学園アイドルマスター ASTERISM   作:縞E7

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08 劣等星

「プロデューサーがほしい?」

 

「うんっ! あたしね、夏までにどーんと成長して、『H.I.F』でお姉ちゃんと勝負したいんだぁ」

 

「簡単に言ってくれますね……」

 

 中間試験から数日経った昼休み。

 まるでクリスマスプレゼントを決めた子どものように生き生きとした調子で、佑芽はミヤビにそう切り出した。

 初星学園1年2組には、このふたりを除いて苗字が『花』から始まる生徒が在籍していない。

 したがって、花岡ミヤビと花海佑芽は出席番号が連番となっている。

 いくら中等部からのエリートと補欠入学者といえども、名前順で隣り合ったのであれば必然と交流の機会は生まれるものだ。

 とりわけ佑芽の人懐っこさとミヤビの若輩者に対する面倒見のよさは相性がよかった。

 しかしながら、何度負かそうが次の日には当然のように勝つ気で挑んでくる佑芽の底知れなさに、ミヤビがやや苦手意識を持ち始めているというのはここだけの話である。

 

「そもそも、それを聞いてわたしミヤビにどうしろって言うんですか?」

 

「え、だってミヤビちゃんはプロデューサーがついてるんだよね? なにかアドバイスがもらえたりしないかなって」

 

「プロデューサー科にスカウトしてもらうなんて、相応の才能を見出してもらうか、相応の実力を見せつけるかしかないでしょ。

 あなたは()()()()()()()()()()()()()()()()()()として、あとは現時点での実力がどうかって話になりますけど────────花海佑芽、あなた先日の試験の結果はどうだと言っていましたか?」

 

「うぐ……い、E評価」

 

 少し気まずそうに、目を逸らしながら佑芽が答える。

 初公演の試験に合格するためには、中間・期末ともに最低C評価以上が必要だ。

 要するに、佑芽のパフォーマンスは不合格も不合格。

 大前提として歌に詞を対応させられていないようでは、ライブとして点数を測ってもらうことさえおこがましい。

 そんな状態でも果敢に試験に挑み、最後まで元気よく歌おうとした度胸は称賛に値するかもしれないが。

 プロデューサー科の成績は担当アイドルの活躍に大きく左右される。

 彼らの立場からすれば今の花海佑芽は間違いなく不良物件だろう、とミヤビは憂慮した。

 ちなみに、彼女は佑芽の並外れた身体能力を知りながら判断材料に含めていない。

 彼女が学園長との面接をパスしなかった以上は、そこに過度に可能性を見出すのは筋違いだと思ってのことである。

 

「それじゃあ、プロデューサーの方から声をかけてもらうのはまず無理でしょうね。こっちから売り込もうにも、その材料すら乏しいようでは話になりませんよ」

 

「ぐぬぬぬ……お姉ちゃんのプロデューサーさんはあともう一歩だったんだけどなぁ」

 

 現に咲季のプロデュースさえブッキングしていなければ、プロデューサーは佑芽の逆スカウトを承諾していただろう。

 もっとも、その条件が根本から覆せない以上、他にどんな手段を使ったとしても彼を首肯させることはできなかったのだが。

 

花海咲季お姉ちゃんのプロデューサー、ねぇ……」

 

 一方で、ミヤビは佑芽の言及した人物について意味ありげに反芻する。

 彼の存在はプロデューサー科の中で良くも悪くも噂になっているらしい。

 入学早々、計4名のアイドルをスカウトした異端児。

 元中等部No.1だった月村手毬をC評価にまで落としてしまった事実は、彼の学内での世評を著しく下げることとなった。

 だが、ミヤビは宿敵の敗因をそのプロデューサーの責任だとは考えていない。

 手毬がプロデューサーからスカウトを受けてわずか2週間程度。

 たったそれだけの期間に元エリートアイドルの体力管理をあそこまでお粗末なものにできたのなら、それは一周回って才能である。

 むしろ、彼女の不調はプロデューサーが関与する前からのものと考えるのが妥当だ。

 その原因としてまず先に思いつくのは『SyngUp!』の解散だろう。

 

“まあ、その是非はさておくとして……”

 

 ミヤビのプロデューサー曰く、異端児の手腕はむしろかなりの脅威と考えられる。

 そもそもの話、4名にスカウトを持ち掛けてその全員からオーケーをもらい、挙句同時プロデュースを認めさせるというのは容易なことではない。

 思春期の少女たちを相手にするのであれば尚のこと。

 

“実際、入学試験首席の花海咲季だけでなく、中等部時代に一切頭角を見せていなかった藤田ことねまでもがB評価を得ているわけですし……”

 

