んでいる。無論、儀玄も。
「まあまあ、福姐さん♪ じゃあ私は鰤にしようかな♪」
「私は豚肉を。大将、こちらの醤油ダレは?」
「ポン酢醤油だ。釈淵はそっちの方が好きだと思うぜ。鰤もこっちの方が合うと思う。ま、どっちも試してみな」
「「……では、しゃぶしゃぶ!」」
「おろろ~ん! 兄妹揃ってぇ! こうなったらヤケですよ! ヤケ食いです!」
「ははは。福姐、まだメインの牛もあるんだぞ? ありゃあ良い肉だったから抑えておけって。お師さんは蟹をどうだい?」
「おっ、すまんな。ふむ、蟹なんて何年ぶりだろうな。ナラカ、やはりポン酢醤油が合うのか?」
「そうだな。最初は何もつけずに、がオススメかねえ。生を楽しみたければさっと潜らせて、蟹の甘味を楽しみたければ2、30秒くらい入れとけ」
「「しゃぶしゃぶ」」
「二人まで! どうなってるんですか雲嶽山は!」
「しゃぶしゃぶ、しゃぶしゃぶ、しゃぶしゃぶしゃぶしゃぶ……」
「師匠、もう蟹ことで頭一杯になってるじゃないですか! もうこうなったらしゃぶしゃぶする時はしゃぶしゃぶと言うのが雲嶽山の伝統にしてやります! 私も、私も蟹をしゃぶしゃぶ-!」
何やら横で福福が喚いている気がするが、儀玄は蟹を湯がくので手一杯。
雲嶽山宗主として無理やり参加させられるお偉いさんとの会食でも蟹が主菜として出てくることはなかった。
仕方がない。蟹を前にすると人は会話など楽しまず、一心不乱に食べることに集中する。それでは会食の意味がない。
それほどまでの魔力が蟹には存在する……!
出汁の中で薄茶と半透明だった身の色が変化していく様を見て、儀玄は自然と頬が緩んでいくのを感じた。
こんなものか、と出汁の中から引き揚げ、鮮やかな赤と艶のある白の蟹肉を小皿の上に置く。
「……いただきます」
「「「「……ごくり」」」」
「はむっ、んんっ、むぐっ、んむっ……!」
少しはしたないか、と思いつつも儀玄は大きく口を開け、蟹を放り込んだ。
そして、蟹肉を口に含んだまま、スジだけを引き抜いて咀嚼する。
昆布出汁が鼻腔と味蕾を真っ先に貫き、噛む度に蟹本来の甘味と塩味が口いっぱいに広がっていく。
強烈な旨味と多幸感は、思わず涙が零れそうになるほど。
久方ぶりの蟹を思う存分に味わった儀玄は、ゆっくりと瞼を上げる。
その瞳は、喜びの輝きで満ち満ちていた。
「……ふふふ、美味いな。流石の目利きだ」
「鰤も美味しいけど、私も蟹! 蟹が食べたい!」
「私も頂くとしましょう……!」
「俺も貰うか……!」
「はむっ! むぐもぐっ! はふぅ、蟹らしい蟹味です♪ お肉もいいけど、蟹も美味しいー♪」
「福福に食レポの才能ねーな。さて、
一斉に蟹へと群がる雲嶽山の面々。
生を楽しみ、ポン酢醤油につけてを味わい、胡麻ダレに挑戦し、思う存分に楽しむ。
普段は己を律し、修行者として相応しい振る舞いを身に着けてはいるが、今日ばかりはよいだろうと儀玄は目を瞑る。
元より堅苦しいのは苦手な
始まりは過酷で残酷な運命への反骨心、そして旧都陥落を生き残った者としての責任感だったとしても。
今や愛弟子達は失った肉親の変わりなどではない、歴とした家族なのだから。
「さてさて、蟹に現を抜かす雲嶽山の盆暗ども。本日のメインの登場だ。刮目しろ……!」
「「「「「……おぉ」」」」」
儀玄から思わず漏れる感嘆の吐息。どうやら、残る四人も同様であったらしい。
それもそのはず、ナラカが持ってきたのは素人目にも極上と分かる牛肉。
目も眩むような赤身に、細かく
テーブルに置かれると、一人、また一人と箸で輝く霜降り肉を掴み、鍋の出汁へと通していく。
