天川市の遊園地は高度経済成長期の遺産だ。
初星学園より早くに誕生した市内最大の娯楽施設は、その姿かたちを変えながら、三四半世紀近く経った現在もなお変わらぬ賑わいを見せている。
都心の街並みを忘れさせるような、大自然を疾走するコースター。
天川のランドマークを一望できる観覧車。
代表的なアトラクションを語ればキリがないが、本日、子連れ客の中で最も人気を博していたのは────
「みんなーーー! 大きな声でーーーっ! マジカル・シャイニング────フラッシュ……!」
ステージの上で観客を煽るように司会の女性が声を張る。
舞台の行方を見守る子どもたちはこれに従うように、思い思いにその技名を叫ぶ。
声援を合図に激しく明滅する舞台照明。
太陽が照らす野外ステージでは本来、人工灯の光など気休め程度にしかならない。
それでもその明滅と示し合わせるように、赤いスーツに身を纏ったヒーローは必殺技の構えを取り、続いてザリガニのような姿をした怪人が倒れ伏すのだった。
「ありがとう! みんなの声が、ちゃんと届いたよ!」
ヒーローショーは喝采に包まれながらその幕を閉じる。
拍手の音が絶えるのを待たずして、役者たちは舞台袖へ。
他のスタッフに会釈をしながら、やりきった表情でステージ上を後にする莉波を見て、プロデューサーは安堵して声をかけた。
「お疲れ様です。水分補給を」
「ありがとう。すっっっごく楽しかったよ!」
「集まってくれたお客さんも、とても盛り上がって────痛っ」
途端、舞台の評価を述べるプロデューサーの背中を、ドスンと鈍い衝撃が襲う。
振り返ると、今日のショーで敵役を務めたザリガニの着ぐるみが物言いげに立っていた。
「お疲れ様です、藤田さん。ハサミで攻撃しないでください」
「ことねちゃんお疲れ様。とりあえず、頭の被り物を外してあげるね」
彼女の活躍を労りつつも、その茶々を咎めるプロデューサーと、すみやかに介抱する莉波。
ことねが装着することになった着ぐるみはかなり堅牢な作りをしており、中に入った人が自力で頭部を取り外すのは大人でもひと苦労なものである。
いわんや疲労困憊の女子高生をや。
莉波の手を借りてようやく素顔を解放したことねは、胸いっぱいに酸素を送り込み、涼むように髪をなびかせた。
「ありがとうございます、りなみせんぱい……はぁ、死ぬかと思った」
「藤田さんも急ぎ水分補給を」
「ありがとうございます」
ザリガニの首元から腕を伸ばし、プロデューサーから差し出されたペットボトルを受け取る。
ことねはその中身をゴクゴクと飲み干しては、ふぅ、と息をついて。
「────じゃなくてえっ! どーゆーことですか!? プロデューサー」
積もり積もった怒りを爆発させた。
「『いまと同額以上を稼げて、かつ、 あなたの糧になる仕事を用意します』って、言ってましたよねぇ!」
「確かに言いましたが、なにか?」
「“怪人になって蹴られる仕事”のどこが『糧になる仕事』だってゆーんですかぁ〜〜!?」
周囲の関係者に配慮してか、ボリュームを抑えながら器用に怒号を上げることね。
現にプロデューサーが用意したのは男児を対象としたアクションショー。
司会を任された莉波は満更でもない様子だが、着ぐるみを着せられ怪人役をやることになったことねは酷くご立腹である。
「ヒーローショーです。それと、台本ではキックは当てない予定だったはずでは?」
「あたしが間違って当たりに行っちゃったんですよ……」
「なるほど。怪我や痛みはありませんか?」
「まぁ、蹴られたと言っても軽く当たった程度ですし、着ぐるみも着てたんで。特に違和感とかもありませんケド」
「何か不調を感じたら報告してください。
「…………プロデューサーは意地でもアイドル活動の一環だって言うんですね」
「今のは制度上での区分の話ですよ。姫崎さんが務めた司会のように顔や名前を売り出せる仕事ならともかくとして、流石に今回の藤田さんのような役回りをアイドルの仕事と言い張るつもりはありません」
「じゃあ、どうしてこの仕事を選んだんですか?」
怪訝な表情でことねが問う。
そこの認識に相違がないのであれば、尚のこと理解に苦しむ、と。
「この仕事は学園を通して請けたものです。きっちりこなせば評価がつきます。加えて、ステージ上でのアクション、演技、それからダンスを伴う仕事でもありました」
「確かに怪人役にはありましたね、ダンスパート」
「すでに活動経験のある姫崎さんや月村さんと違って、藤田さんはまだまだステージに慣れていません。それに、例の自己不信の件もあります」
「劣等生でしたからね。うーん……そう考えると、いい経験になった……のかも? ────あ、お疲れ様でぇーす♪」
プロデューサーの弁解に一理あるな、と納得しそうになりつつ、ことねは通りすがるスタッフと会釈を交わす。
不満は溢し足りないが、これ以上この場で語気を荒げてしまうのはいただけない。
「とりあえず控室に戻るね。ことねちゃんも着替えないといけないし」
なくなく矛を収めたことねに助け舟を出すように、莉波はさりげなく撤退を提案する。
プロデューサーとしてもこのまま長話になってしまうのはよろしくないと考えていたのか、特別異論を挟むでもなくそれを見送ることにした。
ことねはあの様子だが、学園から請けた仕事はきちんとこなしたのだし、担当アイドルたちの身支度を待つ間、関係者に挨拶回りでもしておこう、などと考えながら。