 単に優秀な生徒の実力にタダ乗りしようとして、それに失敗しただけのプロデューサーではない、というのは彼女らの試験結果が物語っている。

 特に半月足らずで成績を大きく伸ばした藤田ことねの成長には警戒が必要だ。

 試験での評価は一段劣るといえども、元より秀才として周囲からお墨付きを得ていたミヤビと同レベルの飛躍を彼女は短期間で遂げたことになる。

 おおよそ藤田ことねの隠し持っていたポテンシャルが発揮されてのことではあるが、それを的確に引き出したプロデューサーの力量も侮るわけにはいかない。

 閑話休題。

 ミヤビの例然り。ことねの例然り。

 プロデュース次第で化けるアイドルは多数存在する。

 花海佑芽がそれに類しないとは決して言い切れない。

 だが、いくら上振れを期待して思考したところで、それは目算ではなく希望的観測というのである。

 

「とにかく、今のあなたの実力ではプロデューサーがついたところで『H.I.F』なんて夢のまた夢です。

 大体、学内の催しとはいえ、あれは1年生の駆け出しアイドルが気軽に出場できるレベルの大会ではありません。あなたが目標にしている花海咲季だって、参加できるとは限りませんよ」

 

 戒めるように忠告するミヤビ。

 第一に、佑芽の中での“アイドル”は、初星学園内で広く認識されているソレと致命的にズレている。

 そうでなければ、補欠入学の新入生が大急ぎで成長して夏の『H.I.F』に出場する、なんて不遜な発言をするはずがないのである。

 もっとも、ミヤビはそれが彼女なりに自身の気持ちに素直になったからこそのものだと理解しているし、佑芽もまた、自身の不理解を十分に承知している。

 そのうえで────────

 

「ううん、お姉ちゃんはきっと『H.I.F』に出てくるよ。必ず優勝候補に並び立つ。だから、あたしも大急ぎで成長して、大会に出場できるようにならないと!」

 

 佑芽の意志はまるで揺るがない。

 目前に勝負事があるのであれば、すべて勝つつもりで挑むのが彼女のモットーだ。

 先日の中間試験もその例外ではない。

 分不相応なのは百も承知で、実際、やはり無惨な有様にこそ終わったが、それでも佑芽にとってあの結果は許しがたい敗北なのである。

 

「……いいアイドルになるでしょうね、あなた」

 

 ため息交じりに、見ようによっては呆れながらミヤビは所感を口にする。

 中等部のアイドルコースでも、学年上位の『SyngUp!』やミヤビに張り合おうとする生徒は何人もいた。

 いや、曲がりなりにもアイドルを志しているのだから、最初はきっと全員がその心づもりであったはずだ。

 しかし季節が巡るにつれて、その人数は目に見えて減少していった。

 高等部に進学する頃に、本気で月村手毬たちを追い抜こうと考えていた生徒が果たして何人残っていたことか。

 諦めて普通科を選択した生徒だって決して少なくはない。

 対して、花海佑芽は決して折れないのだろうとミヤビは予感した。

 これまでの人生において常に格上の姉と競い合ってきたように、数多の敗北を糧にして着実に成長を積み重ねていくはずだ、と。

 

“それも才能と呼べなくはないけど……”

 

 それは時間を度外視した場合の話だ。

 永久に走り続けることができればいずれはゴールに辿り着く、というのは道理ではあるが、辿り着く前にゴールが締め切られてしまっては元も子もない。

 うさぎとかめの寓話は有名だが、あれは()()()()()()()という前提でなかったからこそ成立した美談である。

 現実は油断も隙もないうさぎたちが群雄割拠しているし、彼女たちに先着を許してしまう以上は、後続のかめには良くてハズレくじ、最悪の場合は引けるくじすら残らない。

 そんな皮肉めいたニュアンスを含んだミヤビの言葉を、佑芽は素直に受け取ったのか。

 

「えへへ。ありがとね、ミヤビちゃん」

 

「別に褒めてな────いや、褒めてはいるかもしれませんが」

 

 ちなみに、ミヤビの推察には前提からして致命的な誤りがある。

 入学時の成績と初の試験結果から佑芽をかめと称したが、実際のところは単にスタートダッシュに失敗しただけのうさぎ側の人間ということだ。

 彼女のアスリートとしての経歴は聞き及んではいるものの、その歪な成長曲線を知らない以上、それは致し方のない誤解だろう。

 

「花海さぁ〜〜〜〜〜ん!」

 

 と、ふたりがそんな会話をしているところへ、教室の入り口の方から必死の救難信号が届く。

 何事かと振り向くと、声の主である倉本くらもと千奈ちなが蝸牛の全速力で駆け寄ってきたところだった。

 

「どうしたの? 千奈ちゃん」

 

「もうすぐ次の移動教室に向かい始める時間なのですが、既に篠澤しのさわさんと秦谷はたやさんの姿が見えないのです」

 

ひろちゃんと美鈴みすずちゃんが?」

 

 反問する佑芽に、千奈はこくこくと頷きを返す。

 篠澤広と秦谷美鈴といえば、確かに1年2組の授業不参加の常習犯である。

 もっとも、一方は体力不足によるやむなしの欠課であり、もう一方はただのサボりなのだが。

 千奈の言わんとする事態を察して、ミヤビは教室前方の時計を確認する。

 

「もうすぐって、昼休みならあと30分以上あるはずですけど?」

 

「ふっふっふ。花岡さん、あまり我々を見くびらないでいただきたいですわ。普通の人の徒歩5分は、我々にとって徒歩15分なのです!」

 

