その後、紆余曲折ありつつ、本日のミーティングは終了した。
時計を確認すると、時針はすでに午後6時を目前としている。
かれこれ一時間余り話していたことになるだろう。
急いで生徒会業務を終わらせてきた莉波に申し訳なく思いながらも、プロデューサーは今日のレッスンを切り上げるよう指示を出した。
手毬はせめてあと30分だけ練習させてほしいとしばらく訴えたが、咲季と莉波の説得もあってついに観念した。
話が終わると、咲季とことねはひと足先に更衣室へと向かっていく。
手毬も渋々といった様子で、そのふたりを追うように歩き出したのだが。
「月村さん、少しいいですか?」
そうして仕方なさげにレッスン室を後にしようとする背中を、プロデューサーが呼び止める。
一応納得したとはいえ、満足いくまでレッスンをできなかったせいもあってか、振り返った手毬の表情はやはり不機嫌そうだ。
「なんですか? 切り上げるなら切り上げるで早く身支度したいんですけど」
「すみません。別に急ぎというわけではないのですが、こういうことは思い至ったときに確認しておくべきだと思いまして」
「私に何か訊きたいことがあるってこと?」
「はい。さきほどこちらが浮かない表情を問い詰めたときの話です。
月村さんは『楽曲に感情移入できるかが心配だから』と答えられましたが…………実際のところ、それだけが理由ではなかったのでは?」
「…………本当に目敏いね、プロデューサー」
強張った表情が少し緩む。
手毬に敢えて隠すような意図がなかったとはいえ、改めてこの男にはなんでもお見通しらしい。
あるいは、しばしば何を考えているかよくわからないとすら評される歌姫の顔色は、彼のように真正面から向き合ってみれば案外わかりやすいのかもしれない。
「曲の件と同じで、やっぱり大したことじゃないんですけど…………期末までのプロデュース方針のことで、少し思うところがあって」
「“全力”と言えども、ステージ上で体力管理を行うのは忍びないですか?」
「いえ、それについては納得してます。全力と我武者羅は違うものだって。
別に方針自体に不満があるわけじゃないんです。ただ、今回の話を聞いていると、ついクラスメイトのことを考えてしまったんです」
「クラスメイト?」
少し調子が外れたようにプロデューサーが目を見開く。
素っ頓狂な反応は、少女の口からそんな単語が飛び出してくるなんて全く想像していなかったようだ。
念の為言及しておくと、意外だったのは一匹狼たる少女が赤の他人を気にかけていること──ではなく、その事実を第三者に呆気なく打ち明けたことである。
プロデューサーから見て、月村手毬はそういうのにもう少し抵抗がある印象だった。
「な、なんですかその反応は」
しかしながら、当の手毬は彼の驚きようを前者の意味で受け取ったらしく、一度は緩んだはずの表情を再び歪ませる。
そんな少女の乱高下する情緒に構うことなく、「失礼しました」と謝罪だけ済ませてプロデューサーは先を促した。
やや無機質な対応に手毬はなおのこと不貞腐れながらも、根負けしたようにはあ、と溜息をこぼして続ける。
「その子────葛城は、いつもは気弱そうにしてるんだけど……ところどころ度胸というか、根性があるやつで」
「カツラギというと、葛城リーリヤさんのことですね。月村さんの懇親会参加を説得して泣かせたと噂の」
「よく知ってるね。私もあの時はほんとに怖────って何でそんなことまで知ってるの!? というか、なな、泣いてませんからッ!」
想定外の相槌に動揺しながら怒鳴る手毬。
色々とツッコミたいところではあるが、とりあえず事実無根・名誉毀損も甚だしい。
主に脈絡もなく飛び火してしまったリーリヤに対して。
「月村さんが同時プロデュースを容認していなかった頃に、プロファイリングの一環として藤田さんから伺いました」
「こォとォオねェ〜〜〜〜〜〜!」
衝動的に突き動かされる躯幹。
無慈悲な密告を聞くが早いか、手毬は迷うことなく──あるいは、それを思考すらせず──レッスン室の扉へと踵を返していた。
プロデューサーがその腕を引き留めていなければ、彼女は奇声を上げたまま廊下を駆け抜けていたことだろう。
すでにある悪評さえ対処できていないというのに、これ以上キャッチーな伝説を増やすのは勘弁願いたいところだ。
「殴り込みに行く前に、話を聞かせてください。あと、安易に藤田さんと喧嘩してしまうとペナルティの危険があることをお忘れなく」
「くっ…………命拾いしたね、あいつ」
強く歯を噛み絞めた後、吐き捨てるように呟く。
激情のまま発せられた物騒極まりない言葉は、おおよそ世間一般的に認識されるアイドルのものではない。
「それで、リーリヤちゃんがどうかしたの?」
と、そんな手毬の怒りをなだめるように温かな声が語りかける。
