耳を澄ませば小鳥のさえずりが聞こえ始める曙。
まだ閑散とする学生寮に、人知れず少女らふたりは帰還した。
「手毬、あなただいぶ体力がついてきたじゃない!」
朝のランニングを終えて上機嫌な咲季は、呼吸を乱す様子もなく活き活きと話しかける。
対して、それに終始並走した手毬は、肩で息をしながら必死に心拍を整えようとしていた。
「……相変わらず馴れ馴れしいな。これくらいアイドルなら当然だよ。これから活動していくうえで、何曲も続けて歌うことだってあるんだから」
「息切れしながら言う台詞じゃないでしょ、それ」
お決まりの刺々しい返答に呆れながらも、内心咲季は感心している。
咲季と手毬が最初に河川敷で言葉を交わしてから、まだ半月も経過していない。
だというのに、すでに手毬は咲季のペースに追いついてきているのだ。
当然、適切な食事管理を始めたことも一役買っているだろう。
極度の体重増加に加えて、無理な食事制限が重なっていたのでは、本来の実力が発揮できないのは道理である。
しかしながら、この短期間でここまで体力を伸ばすことができたのは、手毬自身の精神力が大きく関係している、と咲季は考えている。
ウォームアップの一環とはいえ、一女子高生が元アスリートの速度に合わせて走るというのは、並大抵の努力でどうにかできるものではない。
「本当に、どうしてこれで体重が増えるのかしら……?」
「そ、その話はいいでしょ! 少しずつだけど、ちゃんと痩せてきてるし」
「よくないわよ。確かに改善前のあなたの食事は、それはもう酷い有様だったけど、それだけじゃ説明がつかないのよね。運動量と睡眠時間は十分だし、もっと他の原因があるとしか……」
例えば、心労。
メンタル面で慢性的なストレスがあれば、睡眠の質は低下するし、ホルモンバランスの乱れにも繋がるはずだ。
何より体重だけでなく、ライブパフォーマンスにも直結する問題である。
そう仮定するのであれば、体重の件はあくまでも副次的なものということになるのだが。
“わたしから追求することじゃないわね、それは”
気安く踏み込むべきことではない、と咲季は自制する。
仮に咲季の見立てが正しかったとして、最初から彼女の弱みを見抜いていたプロデューサーがそれに気付かないはずはないのだ。
気付いていながら、あえて言及を避けている。
慎重にタイミングを見定めているのか。あるいは別の理由か。
ともあれ、手毬がプロデューサーの担当アイドルである以上、彼の判断を待つのが賢明だろう。
「────おはようございます、咲季さん、月村さん」
噂をすれば何とやら。
神出鬼没に姿を見せてはふたりへ声をかけるプロデューサー。
担当アイドルの心の声を盗み聞きでもしているのではないかと疑うくらい見事なタイミングの登場に思わず面食らう咲季だが、すぐにその気持ちを切り替えて。
「プロデューサー、おはよ! 珍しいわね、こんな朝早くから訪ねてくるだなんて。わたしたちに何か用事?」
「いえ、今日は定期公演に向けての中間試験がありますから、担当アイドルの様子を見ておこうと思いまして」
そう。今日という日は初星生徒最初の関門、初公演に向けた最初の試験が執り行われるその日なのである。
講堂ステージでのライブを目指すアイドルたちは、まずこの篩にかけられることとなる。
そんな重大イベントを控えた彼女らを気にかけてプロデューサーは様子を見に来たのだが。
「もしかしてずっとここで待ってたんですか? また有村先輩に腕を捻られても知りませんよ」
「有村さんとはもう面識がありますし、流石に2度はないと思いたいですが。それに、以前のように出入口を何時間にもわたって監視していたわけではありませんから」
「噂には聞いてたけど、本当にそんなことしてたんだ……」
その常識外れの行動力にいよいよ呆れ果てる手毬。
彼女の担当プロデューサーは、一歩間違えればきっと変態の仲間入りである。
第一、いくら寮長との面識を得たからといって、一度関節技を決められた経験がある以上、多少なりとも躊躇いが生じて然るべきだと手毬は思う。
「そんなことよりどうかしら? プロデューサー。実際に担当アイドルのコンディションを確認してみた感想は」
「おふたりとも良い具合に仕上がっていると思います。試験当日だというのに一切の気負いが感じられない」
閑話休題。
プロデューサーは改めて咲季と手毬の姿を見て感心する。
現にふたりは普段通りのルーティンでランニングをこなし、試験に向けて気持ちが逸らないように努めている。
これは決して、頭で理解していたとして簡単にできる行為ではない。
本来であれば似たような試験やステージを幾度も経験し、少しずつ培われるべき境地なのだ。
しかし咲季においてはアスリート時代の経験が、手毬に関しては中等部時代のユニットでの経験が糧となり、その沈着を実現させているのだろう。
この分であれば、きっと
ただし、ここで彼はひとつ、大きな見落としをしていた。
咲季も手毬も、一見平常運転ではあるものの、あくまでそのように振る舞っているだけであり、内心は強く試験を意識して仕方がない、という点である。
無論、プロデューサーも彼女らが一切試験のことを考えていないとは思っていない。それは平静を通り越して無心である。
だが、このふたりの勝負事・重大事に対する異常な執着を彼は見誤っていたのだ。
この致命的な認識のズレが後のプロデュースにおいて大きな禍根となるわけだが、それは強がりなアイドルらと同じく、ただ魔法使いのように振る舞っているだけの一般学生には知りえぬ未来の話である。
「咲季さんと月村さんは、試験会場が違いましたね?」