「いや、威張るように言われましても……」

 

 小柄な背中を精一杯に伸ばしながら、少女は自らの運動神経のなさを豪語する。

 引け目を一切感じさせない自信満々とした様子なのに、その内容は唖然としてしまうほどに情けない。

 倉本千奈。

 国内有数の大財閥『倉本グループ』当主の孫娘にして、入学試験ワーストワン。

 一時は財閥のコネで入学したという疑惑も浮上していたが、彼女の愛嬌と天真爛漫さを前にそのようなマイナスイメージはすっかり影を潜めてしまった。

 

「それなら、先に次の教室に移動しているんじゃありませんか?」

 

「篠澤さんはともかく、秦谷さんがちゃんと教室に向かっているところなんて、わたくし見たことがありませんわ」

 

「む」

 

 言われてみれば確かに、と納得するミヤビ。

 高等部に進学してからというもの、秦谷美鈴のサボり癖はあまりに有名である。

 授業やレッスンに現れないのは当然のことながら、極めつけはやはり、入学式をすっぽかしたことだろう。

 直後のHRの時間になるや否や、何食わぬ顔で教室に現れたのは記憶に新しい。

 故意にせよ不本意にせよ、秦谷美鈴がひとりで移動教室に向かうことはない、というのは1年2組の共通認識である。

 同行する相方がいるならまだしも、その候補が篠澤広であるというのも頼りない。

 仮に彼女たちが先行して移動教室に辿り着けているのなら、明日は大雨────いや、今夜にでも槍が降るはずだ。

 

「ですから花海さん、おふたりを匂いで探し出してもらうことはできますでしょうか?」

 

「……ん?」

 

 なんだかとんでもない懇願を耳にした気がして声が出る。

 思わず耳を疑いたくなるような疑問文だったが、温室育ちの世間知らず故か、千奈は稀に本気でそういうことを口にしてしまうというのがミヤビの認識であった。

 

「倉本千奈、運動神経と嗅覚は別物ですよ? そもそも、嗅覚で人を探し出すなんて人間技じゃ……」

 

「いえ! 花海さんはその方法で何度も秦谷さんの居場所を特定しているのです!」

 

「は? え、そんな馬鹿な……?」

 

 冗談でしょ? と確かめるように佑芽へ振り返るミヤビ。

 当の佑芽は千奈の申し出に驚く素振りもなく、既にクンクンと鼻に意識を集中させて、周囲の匂いを探っている。

 どうやらこれは、彼女たちの間では日常的に行われている奇行らしい。

 

「むむ、こっちの方から美鈴ちゃんの匂いがする」

 

 鼻先をアンテナのように突き出したまま、佑芽はゆっくりと匂いのするであろう方向へ歩き出す。

 対象者の気配がよほど希薄なのか。足取りは彼女にしては慎重なものだった。

 そんな彼女の動き出しを見た千奈とミヤビはちら、と顔を見合わせた後、おずおずと佑芽の後ろをついていくことにした。

 

 

 

 

 

────────────────────────────────

 

 

 

 晴天であれば、陽の当たる温かな空間に惹かれていくのが美鈴の習性なのだが、本日の天気はあいにくの雨である。

 追跡がやや難航しているのは、そんなここ2週間分の含蓄が活かせないというのもあるが、何よりこの雨が花海佑芽の嗅覚センサーの苦手とする天候であるというのが大きい。

 

 鼻でモノを探るというのは、つまるところ空気中に漂う匂いの濃淡を辿る作業に他ならない。

 発生源に近づけば匂いは色濃く、遠ざかれば薄れていく、そのわずかな差異を嗅ぎ分けられるからこそ、佑芽は標的の方向を迷いなく選び取ることができる。

 この繊細な作業において、降雨は確かな天敵と言っていい。

 降り注ぐ雨粒があらゆる香りを薄めていくばかりか、濡れた土や草木の芳香までもが一斉に立ち上ってくるとなれば、あたり一帯はさながら匂いの海と化す。

 校舎内に限定するのであればそれも幾分かマシではあるが、とはいえ濡れた傘、レインコート、そして校舎の外から持ち込まれた無数の匂いが、窓を閉め切った廊下に行き場もなく吹き溜まっているのは変わらない。

 いくら鋭敏な嗅覚を持っていようと、頼みの綱であるはずの濃淡差そのものが均されてしまっては、方角の絞りようがないのである。

 

「とても生物学的に同じ生き物の悩みとは思えませんね」

 

「……ですわね」

 

 道中、そんな不満を聞き届けて、ぽつりと呟くミヤビと千奈。

 実際のところ佑芽の説明はもう少し感覚的で大雑把なものだったのだが、それでも彼女の異常性を再評価するには十分だった。

 まったく、人間離れの見本市にも程がある。

 感心を通り越してふたりが呆れ果ててしまうのも無理からぬことだ。

 余談ではあるが、そんな常軌を逸した事情に関わらず、佑芽は雨をあまり好ましく思っていない。

 外での運動ができなくなるし、最愛の姉である咲季とのおでかけすら中止にしてしまうからである。

 