「────だからって、こんなにキツい仕事じゃなくてもよくないですか! 莉波先輩」
一方、数分後の控室では引き続き彼女の不満が爆発していた。
重たい着ぐるみを脱いだのもあってか、ことねは水を得た魚のように生き生きとした様子で、改めてプロデューサーを批難している。
「でも凄かったよ、ことねちゃんのダンス。着ぐるみを着てたのにキレもあって。振り付けも簡単じゃなかったのに」
「へへ〜♪ あたし、ダンスには自信があるんで。しばらく休養してた甲斐もあってか、身体も超軽かったですし」
にんまりと口角を上げながら、呆気なく機嫌を直すことね。
毒気を抜かれた、とはこういうことを言うのだろう、と莉波は微笑ましく後輩の浮かれ具合を眺めていた。
「プロデューサーくんも、もしかしたらそれを狙ってたんじゃないかな?」
「狙ってたって?」
「コンディションが回復した今ステージに立つ経験をすれば、ことねちゃんも休養の効果をちゃんと実感できるんじゃないかって」
莉波は諭すようにプロデューサーの真意を代弁する。
本当にそこまでのことを考えていたのかは定かでないものの、好調になったであろう藤田ことねを一番に心配していたのが彼であることを莉波はよく知っていたのだ。
でなければ仕事の前に「藤田さんが張り切りすぎて空回らないようにフォローしてください」などと密かに指示を飛ばすはずがない。
もっとも、お仕事モードのことねを前に対してはそのような心配はまったくもって無用だったのだが。
「だとしても無茶ぶりすぎません? 前なんていきなり3日休んで咲季とダンス勝負ですよ! なんとか勝ちましたけど!」
「それだけことねちゃんのことを信頼してるってことだよ」
「物は言いようですよ……まぁ、プロデューサーの目が節穴なのは今に始まったことじゃないですケド」
そうでなければここまで信頼してもらえる道理がない、と悲観する。
プロデューサーが指摘していた彼女のもうひとつの不調────自己不信はやはりまだまだ根深い問題である。
「私はそんなことないと思うなぁ」
が、そんなことねの自己評価を莉波は躊躇いなく否定した。
「ことねちゃんは凄いよ。ダンスもそうだけど、ステージの上でも落ち着いていて。舞台裏でもスタッフの人に元気よく、愛想よく接してて」
「それは、当たり前じゃないですか? あたし、これでもアイドルですし。もらった仕事に一生懸命に取り組むのは、何も特別なことじゃないっていうか......」
「ううん、そんなことないよ。私がアイドル活動を始めたての頃は緊張で頭が真っ白になることも少なくなかったし。1年生でそれを"当たり前に"できてることねちゃんは立派だと思うんだ」
プロデューサーはそれを理解っていて、ことねにこの仕事を任せたのだろう、と。
莉波は自身の価値観が少しでも後輩の励みになればいいと願いながら口にする。
「それにね、私は今日ことねちゃんと一緒に仕事できて良かったって思ってるよ。たぶん他のスタッフの人たちも」
「莉波先輩……」
その言葉がことねにとってどれほど温かであったか。
プロデューサーの向ける信頼とは違って、莉波の励ましには暑苦しさのようなものが感じられない。
ことねが一生懸命に仕事をまっとうする姿勢を当たり前だと捉えているように、彼女はソレを特別なものとは考えていないのだ。
だからこそ、息を呑むほど受け入れやすく。
「……もうっ、そういうの、ずるいですよ。そんなに褒められたら、何も言えなくなっちゃうじゃないですかぁ」
それが気恥ずかしくなって、ことねはつい目を逸らした。
否、その温情すら拒絶してしまうのは、どこか道理に合わない気がして。
「ほんとはまだ言いたいこと、たくさんあるんですケド、莉波先輩にたくさん褒めてもらえたんで、チャラってことにします」
やがて、散々と募らせていた不平不満をことねはあっさりと放棄する。
プロデューサーひとりの戯言ならまだしも、莉波やスタッフらの評価まで否定しまうほど、彼女も頑固ではない。
そうして柔らかな笑顔を浮かべる後輩の様子を見て、莉波も同じく頬を緩ませるのであった。
「ところで、莉波先輩の方は……どう思ってるんですか?」
「私?」
「ほら、プロデューサーが言ってた
「あー……」
苦笑しながら、ことねの言わんとする内容を察する莉波。
彼女が"例の方針"と表現し得るものは一つしかない。
それは決して遠くない、つい先日の出来事のように鮮明な記憶。
『どちらが理想の姉なのか、思い知らせてあげるわ!』という咲季の狂言から始まったお姉ちゃん対決 in 初星学園の直後の話である。
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有り体に言えば、咲季と莉波の勝負は莉波の圧勝に終わった。
「な、なんでよ……! わたしだって、ちゃんとお姉ちゃんらしくしてたじゃない!」
唯一その結果に得心のいかない咲季は、審査員を務めた手毬とことねへ直談判。
対するふたりは断固として判定を覆さない姿勢を見せている。
咲季が提案したお姉ちゃん対決に関して、プロデューサーが用意した勝負形式は、いくつかのシチュエーションを姉として演技する即興演劇。
あえて"演技する"という課題であったからこそ、莉波には少なからずぎこちなさが含まれていた────否、躊躇いのなさという点では咲季に軍配が上がっていたと言っていい────のだが、それでも2名の審査員に選ばれたのは彼女の方であった。