元より制服姿のままだった莉波は身支度の手間も少なく、手持ち無沙汰に聞き耳を立てていたのだという。
手毬も先輩に咎はないと心の底から理解できているのか、プロデューサーに諫められるよりもすんなりと矛を収めて。
「葛城は、他の1年と比べても目立って努力家なんですけど、少し頑固というか……度が過ぎてるところがあって。トレーナーとか咲季にもよく注意されてるんです」
「……たしかにそれは相当ですね」
頷きながら、プロデューサーは事の重大さを認める。
全生徒の育成に関与するトレーナーはさておき、咲季は基本的に自らのストイックさを他者に強要する質ではない。
例えば手毬程度の我武者羅であれば、難色は示せどストップをかけるまでには至らないだろう。
もっとも、彼女の身内や仲間と認めた者に対してはその限りではないが、手毬が敢えて言及するほどなのであれば、その例は一旦考えなくてもいい。
すなわち件の少女の努力は、そんな咲季の線引きを踏み越えさせるほど目に余るということだ。
「元からそんなだったのに、最近はさらに歯止めが利かなくなってるような気がして…………正直、危なっかしいんです」
言って、手毬は教室でのリーリヤの様子を思い返す。
異国の少女にとって、初星学園は間違いなく魔境だろう。
唯一の旧友を頼りにするのは道理だし、その気持ちが理解できない手毬ではない。
しかし、ここ数日間でのリーリヤの親友に対する積極的な接し方は、彼女がこれまで共感していたものとは明らかに違った。
見るからにちぐはぐな会話。コミュニケーションにおいて致命的な温度差。掛け違えたまま進む二項対立。
そうして暖簾に腕押しでやり過ごされてしまった後、少女は決まって表情を翳らせる。
『みんな! どうしてわかってくれないの!?』
その無力感も手毬には痛いほどにわかった。わかってしまった。
同情する手毬の顔は、きっと鏡に映したように痛ましいものだっただろう。
「とにかく、私が浮かない顔をしてるように見えたのならそういう理由です。私の課題は、あの子にも当てはまることが多いですし」
知らず自分と重ねてしまっていたらしい、と手毬。
どうして少女に深く自己投影するに至ったか。その詳しい経緯までは決して語らない。
友人関係にまつわる見解は手毬の主観によるところが大きいし、それをリーリヤ本人に確認したわけでもない。
仮に事実であったとして、そんなデリケートな話題を無責任に口外するのは憚られたのだ。
「
それを、含みのある相槌でプロデューサーは聞き届けた。
相変わらず複雑そうに話した手毬の様子から、少なくともその説明が十分でないことは容易に想像できる。
それでも、彼女自身が敢えて語らなかった内容を追及するほど彼も野暮ではない。
曲がりなりにも手毬は問いに答え、プロデューサーはそれを受け入れたのだ。
であるなら、この話がこれ以上続くことはない。
「……そういうことなので。そろそろ着替えてきてもいいですか?」
「ええ、貴重なお時間をいただきありがとうございました」
「別に、このくらいどうってことないですけど」
気まずそうに返しながら、手毬は今度こそ足早に更衣室へと去っていく。
実際、彼が時折見せる人畜無害な笑顔は彼女にとって毒だ。
不愛想な応対にそのような爽やかな態度を示されては、どうしても申し訳なく思えてしまうというのが人情である。
そんな少しの罪悪感に苛まれた背中を見送って、プロデューサーは隣に立つ莉波に声をかけた。
「姫崎さん、葛城さんは学生寮に入っているのでしょうか?」
「うん、同じ1年の子と相部屋だよ。プロデューサーくん、もしかして気になるの?」
「小指の先ほど、ですが。咲季さんも少なからず気にかけているようですし、何より月村さんがあれだけ意識しているのが気がかりでして」
手毬自身大したことではないと言い張っていたものの、ソロ曲を貰ったあの時ですら頭の片隅に居座ってしまうというのは流石に目に余る。
それだけ感情移入できてしまうところが多いのか。はたまた別の理由なのか。
どちらにせよ、せめてその人物像だけでも把握しておきたい、となるのはプロデューサーとして当然の性なのだ。
「言われてみれば、最近のリーリヤちゃんは寮の帰りが遅い気がするね。この間は門限ギリギリだったって聞いたし」
麻央が心配してたよ、と寮事情を垂れ込む莉波。
彼女の言う初星学園の学生寮の門限は21時に設定されている。
他に用事がないのであれば、その1時間前────特別教室棟が閉館する完全下校時刻までレッスンをしていたことになるのだろう。
多少の前後はあったにしても、それを日常的に行っているというのであれば、オーバーワークと言わざるを得ない。
「それは、咲季さんと月村さんが心配するのも納得ですね……」
