────それにしたって、これは流石にいかがなものか、とプロデューサーは思う。
リーリヤを寮に送り届けた夜からすでに数日。
端的に言って、ここ最近の彼は致命的に集中力を欠いていた。
困ったことに今朝もその例には漏れない。
青年はそれこそプロデュースのために動作する機械のようにぼーっと虚ろな目をしながら、担当アイドルたちの自主レッスンに付き添っている。
この朝練はプロデューサーの指示ではなく、咲季と手毬の自主性により始まったものだ。
元々早朝にランニングを行う習慣があったふたりとしては、基礎体力づくりを朝方に固めてしまう方が都合がいいらしい。
プロデューサーとしても特に異論を挟むようなことはなく、今ではことねと莉波もこれに倣っている。
強いて言えば、ことねだけは例外的に、アルバイト翌日の不参加を命じられているわけだが。
「………………はあ」
柄にもなくため息を溢す。
傍からすればただ深く息をついただけのものと勘違いしそうになるほど些細な音。
それでも、彼が担当アイドルを前にしてこのように人間味を隠せなくなるのは珍しいことだった。
「プロデューサーくん、何かあった?」
「え」
本日のランニングを終えて、近くで水分補給をしていた莉波に言及されて、プロデューサーは虚を突かれたように目を見開く。
冷静さを忘れた素の反応は、まるで図星を取り繕うことができていない。
莉波からの指摘を受けるまで、彼自身、嘆息した事実に気付いていなかったのである。
「なんだか最近、ずっと上の空な気がして」
「…………そんなにわかりやすいですか?」
「ううん。ことねちゃんたちはあんまり気にしていないみたいだし、私も気のせいかもって思ってたんだけど」
さきほどのため息とリアクションは決定的だった、と莉波は語る。
お姉さん力強化の一環として、通常のレッスン以外の部分でもプロデューサーとの関わりが多い莉波だが、そんな彼女をしてこの青年のアンニュイな態度には馴染みがないのだ。
莉波の洞察力に感心するとともに、プロデューサーはどう返したものかと思考を巡らせる。
注意散漫さの原因には、自分でもどうかと思うほどに心当たりがある。
だが、それをそのまま担当アイドルに打ち明けてしまうのは、内容が内容なだけに気が引けてしまった。
「実はここ数日、寝不足気味なんです」
「寝不足?」
「ええ。睡眠時間は十分に確保するようにしているのですが、なかなか熟睡ができていないようでして」
「そういえば朝電話で起こしてあげたとき、眠たそうにしてることが増えたね」
「お姉さんらしい振る舞いはレッスンの一環としてお願いしていることですが、結構助けられているところがあってお恥ずかしい限りです」
面目が立たない、と心底参った様子で目を伏せるプロデューサー。
今のやり取りに嘘偽りはない。
情けないことにプロデューサーの夜は、日を追うごとに浅くなる一方である。
しかし曲がりなりにも彼はプロデューサーだ。生活習慣面での落ち度は作っていない。
ことねに休養の大切さを説いている手前、彼はどんなに多忙でも睡眠時間だけは厳守するように心掛けているのだ。
なので他に思い当たる節があるとすれば、瞼を閉じるたびに異邦の少女の蒼白な顔が浮かんでは消え、そのたびに邪念を振り払わんと目を覚ます────という不毛なサイクルを夜通し繰り返していることくらいで。
こればかりはやはり、彼女たちに打ち明けるわけにはいかない。
もしこの恋煩いじみた悩みが手毬の耳にでも入ろうものなら、『プロデューサーの浮気者ぉ!』と碌でもない台詞を叫ばれるのは目に見えている。
「……そういうことなら無理に朝早くから付き合ってくれなくてもいいのに」
「そういうわけにはいきません。最終試験まであまり日がありませんし、皆さんが頑張っているように俺も頑張らなければ」
「きみは十分頑張ってると思うけどなぁ」
苦笑を浮かべながら、莉波はプロデューサーの意地を優しく認める。
あの夏の日の少年は寝不足程度の理由で自分を曲げようとしないことを、彼女はよくよく知っていた。
「おふたりとも、一体何の話をしてるんですか?」
そうしてふたりが話し込んでいるのに興味を示して、莉波と同じく休憩中のことねが近づいてくる。
あえて彼女を蚊帳の外にする理由はないので、プロデューサーは簡潔に莉波にしたのと同様の説明をした。
すると、ことねは彼の悩みになるほど、と頷いてから。
「────ズバリ、枕を見直すといいですよ、プロデューサー」
今週のラッキーアイテムを告げる占い師の如く、ニンマリとした決め顔でそう言い放った。
キュピンと効果音すら聞こえてきそうなほど明快な自信のありよう。
ステージ上でそれが発揮できれば文句はないのだが、などと考えながら、プロデューサーはその真意を訊いてみる。
「これは咲季の受け売りなんですけど、枕によって睡眠の質って結構変わるみたいで。
あたしもこの前の休養期間のときに咲季のオススメのやつに変えたら、すっごく熟睡できるようになったんですよ」
「たしかに枕は大事だよね。遠征で外泊する時とか、枕が変わるだけで眠れなくなる子もいるし」
「そーなんですよねぇ。言われてみれば意外でも何でもないんですけど、なんだかんだでこだわって考えたことはなかったっていうか」
「私も今の枕で困ってはいないけど、咲季ちゃんのオススメはちょっと気になるかも……」
会話の波長がこれ以上なく合うのか。
段々とプロデューサーそっちのけでラリーを始めることねと莉波。
実際、枕が睡眠の質に与える影響は大きい。