「うーん……なんつーか、対決っていうのもあったのかもしんねーケド、咲季のは押し付けがましかったっていうか……」
「いつも通り騒々しくてすごく鬱陶しかった」
「鬱陶しいって何よ! 360度どこから見ても世界一素敵で可愛くて凛々しくて美しい頼れるお姉ちゃんでしょ?!」
「ほら」
「……正直あたしたちからすると、咲季が自信満々にしゃべってる時点で『姉』じゃなくて『ただの咲季』にしかなんねぇんだよナー」
だから咲季がいくら姉らしさを押し出したとて、姉らしいと評価するに至らなかったはずだ、と所見を述べることね。
実際、今回の対決は極めて公平性を欠いている。
そもそも年下ではなくクラスメイトが審査をする時点で、咲季はかなり不利を強いられる状況なのだ。
仮にふたりの『お姉さん力』が同程度であったにしても、前提条件が致命的にかけ離れている以上、莉波が勝利したのは必然といえる。
一方で、その説明だけではあまりに釈然としない、と審査員らは頭を捻っていた。
年齢が離れているのは大きな要因ではあるものの、勝敗を左右したものはきっとそれだけではない、と。
そんなふたりの直感を汲み取るようにやがてプロデューサーは口を開いた。
「咲季さんの演技も素晴らしいものでしたよ。この場に花海さんがいれば、審査するまでもなく咲季さんが理想のお姉ちゃんだと言い張ったはずです」
それはそれで公平な審判とは言えないが、しかしながら、咲季の中の『理想の姉』を正しく評価するためには、彼女の視点は欠かせない。
実の妹に最高のお姉ちゃんだと言わしめたのなら、その人にとってはそれが『理想の姉』の最適解なのだ。
「ですが同時に、それは花海さんの理想とするお姉ちゃん像です。普遍的な、万人が認められるものとは違います」
「わたしのはお姉ちゃんらしくなかったってこと?」
「少なくともお姉さん系アイドルの王道ではないという話です。咲季さんが強く望むのであれば、そういった路線を視野に入れてもいいと考えていますよ。ただ咲季さん──もとい花海さんの理想像は、おふたりが元いたアスリートの世界における先輩的な意味合いが強い。それはあなたの強固な個性でありながら、今回のような違和感を生む劇薬でもある」
プロデューサーの説明にむっ、と顔をしかめる咲季。
相も変わらず歯に衣着せぬ彼の言い分は単純明快である。
競技性の高いアスリートの世界からアイドルへと転向した経歴の特異性は咲季自身も強く自覚しているところ。
そんな彼女の性質を一般的なラベルに当てはめようとすれば、何かしら強い不和が生じてしまうのは道理だった。
「プロデューサーは姫崎先輩にお姉さん系アイドルの適性がある、と?」
「ええ。端的に言えばそうですね」
「その適性って、具体的に何なんですか?」
不本意ながら納得する咲季の傍ら、手毬はプロデューサーに問いかける。
この勝負は咲季が勝手に仕掛けたもの。
その勝敗を彼女が認めた以上、この話はここまででも問題ないのだが。
それはそれとして彼が姫崎莉波というアイドルをどのように評価しているのかは気になる、と。
一種の好奇心、あるいは試すような面持ちで続く説明を待っている。
一方、後輩たちの問答を戸惑いながらも静観していた莉波も同様に、興味津々といった様子で強い眼差しを彼へ向けていた。
「そうですね……あえて言語化するのであれば、精神的な落ち着きを感じさせる気品。一緒にいて心地よいと思える優しい雰囲気。そして、思わず甘えたくなるような包容力────でしょうか」
「────────」
「月村さん、どうかされましたか?」
「別に。何でもありません」
不愛想にそう言い張る手毬の表情は、心底複雑そうなものだった。
果たして自覚的か無自覚的か。
手毬が眉を顰めたのは、プロデューサーから提示された条件が、ともすれば彼女のよく知る人物に当てはまってしまうからなのだが。
しかし、第三者がそんな事情を知る由はなく。差し詰め自身とのギャップで3アウトを食らって悔しいのだろうと見当をつけて、「ぷぷ〜っ、手毬とはまるで正反対だもんナー」と言いかけたのを、ことねはふと冷静になって踏みとどまる。
手毬が同時プロデュースを受け入れて早数日。咲季の提案もあって互いに名前で呼び合うようにはなったものの、そんな軽口を叩いて許されるほどの親密さはまだない。
特に彼女の自己嫌悪に関わるような内容については漏れなく地雷だ、というのが現状のことねの理解である。
今回は勘違いだが、危機管理という面では当たらずも遠からずなところであり、巻き込まれ体質の彼女にしてはなかなかのファインプレーだったといえる。
もっとも、わずか数週間後にはそんな地雷原を悠々と踏み抜いてしまうほどの
「プロデューサーくん、今のが、私の魅力……?」
「そのように捉えていただいて差し支えないかと。そして、姫崎さんが所属していたユニット『Love☆しすたぁず』ではこの魅力を十全に発揮することはできませんでした」
「………………」
それがかつてのアイドル活動で上手くいかなかった要因だ、と締めくくるプロデューサー。
莉波としても彼の分析には思い当たる節がある。
実際、彼女の魅力として語られたお姉さんアイドルへの適性は、ユニットの方向性にそぐわないとして意識的に矯正していたところなのだ。
だがそれは、あくまでもユニットとしての個性を優先した結果の話。
それで姫崎莉波個人の強みが正しく発揮されていたかは甚だ疑問である。