とても看過できない、と批難の言葉を口にするものの、プロデューサーの歯切れは珍しく悪い。
候補生と言えども、ひとりのプロデューサーとしてアイドルの卵にそんな所業をさせ続けるのは容認できないが、とはいえ建設的なアドバイスができない立場にあるのも事実である。
レッスンメニューを変更しろというのは簡単だけれど、その後、担当アイドルでもない少女の行く末に責任を持てるほどの暇が今の彼にはないのだ。
「……………………」
考え込んで、むう、と眉間に皺を寄せるプロデューサー。
担当ではないアイドルに中途半端に関わるべきではない。
そう自分に言い聞かせながらも、意識の底に燻り続ける葛城リーリヤという少女の存在を、彼はしばらく振り払えずにいた。
────────────────────────────────
それから、時針はさらに45度ほど進む。
空はすっかり太陽の面影を忘れた黒に沈み、街の光に負けじと光る星たちが群雄割拠する頃合い。
担当アイドルたちが帰路につくのを見届けた後、プロデューサーは事務所に足を運び、積みに積んだ庶務に耽っていた。
「今日も頑張ってるな、プロデューサー」
そこへ、今日一日の疲労をまったく感じさせない快活な声がひとつ。
初星学園のダンストレーナーは本日も絶好調である。
彼女の執り行うレッスンは学園一厳しいと噂だが、そのサッパリとした性格もあってか生徒への威圧感は少なく、むしろ大人気のトレーナーのひとり。
プロデューサー科内でもその信頼は変わらず厚い。
あさり先生を莉波と同じ包容力のあるお姉さんに喩えるのであれば、彼女は頼れる姉御といった感じだろう。
現にプロデューサーも担当アイドルのトレーニングプランを詰めるにあたって、トレーナーを大いに頼らせてもらっている。
閑話休題。
プロデューサーの教室に顔を見せたダンストレーナーは、すでに通退勤用の服装に着替えていた。
それはあえて口頭で確認するまでもなく、彼女が本日のトレーナーとしての業務を終了したことを意味する。つまるところ────
「トレーナー、お疲れ様です。もうそんな時間でしたか」
「ああ、もうすぐ完全下校時刻だ。入学して間もないこの時期にギリギリまで居残ってる学生は、おまえくらいなものだよ」
「……先生とトレーナーのみなさんにはいつもご心配をおかけしてます」
「まったくだ。一体何をどうしたら半月でこれだけの書類を積み上げられるんだか」
呆れた様子でダンストレーナーは長机の端に置かれた紙束を軽くめくっていく。
ちなみに、プロデューサーの抱える書類のほとんどは学園から作成を求められたものではなく、彼が独自に調査した資料の山である。
学園の設備として備わっているものではあるが、入学当初からここまで躊躇いなくコピー機を酷使する学生も珍しい。
「ん? これは葛城のプロフィールか…………プロデューサー、どうして葛城を調べてるんだ?」
担当アイドルでもなかろうに、と訝しげに問うトレーナー。
こんな遅い時間まで何を真剣に取り組んでいるのかと思えば、彼はおおよそ無関係な生徒のリサーチをしているようだ。
「1年生については担当を決める前に徹底的に調べました。担当しないにしてもいずれ好敵手となる可能性がありますし。そちらの資料はそのときに作成したものです。
まぁ、今になって追加で葛城さんの情報を調べているのも事実ですが」
「ほう。要するにおまえは葛城が花海たちのライバルになると睨んだわけか」
「確信があるわけではないですよ。しかし、月村さんが妙に意識してるのが気になりまして。随分と無理をされる方のようですね」
「……そうだな。月村もかなり追い込みをかけるタイプではあるが、なんだかんだで弁えている。それに比べて葛城は限度を知らないところがあってだな。
こちら側で制止をかけなければ、篠澤みたく倒れるまで頑張り続けるだろうさ」
苦言を呈しつつもその根性だけは気に入っているのか、ダンストレーナーはやや慈しみを籠めて言葉を紡ぐ。
篠澤というのは、1年2組に在籍する篠澤広のことだ。
座学満点、実技0点という異例の成績で入学し、今や保健室の常連となっているという彼女の話はプロデューサー科の間でも有名である。
もちろん、悪い意味100%で。
彼女に喩えられるのは────言葉を選ばずにいえば、アイドルとして低く評価されているのと同義であるはずだが。
「ま、目の付け所は悪くないんじゃないか? プロデューサー。今はまだ未熟なところばかりが目立つが、磨けばきっと大成する玉だぞ、葛城は」
「それは、どの生徒に対しても言えることではありませんか? 現時点での実力は十人十色でしょうけど、皆さん初星学園の門を潜っているわけですし」