「ええ。わたしはことね、姫崎先輩と同じ体育館ステージで……手毬だけは中庭ステージでの試験になるわ。
当然、試験の様子はプロデューサーも見に来るのよね?」
「そのつもりではありますが、咲季さんたちがパフォーマンスをする体育館にはあまり顔を出せないかもしれません。基本的には中庭ステージを見学する予定ですので」
咲季の言わんとすることを察して、申し訳なさげに断るプロデューサー。
予想に反する彼の返答に咲季は目を見張る。
それはショックを受けたというよりも、プロデューサーのその意図に興味がある、といった面持ちで。
「あら意外。てっきり担当の人数が多い会場を優先するかと思っていたのだけれど」
「それだけプロデューサーは私のパフォーマンスが気になるってことだよ」
「そうですね。たしかに現在の月村さんの実力を直接確認しておきたいというのも理由のひとつです」
どの会場においても試験内容は学園側で撮影され、後から確認することができる。
それでも、例えばカメラ越しではプロデューサーがユニット時代の莉波になかなか気付けなかったように、些細な要素も見落とさないように観察したいのであれば直接ステージを観るに越したことはない。
特に手毬の場合、実践形式のパフォーマンスはソロ活動に切り替えてから初めてとなる。
彼女の課題に対して明確な方針を打ち立てるためにも、試験の見学は必要だとプロデューサーは考えたのだ。
「理由のひとつ……他にも理由があるみたいね?」
「はい。実は中庭ステージで試験を受けるアイドルの中に気になる方がいまして」
咲季の疑問に答えながら、本当に参った、と深刻そうな表情を浮かべるプロデューサー。
これまでの彼の行動から、その返答でふたりのアイドルが何を考えたかは想像に難くない。
「プロデューサー!
「人聞きの悪すぎることを言わないでください。誤解です。そのアイドルをスカウトするわけではありません。第一、彼女にはすでにプロデューサーがついていますから」
「他のプロデューサーがついたアイドル……?」
必死の形相で詰め寄る手毬に、後ずさりながらプロデューサーは弁明を口にする。
プロダクション間での引き抜きならいざ知らず、同じ事務所で別担当のアイドルにスカウトを持ち掛けるのはとても褒められたことではない。
それはこの世のプロデューサーの間での暗黙の了解である。
プロデューサーはすでに4人のアイドルをスカウトしたほどの多情な人物ではあるが、最低限そこの線引きはしっかりしているだろう、というのは咲季と手毬の中で共通の認識であった。
とすると、自ずと彼の意図も明白となる。
「なるほど、敵情視察ってことね。具体的に、誰のことなのかしら?」
「花岡ミヤビさん。月村さんや藤田さんと同じ内部進学組で、現在は1年2組に在籍しているアイドルです」
「1年2組ってことは、佑芽と同じクラスの子ね」
「ええ。月村さんは中等部時代に面識がありますね?」
「一応は。花岡は中等部の中じゃ『SyngUp!』に次いで実力がありましたし。勝負事のときには何度か宣戦布告を受けたこともありました。まぁ、全部返り討ちにしてやりましたけど」
過去の栄光を懐かしみながら自慢げに語る手毬。
花岡ミヤビは中等部No.4とされていたが、あの頃の彼女と『SyngUp!』のメンバーの間には明確な壁があったと手毬は考えている。
「スカウトされていたんですね、あいつ」
「はい。プロデューサー科の中でも優秀な方から春先に声をかけられたらしく、以来そのプロデュースによって急激に成績を伸ばしているようです」
「……………………」
プロデューサーの報告を受けて、手毬は涼しげだった顔を少し曇らせる。
大前提として彼女の躍進にはあまり興味がない。
問題は、そのスカウトのタイミングが進級前────手毬がプロデューサーに声をかけてもらう前という点である。
ミヤビに目を付けたからには、その優秀なプロデューサーとやらはアイドルの実力を指標としてスカウトを考えていたはずだ。
その上で手毬や他の『SyngUp!』メンバーではなく彼女を選んだということは、何か才能めいたものを感じていたのか、あるいは悪名高い『SyngUp!』を避けての判断なのだろうが、手毬は十中八九その後者であると捉えている。
そもそも、手毬たちがプロデューサー科からも腫物扱いを受けているというのは有名な話だ。
実際問題として、ユニット解散後に手毬にスカウトを持ち掛けてきたのはプロデューサーただひとりである。
手毬はそれを自業自得と認めてはいるものの、それでも年頃の少女としては気にせずにはいられない案件なのだ。
「またアイドルらしからぬ表情になってるわよ、手毬」
「…………余計なお世話」
夕立前の空模様のように曇っていく手毬の剣幕を、咲季は遠慮なく指摘する。
決して長くはない付き合いではあるが、彼女の感情の浮き沈みに関しては咲季も随分慣れてきたものである。
さしもの手毬もそれで少し我に返ったのか。
気に食わないのならまた実力で叩き潰せばいいだけだろう、と、殺伐ながらも前向きに考えることにした。
「ソロアイドルの経験値で見れば、花岡さんは今年の1年生の中でも随一と言えるでしょう。同年代である咲季さん、月村さん、そして藤田さんにとっては良い好敵手となるはずです。俺としても、ソロアイドル育成の良い標本になると考えています」
「……本当あなたって、頭の天辺から足の爪先までプロデュース一筋ね」
それがありがたいのだけれど、と付け加えながら苦笑する咲季。
初星学園のプロデューサー科が狭き門というのは噂に聞いていたけれど、彼のような変わり者しか合格できないというのであれば、それも大いに頷ける。