「それにしても、篠澤さんも秦谷さんも、一体どこに行ってしまわれたのでしょう?」

 

「さあ……次の教室でないことは確かだけど」

 

 探索はすでに該当の教室とは正反対の方角へ進んでいる。

 主に文化部の活動拠点や特別教室が並ぶこのエリアには、おおよそ部活動に参加していないアイドル科の生徒は用がないはずなのだが。

 何事にも例外は存在する。

 この場にいる千奈や絶賛追跡中の美鈴、そしてちょうど廊下の先に位置する生徒会室から出てきた()()はその筆頭であろう。

 

「あら千奈。こんなところで奇遇ね」

 

「せ、星南お姉さま! どうしてここに?」

 

「生徒会室に少し用事があったのよ。たった今済ませてしまったところなのだけれどね」

 

 3人組の中に顔馴染みを見つけて、彼女は声をかける。

 スラリと伸びる脚と女性らしい柔らかな曲線。完成されすぎた、どこか造形物めいた美しさ。

 頭髪は気品のあるブロンドに赤いメッシュとグラデーションのアクセントが目を惹く。

 大人びた雰囲気を醸し出すグレーのシャツに特徴的な白のベストをまとった風貌は、初星学園の人間であれば、誰もが一番星プリマステラ・十王星南その人であると知っていた。

 

「千奈ちゃんの、知り合い……?」

 

 ただひとり、補欠入学の劣等生を除いて。

 

「どうして知らないんですか! 十王星南といえば生徒会長にして初星学園のトップ、現役の『一番星プリマステラ』ですよ! 入学式でも登壇して挨拶を────」

 

 していたでしょ、と言いかけてミヤビはハッと思い出す。

 そういえば、彼女は美鈴と同じく入学式をすっぽかした生徒の一人であった。

 ミヤビはその事情に納得しつつ、それでもあれだけ『H.I.F』に出場したいと言っておきながら最終目標である彼女を知らないのはどういう了見か、と再び眉を顰める。

 初星学園のアイドルで十王星南を知らないなんて、モグリもいいところだ。

 

「あなたは花岡ミヤビさんね、ごきげんよう」

 

 やがて、千奈に向けられていた高貴な視線がミヤビを捉える。

 倉本の令嬢たる千奈の気品も大概ではあるが、彼女の優雅さには凛とした力強さがあった。

 決して威圧しているわけではないのに、つい圧倒されて背筋をピンと伸ばしたくなってしまうような。

 

「は、はじめまして、十王星南会長。わたしミヤビのこと、ご存知なんですね?」

 

「全校生徒の名前と成績はできるだけ把握するようにしているの。特に進学してからのあなたの活躍には目を見張るものがあるわ。プロデューサーがついて大きく成長しているようね」

 

「『一番星プリマステラ』に目をかけていただけるなんて、光栄です」

 

「ふふ。プロデューサーがいなければ是非あなたもスカウトしたいところだったのだけれど、仕方ないわね」

 

「それって、どういう……?」

 

 問い返すミヤビを止めるように、星南が首を横に振る。

 つい口から零れ出てしまった独白に関して、彼女はこれ以上話を拡げるつもりがないらしい。

 

「いいえ、気にしないで頂戴。ミヤビ、今後もその調子で励みなさい。あなたの活躍に期待しているわ!」

 

 なので、お祈りメールのような一言を添えて星南は話を打ち切る。

 アイドル・十王星南を心から尊敬する彼女としては残念なことこの上ないのだが、そもそも一個人として会話ができただけでも十分ラッキーだろうと自分を諭して、ミヤビはこれを呑むことにした。

 

「そして、あなたは…………」

 

 次第に、星南の視線がミヤビの隣へと向けられる。

 今の今まで十王星南を知らなかった無垢な少女は、その肩書きを聞き及んでか、キラキラと好奇の目を輝かせていた。

 

「──────────」

 

 視線がぶつかった瞬間、つい息を呑んでしまったのははたしてどちらだったか。

 星南は、視界に映る少女を認めて思わず眉を顰めた。

 彼女を()()途端、まるでこの世のものではないモノを見つけたときのような畏怖を抱き、知らず警戒したためである。

 しかし、その恐怖は徐々に彼女の内側へ溶けていく。

 元より掴みどころのない、正体不明の異物感に端を発した印象だ。こうして真っ向から対峙しておきながら、最初のカタチを保ち続ける方が難しい。

 しばらくすると、いつの間にか星南が佑芽に向ける感情は恐怖から好奇心に置き換わっていた。

 一方、佑芽は目前の人物に見惚れていた。

 いまだアイドルというものを理解しきれていない彼女には、そのときの心情を咀嚼することは難しい。

 ただひとつ言い表せることがあるとすれば、この感覚はどこか、敬愛する花海咲季に対して抱くものに似ている気がした。

 

「……ごめんなさい、名前を聞いてもいいかしら?」

 

 発話を忘れていた自分を戒めるように取り繕って、星南が尋ねる。

 対する佑芽もそれでようやくハッと我を取り戻したのか、一番星の気品とは縁遠い溌溂とした調子を携えて。

 