首の角度ひとつで気道の確保や筋肉の緊張具合は変わるし、それが寝返りの回数や眠りの深さに直結するというのは、スポーツ科学の分野でも広く知られた話である。
もっとも、プロデューサーの安眠を妨げているのは枕ではなく、その上に載せた頭の中身の方なのだが。
「あら、枕の話? 面白そうなことを話してるじゃない!」
と、そこへランニングを終えた咲季が合流する。
汗を拭いながらも息ひとつ乱していない彼女の数歩後ろでは、手毬が膝に手をつきながら呼吸を整えていた。
最終試験に向けてレッスンメニューを調整した後、当人の嘆願もあって、手毬は毎朝の走行距離を大幅に増やしていく方針となった。
ペース配分とは別に根本的な体力を伸ばすための特訓ではあるが、こちらは現状ではあまり成果を得られていないらしい。
彼女のトレーニングを監修している咲季曰く、今までも限界まで追い込むように走っていたのだし、手毬はすでに一朝一夕で成長できる段階ではないのだとか。
閑話休題。
興味津々な様子で会話に加わった咲季は、ことねから事のあらましを聞くや否やプロデューサーに向き直って。
「プロデューサーが寝不足なんて由々しき事態ね。睡眠は貯蓄もできなければ補填だって難しいんだから。日頃から熟睡できるように環境を整えておかないとダメよ」
「はい、肝に銘じておきます」
「うんうん。それじゃ、首の高さを測らせなさい」
「…………ん?」
「だから、首の高さよ。あと肩幅も測っておきたいわね。わたしがプロデューサーに一番合う枕を選んであげるわ!」
「……お気持ちだけ頂戴しておきます」
任せなさい、と胸を叩く咲季の申し出をやんわりと辞退するプロデューサー。
提案そのものは魅力的だし、咲季の厚意を疑うわけではないが、彼女の場合「選んであげる」が枕ひとつ見繕う程度で済むのかどうか、甚だ疑わしい。
熟睡を阻害している要因が他にある以上、そんな大層な手間を取らせたくないというのがプロデューサーの本音だ。
「うげ、あのブランドの枕って高いのだとこんなにするんだ……」
一方、莉波と一緒にスマートフォンの画面を覗き込みながら、みるみる顔を青くすることね。
どうやら、今の話の流れで自分が買った枕の最上位モデルの値段を調べてしまったらしい。
そんな彼女の守銭奴らしいムーヴに、疲労困憊から復帰した手毬はやれやれと肩をすくめた。
「ことねってお金の話になると目の色変わるよね。正直キ────」
「…………キ?」
“気持ち悪い”────などと容赦のない一言を言いかけて、手毬は必死に両手で口を押さえる。
危うく罵倒が滑り出かけた瞬間、彼女の脳裏をよぎったのは、先日プロデューサーから言い渡された例の取り決めである。
────藤田ことねへの不必要な暴言は、咲季が用意する食事への苦手な食材の投入を以って罰する。
無慈悲に宣告されたそのルールが、後ろに続いたはずの言葉を見事に奪ってしまったのだ。
で、そんなオモシロな状態をこの相手が見過ごすわけがなく。
「あれぇ〜? どうしたの手毬〜? 続き、言わないの〜?」
鼠を見つけた猫のように目を細めながら、手毬の顔を覗き込むことね。
明らかにペナルティ一歩手前の少女をからかう様は、つい今しがたまで青ざめていたのが嘘のような変わり身の早さである。
「……うっ……ぐぬぬ……!」
「もう、ことねちゃん。あんまり手毬ちゃんをいじめちゃダメだよ?」
「え〜、いじめてないですよぉ。ねっ、
見兼ねた莉波がたしなめるも、調子に乗ったことねはどこ吹く風だ。
肩を組む勢いで同調を求めるソレは、もはやいじめっ子の常套句にしか聞こえない。
対する手毬はといえば、迂闊だったと強い後悔を抱きながら、恨みがましい視線を突き刺すことで抗議の意を示している。
そんな三者三様のやり取りを眺めて、何を思ったのか咲季はぽんと手を打って。
「そういえばプロデューサー、手毬の苦手な食材ってなんなの? いざというときのためにいくつか仕入れておきたいのだけど」
「いざというときって何!? 絶対教えないでよ! プロデューサー」
「…………そうですね。善処します」
せっかく回復した体力をすべて絞りだすほどの怒鳴り声に、無感動に答える人畜無害。
プロデューサーのどちらとも取れる返答に、手毬は「善処って何!?」と再び悲鳴を上げる。
しかし悲しきかな、それは煙に巻こうという意図によるものではなく、単に話の半分も耳に入っていなかっただけのことで。
彼女の必死の訴えも、そんな茫然とした調子に受け流されてしまった。
ともあれ、こうしてその日の朝練はいつも通りの賑やかさのまま過ぎていく。
ただひとり────莉波だけが、心ここにあらずなプロデューサーの横顔を、訝しげに窺っていたことを除いて。
────────────────────────────────
扉を一枚隔てただけで、昼休みの喧騒はずいぶんと遠くなる。
学園からプロデューサー候補生ひとりひとりに割り当てられた教室────もとい、プロデューサーの事務所は、この時間帯に限っていえば校内でも指折りの閑静な空間だ。
その中央を陣取る長机の上には、最終試験を控えた4人のアイドルの資料が所狭しと広げられている。
彼の目下の課題は、あさり先生に提出する報告書と計画書の作成だ。
けれどやはり、プロデューサーの集中力は随分と前に途絶えてしまった。
カチ、カチ、と秒針が指先を急かす。
それでも司令塔である頭が十全に機能していない以上、キーボードが勝手に打鍵されるということはありえない。
割り切って昼休憩をとってしまえば、少しは気持ちも切り替えられるだろうに、今の彼にはその発想すらない。否、昼になったという事実にさえ気付いていない。