「そうなんだがな。なにせ先を歩くもの程華々しく目立ってしまうような道だ。それに中てられて磨く前に擦れてしまう原石は少なくない。私もできる限りフォローするように努めてはいるが、生徒ひとりひとりの適切なケアとなると……」
その続きはわざわざ語るまでもない。
数多いる初星のアイドル全員を正しく導くなど、トレーナーの領分を優に超えている。
仮にそれができるのであれば、プロデューサーという職業はこれほど重宝されていないだろう。
「そういう意味では、葛城はとても見どころがある。あいつのひたむきさは危うくもあるが、それと同時にアイドルとして何物にも代えがたい武器でもある」
「なるほど。それはそうかもしれませんね」
トレーナーの所論にプロデューサーはしみじみと頷く。
それは、プロデューサー科での教えにも通ずる考えだ。
アイドルの欠点は改善すべし。アイドルの弱点は武器にすべし。
プロデューサーはこの大原則に基づき、リーリヤと似たような問題を抱える手毬に対して、そのすべてを否定しない方針を打ち出したのである。
「ところでプロデューサー。できれば早く切り上げようとしてくれると、私としては助かるんだが」
「あ」
じろりと睨む視線にハッとする。
トレーナーと片手間に語り合っているうちに変なスイッチが入ってしまったのか。
プロデューサーの手はノートPCのシャットダウンに向かうどころか一切止まることを知らず、むしろ加速する勢いで打鍵を繰り返していた。
「すみません。無意識で、つい……」
「はぁ……仮に100プロ以外への就職を選択するとしても、頼むからブラック気質なプロダクションには雇われてくれるなよ?」
本気で心配するダンストレーナーに苦笑いを返しながら、プロデューサーはようやく端末の電源を落とすに至る。
調べ事はキリがいいと思えるところまで徹底的に行うのが彼の流儀だが、こうなっては致し方ない。
そもそもこれは緊急性の高い要件ではないのだし、と言い聞かせて、プロデューサーは残りの作業を明日の自分に託すことにした。
廊下に出て事務所を施錠する。
根を詰めていて気が付かなかったが、教室内の空気はかなり淀んでいたらしい。
閉じられた箱の外。頬を柔らかに撫でる夜風は、そんな事実を理解させるに相応しく心地の良いものだった。
「そういえば、月村の方はどうなんだ? トレーニングは順調か?」
世間話がてらにトレーナーが尋ねる。
その足はすでに建物そのものの施錠に向かい始めていた。
プロデューサーの帰路もまた、その方角に相違ない。
なので、彼女と並ぶように歩を合わせながら、誘いを受けるように世間話に興じることにする。
「自分でもびっくりするくらい順調ですよ。トレーナーにご相談に乗ってもらったおかげです」
ダンストレーナーが真っ先に手毬の名前を口にしたのは、先程のリーリヤの話を受けてというのもあるが、何よりプロデューサーが最も育成方針を悩んでいたアイドルが彼女だからである。
月村手毬の肉体をいち早く全盛期に戻すにあたり、現在の彼の知識は致命的に不足していた。
期末試験までの綱渡りのようなプロデュースプランを始動できたのは、ひとえに咲季の献身とトレーナーの助力があってこそなのだ。
「それはよかった。藤田もそうだが、中等部の頃から頑張っているのを見てきた手前、あいつらが報われないのは悲しいからな。無論、内部進学組を贔屓にするというわけではないが」
それでも育成に携われば情のひとつやふたつ湧くというのが人間の性である。
むしろ彼女らの才能が花開くことを喜べないような者は、きっとこの職業に向いていない。
ただ、誠に残酷なことに、その大半が晴れ姿を見せることなく開花の季節を終えるというのが学生アイドルの実情だ。
世間は第四次アイドルブームなどと騒ぎ立てているけれど、表舞台で脚光を浴びる無数のトップアイドルたちは氷山の一角に過ぎない。
落伍者は見えない星の数だけ存在していて、その実、上澄みである一等星でさえ水面下では足をばたつかせているような世界。
初星学園はその縮図だと言っても過言ではないだろう。就職先の“予行練習”と言い換えてもいい。
「…………あ、れ?」
ふと何気なく、特別教室棟の方へ目を向ける。
プロデューサーが本日借りていた部屋に明かりはない。
廊下を照らす照明の光が僅かに漏れて見えるだけで、建物全体は宵の薄暗闇に溶け込んでいる────それが、閉館寸前の特別棟が本来見せるべき姿である。
では、そんな期待とは裏腹に、中庭を挟んで本校舎側に見える教室のひとつが一等星の如くその存在を誇示している現状をどう説明しようか。
「消し忘れか?」
不意に立ち止まったプロデューサーの視線を追い、トレーナーもその異変に気付く。
この時間に一部屋だけ明かりが灯っているとあれば真っ先に不注意を疑うのは道理だろう。
昨日までのプロデューサーとて、きっと最初にそう思い込むことができたに違いない。