「はい! 1年2組、花海佑芽っていいます! はじめまして、十王星南先輩!」

 

「花海……? あなた、花海咲季さんの……」

 

「妹ですっ!」

 

 誇らしげに答える佑芽。

 初々しい新入生に似つかわしい、曇りのないフレッシュな笑顔。

 仮に現時点でプロデューサー科にアピールできる実績が何かあったとして、それでもなお、彼女が最も自慢できる事柄は花海咲季の妹に生まれたことなのである。

 

「────そう。花海佑芽さん、さっきも言ったけど私は全校生徒の名前を把握するようにしているの。今年の新入生の名簿にも、入学式前に目を通したわ」

 

「すごい……プロデューサーさんみたい!」

 

「なのに、あなたの名前は記憶にない。どうしてかしら?」

 

 目を輝かせながら感心する佑芽に対して、真剣な眼差しで問いかける星南。

 依然、自身の感情に整理がつけられていない影響か、一番星は不覚にも笑顔を忘れていた。

 しかし獲物を見据えた百獣の王のような静かな瞳を前にして、佑芽が臆することはなく、むしろ堪えられないと言わんばかりの不敵な笑みを溢れさせて、

 

「この間、まったく同じことを聞かれたばかりです。

 ふっふっふ! それはですねぇ〜〜。あたし、ギリギリの補欠入学だったので! 学生名簿に記載されるのが遅れたからなんです!」

 

 意気揚々と、そんな愚にもつかない返答を口にしたのである。

 

「そ、そうなの……う〜ん」

 

 なぜか自信満々な佑芽の様子に、尚のこと星南は頭を抱える。

 学生アイドルの優等生である彼女の知るところでは、補欠入学というのはこんなにも自信たっぷりに誇れるものではない。

 自身の成績不振を受け入れ、かつ割り切って考えている点は、千奈にも通ずるところではあるが。

 

「………………………………」

 

 困惑をそのままに、星南はしばし押し黙る。

 初星学園に入ってからというもの、その目で幾人もの原石を見極めてきたはずなのに、今日ばかりはその物差しがどうにも頼りない。

 あくまでも入学試験時点での話ではあるが、彼女の祖父・十王邦夫が一度不合格にしたという事実は、著しくマイナスポイントと言わざるを得ないはずだ。

 彼のアイドルを視る目は、星南のソレよりも遥かに精度が良いからである。

 しかし、星南はその慧眼を初めて疑った。

 確証は手に入っていない。彼女の目は今なお佑芽の才覚を測り兼ねている。

 それでも、目の前の少女は間違いなくトップアイドルの原石なのではないか、と。

 論理と直感が鬩ぎあった結果、思考だけが同じ場所をぐるぐると巡り続ける。

 その沈黙がどれほど続いたのか、当の星南自身にも判然としなかった。

 佑芽は佑芽で、意味ありげに見つめ合う────もとい、睨まれているこの状況を何とも思っていないのか。

 ぎこちなさを覚える様子もなく、誇らしげな笑みを浮かべたまま星南の反応を待っている。

 彼女たちふたりだけについて考えるなら、その静寂は完成されていたと言っていいだろう。

 ただし、ふたりの問答の間、背景と化していた千奈とミヤビにおいてはその限りではない。

 

「ところで星南お姉さま、秦谷さんを見かけてはいないでしょうか?」

 

「美鈴?」

 

 やがて、気まずい沈黙を見兼ねるように、困り果てた千奈の声が割って入る。

 それは居心地の悪さを嫌っての急場しのぎというよりは、単に言い出すタイミングを伺っていただけの話題。

 千奈にとってはただ目下の問題を吐露しただけの、それ以上に意味を持たぬ投げかけではあったが、迷宮入りした星南の思考を引きずり出すには十分な嘆きであった。

 

「……いいえ、見ていないわ。彼女がどうかしたの?」

 

「一緒に移動教室に向かおうと思っているのですが、姿が見当たらないのです。こっちの方に来ているとは思うのですが」

 

「……ふふ、なるほど」

 

 思わず柔らかな笑みをこぼす星南。

 友達と一緒に移動教室に向かいたいという動機が実に千奈らしく、和やかな気持ちになってのことである。

 もっとも、当然のことながらこれは彼女の勘違い。

 千奈が必死になって美鈴を探すのは────もちろん友達というのも理由の一つではあるが────実際のところ、彼女の酷いサボり癖に大きく由来している。

 しかしながら、星南がこの苦難を知るのは、1年次の生徒会活動が始まる5月の話。

 それまでは星南にとって、美鈴は元『SyngUp!』のメンバーの中で最も素行が良く、真面目で勤勉な生徒なのだ。

 

「それなら少しお邪魔をしてしまったわね」

 

「いいえ、いいえ! 決してそのようなことは!」

 

「気にしなくていいわ。休み時間は限られているもの。急いで探してあげなさい」

 

「……わかりました。お言葉に甘えさせていただきますわ!」

 