「姫崎先輩、ユニット活動の経験があったんですね?」
この話題に強く関心を惹かれたのは咲季である。
数分前までの好戦的な態度とは打って変わって、今や彼女にとって莉波は確かに尊敬するべき先輩となっていた。
否、最初から敬いはしていたものの、お姉ちゃん勝負を経てさらにその気持ちが強まった、と言うべきか。
「う、うん。そのときは妹キャラで売り出す方針だったから、他のメンバーの子を真似して妹っぽいしゃべり方にしてみたり……髪型もツインテールとかにして、大人っぽい雰囲気が出ないようにしてたんだけどね」
「先輩が……妹キャラ…………」
「変、かな?」
「変とまでは言いませんけど、あまり想像できないような……」
少なくとも先ほどの演技勝負の直後では姉らしい印象が勝ってしまう、と所感を述べる咲季。
これにはことねや手毬も珍しく口を揃えて賛成した。
寮生活をともに送る彼女たちにとって、莉波はどこまで行っても面倒見のいいお姉さんなのだ。
「姫崎さんの魅力は、人間性に強く結びついたものです。ただ演じられただけの個性では到底かないません」
「演じられただけの個性……前のユニットでは、無理に妹っぽい感じを演じてたから、あんまりうまくいかなかったってこと?」
「いかにも。もちろん、アイドルは少なからず理想を演じるものですし、中にはそれに秀でた才能を有する方もいます。しかし積極的にせよ消極的にせよ、アイドル本人が無理をしてしまっているようでは、そのチグハグさがファンにも伝わるものです」
「それは、たしかに」
プロデューサーの言葉に、そうかもしれない、と頷く莉波。
莉波がユニットから第一に外されてしまったのは、つまるところ彼女のキャラがアンバランスだったからと言い換えられる。
「姫崎さんはもうユニットアイドルではなくソロアイドルです。であるならば、あなたの本来持ちうる魅力をそのまま活かさない手はありません」
「私の魅力。お姉さん系アイドル……お姉さんキャラになるってことだよね?」
「大雑把に言えば、そうですね。しかし、キャラというのは少し語弊があります。あくまで自然な振る舞いで、あなたの内面の魅力を表現することが狙いですから」
突き詰めれば、お姉さん系アイドルという路線はひとつの手段に過ぎない。
莉波の性質は後輩や年下を相手に発揮されやすい。
もとい、目上の人に対しては敬う気持ちが優先して、そのすべてを発露することが難しい。
そもそも、彼女は敬意を表す態度すらごく自然で魅力的に映ってしまうのだ。
だからこそ余計に、ただ漫然と彼女と接しているだけでは本来の特性に気付きにくい。
かつて莉波のユニットを担当したプロデューサーが判断を誤ってしまったのは、おそらくこれに起因する。
故に同じ失態を繰り返さないためには、より明確に姫崎莉波の個性を取り扱う必要がある。
「ステージの上で、お姉さんらしく振る舞う……」
莉波は言葉を宙に溶かすように、ぽつりと繰り返す。
その声には明確に不安の色が含まれていた。
「抵抗がありますか?」
「……うん。ステージを観てくれる人は基本的に私よりも目上の人なんだし、そこは気になっちゃうかなって」
「そうですね。たしかにファンの多くは姫崎さんより年上の人たちです。目上の方々に敬意を抱くのはとてもいいことだと思います」
だが、そんな層にこそ莉波の本当の魅力を伝えたいのだ、と力説するプロデューサー。
熱意が溢れ出しているのか、彼の饒舌が止まることはなく。
「そこで、最適な訓練法を考えました」
プロデューサーがわずかに身を乗り出す。
あくまで落ち着いた口調ではあるが、その眼差しには確かな熱量がある。
「訓練法?」
「はい。俺と姫崎さんにしかできない、俺と姫崎さんだからこそできる、とっておきの秘策です」
「きみと私にしか、できない……!」
呪文のように復唱して、ごくり、と生唾を呑む莉波。
プロデューサーによる見事なまでの大言壮語は、彼女の期待感をこれでもかと煽っていた。
力説する彼の表情は、確かな自信に満ち溢れている。
その一方で、こういうときのプロデューサーほど信用できないものはない、と、ことねと手毬は訝しげにそのやり取りを傍観していた。
実際、彼女たちの懸念は正しく────
「姫崎さん、俺のお姉さんになってください」
「……………………ん?」
彼の口から飛び出したのは、そんな前代未聞のプロデュース計画であった。
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閑話休題。場面は再びヒーローショーの控室へ。
ことねからプロデューサーの方針に対する所感を問われた莉波は、愛想笑いを浮かべていた。
彼の提案した訓練法とやらは、とても普通のプロデュース手法とは思えない。
いや、プロデューサー自身もそれを認めてはいるが、それを加味した上でも、一見10人に10人が耳を疑うような異常性である。
「最初に聞いたときは驚いたけど、プロデューサーくんなりに一生懸命考えてくれたんだろうなって思うよ。無理にキャラづくりを頑張っても上手くいかないのは、私も薄々気付いてはいたし。
今日ヒーローショーの司会をさせてくれたのも、私の魅力を再確認するためってことだったからね」
「合理性だけはあるんですよねぇ、プロデューサーって。その分、ところどころ常識に欠けてるってゆーか」
過去の失敗を参考に、むしろ素の魅力を引き出してみようと考えることは何もおかしな発想ではない。