プロデューサーの思考回路は、今や完全にフリーズしているのだ。
いつかのように、苦言を呈しながらも昼食に誘ってくれる担任教師がいれば現状打破もできようが、あいにくと本日はその気配がない。
つまるところ、この石像人間と化したプロデューサーの昼休みに待ったをかける者は誰もいない────はずだった。
「プロデューサーくん、いるかな?」
控えめなノックの音に続いて、教室の扉の隙間から聞き慣れた声が滑り込んでくる。
ひょっこりと顔を覗かせたのは、今朝方に顔を合わせたばかりの莉波だった。
その手には、小さな弁当の包みが提げられている。
「姫崎さん。どうかされましたか?」
「ううん、特に用事があるってわけじゃないんだけど。たまには一緒にお昼でもどうかなって」
言いながら、莉波は勝手知ったる様子で事務所へと足を踏み入れる。
プロデュースの一環として、彼女がこの部屋を訪れること自体は珍しくない。
ただ、昼休みにひとりで、というのは少しばかり異例であった。
そうして長机の有り様を目にした途端、莉波の眉がわずかに寄る。
「……もしかして、まだ休憩にも入ってない?」
視線の先には、未だ結び目を解かれた形跡のない包みがひとつ。
その中身は言わずもがな、プロデューサーが自らこしらえた弁当箱である。
心配そうな莉波の表情は、時計を確認するまでもなく、昼休みが始まって既にしばらく経っていることを告げていた。
「おっと、もうそんな時間でしたか」
「……ほら、片付けて。一緒に食べよう? 私もまだなんだ」
有無を言わさず、それでいて柔らかな声色。
いつぞやのあさり先生とはまた種類の違う、けれど同じくらい逆らいがたい年長者風の気迫である。
これにはプロデューサーも素直に従うほかなく、広げていた書類を手早くまとめにかかる。
その途中、彼が紙束の一番下に紛れていたとある資料をそっと裏返してから仕舞い込んだことを見逃さなかったものの、莉波はあえて気付かないフリをした。
「わぁ、綺麗なお弁当だね」
やがて長机の上に並んだふたつの弁当箱を見比べて、莉波は感心したように声を上げる。
プロデューサーのそれは、彩りと栄養のバランスを几帳面なまでに計算し尽くした、いかにも彼らしい内容であった。
対する莉波の弁当箱を覗けば、こちらは和風な具材を中心に丁寧かつ家庭的な献立が並んでいる。
「姫崎さんのお弁当も美味しそうですね。しぐれ煮、ですか」
「うん。うちの流儀でけっこう生姜を効かせてるんだ」
はにかむように答える莉波。
それから互いの料理にあれこれとコメントを呟きつつ、ふたりは粛々と昼食をとりはじめる。
プロデューサーも莉波も、食事中に絶えず談笑できるほど器用なタイプではない。
なので、教室内に静寂が戻るのは自然なことなのだが、それにしたって今日は何か異様だ、とプロデューサーは違和感を覚える。
「────────────────」
箸を動かす音だけが事務所に響く。
不自然さの正体は、彼の対面に座る莉波にあった。
彼女は黙々と弁当を口にしながら、時折神妙な面持ちでプロデューサーの顔を覗き見ている。
それは朝練で垣間見た、プロデューサーの上の空ぶりを案じてのことである。
朝のため息の理由を改めて問いただすのは簡単だ。
けれど、正面から訊いたところでこの頑固な青年が素直に白状するとは思えない。
今朝の『寝不足』が良い例である。
嘘ではないけれど、本当のことも言っていない────そういう賢しいはぐらかし方をする人物だというのは、すでに莉波も体感したところだ。
だから彼女は、まずは他愛のない話から始めることにした。
「そういえば、麻央から聞いたよ。この間、リーリヤちゃんを寮まで送ってあげたんだって?」
卵焼きを箸で切り分けながら、莉波はさも今思い出したかのように切り出す。
その声色に咎めるような響きはない。
が、続く言葉には明らかにくすくすと笑いを噛み殺した気配が混じっていた。
「麻央ったら、リーリヤちゃんと一緒に歩いてくるのがプロデューサーくんだってわかった瞬間、つい身構えちゃったんだって」
「……誤解のないよう言っておきますが、トレーナーから正式に依頼を受けてのことですからね?」
「うん、知ってる。麻央もちゃんとわかってたよ。ただ、少し前の明け方に不審者として捕まえたきみが、今度は夜更けに寮の後輩を連れて現れたからびっくりしちゃったみたいで」
麻央の見事な勘違いっぷりと、その相手がプロデューサーであるという事実がツボにはまったのか、莉波の口角は終始上がりっぱなしだ。
その指摘に、当事者である彼は返す言葉を持たない。
早朝の不審者騒動に続き、今度は夜更けの送り狼の嫌疑。
前者はその日のうちに弁解したとはいえ、後に莉波の特殊なレッスンの内容を聞いて不信感を再燃させてしまったという事情もある。
そんな前科一犯の男がよりにもよって同じ現場に舞い戻ったとあらば、寮長の警戒も道理と言う他なかった。
当然、その誤解もその夜のうちになんとか解いているのだが。
「有村さんには、改めてご迷惑をおかけしたとお伝えください」
「ふふ、伝えておくね…………それでね、プロデューサーくん────」
ひとしきり笑い終えたあと、莉波は箸を置いて、まっすぐにプロデューサーを見つめて。
「きみが上の空になり始めたのって、ちょうどその翌日からだよね」
「────────────」
ぴたり、と。
次の具材を探していた箸が宙に止まる。
なるほど。彼女は最初から、おおよその見当をつけたうえでこの事務所を訪れたのだろう、とプロデューサーは瞬時に悟った。