そして、そのような逸材の何人かに目をかけられている花岡ミヤビという生徒は、きっと底抜けに有望なアイドルなのだろうと咲季は心得た。
「いいじゃない。燃えてきたわ! 花岡ミヤビ、相手にとって不足なしよ!」
「念の為の確認ですが、咲季さんは別の会場ですよ?」
「わかってるわよ。もちろん直接手合わせしたい気持ちはあるけど、同じ試験で競い合えるんだから勝負なのに変わりはないわ」
プロデューサーの野暮な問いかけに、きっぱりと断言する。
事が終わった後に勝者と敗者が存在するのであれば、それは紛れもない勝負である、と。
その事実がある以上、咲季は敵を敵として見据える。
彼女はそうやって妹である佑芽と競い合ってきた。
おそらく花海姉妹にとっては、それが当然の日常なのだ。
かくして、ふたりのアイドルは試験に向けての士気を高める。
この期に及んで、自身の勝利を疑う者はいない。
ただひとり、彼女らが意気込むのを冷徹に眺めていたプロデューサーを除いて。
────────────────────────────────
今回の試験では、控室が2種類存在する。
まもなくパフォーマンスを控えたアイドル数名がそれぞれ待機する小部屋と、それが空くのを待つために複数人が詰め込まれる大部屋である。
大規模なライブを想定していない中庭や体育館ステージにおいて、試験の参加者全員を収容するためにはこの手法しかなかったのだろう。
パフォーマンスの順番が後半である手毬はまず大部屋での待機を指示されている。
それに従って、彼女は堂々とした足取りで指定の教室に入っていく。
控室にはすでに数名の生徒。
内何人かは手毬の顔を確認するなり一目散に視線を逸らす。
その必死さと言えば、さながら妖怪くねくねと遭遇したときの対処のようだった。
“そ、そんなに怖がることないでしょ”
内心で愚痴をこぼしながら、手毬はさらに奥へと歩を進める。
実際のところ彼女たちの対応は正しい。
手毬はトラブルメーカーではあるものの、独りで暴れ始めるほど理不尽なタイプではない。
こうして端から関わろうとさえしなければ、彼女の問題に巻き込まれる心配はないのだ。
ただし、それで手毬本人のフラストレーションがしっかりと溜まっていくのは言わずもがな。
今の彼女は、一触即発の火薬庫のような仕上がりになっていた。
「ご機嫌よう、月村手毬」
そこへ怖いもの知らずのアイドルが一名。
出入口から見て死角に潜んでいたのか。不意をつくように声をかけてきたのは、絹のように滑らかな水色髪の少女である。
言葉遣いこそ上品ではあるが、その声色には挑発的なニュアンスが存分に含まれており、彼女の勝気な性格が見事に見え透いている。
「花岡……」
中等部の頃から聞き馴染んだその声に、手毬は不機嫌さを隠さないまま振り返る。
件の花岡ミヤビは、小柄ながらも手毬を威圧するように見上げていた。
「……聞いたよ、優秀なプロデューサーがついたんだって?」
「わたしも聞きましたよ。ようやくプロデューサー科からスカウトを受けたと」
挨拶代わりに、少女らはさっぱりとした様子で威嚇し合う。
中間試験で敵同士になるというのもあるが、それ以上にこの相手に少しでも弱みを見せたら言い負かされる、という3年来の共通認識ゆえの悪態である。
手毬とミヤビの間には、幾度となく実力を競い合ってきた者たちにのみ芽生える、独特の友情が形成されていた。
もっとも、ふたりがそれを友情と認めることはないし、その競争とやらも今のところ手毬の全勝に終わっているのだが。
「ユニットが解散したときはこのまま勝ち逃げされるのかとヒヤヒヤしましたが…………今度こそ勝たせてもらいますよ、月村手毬」
「ソロの私相手なら勝てるってこと? 随分と甘い目算だね。プロデューサーがついて気が大きくなってるんじゃない?」
「あなたこそあまり見くびらないことです。今日のステージで見せてやりますから、中等部のわたしとは違うってところを!」
「へぇ……それは楽しみ」
ミヤビの宣戦布告に対し、不敵に笑みを浮かべる手毬。
ふたりの間には目に見えない火花がバチバチと飛び散っている。
少女らにとってはいつも通りの手短な応酬。
その果てにもたらされたのは、約2名の煮えたぎる闘志と、控室の地獄のような空気感であった。
「花岡さん、楽屋の準備ができたので移動をお願いします」
そんな気まずいことこの上ない空間に、しばらくして救いの声が届く。
大部屋を訪れたスタッフはその雰囲気に一瞬「エ」という音だけ発したものの、きちんとその業務を遂行したのだ。
このタイミングで声がかかるということは、ミヤビのパフォーマンスの順番は全体の中でも相当前の方なのだろう。
「それじゃあ。ちゃんとステージまで見に来なさいよ、月村手毬」
「わかったから……早く行きなよ」
しっしっ、と手を振って追いやる仕草をする手毬。
そんな好敵手の素振りが気に入ったのか。ミヤビは上機嫌そうにその場を立ち去ろうとする。
「おっと、失礼しました」
その途中、部屋の入り口でプロデューサー科の男性とぶつかりそうになったのをギリギリ回避して、頭を下げた後に走り去っていく。
彼こそが手毬をスカウトしたプロデューサーであることを、ミヤビはこのときまだ知らなかった。
「お疲れ様です、月村さん。花岡さんと同じ控室だったんですね」
「お疲れ様です。花岡はプロデューサーがついて随分と調子付いてるみたいですね。今日の宣戦布告はいつもより自信があるように感じました」
「ほう。それでは一緒に見に行きますか? 花岡ミヤビのパフォーマンスを」