それを実践するに当たって、“年上”というのが障壁になるのであれば、まずは身近な人物を相手に特訓してみようというのも理には適っている。
特に、かつて弟のように認識していたプロデューサーの存在がこの訓練に最も適しているのは事実だろう。
しかし問題は、その実践方法。
いくら訓練とはいえ、担当アイドルにモーニングコールをさせたり、頭を撫でさせるというのはいかがなものか、とことねは強く訝しんでいる。
寮でこの話が出てしまったときは、居合わせた麻央が危うくプロデューサーの教室へ殴り込みにいくところだった。
結局、その場は莉波本人の説得もあってなんとか丸く収まったのだが。
「莉波先輩はいいんですか? プロデューサー相手にお姉さんっぽく振る舞うの。無理してたりしません?」
「全然そんなことないよ。プロデューサーくんの面倒をみるの、なんだか懐かしくて。むしろ、ちょっと楽しんでるところもあったり」
「ソ、ソデスカ」
この姉にしてあの弟あり、というか。
彼の名誉のために弁解しておくと、訓練の具体的な内容を考えて実行に移しているのは莉波の方である。
決して、プロデュースという名目で彼女に姉らしいムーヴを強要しているというわけではない。
あくまでもあの数々の訓練は、彼女なりにお姉さんらしく接しようとした結果なのだ。
“そりゃ、先輩がお姉さんタイプなのは間違いないケドさ”
方向性自体にも違和感や不服はない。
藤田家の長女であることねをして、思わず甘えたくなるような魅力が莉波にはある。
彼女をお姉さん系アイドルとして育成するという方針そのものには、ことねも大賛成なのだ。
ただ、それはそれとして、自身のプロデューサーと先輩が姉弟のような付き合い方をしているのを見せつけられるのはすごく複雑という話で。
手毬に至っては咲季の強烈な手料理を毎日食べていることもあって、日に日に不機嫌になっていっている。
あれはきっと、近々とんでもなく些細なことで爆発することだろう。
“…………ま、あたしがとやかく考えたところで仕方ないか”
プロデュース方針そのものには決定的な問題はないし、莉波もそれで満足している。
その他の不平不満は結局、ことね個人の感情でしかないのだ。
そしてそれは、さきほど莉波に褒められたことでチャラにすると宣言したばかりである。
これ以上この話題を深堀してしまうのはその言葉に反するだろう、と彼女は追及を諦めることにした。
「莉波先輩って、プロデューサーと幼馴染なんですよね。昔のプロデューサーってどんな感じだったんですか?」
なので、その代わりとして、前々から気になっていたことを訊いてみる。
普段鉄仮面のように振る舞っている彼がどのような少年時代を過ごしていたのかは、釈然としないこの気分を晴らすのに実に打ってつけの話題であった。
「そうだねぇ……あの頃のプロデューサーくんはとっても好奇心旺盛で、色んなところを動き回って……それで転んで怪我をしたりしてね。すごくやんちゃな男の子だったよ」
「はぇー、今のプロデューサーからは全然想像できないです」
爽やかで快活な好青年、という表現が丸っきり当てはまらないわけではないものの、現在の彼は理知的で冷静沈着という表現の方が似つかわしいだろう。
少なくとも、ことねの中でのプロデューサーはそのような印象なのである。
「あ、でも、スカウトしてすぐに担当アイドルの実家に行っちゃうような行動力があるところはその名残りなのかも」
良くも悪くもプロデューサーのフットワークは軽い。
実家への挨拶といい、下調べの徹底っぷりといい、そして莉波のプロデュース方針といい。合理的に考えて最善と思われる選択を躊躇いなく実行するのが彼の特徴である。
その思い切りの良さが時折気味悪く感じられたりするわけだが、今の莉波の説明を聞いた限りではそれが昔からの彼の性分なのだろう、とことねはひとり納得した。
「たしかにそういうところは相変わらずかな。でも一番変わってないのは、頑固で見栄っ張りなところだと思うな」
「頑固で、見栄っ張り? プロデューサーがですか?」
「うん。素直じゃないっていうのかな…………簡単には弱みを見せてくれないっていうか。自分でやるって決めたことは、無理をしてでも自分でやっちゃうところがあって」
「莉波先輩には、今のプロデューサーも無理をしてるように見えてるってことです?」
「無理とまでは言わないけど。ただ、きっと私たちアイドルの前では理想のプロデューサーでいようとしてくれてると思うんだ。そういうところ、昔から変わらないなって」
見栄とは表現したが、プライドともまた少し違う。
莉波の推測ではあるが、彼は自身がそうあるべきと思った事柄に関して、強く固執するのだ。
「私をスカウトしてくれたときもね。本当はちょっぴり不安だったと思うんだけど、そういう素振りをあまり見せようとはしなかったから」
最初に声を交わした瞬間、それこそ幼馴染である莉波でなければ、プロデューサーが彼女の顔色を伺っていたことに気付きもしなかっただろう。
看破した莉波自身がそう確信できてしまうほど、彼の擬態は完璧であった。
「プロデューサーは演じてるんですか? あたしたちの理想のプロデューサーを」
「そういうことに、なるのかな。たぶんプロデューサーくんはね、一生懸命頑張ってるんだよ。アイドルにとってそういう存在になれますように、って」
それがプロデューサーとして当然の責務だ、と。