「「「「「しゃぶしゃぶ……」」」」」
「本当に伝統になっとる………!」
薄切りの肉は、すぐさま色味が変化していく。
それぞれの好みにまで湯で、思い思いのタレに着けて一口に放り込む。
噛むと広がる牛の味。
タレにも負けない特有の風味と脂の甘味。蕩けるように消えていく肉そのもの。
正に至福。
ある者は吐息を漏らし、ある者は瞼を閉じて天を仰ぎ、ある者は感動の身震いのままテーブルを叩く。
儀玄がナラカを見れば、両腕を組んで満足げに頷いていた。
根が真面目な彼らしい仕草。自らの仕事に対する確信は、食べる者を目にすることで完成に至るようだ。
ふと、折角なのだから、と、この至福をナラカとも共有したくなった儀玄は、再び牛肉を箸で掴み取る。
「ほれ、お前さんもどうだ? 雲嶽山の宗主自ら振舞ってやろう。しゃぶしゃぶ」
「いやぁ、オレはいいよ。金は受け取ってるし、お前が食えって」
「そういうな。味わってみろ。ほれ、あーん」
「……んじゃ、遠慮なく。あーむ、むぐっ、もぐもぐっ。ほぅ、流石に上等な肉だな。うーん、胡麻ダレの方はもう少し美味くできた気がする。甘みの強い酢の方がよかったかな」
「味よりも、自分の仕事の方が気になるか。お前さんらしいよ」
タレの入った小皿と一緒に牛肉を差し出すと、ナラカは自然に口でそれを受け取った。
暫らく咀嚼してから飲み込むと、ナラカの口から出てきたのは味の感想ではなく、更なる研鑽と向上への追及。
至福を共有したかった儀玄としては少々残念であったが、昔から変わらぬ姿勢は、ほっとするほどの居心地の良さを覚える。
(いや、あの、師匠、今すごく自然にあーんって)
(しかもお互いに全然意識していないって、どうなってるんですかこの二人は……!)
(以前から思っていましたが、お二人とも距離感が近い、近すぎますね……)
(完全に恋人とか夫婦のそれなんだよなぁ……)
((((もう付き合っちゃえよ────!!!!!))))
「んっ!? どうした、お前さん達……?」
「いや、どした? 本当にどした? お前ら怖いよぉ? 急にキレないでぇ?」
「いやぁ、ははは……」
唐突に両の拳をテーブルに叩き付けた愛弟子達に、儀玄は目を白黒させた。
愛想笑いを浮かべる4人に首を傾げるが、引き続き宴は続いていく。
失ったものに見合わない、本当にささやかな幸福。
悲しみは未だ深く、心についた傷は癒えるどころか乾いてすらいない。
それでも、と強がりと大して変わらない言葉が出てくるのは、この幸福のお陰。
──そして、多くの無力な人々の細やかな幸福を守ることこそが、儀玄の定めた今の雲嶽山の在り方であった。
儀玄
十年近い付き合いとなる。一期一会最初期からの常連客。ほどほどに脳を焼かれている被害者その5。
ナラカがラマニンアンホロウでの私的な調査の傍ら、雲嶽山の術法や秘術が記された書物を発見し、それを売りに来たのが出会い。
その後、ナラカの術法の適正を見抜き、失われた秘術の再現、青溟鳥の完成に助力させた。
ナラカの奔放さに腹立たしさを覚える反面、常に隣にいてくれたらと望む程度には頼りにしている。
ヒロイン候補の中では距離感が一番近いが、まだ自分の心に無自覚。
ただ、自覚したらものスゲー勢いの剛速球投げてくる系ヒロイン。
陸老師。
雲嶽山にはもういない。
ナラカが関わっていたことで糾弾イベントが早い段階で発生。
ナラカは「他人を、ましてやガキを利用して私益を貪るような
儀玄の顔を立てて、流血は発生させなかったが、言葉の刃で陸老師の心を芯からへし折った。