しかし、今日に限ってそれは第二候補だ。
『この間は門限ギリギリだったって聞いたし』
なぜなら、青年はそれ以外の可能性を知っている。
何の因果か。彼がその噂を聞いたのはつい2時間前の話であった。
「────はあ、呆れた」
「ん? 何か言ったか? プロデューサー」
「あぁ、いえ……トレーナーの言う通り、生徒の誰かが消し忘れているんでしょう」
空返事で誤魔化しながら、プロデューサーは頭をぶんぶんと振る。
思わず辟易とした感想が零れ落ちたのは、自身の早まった思考回路を批難してのことである。
たしかに莉波の話は嘘ではないだろうし、それを聞いてからというもの件の少女について追加調査を行ってはいた。
だとしても、今目に見えている光景をすぐさま彼女に結びつけてしまうのはあまりに短絡的すぎる。
まるで陰謀論者ではないか、とプロデューサーは心の中で自らを罵倒した。
4限まで敷き詰められた授業に続いて、20時までのプロデュース業務。彼の頭はもう限界のようだ。
しかしながら、
「確認しに行きましょうか」
「別におまえはそのまま帰ってもいいんだぞ?」
「いえ、乗りかかった舟のようなものですし。ちょうどトレーニングプランについて相談しておきたいこともありますから」
「おまえな……」
嬉々として沈没船に乗り込もうとする企業戦士。
自身の疲労にひどく無頓着な振る舞いに対して、ダンストレーナーは呆れて言葉も出ない。
本当に体力管理のプロデュースをしてもらうべきは彼なのではないだろうか、と。
「まぁ、話し相手がいるのは私としてもありがたいが」
だが、ここでこの男を説き伏せるのは難しいと考えてトレーナーは渋々観念する。
彼女の得意分野は肉体言語であり、交渉事に関してはつくづく門外漢なのだ。
仮に説得が成功したにしても、それでプロデューサーに与えられるメリットとトレーナー側の労力は割に合っていない。
一方で、プロデューサーはやや意固地になっていた。
このまま帰ってしまえば、脳裏に浮かんだ可能性を否定することができずに悶々と夜を過ごすことになるだろう、と。
頭と体はこれだけ疲れ果てているというのに、加えて睡眠不足にでもなったら目も当てられない。
学園において全身全霊のプロデュースを行う以上、家ではしっかりと安眠したいのである。
だからプロデューサーはダンストレーナーに同行して特別教室棟に向かうことにした。
────けれど、そこで確認できた光景は、彼の狂った思考を矯正してくれるものではなく。
案外、直感も馬鹿にはできないと思った。
「葛城────っ!」
扉を開けるなり、予備動作もなしにトレーナーが跳ぶ。
プロデューサーが驚く間もなく、彼女は次の瞬間には地べたに横臥する少女の元へと寄り添っていた。
あの人も大概化け物だな、なんて感想を他所に、プロデューサーも慌ててその人影に駆けつける。
ダンスレッスン室の中央に倒れていた生徒は、他でもない葛城リーリヤであった。
別棟から眩しく輝いて見えたはずの照明は間近で見るとひどく無機質で、彼女の顔色の悪さを白々しく照らし出している。
北欧生まれというのを加味したとしても、少女の肌はあまりに青白い。
やがて、トレーナーの呼びかけにリーリヤがゆっくりと目を開く。
「……あれ、ダンストレーナー、さん?」
「動かなくていい。どこか痛むところは?」
膝をついたトレーナーは彼女の顔を覗き込みながら、手首に指を這わせて脈を確かめる。
鍛えられた指先に迷いはなく、危機的な容態ではないと判断するには十分な手際の良さだった。
リーリヤの意識ははっきりしているし、目立った外傷も見当たらない。
最悪の事態だけは免れているようだ、とプロデューサーも詰めていた息を僅かに緩める。
「少し、頭が痛むような……?」
「頭? 倒れた時に打ったりはしていないか?」
「……いえ、そこまでは……ただ、足に、急に力が入らなくなって……」
声を絞り出すリーリヤの額には、玉のような汗が浮いている。
実際、プロデューサーとトレーナーが見つけた際にも彼女はうつ伏せに倒れていたし、後ろから床で殴られたということはあるまい。
頭痛は純粋な体調不良によるものだろう。
ダンストレーナーはリーリヤのレッスン着の襟元を緩めながら、近くに転がったままの水筒へちらりと目をやった。
「水分と糖分が足りてないだけだとは思うが、念のため確認しておきたい。最後に何か口にしたのはいつだ?」
「……えっと、レッスン室に入ってすぐの頃に水分補給をして、それ以降はずっとレッスンを続けていたので……」
言い淀む返答にトレーナーは深く息を吐く。
放課後に入ってからおおよそ5時間。休憩どころか水分補給すら怠って続け様に運動していたと聞けば、この結果にも頷ける。
「わかった。プロデューサー、その水筒をこっちに」