ただそれだけの理由で魔法使いになろうとしている少年の胸中を、莉波は代弁する。
その理屈は、ファンに理想を振りまこうとするアイドルにも共通するもの。その道理が理解できないことねではなかった。
『もちろん、アイドルは少なからず理想を演じるものですし、中にはそれに秀でた才能を有する方もいます。しかし積極的にせよ消極的にせよ、アイドル本人が無理をしてしまっているようでは、そのチグハグさがファンにも伝わるものです』
だから、無理をしていると断ずるのはやはり違う。
彼はただ、理想を演じているだけなのだ。
アイドルにとっての理想を。自身にとっての最善を。
「そんなプロデューサーくんの言葉だから、信じたいんだ」
それは、一度ことねが放棄したはずの疑問に対する回答。
プロデューサーの方針をどう思っているのか、という問いに対する、浅く素朴でありながら得心せざるを得ない返しだった。
莉波とことねは事情こそ違えど、非常に逼迫したアイドルである。
そんな自分たちと正面から向き合ってくれた彼の信頼に応えることに、悔いなど生まれるはずがない、と莉波はプロデューサーの考えを受け止めたのだ。
「……………………」
その言葉に感心すると同時に、ことねは少しばかり自身の発言を恥じていた。
彼の異様な信頼は目が節穴なことに由来すると論じたが、仮に本当にそうであったにせよ、それは大きな問題ではない。
過小であれ過大であれ、信頼を向けられたのなら、精一杯応えようとするのがアイドルの務めである。
そこに可不可は存在するだろうし、年頃の少女らしく愚痴をこぼしてしまうのもいい。
それでも、その信頼そのものを疑うべきではなかった。
プロデューサーの信頼は常に本物だ。
口下手なところはあるのかもしれないが、決して口八丁やおべっかではなく、彼の中では確かな論拠があって、その確信めいた気持ちを自身のアイドルに託している。
そんなひたむきな営みを否定するべきではなかった。
『第一に、あなたには自分を信じる気持ちが足りていない』
どんなに藤田ことねというアイドルを信じられなくても。プロデューサーから身に余る信頼を向けられても。
その気持ちに応えたい、と。その言葉を信じられるアイドルでありたい、と。
ただ切に願い、アイドルらしく演じるだけでよかったのだ。
「ことねちゃん、どうかした?」
「……いえ、なんでもないです。あたしも先輩
幸い猫を被るのは大得意だ、と改めて腹を括ることね。
掴みどころのない彼女の返答に、莉波は、はて?と首をかしげている。
理解できたのは、その後輩が先ほどまでと比べて段違いに晴れ晴れとした表情をしていることくらいである。
しかし、莉波はそれ以上詮索するような真似はせず、ただ「そっか」と短く相槌を打って、また穏やかな微笑みに戻ると。
「頑張ろうね、ことねちゃん」
前を向いた少女に寄り添うように、姉らしい柔らかな激励の言葉を添えた。
────────────────────────────────
「プロデューサーくん、今日はお弁当を交換しませんか?」
そんな提案とともに亜紗里が事務所を訪れたのは、ことねと莉波のヒーローショーの仕事を終えてしばらくした日の昼のことである。
彼女はプロデューサーの交友関係の少なさを案じて、時折こうして昼食をともにしているのだが、この日に限っては少しばかり趣向が違った。
プロデューサーが提案に応えるように作業を止めたのを認めるや否や、有無を言わさぬ気迫で正面の席へと座り込む。
雰囲気だけでみればいつも通りの温和な印象なのだが、その表情の裏に怒気に似た何かが潜んでいることを、プロデューサーは瞬時に悟った。
「あさり先生、そのお弁当は……」
「もちろん先生の手作りです。どうやらきみは先生のことを、料理のできない人だと勘違いしているようですからね。生徒の間違いは正してあげないといけません───先生として!」
「……なるほど」
事は前回の昼食会にて、プロデューサーがコンビニ弁当を大量買いしてきた先生を指摘したことに端を発する。
結局のところそれ自体は朝食を抜いた彼女の急場凌ぎだったのだが。一女性として、そのような不名誉な理解は決して見過ごすわけにはいかない、と。
今日の気迫の正体はつまりそういうことらしい。
「少しだけ待っていただけますか。資料を片付けますので」
「先生も手伝います。いつも言っていますが、昼休みの時間くらいはちゃんと休憩をとらないといけませんよ?」
「改善しようとは思っているのですが、作業に熱中しているとつい時間を忘れてしまいまして。あさり先生にお声掛けしていただけて助かりました」
「まったく…………先生はチャイムじゃないんですからね」
実際問題、亜紗里としても初めこそ交友関係への懸念から誘った昼食会ではあったが、今や彼が根を詰めすぎないように監視する目的が8割ほど。
初星学園のプロデューサー科の歴史も決して短くはないのだが、入学早々に3────いや、4名のアイドルをプロデュースすることになった候補生など聞いたことがない。
とはいえ、彼が提出する計画書と報告書は見事なものだし、当人が活き活きと仕事をしている以上強く咎めることもできず、こうして積極的に話す機会を設けるくらいしかできない、というのが実情である。
「『休み時間は一切働くな』とまではいいませんが、担当アイドルにもしっかりと休養をとるよう指示しているんです。それなのにきみが休まず働いているようでは示しがつきませんよ」
「耳が痛いです」