「当然です。売られた喧嘩は買ってあげないと可哀そうですから」
余裕綽綽とプロデューサーに賛同する手毬。
口ではそんな大言壮語を吐いているが、彼女の中では勝負相手への礼節という意味合いが強い。
中等部の全員が見上げるばかりだった『SyngUp!』を本気で追い抜こうとしていたミヤビのことを、手毬はなんだかんだで認めているのだ。
だから驕りではなく、せめて先を走る者の責務として、花岡ミヤビと向き合わなければならないと考えていた。
彼女のそんな浅はかな考えが正されたのは、わずか十数分後のことである。
「────────────────は?」
そのステージを観て、手毬は思わず全身を震わせていた。
自らの敗北を予感したから、ではない。
ただ、その見事なパフォーマンスの為に費やされた時間と執念と努力を認めて、感動してしまったのだ。
『一つの夢を叶えたい思いは きっと誰にも負けないわ』
歌だけを評価するならおそらく手毬が上である。
彼女のソレは、『SyngUp!』のような歌声だけで心を動かす域には達していない。
そう、
花岡ミヤビの真骨頂は、彼女の歌を支えるダンスにこそある。
開幕の一歩から、その技術は明瞭だった。
踏み込むたびにステージからの反発を確かめるような、力強い体重移動。
それでいて驚くほど精密なアイソレーションは、体の各部位を独立させながら、楽曲のリズムを全身で語りかけてくる。
手毬は知らないが、それは藤田ことねが花海咲季を打ち負かすに至ったダンステクニックのひとつ。
彼女との違いがあるとすれば、そのパワフルさ。
ことねが動を主体とした流体のようにしなやかなダンスを作り上げていたのに対し、ミヤビは静に重きを置き、逆説的に弾けるようなエネルギーを演出している。
“でも、それだけじゃない”
それだけなら、中等部の頃から彼女は既にできていた。
『SyngUp!』は歌でステージを支配し、『花岡ミヤビ』はダンスで観客を魅了する。
これまで3年間競い合ってきたはいいものの、そもそも彼女らは評価軸が違っていたのである。
それが今、区分されたステータスの垣根を越えて手毬を脅かそうとしている。
この劇的なライブ体験の変容は、単にダンスの技術が向上したというだけでは説明がつかない。
そこまで考えて、手毬はようやく違和感の正体に気が付いた。
『初』はミヤビの得意とするK-POP音楽とはジャンルからして違う。
彼女が本領を発揮できるようなキレのあるダンスパートは存在しないのだ。
しかし──いや、だからこそか、ミヤビは持てるダンスの技量全てを
ミヤビの踊りは確かに迫力がある。
観客の視線を強引に引き寄せるだけの力強さがある。
だが、それが決して力任せになっていない。
手毬の知るかつての彼女は常に自らの強みがダンスにあると考え、それを存分に活かして輝こうとしていた。
歌も踊りも、できることをすべて重ねて、足し算をし続けた結果、あちこちに魅力が分散していたのだろう。
熱量はあったが、故にこそ何度でも返り討ちにできた。
目前の花岡ミヤビのパフォーマンスからは、その余剰さが消えている。
彼女は不完全な演技に何かを加えたのではなく、むしろ削ったのだ。
そうして余計な力が抜けた分だけ、必要な輝きを際立たせている。
“────歌とダンスの複合。そのためにふたつを加減してるんだ”
歌う────しかし、押し付けない。
舞う────けれども、主張しすぎない。
強調すべき一節だけを丁寧に歌声で拾い上げ、それ以外の箇所はダンスに場を譲る。
その判断が徹底されているから、ふたつの要素がまるでぶつかり合わない。
意図的に、丁寧に、長い時間をかけて削り出された輝きが、そこにあった。
まるで、研磨された名刀である。
砥石によって磨き上げられた刃は、その鋭さを必要以上に誇示しない。
ただ、光を受けるたびに静かに輝く。
ミヤビのパフォーマンスは、まさしくそういう演技だった。
“プロデューサーがついただけで、こんなにも…………”
変わるのか、と息を呑む。
手毬もプロデューサーに見てもらってはいるものの、まだ10日程度の話である。
春先からプロデュースを受けているミヤビとはわけが違う。
否、その解釈も適切ではない。
たった1、2か月程度のプロデュースで実力が大きく向上してしまったのであれば、彼女のこれまでの努力は何だったのかという話になる。
変わったのは技術そのものではなく、その魅せ方。
すでに培われた3年分の努力を適切に集約させたからこそ、今日という日に間に合ったのだ。
「プロデューサーはわかっていたんですね。中間試験の時点で花岡が障壁になるって」
「花岡さんの躍進は噂に聞いていましたから。しかし、これほどまでとは……」
諦めに似たプロデューサーの声は、そのステージが彼の目にも圧倒的であることを物語っていた。
しかし、一方の手毬は未だ心を折ってはいなかった。
ミヤビの忠告通り、目算が甘いのはこちら側だったわけだが、それはそれとして、彼女の努力によって手毬の実力が低下する道理はない。
少なくとも、手毬が好しとする『月村手毬』の歌声は、『花岡ミヤビ』の磨き抜かれたパフォーマンスにすら負けはしないはずである。
問題は、ここ数か月における自身の不調。
ミヤビが無駄なものを削ぎ落としている間に、手毬は必要なものを取りこぼし続けていた。
体力はなんとか咲季のウォームアップについていける程度にまで持ち直しているが、それでも全盛期のソレには満たない。
この絶望的な差、絶対的な乖離を埋め合わせるために、今の自分にできることは何かと手毬は自問自答する。
“そんなの、最初から決まってる……!”