思えば莉波は数日前、彼が手毬からリーリヤの話を打ち明けてもらったときにもその場に居合わせている。
手毬の心配。リーリヤの帰寮の遅さ。麻央の証言。そして、ここ数日にわたる青年の上の空。
それだけの材料が揃っていれば、点と点を結んで推論を形作るのは造作もない。
おまけに、実際に事務所へ踏み入ってあの物証まで見つけられたのは、莉波にとって嬉しい誤算だった。
プロデューサーが咄嗟に莉波から隠そうとしたのは、紛れもない葛城リーリヤの調査資料だ。
「ご覧になっていましたか」
「ことねちゃんたちには内緒にしてあげるね」
悪戯っぽく片目を瞑って微笑む莉波。
それは実質、すべて見ていたという自白に他ならないのだが。
そんな可愛らしい取引を持ちかけられて、プロデューサーは観念して小さく息をつく。
ここで言い逃れを重ねたところで、そもそも今朝の『寝不足』が通用しなかったように、この“姉”の目を誤魔化しきれるとは到底思えない、と。
「……葛城さんには、才能があります。あの夜、彼女を寮に送り届ける中で確信しました」
ぽつりと、言葉がこぼれ落ちる。
胸襟を開いたような独白に、莉波はうん、と優しく促すように相槌を打つ。
「ですが、同時に危うさもある。葛城さんには、きっと導いてくれる存在が必要です。しかし────」
言いかけて、プロデューサーは言葉を探すように視線を落とした。
その先にあるのは、几帳面に詰められた彼の弁当箱だ。
毎朝欠かさず丁寧にこしらえているそれは、プロデューサーが自らに課した規律の象徴である。
「今の俺は、皆さんのプロデューサーです。咲季さん、月村さん、藤田さん、そして姫崎さん。4人もの担当を抱えておきながら、さらに手を広げるような真似をすれば、いずれ誰かを疎かにしかねない」
優柔不断なプロデュースは彼自身のみならず、担当アイドルの破滅すら招く。
それは入学当初、あさり先生に口を酸っぱくして忠告された金言だ。
莉波たちの理想のプロデューサーで存り続けるためには、葛城リーリヤとは赤の他人でいるべき。
あの夜──彼女のスカウトを踏みとどまったあの瞬間、プロデューサーは自分にそう言い聞かせたはずだった。
「だから葛城さんのことは考えないようにしよう、と。そう思ってはいたんです」
「でも、考えちゃうんだね」
「…………ええ。本当に、お恥ずかしい限りですが」
自らの節操のなさに唇を噛む。
胸の内をさらけ出したことで理性が少し決壊しているのか、その素振りはいつになく感情的だ。
理想のプロデューサーに徹しようとする彼の姿も魅力的ではあるが、やっぱりこの少年はこっちの方がいい、と莉波はいつかの夏を懐かしむように微笑んで。
「ねえ、プロデューサーくん。どうしてプロデューサーくんは、あのとき私をスカウトしてくれたの?」
「姫崎さんを、ですか?」
唐突な問いかけに、プロデューサーは面食らったように顔を上げる。
それから数秒、彼は言葉を選ぶように逡巡してから口を開いて。
「…………俺が、姫崎さんの魅力を知っていたからです。
あなたにはアイドルとしての確かな才能がある。だから、俺の手であなたをトップアイドルにしたいと────」
姫崎莉波ならトップアイドルになれる、と。
かつての記憶をもとにそう確信して、彼女のスカウトを決心した。
だが、そんな模範解答のような返答に対して、莉波は青年の額をつん、と突くように人差し指を立てて。
「ううん、違うよ。だって、それじゃあきっと、きみがことねちゃんたちを疎かにする理由にはならないもん」
「────────」
思いがけない否定に言葉を詰まらせる。
もちろん、莉波の才能を見込んだから、というのは嘘ではない。
その前提がなければさしものプロデューサーも彼女をスカウトする発想すら浮かばなかったはずである。
けれど、それだけでは足りないのだと莉波は言っている。
そもそもとして才能だけがスカウト理由だというのなら────
「当てはまる子は、私の他にもたくさんいるんじゃないかな?」
「それは…………」
「もしかして、リーリヤちゃんの他にも気になった子がいたりする?」
じーっと目を細めて、莉波はプロデューサーの顔を覗き込む。
それは咎めるというより、弟の隠し事を見つけた姉のような、どこか楽しげな眼差しだった。
そんな無邪気な目を向けられてしまっては、もはや白を切ることもできまい。
「…………一度はスカウトを考えた、という意味であれば、何名かは」
特に佑芽や麻央あたりはそれに該当するだろう、と。
担当アイドルへの後ろめたさから、少し目を逸らしながら答えるプロデューサー。
そんな往生際の悪さが気に食わなかったのか。あるいは回答そのものに不満があるのか。
莉波は少しだけ頬を膨らませてから「ふふ、やっぱり」といつも通りの優しい表情に戻って。
「じゃあ、その子たちはどうしてスカウトしなかったの? どうして、私だったの?」
莉波は諭すように問答を紡ぐ。
なぜあのとき、他の魅力的なアイドルを差し置いて、莉波を選んだのか。
どうしてその選択が、担当アイドルたちのプロデュース計画よりも優先されてしまったのか。
それらを問われて、プロデューサーはあの日の自分を思い返す。
すでに3人の担当を抱え、綿密に組み上げたプランがようやく軌道に乗り始めた頃だった。
4人目に莉波を迎えるとなれば、その計画は当然組み直しとなる。
手毬あたりから反発を受けることも、十分すぎるほど目に見えていた。
「……そう、ですね。姫崎さんのスカウトを見送る理由なら、いくらでもありました」