亜紗里の忠告に反省の色を見せつつ、片付け終わった机の上に今日の昼食を取り出すプロデューサー。
約束通り互いの弁当箱を交換したふたりは、伺うように顔を見合わせた後、それぞれその内容を確認して。
「……ほ、ほー…………」
数秒後、思わず感嘆の声を漏らしたのは亜紗里の方だった。
今日は彼女なりに至高の昼食メニューを持ってきたつもりだったのだが、抜き打ちで差し出されたプロデューサーの弁当はそれに匹敵、あるいは凌駕しかねない出来栄えである。
彩り豊かな昼餉はしっかりと栄養バランスが考えられているだけでなく、盛り付けにまでこだわっているのが見て取れる。
彼を大きく出し抜いて先生としての威厳を回復するという亜紗里のささやかな試みは、どうやら失敗に終わったようだ。
「な、なかなか良い腕をしていますね……プロデューサーくん」
「あさり先生こそ、さすがの腕前です。アイドルに渡す食事として、これ以上ない献立ですね」
「ご指導ありがとうございます、先生! ───────はっ!? わ、わたしが先生ですからね!?」
まるで師の仕事ぶりを評価する門下生の口ぶりに、亜紗里は立場を倒錯する。
彼の並外れた能力と理知的な振る舞いは稀にその若さを忘れさせてしまうのだ。
それではいけない、と、彼女はことさらに表情を取り繕いながら、改めて視線を弁当へと戻す。
「こほん……改めて見ると、本当に可愛らしいお弁当。これは、習作ですか?」
「そのつもりです。藤田さんと月村さんの食事を咲季さんが管理しているので、なかなか機会には恵まれませんが」
「いつ担当アイドルに手料理を振る舞うことになっても問題ないよう腕を磨いておく────素晴らしい心構えだと思いますよ。ところで、この隅にあるペースト状の品はなんでしょう?」
興味津々とばかりに、ランチボックスの端に追いやられた一品に箸を向ける亜紗里。
「ああ、それは蒸した鶏ささみをペーストにしたものです」
「……プロデューサーくんは、介護食の勉強もしているんですか?」
好奇心に満ちた表情は一気に怪訝なものへ。
パテやリエットの類ならいざ知らず、単なる肉のペーストとはこれ如何に。
「いえ、そういうわけではなく。咲季さんのお父さん────花海社長の出されている本に載っていたメニューなんです。咲季さんも似たようなものを作られていたので、試しに食べてみようかと思いまして」
「……なるほど。道理で他の料理と毛色が違うわけですね」
改めて弁当箱を見渡すと、ペーストの箇所はやはり異質である。
参考元の花海社長は見た目にまで気を遣っていなかったのだろう、その1区画に関してはとてもじゃないが可愛らしいと評価することはできなかった。
「交換した後で申し訳ないのですが、それはこちらでいただいてもよろしいでしょうか?」
「構いませんよ。少し興味があるので、先生も1口いただいていいですか?」
「ええ、もちろん」
プロデューサーの了承を得て、自身の分を取り分ける亜紗里。
それが終わると、今度はプロデューサーもペーストへと箸を伸ばす。
ふたりがソレを口に運んだのは、ほぼ同時のことであった。
「………………………」
もぐ、もぐ、と。
数回の咀嚼の後、表情を曇らせる教師と生徒。
感想はその長い沈黙が代弁していたといっていい。
少なくとも、両者の間では互いに同じ所感を抱いたのだろうという確信があった。
担当アイドルの父が提案したメニューである。口が裂けてもはっきりと言葉にするわけにはいかないのだが────要するに、美味しくなかったのである。
「……食事というのは、効率を求めすぎるとこんなことになるんですね」
「花海さんは、いつもこのような食事を?」
「どうでしょう……今のところ藤田さんや月村さんからそれらしい不満は出ていませんが。咲季さんが作る食事は、そういった面が改善されているのかもしれません」
「念の為確認した方がいいですね。アイドルにとっての食事は栄養補給だけでなく、ストレス解消の側面も大いにありますから」
「そうですね。今度咲季さんに試食させてもらおうと思います」
切実に答えるプロデューサーを見て、一件落着とばかりに亜紗里がひとつ頷く。
「さて、それはそれとして。話は変わりますが、プロデュースの調子はどうですか? プロデューサーくん」
「報告書にも記載しましたが、今のところは順調だと思います。みなさんの関係も良好ですし、先日追加でスカウトした姫崎さんについても、問題なくプロデュースを進められています」
問われてプロデューサーは淡々と報告する。
非常にあっさりとした様子で言ってのけるが、4名のプロデュース計画を異常なく実行できている点が何よりも異常である。
「あれだけ事前に忠告しておいたにも関わらず、姫崎さんを加えた計画書を提出されたときは頭を抱えましたよ。その思い切りの良さもそうですが、きみの処理能力とバイタリティには驚かされてばかりです」
「一応、お褒めいただけているのでしょうか……?」
「もちろんです。特に藤田さんの育成に関しては、トレーナーのみなさんも感心していましたよ。あれだけ不調だったのをよくぞこの短期間で改善させた、と」
「藤田さんの件については、プロデューサー制度の恩恵も大きかったです。彼女の不調にはいろいろと複雑な事情がありましたから。しかしそれもある程度取り除くことができましたし、これからさらに伸びますよ、藤田さんは」
「信じているんですね、彼女の事を」
「はい、当然です」