ダンスの技術もそこそこに磨いている手毬だが、それを歌声と調和させ、ましてステージ全体の魅力を向上させるなんて芸当は今の彼女にはできない。
仮にその才能を秘めていたとして、まともに練習していないのでは使い物にならない。
付け焼刃の発想で評価をあげられると考えるほど、手毬はライブステージを甘く見ていない。
つまるところ、彼女の選択肢は初めからただひとつ。
いつものように、いつも以上に、ただ全力で走り続けるだけである。
「……………………」
覚悟を決めた手毬の様子を認めて、プロデューサーは意味もなく深呼吸をしては瞳を閉じる。
それは今の自分では変えようのない、これから担当アイドルが辿るであろう敗北を受け入れるための儀式のようなものであった。
そうして少しだけ翳るプロデューサーの表情を、当の手毬は知る由もなかっただろう。
────────────────────────────────
そんな圧巻のパフォーマンスの数十分後、手毬は彼女と同じステージの上に降り立った。
観客にはよほどミヤビの演技が鮮烈だったのか。
中庭には不出来なステージを拒むような独特の雰囲気が満ちていた。
もちろん、それは手毬の主観によるところもあるのだが。
「すぅ…………はぁ…………」
細く、深く。
手毬は自身の鼓動に冷静であれと命じるように、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
依然、警鐘を鳴らす心臓。
ドク、ドク、と早鐘を打つ脈拍は、彼女がこの場にとって力不足であることを理解している。
その忠告が無意味だと一蹴しながら、手毬は力強い意志で観客席にいるミヤビを見据えた。
「お願いします」
意を決して、マイク越しに裏方へ合図を送る。
『初』の歌いだしの前に前奏はほとんど存在しない。
スタートダッシュは返しから薄っすらと聞こえる機械的な4拍子の直後、そこへ。
「行くよ────────────────!」
重く、鋭く、力強いロングトーンをぶつける。
伸びる。伸びる。伸びる。
まるでその歌声が腕となり、直接観客の心を鷲掴みにするかの如く。
『月村手毬』は1フレーズにして、会場全体を掌握する。
次いで、手毬は楽曲の冒頭を飾る複雑なフレーズを朗々と紡ぎ上げる。
ひとつひとつの音を丁寧に、かつパワフルに。
聴衆を黙らせる圧力においては疑いようもなく満ち足りた声量。
一撃一撃に全身全霊を乗せた、必殺技の応酬であった。
“これなら、いける!”
まだまだ声が出る。身体が動く。
足りないものが多いのは百も承知だが、歌声だけは手毬の味方でいてくれている。
そう信じながら、少女はしゃにむに走り続けた。
彼女が変化に気付いたのは、楽曲の中盤に差し掛かった頃のことである。
“────────あ”
高音域の伸びがわずかに鈍る。
スピーカー越しの観客にはおそらく気付かれない程度の、ほんのわずかな揺らぎ。
だが、それがすべての瓦解を意味することを、少女は嫌というほど理解していた。
“…………ああ”
破滅は劇的に。
次の瞬間には、すでに全身が言うことを聞かなくなっていた。
肺がうまく動かない。脚が重い。
焦るほどに心拍が熱を帯び、それが彼女の歌声をじわじわと削っていく。
かつてユニットで幾度もステージを踏んできた身体は、楽曲ひとつくらいであれば問題なく走り切れたはずだ。
しかし今の手毬の肉体には、ここ数か月の不調の痕跡が確かに刻まれている。
いや、そのハンディキャップを考慮したとしても、このタイミングでの失速はあまりに早すぎた。
原因不明の鈍化。正体不明の絶望。
手毬はわけもわからないまま、自らの突き動かし方を忘れていく。
『いい加減にしてくれない?』
『このままじゃ、きっと、潰れてしまう』
どこかで聞いたような台詞が走馬灯のように頭の中に鳴り響く。
融解する意識の奥底で、赤ずきんはそれ見たことか、と狼の失態を嘲笑っていた。
“…………うるさい!”