「それなら、どうして?」
柔らかく、念を押すように莉波は問う。
ただ急かすこともなく、彼女はプロデューサーが自分で辿り着くのをじっと待っている。
その慈しみに満ち溢れた表情は、すでに彼の答えを知っているとでも言いたげな、どこか母性的で朗らかなもので。
「────────────」
見惚れて息を呑む。
それはかつての少年が少女に見出した、姫崎莉波というアイドルの魅力に他ならない。
だが、実際にプロデューサーがスカウトを決意するまでは、誰もその魅力に気付かず、誰もその歩みを正そうとしなかった。
勝手な所感ではあるが、このまま見送ればいつかアイドルという舞台を降りてしまうとさえ思えてしまったのだ。
そして、そう思った瞬間には、プロデューサーの心は彼女をスカウトすると決めていた。
それは理屈ではない。打算でもない。
他に浮かんだそれらしい理由など、その事実を覆い隠すための大義名分でしかない。
だから────嗚呼────結局、
「きっと、放っておけなかったんです。俺はあなたの才能を輝かせたいと願う以上に、あなたというアイドルの輝きを失ってしまうことを恐れていた。
その気持ちがあまりに大きかったから、たぶん、なりふり構っていられなかったのだと思います」
面はゆそうにしながら、他人事のように答えるプロデューサー。
気持ちというのは、案外当人には与り知らないものだ。
確かなのは、それはプロデューサーとしての判断ではなく、彼個人の願望に近かったということ。
姫崎莉波に魅せられたひとりの人間として、彼女にはアイドルでいてほしい、と。
ただそれだけの純情で、たったそれだけの理由で、プロデューサーはそれまでの計画を反故にした。
それでも、そんな強行ゆえに手を差し伸べられた莉波がこれを糾弾することはなく。
少女は彼の答え合わせに静かに頷き、その目元を和らげながら。
「プロデューサーくんは、きっとリーリヤちゃんにも同じこと思ってるんだよ」
優しい面持ちのまま、トドメとばかりに彼の心の内を告発する。
知れず、青年が首を縦に振ったように見えたのはただの偶然か。
否、今更それを問いただすまでもなく、プロデューサーは自らの心境を自覚して、静かに俯いている。
「でも、それでは皆さんのことが────」
「疎かになる?」
咄嗟に自身を諫めようとするプロデューサーに対して、莉波は小さく首を傾げてから困ったように笑った。
こうなってしまった以上、どうあがいても彼には葛城リーリヤを無視することは叶わないだろうし、何より────
「大丈夫だよ。きみがちゃんと見てくれてるのは、私たちが一番よく知ってるから。
だからね、私たちのことを理由に、きみが本当にやりたいことを我慢してるなら…………それは、ちょっと寂しいかな」
「……寂しい、ですか?」
「うん。だって、困ってる子を放っておけないのが、私の理想のプロデューサーさんだもん」
だから私はここにいる、と。
春の陽だまりをそのまま閉じ込めたような笑顔を添えながら、莉波はプロデューサーの心を認めていた。
その未熟さも含めて、この青年の熱意は替えがたい魅力だ。
彼が莉波に自然体であることを求めるように、莉波もまた、プロデューサーにはそんな彼らしくいてほしいのである。
「…………まったく。姫崎さんには敵いませんね」
「ふふ、お姉ちゃん、だからね」
得意げに胸を張る莉波に、プロデューサーは苦笑を返す。
自制という名の歯止めはとうに壊れていた。
彼が為すべきことはただ、その事実を認めてやるだけでよかったのだ。
当然、それがプロデューサーとして正しい姿勢なのかと問われれば、少なくとも首を縦に振ることはできない。
プロデューサーは夢を見せる魔法使いであれというけれど、その過程は泥臭いほどに現実主義に満ちていなければならないのである。
青年の願望にはその後者が欠如している。
どんなに大きな理想を掲げたとしても、実現できないのであれば、所詮は絵に描いた餅でしかない。
それでも────────
「姫崎さん。せっかく昼食をお誘いいただいたのに申し訳ないのですが」
「……行くんだね」
いてもたってもいられずプロデューサーは席を立つ。
青二才をすべて承知した上で、どうしてまだその衝動に従うのかなんて、言葉にするまでもない。
あの夏、少女が少年の心を救ったように。
この春、青年が少女の心を認めたように。
彼が憧れた魔法とは、そんな絵空事を現実にするためのものなのだから。
「ええ、いってきます。また放課後に」
「うん。いってらっしゃい、プロデューサーくん」
手際よく食べ掛けの弁当箱を片づけて、プロデューサーは颯爽と教室を後にする。
10分にも満たない昼食会の中で、莉波はプロデューサーの考えが正しいとも、間違っているとも口にはしなかった。
ただ、その選択を尊ぶように、少女は走り去っていく背中を誇らしげに見送る。
いつの日か、同じ選択の末に自分のもとへ駆けつけてくれた、青年の姿を重ねながら。
────────────────────────────────
前へ前へと進む上体に置いていかれないように、絶えず足を駆動する。
鼓動は高鳴り、胸は熱くなっているというのに、プロデューサーの頭はいたって冷静だ。
持て余した感情をなんとか理性で取り繕いながら、彼は昼下がりの喧騒を駆け抜けていく。
その道中、規則に煩い教員やそれに倣う生徒たちに呼び止められなかったのは幸いと言えるだろう。
やがて、事務所を出てから一度たりとも足を止めなかったプロデューサーは、数分足らずで目的地に辿り着く。