 星南の厚意を受け取って、ぺこり、と頭を下げる千奈。

 ミヤビと佑芽も倣うようにそれぞれ感謝を述べてその場を立ち去ろうとする。

 

「花海佑芽さん」

 

「はい?」

 

 その背中を、不意に星南が引き留めた。

 佑芽の不確かな才能について、確証がないなりに、何か後押しになるような言葉がほしい、と切に願って。

 

「何度も呼び止めてごめんなさいね。ひとつだけ質問させて頂戴。あなたがアイドルを目指した理由は────この学園に入学した理由は何かしら?」

 

 さながら、二次面接でも行うかの如き質問。

 アイドルとしての原点を問う、単純かつ明快な確認作業。

 これが試験であるならば、入学試験のとき一次面接と乖離した回答をすることはタブーとされている。

 とはいえ、星南はかつて佑芽が学園長に対して行った返答を知らない。

 この場できわめて一貫性を欠く答えが返ってきたとしても、彼女にはそれを確かめる由がないのだ。

 だが、そんな懸念は実に野暮である。

 少女は星南の問いに一切戸惑う素振りを見せず、思考する間すら待たず、あっさりと寸分違わぬ同じ言葉を口にした。

 

「……勝ちたい人が、いるんです」

 

「────お姉さん?」

 

「はいッ!」

 

「それは……とても、いい目標ね」

 

 それはあまりに真っ白で、清々しいほどに簡潔な回答だった。

 面接の応答としてはどうかと思う短さだが、こうして世間話の体で聞く分には下手な理屈よりも強く心に響く。

 第一、自身の行動原理を10文字余りに集約できてしまう人間なんて稀である。

 真にそこまで単純化できたのなら、確かにこれだけ真っ直ぐな少女ができあがってしまうのだろう、と星南は感心した。

 

「ありがとう、十分に背を押してもらったわ。美鈴、見つかるといいわね」

 

 それ以上、言葉を重ねる必要はなかったらしい。

 星南は佑芽の答えを確かめるように頷くと、名残を惜しむでもなく踵を返して千奈たちの歩いてきた方へと帰っていく。

 その背中に一礼して、佑芽は少し先で待つふたりのもとへ小走りに戻った。

 窓の外では、相変わらず糸のような雨がしきりに降り注いでいる。

 濡れた廊下に跳ねる足音は、そんな雨音たちに紛れてもなお弾んで聞こえた。

 鬱屈とした空模様は少しも変わっていないというのに、当人の足取りだけはすっかり軽くなっているのだから現金なものだ。

 佑芽は一番星プリマステラのオーラに触発されてか、見るからにテンションが上がっている。

 

「あれが学園で一番のアイドル……かっこよかったなぁ。千奈ちゃんはあの人とどういう関係なの?」

 

「星南お姉さまのお爺様────十王学園長とわたくしのお爺様が昔馴染みなのです。その関係で幼い頃から親しくさせていただいておりますの。それに、先日は生徒会に勧誘スカウトしていただきましたわ」

 

「ええ! 千奈ちゃん、生徒会に入るの?」

 

「はい! 憧れの星南お姉さまと仕事ができる絶好の機会ですもの! ちなみに生徒会には、秦谷さんも勧誘されたと聞きましたわ」

 

「美鈴ちゃんも? へぇー、いいなぁ」

 

 歩を進めながら、羨ましい、と幼子のようにはしゃぐ佑芽。

 反射的に羨望を口にしてはいるが、当然、彼女は初星学園の生徒会がどのようなものかを知らない。

 友人ふたりが誘われているので、なんとなく良さそうだと思った程度のいい加減な感想である。

 

“なるほど。スカウトってそういう……”

 

 その傍ら、ミヤビはひとり静かに得心していた。

 星南が独り言のように口にした言葉がずっと気がかりだったのだが、あれはそういう意味だったのか、と安堵したのも束の間。

 

“けど、プロデューサーがついているとどうして生徒会に誘えないのでしょう?”

 

 こうして、ますます疑問は増えていくばかり。

 千奈と佑芽の和気あいあいとしたやり取りを後目にじっくりと考えてみるも、ついに答えには辿り着けなかった。

 それもそのはず、そもそもこの問いは前提条件スタート地点からして間違っている。

 星南のいうスカウトは、最初にミヤビが想像した通り、プロデューサーとして面倒を見るという意味なのだ。

 だが、実際にスカウトを受けた千奈ですらその事実に気づいていないのだから、第三者であるミヤビが真相を知る由はない。

 

「む」

 

 途端、佑芽の足が止まる。

 時間にして10分弱。朧げな手掛かりで追跡を続けてきた彼女の嗅覚は、ここにきて明確に美鈴と広の匂いを嗅ぎ取ったのである。

 

「ここだぁ!」

 

 確証に導かれるようにして、勢いよく教室の扉を開ける。

 そんな佑芽を迎え入れたのは、やはり、予想通りの光景であった。

 