感情任せに手毬は赤い影を振り払う。
ステージの上ではそんな感傷も弱音も必要ない、と彼女はさらにギアを上げる。
それが遂にトドメになってしまったのか。
ぼろ、ぼろ、と。
かつての仲間の面影とともに、大切な歌声が輪郭を喪っていく。
止め処なく崩落する様は緻密に作り上げられたドミノ倒しだ。
最初から、そうやって壊れることを目的としていたみたいに、呆気なく、情けなく、手毬の制止など一切聞かず、ソレは波及する。
“あぁ────────あ────”
声が揺れる。
呼吸が追い上げてくる。
今の自分に残されたものはその歌声だと、そう腹を括ったはずだった。
ミヤビが持てる才をすべて楽曲に注いだように、手毬もまた全身全霊をこのステージに捧げる心算だった。
なのに、まるで身体が追いつかない。
少女の好きだった歌声は、もう彼女の手の届くところに存在しない。
振り付けに沿って動く手足でさえ、彼女にはひどく遠い場所にあるように感じられた。
そうしてすべての感覚を無に葬ったまま、楽曲は終了する。
「ハァ…………は、あ……」
視界が明滅する。
喉元から苦痛が逆流する。
必死に胸元を抑える少女は、正しい呼吸の手順すら忘れている。
この通り、手毬のパフォーマンスは無残に終わった。
有望株であるミヤビと比べるまでもない。
彼女は他人と競う以前に、自分自身に敗北してしまったのだ。
「────、────────」
少しずつ従来の機能を取り戻し始めた聴覚が、ギリギリと軋むような音を捕捉する。
それが自身の歯軋りによるものだと手毬が気づいたのは、その数秒後。
観客は声を発することを忘れている。
彼女のステージが散々な有様だったのは火を見るよりも明らかなのだが、同時、その命を削るような全身全霊っぷりに気圧され、困惑しているのだ。
そんな中、明確に彼女に叱責の意思を向けていたのは、未だマイクから手を放せずにいる手毬自身と、舞台袖で彼女の悪あがきを見届けたプロデューサーと、そして────
「…………ふん」
ミヤビはつまらなさげに観客席を後にする。
手毬の演技の後は、試験結果を待って高らかに勝利宣言をするつもりだったが、それもいい。
その代わりに、彼女は去り際にプロデューサーの方を強く睨む。
鋭い視線ははっきりと「あなたがしっかり育てなさい」と告げていた。
「………………」
それに応えるように深々と一礼するプロデューサー。
彼の返答を以てしてこの場は良しとしたのか。ミヤビは今度こそ中庭から立ち去っていった。
「────────さて」
ここからが正念場だ、とプロデューサーは気合いを入れ直す。
手毬のスタミナ不足を指摘した時から、このような結末は彼も予測していたところだ。
中間試験で躓くこと自体は大した問題ではない。
重要なのは、ここから期末試験に向けてどのようにプロデュースを推し進めるかである。
────────────────────────────────
手毬にとって、アイドルとは叶えたい夢というより、課せられた天命に近しい。
月村手毬を形作る、良く言えば生きる指標、悪く言えば背負うべき十字架のようなもので。
決して驕りではなく、楽観でもなく、彼女には自身がそうなっていない未来が想像できない。
想像できないものには恐怖が伴う。
『人の意識は死んだらどうなってしまうのか』という問いに悩んで不安を覚えるのと同じだ。
つまるところ、手毬の主観によれば、彼女がアイドルになれないことと死ぬこととは大差がないのである。
存在を見出せない────価値を見出せない、虚無の世界。
ふと振り返れば、ぽつりと佇む赤ずきんはそんな暗い影を連れてくる。
捕まれば最期、二度と還らぬ鬼ごっこ。
本来、赤ずきんを食らうはずの狼が必死に逃げ惑っているのは、そういう事情なのである。
それでも手毬はこの呪いのような運命を恨んでいない。
元を辿れば、生涯にわたって続く逃走を選んだのは彼女自身だ。
だからきっと、恨んでいないというよりも、後悔しないという表現の方が似つかわしいのだろう。
きっかけは彼女がまだ十歳の時。
目前に舞い降りた太陽を見て、少女は強く心を打たれた。
ただそれだけなら焦がれるだけで済んだものを────
『────いつか、私も。あんなふうに、歌うんだぁ』
彼女は自分自身がそこに辿り着くという選択を知った。知ってしまった。
その瞬間、手毬はこれまでの自分を過去にして、まったく違う未来へ進むことを決意したのだ。
ごくごく普通の夢見る少女とは似ても似つかない、偶像という別の生き物になることを受け入れて。
だが、それも完璧とは言いがたい。
完全に過去の自分と決別したのであれば、時折顔を覗かせる赤ずきんなどそもそも存在しないはずである。
そんな半端具合に嫌気がさすのはいつもの話。
月村手毬は常に不機嫌である、という学内の噂の大半はこれに由来する。
しかし、それでも彼女が後悔することはない。
太陽に憧れた少女の心も、そうあろうとする彼女の強がりも、その根源は決して間違いではないと知っている。
ゆえに、月村手毬は止まらない。
彼女はきっと、魂の火が燃え尽きるその日まで、自らの死を恐れて走り続けることだろう。
「で?」
事務所に戻るや否や、手毬は短く切り出す。
教室には彼女とプロデューサーのふたりきり。
咲季とことね、莉波は彼の指示で自主レッスンに向かっていた。
不合格こそ免れたものの、結果だけ見れば、手毬はプロデューサーの担当アイドルの中で最も低いC評価。
彼女の性分として、こんな体たらくは断じて認めるわけにはいかない。
「レッスンメニューを変更するって、そういう話だったよね?」
「はい。ですがその前に、月村さんの現状を再確認したいと思います」
「……面倒だな。私、そういう回りくどいの嫌いなんですけど」
「いえ、これも大事なことです」
「………………」
危機感のないプロデューサーの声に一瞬顔を顰めたものの、有無を言わさぬ視線に事の重大さを感じ取る。
彼は手毬に椅子に掛けるよう促すと、自らもその向かいに腰を下して、ノートパソコンと一緒にアナログな資料の数々を展開した。
思えば、彼とこうして腰を据えて話をするのは手毬にとって初めてのことである。
「月村さんは去年まで中等部でNo.1のアイドルと言われていました。しかしここ数か月の偏食をはじめとする生活習慣の乱れをきっかけとして体力が大幅に低下し、
よってC評価を得るに至った、と、抑揚もなくプロデューサーは端的に締め括る。