「……駄目ですね。中身が入ってませんよ、これ」
「はぁ、そういうことか。なら悪いが自販機まで走ってきてくれないか。糖分の入った飲み物──できればスポーツドリンクがいい」
「了解しました。すぐに戻ります」
言うが早いか、プロデューサーは廊下へと駆け出していく。
咲季がいればすぐにSSDを用意できただろうが、不運にもそれは叶わない。
それでも、ダンスレッスン室から玄関ホールの自動販売機までは目と鼻の先だ。
投入口に小銭を叩き込み、目当てのボトルを掴み取ると、彼は来た道を全力で引き返した。
「────お待たせしました」
差し出されたボトルを受け取り、トレーナーは蓋を開けてリーリヤの口元へとゆっくり運ぶ。
急かすことなく、しかし着実に飲ませていくその手つきは、手慣れた保護者のそれによく似ていた。
「ゆっくりでいい。急いで飲むと戻すぞ」
「……はい……ありがとう、ございます」
ごくり、ごくり、と。
小さく喉を鳴らすたびに、少女の色褪せた顔色に僅かながら赤みが差していく。
それを認めて、プロデューサーとトレーナーはようやく安堵の息を漏らした。
やがてペットボトルの半分を消費する頃には、リーリヤははっきりと意識を取り戻していた。
「顔色もすっかり戻ってきたな。とはいえ、こんな時間まで根を詰めてたんだ。今夜はもう大人しく休め」
「はい……本当に、ご迷惑おかけして────」
「気にするな。それよりプロデューサー、重ねて悪いが葛城を寮まで送り届けてやってくれ。棟の後片付けと、寮への連絡はこっちで済ませておく」
「わかりました、よろしくお願いします。立てますか? 葛城さん」
「は、はい」
言って、プロデューサーはリーリヤの肩にいつでも手を添えられるように構えながら、ゆっくりと立ち上がるよう促す。
その動作は一部始終において弱々しいものだったが、今すぐ肩を貸すほどのよろめきはない。
彼女が自力で歩けそうだと判断するや否や、トレーナーは早々に興味を失ったとばかりに「あとは頼んだ」と告げて片付けへ戻っていった。
もっとも、それが薄情さの表れでないことは、プロデューサーにも承知の上だ。
彼女の仕事は生徒の容態とその後の対応を見極めるところまで。
餅は餅屋と言うし、そこから先の細やかなフォローは畑違いだと弁えたに過ぎないのである。
────────────────────────────────
夜も更け始めた通学路は、街灯だけが等間隔に照らす静けさに包まれている。
昼間はあれほど賑やかだった道も、今はふたり分の足音だけが響くばかりだ。
制服姿に着替える分にはまったく問題は起きなかったが、隣を歩くリーリヤの歩調はいつ崩れてもおかしくないと疑うほどに頼りない。
プロデューサーはさりげなく歩調を緩め、彼女に合わせて進むことにした。
「センパイ、藤田さんや花海さんのプロデューサーさんだったんですね」
「はい。葛城さんのことは皆さんから伺っています」
「それは、なんだか恥ずかしいです、ね。さっきも、情けないところを見せてしまったみたいで」
「やる気があるのはとても良いことですよ。ただし、休憩はしっかりと挟むようにしましょう。さきほどのように体を壊しては元も子もないですから」
「……はい。ごめんなさい」
しょぼん、と目に見えて落ち込むリーリヤ。
余談ではあるが、彼女がプロデューサーを“センパイ”と呼んでいるのは、
『日本では同じ学園に通う年上の方を、センパイとお呼びするんですよね?』
という理由らしい。
現に彼らはプロデューサーとアイドルという区分された肩書の前に、初星を共通の学び舎とする同志だ。
その部分だけを切り取ったのであれば、むしろセンパイという敬称を使うのはごくごく自然な発想と言えるだろう。
さて、それはそれとしてこの話題を続けるのはまずい。
プロデューサーにその気がなくても、説教臭い言葉を聞けばリーリヤは謝罪を繰り返してしまうようなナイーブな状態である。
それを無視してこのままプロデュース論を語るのは流石に気が引けた。なんというか、先輩として。
「ひとつ、いいでしょうか? 葛城さんは、どうしてこの学園に?」
なるべく温かみのある口調に切り替えて、プロデューサーは問いかける。
内容としては面接で訊かれるような質問だが、これがそんな堅苦しいものでないことはリーリヤにも伝わっていた。
「友達に、誘われたんです。ふたりで一緒に、アイドルをやろうって。アイドルになるために、アイドルの学校に通おうよって。
わたし……自信がなくて、最初は断ろうと思ったんですけど……」
「何か、心変わりのきっかけが?」
「ライブを、観たんです。この学園で。友達と一緒に。
────────素敵でした。すごく……本当に、すごく。それで、その……えっと。わたしも、あんな風になりたい。そう、思うようになりました」