プロデューサーですから、ときっぱりと言い切るプロデューサー。
自信満々に答える生徒に、担任教師はどこか誇らしげに相槌を打つ。
「では他の生徒はどうでしょう。例えば先ほど話題に上がった、花海咲季さんは」
「順当に技術を伸ばしています。彼女は他のアイドルからも積極的に吸収していて────ボーカルは月村さんから、ダンスは藤田さんから、ビジュアルは姫崎さんからそれぞれ学び、着実に糧としているような印象です」
「ほほう。同時プロデュースの旨みを最大限活用してもらえているというわけですね」
「月村さんは、引き続き食事を中心とした生活習慣の改善をメインに頑張ってもらっています。咲季さんの協力もあってかなり良い方向に進んではいますが、中等部時代のポテンシャルにまで戻すにはもう少し時間がかかるでしょう」
「ユニットからの転向、というのもあるとは思いますが、やはり、SyngUp!を
「いえ、残念ながら。身体的な問題に比べてもさらにデリケートな話題になりますし、慎重にタイミングを見計らっているのですが」
「未だ切り出せずにいる、と。月村さんの場合、同時プロデュースの悪い側面が出ているかもしれませんね」
「悪い側面、というと?」
「同時プロデュースでは、専属プロデュースと違って担当アイドル達との関係値にムラができます。複数人を同時に相手にしているわけですから、それは仕方のないことです。問題は、そういったムラの修復が難しいこと。人は無意識のうちに親しい相手と話したくなるものですから」
「……………………たしかに」
言われてみれば、今のあさり先生の説明には思い当たる節しかない、とプロデューサーは眉を顰める。
手毬に関しては、最初にプロデュースを承諾してもらえたのも、彼ではなく咲季とことねの説得によるところが大きい。
今改善に着手している体重の件に関しても、結局直接的に協力しているのは咲季だ。
こうして振り返ってみると、他のアイドルに比べて、手毬との間にはまだ明確な壁があるように思う。
「勉強になりました。月村さんとは話す機会を設けるようにしてみます」
「よろしい。最後は姫崎さんのプロデュースについてですが、本人の反応はいかがでしたか?」
「最初はかなり戸惑っていましたが、一応は納得してもらえたようで。お姉さんらしく振る舞えるよう、少しずつ頑張ってくれています。結果が出るのは、少し先の話にはなりそうですが」
「なるほど。きみ自身はどうでしょう?」
「なかなか難しいですね、弟らしく振る舞うというのは。恥ずかしさもありますが、弟のように甘える一方でプロデューサーとしての威厳を損ねるわけにもいきませんし。
先生に背を押していただけていなければ、きっと実行には移せていませんでした」
「きみ自身の能力の高さと熱意の籠った説明があればこそです。先生も最初に計画書を見たときは目を疑いましたし……現にわたしから他の先生やトレーナーに説明しても、なかなか理解してもらえません」
「お手数をおかけします……」
「構いませんよ。きみが担当アイドルの為に常に一生懸命なのはよく知っています。そうでなければ、あそこまで緻密で膨大な計画書は書けないでしょう。そんな生徒を信じてあげるのは先生の役目です」
「ありがとうございます」
「ともあれ、報告書通りプロデュースは順調のようですね。それでは、次の目標はなんでしょう?」
期待の眼差しを向けながら、続けざまに亜紗里が問いかける。
計画書には隈なく目を通しているが、それでもプロデューサーの口から直接その内容を確認したいのだ。
プロデューサーもそのことをよく理解しているのか、「計画書にすべて書いてありますよ」などと野暮なことは言わず。
「まもなく開催される『初』公演の中間試験です。みなさんの現状把握と、プロデュースの途中経過を見るいい機会になると考えています」
「堅実な目標設定ですね。学園内の他のアイドルと競い合うことは、担当アイドルにとっても良い刺激になると思います。今回の公演の参加者は、1年生も曲者揃いですし」
「……あさり先生の目から見て、今度の試験で上位に入りそうな1年生は誰でしょうか?」
興味本位で予想を訊いてみるプロデューサー。
確認したところで試験の対策ができるわけではないが、自身の観察眼と師のソレがどれくらい違っているのかは知っておきたいのである。
「そうですね…………ユニットで中等部No.1だった月村手毬さん、入学試験を首席で突破した花海咲季さんは言わずもがな。
その他、今年の1年生の中にはプロデューサーがついて目覚ましい成長を見せている生徒が数名います。内一人は、きみが担当している藤田ことねさんですね」
亜紗里の確認に、プロデューサーは黙ったまま相槌を打つ。
今挙げられた三名は、プロデューサーも優秀だと判断したからこそ声をかけた生徒である。
ありがたいことに全員にスカウトを承諾してもらい、現在はプロデュースをさせてもらっているわけだが。
問題は、そのほかの生徒。
『プロデューサーが付いている生徒』ということは、その中には彼が声をかける前にすでにスカウトされていた逸材も含まれている。
それでいて、次の試験で著しく頭角を表すとすれば、おそらく────────
「そしてもう一人、先生が最も注目しているのは、中等部No.4────花岡ミヤビさんです」
元中等部No.1ユニット『SyngUp!』を除いた、事実上ソロアイドルNo.1である彼女の存在である。
06 正気ではない人