今の要約は実に簡潔かつ客観的、そして必要最低限に正確だと手毬は思った。
身も蓋もない結論ではあるが、中間試験での一番の敗因は手毬が冒頭から全力で歌唱したことにある。
大前提として咲季のペースについていく体力があるのだから、あとは適切なペース配分さえできていればステージの中盤で力尽きる道理はない。
そこがクリアできていたのなら、彼女はA評価どころか、きっとそれ以上の好成績を叩き出せていたかもしれないのだ。
しかし────────
「プロデューサーは、今の歌い方をやめろ、と?」
試すように手毬は威圧する。
それを半端な気持ちで口にするのであれば、やはり彼とはここまでにしよう、と心に決めて。
「月村さんの魂をぶつけるような歌はアイドルとして大きな武器です。もちろん、今回のような結果を招く諸刃の剣のような側面はありますが…………丸っきりそれを取り上げることはしませんよ」
「…………そ」
ならいい、と素っ気なく相槌を打つ手毬。
無感情に努めているものの内心安堵しているのは御愛嬌。
自らの矜持のためとはいえ、せっかく契約したプロデューサーと縁を切るような選択を取らずに済んだのは、彼女としても喜ばしいことなのである。
「ということは、今よりももっと体力強化に絞ったレッスンメニューに調整するってことですか?」
気を取り直して、手毬は結論に急く。
彼女の最初から全力で歌うスタンスを認めるのであれば、体力の方を何とかしようと考えるのは実に合理的な判断だ。
だが、今はまだ現状確認の途中だと言わんばかりにプロデューサーは手毬を諫めて。
「その前に、月村さん、体力が不足した原因を何だと考えていますか?」
「……それはさっきプロデューサーが言ったよね。その、食べ過ぎと生活リズムの乱れが原因だって」
「それはあくまでも体力低下の原因です。楽曲を最後まで全力で歌いきれなかった理由のすべてを説明できるものではない。現にあなたのスタミナが尽きる原因は他にあります」
「どういうこと?」
「『SyngUp!』時代の映像を何度も確認して、もしやとは思っていましたが、今日のステージで確信しました。月村さんは、集中力が高まると、実力以上のパフォーマンスを発揮する才能があるようです」
「そっ、それは……いいことじゃないの?」
「本来の全力よりもさらに疲れてしまう。だからあっという間に力尽きる」
恐る恐る問う手毬に、プロデューサーは淡々と答える。
虎穴に入らずんば虎児を得ず とは言うが、虎の子を愛でるあまりにその穴に入り浸ってしまうようでは命がいくつあっても足りない。
月村手毬のステージは常に理想を追い求めてはいるものの、一点、その持続性という部分においてのみ一切考慮されていない。
「しかし中等部の頃からその性質があったのだとすると、次は今まで問題なくパフォーマンスできていたことと矛盾してしまいます」
なぜ今日のステージに限って力尽き、どうして中等部時代には一度としてその事態が発生しなかったのか。
難解な謎を紐解く探偵のようにプロデューサーは続ける。
「そもそも、最初から違和感だらけだったんです。中等部のあなたは────素行に関しては控えめに言って目も当てられない有様でしたが、それでもNo.1と呼ばれるに至るほどのストイックなアイドルでした」
「……前段要りました? 今の」
「失礼。そんなあなたが今や偏食に陥り、体力すら低下させて、従来のパフォーマンスが発揮できなくなっている。そうなった原因を────『去年まではできていた』ことができなくなってしまった要因を、月村さんは何だと考えていますか?」
つい辛辣になりかけていた自分を戒めて、プロデューサーは手毬に問いかける。
もっとも、その質問すら手毬にとっては辛辣だ。
確認作業の体を成している一方で、彼の問いかけは彼女が心の奥底で認めていた過ちの告発に他ならない。
「……プロデューサーって、すごく性格が悪いんですね。そこまでわかってる癖に、私の口から言わせたいんだ」
声を震わせながら、プロデューサーを批難する手毬。
血の気の通わないような冷徹とした彼の追求は、齢十五の少女にはあまりにも酷すぎた。
それに負けじと、彼女は振り絞るように声を出して。
「去年の私と、いまの私。その違いなんて……1つしかない────仲間を失ったこと」
考えてみれば当然の帰結。
あまりに自明で、周囲の大人でさえ言及を避けていた、すべての崩壊が確定した日。
かねてよりプロデューサーが指摘していた通り、結局のところ、月村手毬の課題は『ユニットアイドルからソロアイドルへの転向』にある。
「『SyngUp!』は月村さんのワンマンユニットだと、世間ではそう認識されていました。ですが実際はそうではない」
「よく見てるね。『SyngUp!』の中で、私だけがいつも全力だった。だから私だけが目立っていた……ただそれだけ」
「本当にそれだけですか?」
「………………何が言いたいの?」
不機嫌さをまるで隠さず、手毬はプロデューサーを睨みつける。
彼が何を言い出すかを悟ったが故の、咄嗟の防衛反応である。
だが、そんな精一杯のか弱い目つきでこのプロデューサーが踏みとどまるはずもなく。
「確かに映像を見た限りでは、ふたりとも余力があるように感じました。しかし同時に、月村さんが全力でありながらスタミナ不足に陥ることもありませんでした。こうは考えられませんか? あなたが中等部時代、この上なくその頭角を顕すことができていたのは、メンバーの献身的なフォローがあったからこそなのだと」
「フォロー? 邪魔の間違いでしょう? 気持ちよく歌おうとするたびに余計なアドリブを入れてきて……燐羽がいると、私は全力で歌えなかった」
「だからこそ、最後まで歌い切ることができていた」
「美鈴はいつも怠けてばかり。一度も本気を見せてくれない。ステージの上でも、私ばかりを気にかけて……」
「だから、どんなアクシデントにも即座に対応できた」
「そんなの私は望んでないっ!」
はじけるような激情に任せて声を上げる。
怒りは無神経なプロデューサーに対するモノか、世話好きなかつての仲間に対するモノか。
きっかけは何だったにせよ、最後にはきっと、彼女はそのすべてを自分自身に向けてしまう。
そんなわかりきった答えを黙認していながら、白々しく問い返してしまった月村手毬に対して。
「プロデューサーって、絶対に性格が悪いです……! 白状すればいいんでしょう!? 私がふたりの足を引っ張っていたって!