 彼女が突撃したのは生徒会の第二資料室。

 数多の資料を積み重ねることに特化した教室は、利便性や快適性というものを考慮していないのか。

 窓際を除いた三方向は、見事に背の高い資料棚で埋め尽くされていた。

 勉強嫌いの佑芽にとっては、ぎちぎちに身を寄せ合う書類たちに囲まれたこの空間は窮屈なことこの上ない。

 教室中央に申し訳程度に用意された長机にまで資料が積み上げられていたなら、彼女はきっと卒倒していたことだろう。

 そんな、この教室唯一の人間味に身を委ねる少女がふたり。

 

「……………………」

 

 すぅ、すぅ、と安らかな寝息。

 生気を欠いたような淡いベージュ色の長髪の少女はその細い体を長机に預けている。

 頼りなく天板にしなだれる様子は、温かな雰囲気なのにどこか永遠の眠りすら感じさせた。

 その向かいでは、透明感のある深い青紫色の髪をした少女がパイプ椅子に寄りかかるようにして沈黙している。

 少女の手前には開きかけの小さな紙包みがぽつりと乗っていた。

 おそらく彼女自身が用意したであろうお菓子は、そのほとんどが手付かずのまま、持ち主の方が先に眠りに落ちてしまったらしい。

 その状態から察するに、一体どれくらいの時間ここで寝入っていたのか。

 窓を鈍色に染める雨の気配と喧騒を掻き消すような音、そして資料室の独特の閉じられた空気感は広と美鈴の安眠を守っていた。

 

「もう……! おふたりとも、こんなところで居眠りだなんて」

 

 その光景を見つけて、安堵と呆れが綯い交ぜになった声で、千奈が小さく叱責する。

 広と美鈴を叩き起こすほどの大声にはならないあたりは、普段の彼女の優しさの顕れだろう。

 一方、ミヤビは毒気を抜かれたような顔でただ立ち尽くしていた。

 佑芽の嗅覚が並外れているというのは十分に理解したつもりだった。

 だが、それだけを頼りにふたりの居場所を特定できるかどうかは、正直なところ半信半疑だったのだ。

 

「本当に、匂いだけで探し当てるなんて……」

 

 そんな高を括った考えも、このような成果を突き付けられては撤回せざるを得ない。

 脱帽するかの如く呟くミヤビの声には、もはや疑いの色は欠片も残っていなかった。

 

「えへへ、凄いでしょ?」

 

 得意げに笑う佑芽の顔は、大手柄を立てたように誇らしげだ。

 ただ、そんな彼女の溢れ出る活気は資料室を覆っていた眠れる魔力とは不釣り合いだったのか。

 ふと規則正しかった広の寝息が小さく途切れて。

 

「……見つかった?」

 

 無気力に伏していた死に体がゆっくりと起き上がる。

 寝起きの少女の肉体には、それ以上の運動はまだ難しい。

 それでも頭の方はしっかりと意識を取り戻しているのか。広は瞬時にしてこの状況を察したようだ。

 

「うん! 広ちゃん確保!」

 

「ふふ、確保された」

 

 飛び掛かる佑芽を受け止め、否、一方的に抑圧されておきながら、広は幸福そうに笑みを浮かべる。

 目前でこれだけ騒がしくしても、サボり魔の少女が眠りの国から帰ってくる様子はない。

 

「秦谷さんも! 起きてくださいませぇ!」

 

 ゆさゆさと美鈴の肩を揺する千奈。

 運動音痴の非力さ故か。やっぱり根っこからの優しさが災いしているのか。

 彼女の揺撼はむしろ揺りかごのソレのようで心地がよさそうだ。

 とはいえ、他人の敵意や悪意ならまだしも、善意までは無視しきれないのが秦谷美鈴の性である。

 この世の善性を鏡に映したような令和の現人神の呼びかけに目を覚まさないほど彼女も不心得者ではない。

 

「まあ、おはようございます。倉本さん」

 

 瞼を開けて、美鈴は穏やかな面持ちのまま千奈を見上げる。

 刹那、千奈は思わずその表情に恍惚とした。

 まるで夢を見ているのはこちらなのではないかと錯覚するほどの美しい魔性。

 何事にも動じない落ち着いた佇まいは、千奈や星南とはまた違った気品を感じさせる。

 人形のような彼女の可憐さを見て、果たして誰が不良少女と見破れようか。

 

「おはようございます、秦谷さん────ではなくて! おふたりとも、どうしてこんなところで寝ているんですの?」

 

 あわや緩みかけていた頬を引き締め直して、千奈はふたりを糾弾する。

 致命的に常識人が足りていない1年2組において、こういう役回りは彼女が担うことが多い。

 

「わたしは美鈴が教室からふらふらと出ていくのが見えたからついてきた。気付いたら一緒に寝ることになってた。ふふ、美鈴は人を寝かしつける達人かもしれない」

 

「篠澤さんはいつも無理をしていますから、こうして、ついお世話したくなってしまうんです」

 

 対して、呑気な返答を口にする不良生徒ら2名。

 広の回答はまだそれらしい理屈を携えようとしているが、美鈴に至っては答えにすらなっていない。

 が、彼女のペースに合わせていては話が一向に進まないというのは、ここ2週間で十分に学習したことである。

 なので、千奈は気にせず次の質問を投げかけることにした。

 