少女は不器用に言葉を紡いでいる。
自信はなくとも、その時に抱いた感動を、胸を焦がした衝動を、大切に慈しむように。
「もちろん、おこがましいことです。わたしは不器用だし、可愛くもない。だけど、それでも、どうしても」
少女は視線を上げる。
足りない才能など数えればキリがない。
諦めがつくような理由はすでに何度も相対してきた。
そのすべてに向き合い、真っ向から幾度となく打ちのめされ続けて、なお────
「アイドルに、なりたいんです」
けれど、この気持ちに嘘はつけない、と。
リーリヤは淀みのない無垢な瞳で、自身が初星学園へ来た意味を肯定する。
生まれ故郷から遥か異国の地──肉親たちとは遠く離れ、さぞ心細いであろう異邦の少女は、風にさらわれてしまいそうなほど弱々しく儚い体を、そんな意志の力だけで自立させていた。
「……良い目をしていますね。あなたなら、なれますよ、きっと」
プロデューサーは、その目をなるべく直視しないようにしながら────にも関わらず、そのような感想を口にした。
彼にはその未来がありありと視えている。
例え凝視せずとも、晴れた日に太陽が天高く昇っているのが自明であるように。
この少女の意志は、何物にも穢すことができないのだ、と。
「────────」
プロデューサーが天を仰ぐと、幸い依然と星々を認めることができた。
プロデューサー科の人間にとって、彼女の魂の輝きはある種の毒である。
太陽を直視し続ければ、目蓋の裏に焼き付いて視覚を奪われてしまうのと同じだ。
既に複数の担当を抱える者として、わかっていても、この少女に目を奪われるわけにはいかない。
云うなれば、これはプロデューサーとしての防衛本能である。
だがしかし、『怖いもの見たさ』なんて言葉があるように、未知を前に畏敬の念を抱きつつも好奇心を抑えきれないのが人類の生物的欠陥だ。
つまるところ、プロデューサーは毒になると知りながら、その効力がどこまでのものか確かめたくて仕方がなくなったのだろう。
「葛城さん、アイドルに一番必要な才能はなんだと思いますか?」
「えっ? ええと……可愛いとか、歌やダンスが上手……とか、ですか?」
唐突な問いに不思議そうな表情を浮かべながら、たどたどしくリーリヤは回答する。
たしかにステージ上のパフォーマンスの出来は重要視されがちだ。
しかし、プロデューサーが咲季やことねに諭したように、それがそのままアイドルの価値を決定するわけではない。
「む、難しいです……。上手にお話ができること……とか?」
それも大事ではあるが、一番とは言い難い。
第一、それが最も求められてしまうのであれば、月村手毬は体力管理などではなく、あの天性の言葉遣いを急ぎ療養させなければならない。
「葛城さん、アイドルに一番必要な才能は────強い意志を持っていること。勇気を持って、夢へと踏み出す才能です」
それがなければ、他にどのような才能を秘めていても意味がないとプロデューサーは語る。
幻想に出会い、理想を抱き、展望に翔ける。
その一歩は何よりも尊いものだ、と。
「そんな……わ、わたし……勇気なんて……」
「ありますよ。あなたはアイドルになると決めて、ご両親を説得した。そうですね?」
「それは……はい」
「そうして勉強し、試験を受け、合格し、家族から離れ、日本に来た。
ここは異郷の地です。不安にもなる。きちんと言葉が通じるかも分からない。
だけど、あなたは今ここにいる」
「……どうしても、なりたいんです。あの日、憧れた……アイドルに」
「────────────」
じりじりと網膜が焼ける。
今度は、視線を逸らすことができなかった。
プロデューサーとしての理性は、見てはいけない、と警鐘を鳴らし続けているというのに。
人としての本能は、できない相談だ、とこれを棄却する。
それがプロデューサーに備わっていた理性の最期。
だって、目の前にある星は、こんなにも眩く、輝かしいのだから。
「………………葛城さん、────」
声帯が硬直する。
続く言葉を口にしようとした途端、カチン、と音がした気がした。
それ以上は許可しない、と、予備電源で駆動し始めた理性が歯止めをかけているのだ。
青年は知っている。
衝動的にその言葉を口にしようものなら、彼は魔法使いではいられなくなる。
それはいけないことだ。
担当アイドルたちの理想のプロデューサーで存りたいのであれば、この少女とは今まで通り赤の他人でいるべきだ、と。
「……センパイ?」
リーリヤが訝しげにプロデューサーの顔を覗き込む。
暗くてはっきりとは見えないが、言葉を詰まらせた彼の顔は、どこか苦悶に満ちているような気がした。
「────、────────」
プロデューサーは心配そうな表情を浮かべたリーリヤを見下ろしている。