私よりも遥かにすごいふたりが、私のレベルに合わせてくれるのが、ずっと申し訳なかった!仲間の好意に耐えられなかった! 美鈴も!燐羽も!私自身も!みんなみんな許せなかった!ユニットから抜けるしかなかったんです!」
「月村さん……」
「一緒にトップアイドルになろうって。約束したんです。なのに……結局、私のせいでバラバラになった」
プロデューサーの追及が告発であったのなら、手毬の披瀝は告解のようであった。
壁を隔てない懺悔室で、スーツ姿の神父は少女の嘆きを慈しむように耳を傾けている。
「確かに『SyngUp!』の解散がきっかけで、元メンバーの現状は決して良いものではなくなってしまいました」
「恨まれてると思います」
「本人に確認しましたか?」
「いいえ。ひとり部屋に移りましたし……クラスも別々で、話す機会も……」
惜しむように手毬は吐露する。
例え恨まれていなかったとしても、彼女には自身を赦すことができない。
あのとき、ふたりと並べる存在でありたかったのに、その実、ふたりに甘えるばかりだった自分を肯定できない。
だから、きっと「恨んでいない」と言われたにしても、その言葉を心の底から信じることはできないだろうし、そんな彼女自身をなおのこと許せなくなるだけなのである。
「とにかく、もう同じことを繰り返すつもりはないんです」
「なんの話ですか?」
「……私に、新しいユニットを組ませるつもりなんでしょう? だからこの話を」
気持ちを切り替え、今度は神父を問いただす迷える子羊────もとい、一匹狼。
今回の話し合いにおけるプロデューサーの分析能力は高く評価するが、そこだけは譲れないと在りもしない計画書を突き返している。
この時点で、彼との契約を白紙にするという選択肢はなくなっていた。
デリカシーがないのは気になるが、ここまで彼女を理解してくれる人もそういないし、それさえ認めてくれるのなら少しくらい彼を信用していいだろう、と手毬なりにプロデューサーを認め始めていたのだ。
さらに言えば、その唯一の懸念すら彼女の早とちりで。
「確かに月村さんをスカウトする前、そのようなプロデュースプランも検討しました。あなたと咲季さん、藤田さんの相性は最高です。それはそれで良いユニットになったと思います。
それでも俺は、ソロアイドルとしてみなさんを育成したい。他の星々と切磋琢磨しながら、それでも溶け合うことなく、我こそは一番だと、眩く輝く瞬間を見届けたいんです」
「────────────────」
それは、合理的なプロデューサーにしては珍しく、純粋な感情論に満ちた回答だった。
そうやって、たったひとりのわがままに振り回されたアイドルたちの末路を、彼女はよく知っている。
少女のエゴは他の者にとっては狂気でしかなかった。
ついぞ理解は得られず、不和となり、終いにユニットは解散した。
それでも、ならばこそ、そのわがままを極めた先にある景色を見たいと、彼は言ったのだ。
「今回の課題は、レッスンメニューの変更について。ユニットの話をしたのは、月村さんの抱える課題を再認識していただくためです。ソロアイドルとしてステージに立つ以上、弱点はすべて自分で克服していただく必要がありますから」
「……いいんですか? いまよりももっと……頑張っても。言わないんですか? 無理はしないでください、って」
「言いません。ぎりぎりまで無理をしてもらいます」
「本当に、言わないんですか? 『天気がいいからレッスンを休んで、お昼寝しましょう』とか、『余計なことしないで』とか、『いい加減にしてくれる?』とか」
「言いませんよ。月村さん、遊んでいる暇はないんです。月末の最終試験までにパフォーマンスを伸ばし、講堂ライブを勝ち取りましょう」
口調こそ理知的なものの、プロデューサーの瞳にはわがままを語ったときの純朴さがまだ残っている。
『SyngUp!』を解散して以来、誰の事も信用しないと心に決めていた手毬だが、その真っ直ぐな瞳を見た瞬間、彼女はこの信条の敗北を認めた。
思えば咲季とことねに説得されたときもそうだったが、こんなにも清々しい敗北があるのか、と、手毬はどこかくすぐったくて笑みを浮かべる。
とはいえ、客観的な話はさておき、彼女は自称クールなアイドルだ。
散々と激情に身を委ねておいて今更ではあるが、いかなるときも毅然としていなければ格好がつかないのである。
「そっか。わかった、プロデューサー。私、もっともっともっと頑張って! 弱点を克服してみせる!」
自然と吊り上がる口角を、不敵なモノに変えて宣言する。
自身に深い理解と厚い信頼を向けてくれたプロデューサーに対する、手毬にとって最大限の感謝と敬意の表明。けれど。
凛々しい表情とは裏腹に、その声に子供らしい希望に満ちた色が乗っていることを彼女が自覚することはなかった。
07 ペース配分
現状書き貯めている──もとい、以前からPixivに投稿していたものは以上です。
これからは大変牛歩な更新となります。