本校舎の喧騒から一本外れた廊下は、昼休みとは思えないほど静まり返っていた。
その突き当たりにあるのは、学園の片隅にひっそりと設けられた礼拝室である。
生徒の大半がアイドルとしての自己研鑽に明け暮れる初星学園において、ここに日常的に足を運ぶ者はそう多くない。
だからこそ、その廊下をひとり歩く小柄な背中は、探すまでもなくすぐに見つかった。
「────葛城さん」
深く息を吐いてから、プロデューサーは少女に呼びかける。
荒く乱れた呼吸も、慣性で上下し続けていた肩も、彼はこのとき魔法の如く消し去った。
「……センパイ?」
呼び止められたリーリヤは、その声の主がプロデューサーであると気付いて驚くように目を瞬かせる。
背広姿の青年は平静を装っているが、額に浮かぶ汗までは制御できないのか、ここまで走ってきた事実を隠しきれていない。
そんな彼の登場は、普段通りに礼拝へ向かうだけだったリーリヤにとって予想外もいいところだっただろう。
「どうして、ここに……?」
「葛城さんは近頃、この時間に礼拝室を利用されることが多いようでしたので」
「…………?」
リーリヤの問いに、さも当然とばかりに答えるプロデューサー。
言葉足らずはいつもの通り。
いくつかの問答をすっ飛ばした彼の返答は、異邦の少女をますます困惑させている。
第一、あの夜言葉を交わしただけの男にここ数日の習慣を把握されているというのは、一般的な女の子からすればもはやホラーである。
幸運にもリーリヤが首を傾げるだけで済んでいるのは、日本語に不慣れなせいか、そうした文脈の読み取りに苦労していることによるところが大きい。
どうか、すべてを理解した後も、彼女がこれを日本の常識として覚えてしまわないことを切に願うばかりだ。
「その後、お変わりありませんか」
「は、はい。あの日は、本当に、ご迷惑をおかけして……あ、あれからは、ちゃんと休憩も取るようにしてます」
躊躇いがちにリーリヤは答える。
実際、あれから彼女が倒れたというような報告は耳にしていない。
プロデューサーからの助言に加えて、寮長である麻央あたりからも口を酸っぱくして言われたのだろう。
ともあれ、その忠告を彼女はきちんと胸に留めておいてくれたらしい。
しかし、それはあくまでも小休憩の話である。
根本の原因である彼女のレッスン時間の長さは、ここ数日でなにも改善されていなかった。
担当アイドルたちのレッスンを終えて特別教室棟から出ていく際、毎日居残る少女の姿を見せつけられれば、プロデューサーの自制がこうも早くに瓦解してしまったことも頷ける。
「……あの、センパイ?」
つい考え込んで黙ってしまったプロデューサーを不安に思って、おずおずと問いかける声。
リーリヤは彼の悩みの一端が自身にあることに気付いていない。
そんな純真無垢な少女の姿を見て、プロデューサーは覚悟を決めたように小さく息を吸い込む。
やはりこの少女の在り方は放っておけないほどに危うい。
だから今度こそ、その言葉を呑み込むような真似はしなかった。
「葛城さん────“あなたをプロデュースさせてください”」
「……………………えっ?」
なんだか、凄いことを言われたような気がして、リーリヤはその場で首を傾げたまま固まった。
目を丸くしながら、少女は投げかけられた一文の意味をゆっくりと時間をかけて咀嚼する。
やがて異国の言葉で紡がれたそれを、頭の中で一音ずつ丁寧に辿り直して。
「……えええっ!? わ、わたしを、ですか……!?」
理解が追いついた次の瞬間、静まり返った廊下に素っ頓狂な声を響かせていた。
驚きのあまり、ついさきほどまで礼拝室に持ち込もうとしていた複雑な心境は綺麗に漂白されてしまったほどである。
無理もない。
リーリヤからすれば、あの夜の会話はひとりの親切な“先輩”による、一度きりの気遣いに過ぎなかったはずなのだ。
何より、彼女は目の前の青年がすでに誰かさんたちのプロデューサーであることを知っている。
「で、でも……センパイは、もう、藤田さんや、花海さんたちの……」
「はい。すでに4名のアイドルを担当しています。なので、最初は葛城さんにお声がけするつもりはありませんでした」
動揺を隠しきれないリーリヤに、プロデューサーはうん、と首肯する。
咲季、ことね、手毬、そして莉波。
4人のプロデュースだけで手一杯だと、つい数日前までの彼なら迷わずそう考えていただろう。
否、数分前までなら、迷いながらもそう結論付けていたはずだ。
「それなのに、どうして……?」
「……気が変わったんです」
さらりと告げるプロデューサー。
数日にわたって安眠を手放し、担当アイドルたち、とりわけ莉波にまで心配をかけた末の結論を、この青年は実に涼しい顔で一言に圧縮してみせた。
もっとも、その涼しい顔の裏側で、己の心臓が未だに全力疾走の最中にあることは、彼だけの秘密である。
「葛城さんには憧れに辿り着くだけの勇気がありますが、今のままではやはり体が持ちません。
ですから、俺にあなたの夢を手伝わせてはもらえないでしょうか。我々プロデューサーは、そのために知識を培ってきましたから」
「────────────」
差し出された言葉に少女は息を呑む。
目の前がまったく見えないほどの暗く深い海の底に差し込む、一筋の陽光のような温かな光。
その本性がやせ我慢であれ、このときのリーリヤにとって、プロデューサーの申し出は何よりも希望に思えた。
彼の言う『勇気』という才能を、いまだに心から信じることはできないけれど。
『────なれるよ! リーリヤなら! ぜったい、すごいアイドルになれる!