嗚呼、今夜は星がこんなにも輝かしくて、近くに見えるというのに。
「…………いえ」
それでも、彼はこの気持ちに嘘をつく。つかなければならない。
今日一日の疲労でどんなに判断能力が鈍っていたにしても、安易な発言をプロデューサーは許さない。
この仰々しい背広姿に身を包んでいる限り、青年は理想のプロデューサーで存り続けると誓っている。
だから、たったひとつ、本心から彼女と向き合うことができるとすれば。
「……葛城さんには才能があります、アイドルになるに相応しい意志の強さが。あなたはそれと向き合い、折り合いをつけなければいけません」
「折り合いを、つける?」
「ええ。才能というのはただ便利なだけのモノではありません。正しく使わなければ人の身を滅ぼすことだってある。
ですから、葛城さんは葛城さんの勇気を認めてあげるべきです。
自覚がなければ、自制のしようがありません。自制がなければ、それは蛮勇と変わりません」
「……バンユウ?」
「向こう見ず、ということです。ちょうど今日のレッスンのような」
「うぐ…………すみません」
「怒っているわけではありませんよ。たしかに根を詰めすぎるのはよくありませんが、長時間にわたって集中を維持していた事実は賞賛に値するものです。
結果は褒められたものでなくても、あなたはその過程を誇っていい」
そうして、葛城リーリヤは彼女自身を赦すべきだ、とプロデューサーは言った。
減点方式なんてネガティブな評価形態ではなく、もっと肩の力を抜いて、彼女の長所に目を向けた評価をするべきだ、と。
対するリーリヤにはプロデューサーの言葉を簡単に受け入れることができない。
自分の才能と向き合え、というけれど、彼女にはその在り方が視えていないのだ。
それでも、そのちっぽけな一歩が尊いものだと断言した彼を、少女は信じてみたくなった。
「……恐れ多いです。けど、センパイがそう言ってくれるなら、ちょっとだけ、信じてみます」
小さく、けれど確かな声でリーリヤは頷く。
先程までの萎縮した様子とは違う、芯の通った響きがそこにはあった。
プロデューサーはそれ以上多くを語らず、ただ静かに頷き返す。
他人の一言で揺らぐほど少女の信念は単純ではないだろうが、言葉を重ねすぎることの弊害を彼はよく理解していた。
そんなやり取りをしているうちに、ふたりはもうじき学生寮に辿り着こうとしている。
夜闇の向こう。
寮の正門前に聳える街灯は、すでに見覚えのある人影を照らしていた。
まだ顔が視認できるほどの距離ではないけれど、あんな風に門限破りの寮生を迎え入れる人物はひとりしかいない。
その事実を認めながら、プロデューサーは少し名残惜しそうに夜空を仰ぎ見た。
感慨に耽るのは、さきほどのリーリヤとの会話である。
いちプロデューサー候補生が担当外のアイドルにあそこまで踏み込む必要があったのか、と問われれば、合理的な答えは持ち合わせていない。
結局のところ、赤の他人でいようとする自制に彼は従うことができなかった。
歯止めとは、一度壊れてしまえば容易く瓦解してしまうものだ。
これからきっとプロデューサーはより強烈な衝動に苛まれることになる。
だというのに、彼は不思議と爽やかな心持ちで、ひとつの確信を抱いていた。
今宵、このアイドルの卵と言葉を交わしてしまった失態を、プロデューサーが後悔する未来は訪れないだろう、と。
10 気になる様子①
毎度大変お待たせしております。
①という表記からもおわかりの通り、またしても話を分割してしまいました。
ちょうど前回の末尾にくっつける予定をしていた内容なので、9.5話のような立ち位置と考えていただければわかりやすいかと。まぁ、全然本筋に関係する話ではあるのですが。
相変わらずの牛歩ではありますが、少しずつ物語を動かしていきたいと思います。
さて、話は変わりますが、9話を投稿してから感想やお気に入り登録をたくさんいただくことができまして、作者はSTEP4のことね並みに浮かれております。誠にありがとうございます。
やや癖のある文章かと思いますが、引き続き評価や感想、お気に入り登録をして応援していただけますと幸いです。
また誤字・脱字であったり、設定・アイドルの解釈に不備がある場合もご指摘していただけますとありがたいです。
引き続きよろしくお願いいたします。
台詞間の空行は必要でしょうか?
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あった方が読みやすい
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ない方が読みやすい
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知らんがな