だから、ふたりで初星学園に入って、いつか、あのステージに立とうよ!』
最初に、その勇気をわけてくれた人がいたはずだ。
そのように信じてくれた少女がいたはずだ。
それが、葛城リーリヤの唯一の武器だというのであれば、
彼女は────わたしは、この約束に報いなければならない。
そのためなら、たとえどんなにおこがましいと思うような施しでも、どんなに分不相応な信頼でも、拒む理由にはならない。
だから。
「……こんなわたしで、よければ────よろしくお願いします、センパイ!」
俯きがちだった顔を持ち上げて、少女は決意を表明する。
緊張の面持ちで言葉を紡いだその頬は、ほんのりと上気していた。
まっすぐに青年を見上げるその瞳には、あの夜、彼の網膜を焼いたものと同じ光が宿っている。
それを真正面から受け止めたプロデューサーは、ほんの少しだけ口元を緩めて。
「ええ。一緒に頑張っていきましょう」
健気な少女に真摯に向き合いながら、朗らかな笑みでそう答えた。
さて、問題はここからだ。
勢い任せにリーリヤをスカウトしたはいいものの、色々と後回しにしていることが山積みである。
あさり先生には計画書を提出していないし、すでに事情を知る“姉”はともかくとして、残る3名の担当アイドルたちにこの一件をどう説明したものか。
ひとまず事務所に戻りながら、放課後までの猶予時間を使ってプロデューサーは対策を練ることとした。
────────────────────────────────
しかし、まあ、灯台下暗しとはよく言ったもので。
プロデューサーが致命的な見落としに気付いたのは、その騒動が起こってしまった後の話。
「プロデューサー! 説明してくださいッ!」
昼休みの終了からおおよそ1時間後。
まだ放課後に突入していない段階から、彼は担当アイドルの糾弾を浴びることとなった。
よくよく考えてみれば当然だ。
リーリヤは1年1組に在籍していて、莉波以外の担当アイドルたちとはクラスメイトなのである。
そんな状況でリーリヤがプロデューサーにスカウトされた事実をミーティングまで内緒にしておく謂れはないし、とすれば事態の露見は放課後を待たない。
現に事務所には15分程度の貴重な休憩時間を使って手毬が押しかけている。
同伴した咲季とことねが彼女を宥める側に立ってくれているのはありがたいが、プロデューサーが何よりも頭を抱えているのは、手毬がリーリヤのスカウトを知るや否や──
『プロデューサーの浮気者ぉ!』
と、叫びながら教室を飛び出したらしいことである。
ただでさえ担当アイドルを4──5名も抱えているという中で、月初の不審者事件と先日の送り狼の一件に加えて、今回の騒ぎだ。
初星学園内でのプロデューサー株は見事な大暴落を見せていることだろう。
ちなみに、咲季とことねの背後には、事の発端であるリーリヤがおろおろと身を縮めていた。
どうやら手毬を追いかける級友たちに、成り行きでついてきたようだ。
「説明もなにも、お聞きになった通りです。葛城さんをスカウトしました」
「だから────っ! それがどういうことかって聞いてるんですッ!」
ばんばん、と事務机に両手を叩きつけながら、手毬は尚のこと問い詰める。
柳に風とばかりに受け流すプロデューサーの態度が、余計に彼女の神経を逆撫でしているのは言うまでもない。
「こら手毬、落ち着きなさい。次の授業まであと10分もないのよ」
「そーそー。ここで暴れてて遅刻になったら、それこそ手毬の嫌いな時間の無駄遣いになるんじゃねーの?」
「ぐっ…………」
両脇から窘められて、手毬は苦々しく唇を噛む。
とりわけことねの一言は、合理主義に則って無駄を嫌う手毬にとって覿面に効いたらしい。
なんだかんだで、咲季とことねは月村手毬の扱いを理解してきたようだ。
「…………だって担当が増えたら、私たちひとりひとりに割く労力が減るじゃないですか」
ややあって絞り出すように手毬は言う。
その言葉にリーリヤの肩が小さく揺れる。
何か言いかけて唇が動いたが、結局、彼女はきゅっと口を噤んで俯いてしまった。
自分の存在が誰かの足枷になる────その事実を突きつけられて平然としていられるほど、この少女は図太くない。
手毬の言い分は筋が通っているし、スカウトを決断する前のプロデューサーと同様の懸念である。
担当を増やすことを強行してしまった以上、彼にはこの問題をクリアする義務がある。
「ご心配なく。皆さんのプロデュースに関して手を抜くなんてことはしません。
これまで通り、全身全霊を以てあなた方をプロデュースすることを約束します」
「…………それって、つまりプロデューサーの負担が全体で25%アップするってことじゃないです?」
呆れるように目を細めながら、真理にたどり着くことね。
担当が4人から5人に増えるということは、単純計算するのであればそういうことになる。
もちろん、実はリソースの半分以上を手毬が占めている、なんて驚異の事実を加味しなければの話ではあるが。
とはいえ彼女の指摘通り、全体量として彼の労力が一切増えないなんてことはありえない。
「負担が増えることについては否定はしません。ですが、皆さんが想像されているほど大きなものでないということはお伝えしておきます。
当初の予定では咲季さんと月村さん、藤田さんの3名を同時にプロデュースする時点でかなりの苦労を強いられる想定でした。
それが遥かに抑えられているのは、皆さんの相性が予想以上に良かったからです」
一切の淀みなくプロデューサーは言い切る。
それは慰めでも誤魔化しでもなく、これまでのプロデュースから導き出された、極めて客観的な結果であった。
衝突と和解を経て互いの長所を認め合い、時に競い、時に補い合う。
そうした関係を築き上げてきた彼女たちだからこそ、プロデューサーひとりが背負う負担は想定よりもずっと軽く済んでいるのである。
付け加えると、少し遅れてスカウトされた莉波のお姉さん力強化レッスンも、彼の負担軽減に一役買っているのだ。
「ふふん、当然ね! わたしたちは最高のライバルだもの!」
「む────────」
得意げに胸を張る咲季の隣で、手毬はばつが悪そうに視線を逸らす。
気恥ずかしい言い分だが、彼女にとって不本意ながらも得心できるところが多い。
実際、手毬としても『SyngUp!』時代よりも伸び伸びと走ることができている自覚はあるのだ。
この点においては、手毬の本質を理解するプロデューサーと、そのプランを後押しする咲季の存在が非常に大きい。
「ですので、こちらの負担を気にしていただく必要はありません。この程度であれば、皆さんのプロデュースに支障をきたすほどではありませんから」
むしろ、リーリヤをスカウトしない場合の方が大変だったはずだ、という余計な一言を、プロデューサーにしては珍しく呑み込んだ。
莉波にはすでにバレているものの、その事実まで包み隠さず話してしまうとさらに収拾がつかなくなる可能性すらある、との判断である。
「プロデューサーがそう言うなら、いいですケド」
「わたしからも異論はないわ。リーリヤのレッスンについてはわたしも思うところがあったし。それを抜きにしても、一緒に高め合うライバルが増えるのは望むところよ!」
渋々といった顔で肩をすくめることねと、うんうんと大きく頷く咲季。
かと思えば、咲季はくるりと身を翻し、所在なさげに立ち尽くしていたリーリヤへずいっと詰め寄った。
「そういうわけだから、改めてよろしくね、リーリヤ。言っておくけど、同じプロデューサーの担当だからって手加減はしないわよ?」
「あたしからもよろしくね〜♪ リーリヤちゃん」
「は、はい……! よろしく、お願いします。花海さん、藤田さん」
リーリヤはぎこちなく、けれど確かな意志で応える。
これまで旧友の背中を追いかけることで精一杯だった少女にとって、隣に並んで競い合う相手ができるというのは、きっと新鮮な感覚だったのだろう。
ふたりの了承を得たとなれば、残る反対票はたったひとつである。
自ずと、事務所中の視線が手毬へと集まっていく。
しかし、当の歌姫はぷいとそっぽを向いたまま、頑なに口を開こうとしない。
そんな膠着状態を破ったのは、意外にも、この場で手毬を最も苦手としている少女だった。
おずおずと一歩前に進み出たリーリヤは、胸の前でぎゅっと両手を握りしめて、真っ直ぐに手毬を見つめる。
「……なに?」
「その……あの、月村さんも、認めてはいただけないでしょうか? たくさんがんばって、足を引っ張らないようにしますから」
懸命に言葉を選びながら、深々と頭を下げるリーリヤ。
その真摯な態度に、手毬は一瞬たじろいだように肩を跳ねさせて────
「ァ、足!? ……う、ウダウダ言わずにさっさと認めろよ、雑魚がって?」
ざあ、と血の気が引いたように青ざめる手毬。
彼女の目に映っている葛城リーリヤその人には、確実に暗黒のオーラがまとわりついている。
"このままでは、殺される──!"
と、手毬はありもしない殺意を感じ取ってガクガクと震えていた。
「い、言ってません! そんなこと!」
慌てて両手を振って否定するリーリヤ。
すべては手毬の勘違いによるところなのだが、このふたりの関係には独特の深い溝がある。
リーリヤが何とか歩み寄ろうにも、間にデタラメな翻訳が挟まってしまうのでは埒が明かない。
もっとも、それで頑なだった手毬の態度がいくらか和らいだのも事実だ。
「……別に反対はしてない。プロデュースに影響がないなら、私も文句はありませんから」
ぷい、と顔を背けながら、ぶっきらぼうに呟く。
その耳がほんのりと赤いのは、果たして先ほどまでの剣幕の名残か、それとも別の理由か。
複雑な心境を詮索する間もなく、事務所には予鈴が鳴り響く。
「さ、満足したなら教室に戻るわよ」
言って、咲季は手毬の腕をがしりと掴む。
その意図を汲むように、すかさずことねももう片方の腕を拘束した。
言わずもがな、強制連行の陣形である。
「そんじゃ、帰るぞ〜。お邪魔しました〜、プロデューサ〜♡」
「ちょ、放して。う、腕! 腕を引っ張らないで〜!」
抗議の声も虚しく、両脇を固められた歌姫はずるずると事務所の外へ引きずられていく。
もしかしなくても自分は早まった選択をしてしまったのではないだろうか、などとリーリヤは途方に暮れつつ。
しばらくして思い出したようにぺこりとプロデューサーに一礼してから、その後ろを慌ただしく追いかけていった。
ともあれ、嵐の過ぎ去った事務所に、ようやく本来の静けさが戻ってきた。
プロデューサーはパイプ椅子の背もたれに深々と体重を預け、ふぅ、と大きく息を吐く。
リーリヤのスカウトを決意してから手毬の説得まで、昼休みから数えて1時間と少しの出来事にしては、いささか密度が高すぎた。
疲労困憊もいいところだが、ひとまず最大の山場は越えたと言っていいだろう。
あとは放課後のミーティングで、改めて5人での顔合わせを済ませれば────
「ん?」
そんなプロデューサーの安堵を見計らったかのように、ピンポンパンポーンと間の抜けた放送が校内に響き渡る。
スピーカーから流れてきたのは、聞き間違えようもない担任教師の声だ。
その内容は端的にまとめると、
『プロデューサーくん。至急、職員室まで来てください』
というものであった。
「────────────────」
スピーカー越しに声を聞いただけだというのに、にこやかで、穏やかで、それでいて煮えたぎるような憤怒の炎をまとった笑顔が脳裏に浮かぶのは何故なのか。
おそらく、どこからかさきほどの『浮気者』騒動を聞きつけたのだろう。
プロデューサーも大概だが、その師である根緒亜紗里もまた並々ならぬ諜報能力の持ち主なのである。
ひとまず山場は越えた、などと安堵した数秒前の自分を省みながら、プロデューサーは静かに天を仰ぐ。
どうやら、彼の株価の暴落にストップ安という概念は存在しないらしい。
11 気になる様子②
毎度大変お待たせしております。
今回は莉波とリーリヤが中心のお話でした。
こういう話を2分割して毎週投稿すればいいような気もするんですがね。
なんでしないんですかね。
さて、本話を以て作品の合計文字数が20万字に到達しようかというところまで来てしまいました。
『学マスPがすべてのアイドルをプロデュースするお話』と銘打っておきながら、現時点での担当アイドルはようやく5名といったところ。
かなりノロノロとしたストーリー進行にも関わらず、ここまで読んでくださっている読者の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
本作が物語としての山場を迎えるまでまだまだまだまだ時間がかかるかと思いますが、評価や感想、お気に入り登録をして応援していただけますと大変励みになります。
また誤字・脱字であったり、設定・アイドルの解釈に不備がある場合もご指摘していただけますとありがたいです。
引き続きよろしくお願いいたします。
台詞間の空行は必要でしょうか?
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あった方が読みやすい
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ない方が読みやすい
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知らんがな