「お休みするのはいいですが、あのままでは次の授業に遅れるところでしたわよ? そもそも、おふたりはどうやってこの教室に?」

 

 入ったのか、と問いかける。

 資料を保管する役割がある以上、資料室には当然鍵がついている。

 普段は施錠されているこの教室に入ることができたということは、何者かが鍵を開けたことになるのだが。

 

「美鈴が鍵を持ってた」

 

「職員室で『次期生徒会役員になったので、少し資料室を使わせてほしい』とお伝えしたら、快く貸していただけました」

 

 犯人は悪びれる様子もなく、堂々と罪状を告白した。

 美鈴の言い回しは実に巧妙だ。文面だけを見れば勤勉な印象だし、何より決して嘘は言っていないあたりが特に。

 そうして「職権乱用ですわぁーっ!」と叫ぶ千奈のツッコミにも怯むことなく、不良少女は悠々と言葉を紡いでいく。

 

「昔から思っていたんです。学校の中に自分だけのプライベートスペースがあったらいいなぁ、と。

 この教室はとてもいいですよ。他の生徒が使うことは滅多にないとのことですし、無数の資料に囲まれる閉塞感や窓を叩く雨音の響き方も絶妙で、まどろむのに最適な空間です」

 

 嗚呼、なんと素敵なことでしょう、といつになく愉悦に浸る美鈴。

 野望の達成を雄弁に語る少女の姿はとても露悪的で、他4名は恐怖を通り越して呆れ果てていた。

 

「倉本千奈、この子を生徒会に入れて本当に大丈夫なんですか?」

 

「わ、わたくしに言われても……星南お姉さまには、きっと何か考えがあるはずですわ!」

 

「そうだといいけれど……」

 

 眠れる魔女の蛮行っぷりを見兼ねて、ミヤビは千奈に耳打つ。

 彼女の懸念している通り、そんなものは微塵もない。

 なまじ外見と人当たりは良い分、美鈴の本性を把握できているのは彼女の旧友と1年2組の面々に限られている。

 もっとも、中等部の頃と違って明確な不良行為が目立ってきているので、彼女の正体が学園中に知れ渡るのも時間の問題ではあるのだが。

 

「それにしても、花海さんの嗅覚は難敵ですね。この教室ならバレないのでは、と思っていたのですが」

 

「美鈴ちゃんの匂いは特徴的だからね。学園の中ならどこでも見つけ出せる気がするよ」

 

「美鈴、やっぱりおふろ入ってない?」

 

「は、入っています!!」

 

 美鈴が珍しく狼狽する。

 普段は他人の言葉を飄々と躱す彼女だが、そういうところを気にするのは実に年相応の少女らしい可愛げだ。

 ただし、『この教室ならバレない』という言い分からして、最初から授業をサボる気満々だったのが垣間見えたのは、やはり玉に瑕である。

 

「とにかく! 秦谷さん、生徒会の教室を私物化しないでくださいませ。きっと星南お姉さまや先生方にも怒られてしまいますわ」

 

「まあ、その程度でしたらわたしは気になりませんよ?」

 

「気にしてくださいませぇーっ!?」

 

 むっと頬を膨らませながら涙目に絶叫する千奈。

 まったく、穏やかな笑みさえ浮かべていればどんな傲慢も罷り通ると思うのはやめてほしい。

 いや、この場合、罷り通るとまでは考えていないのだろう。

 先生らに目をつけられてしまった暁には、流石にこの教室の鍵を借り出すことは難しくなる。

 その程度の目利きを見誤るほど彼女は不良初心者ではない。

 つまるところ美鈴の返答は、ここまで迷惑をかけた千奈にはせめて本心を打ち明けておこう、というある種の誠意によるものなのである。

 

「ふふ、冗談ですよ。倉本さんにそこまでお願いされては、無碍にするわけにもいきません。この教室()諦めることにします」

 

「おわかりいただけたようで何よりですわ…………少し含みがあるように聞こえたのは気のせいでしょうか?」

 

「ええ、気のせいです」

 

「あ、頭を撫でないでくださいませ!」

 

 またしても可憐な笑顔で茶を濁しながら、美鈴は手を伸ばして千奈の頭を撫でる。

 実のところ、彼女のこのつい愛でたくなる無垢な愛嬌こそ秦谷美鈴の弱点であることを、1年2組のアイドルたちは未だ知らない。

 

「ところで、千奈。そろそろ昼休みが終わる時間だと思うけど、いいの?」

 

「あ」

 

 広の一声で、とっさに資料室内の時計を探す千奈。

 正確性はさておいて、出入り口の扉上に設置されている掛け時計は授業10分前を指し示していた。

 次の移動教室は1年2組の教室を挟んで反対側に位置している。

 概算ではあるが、一般生徒が早歩きで向かってギリギリ間に合うか否かといった距離だろう。

 

「み、みなさん急ぎましょう!? このままでは全員遅刻になってしまいますわぁ!」

 

 慌てて檄を飛ばすや否や、ばっと教室を飛び出す千奈。

 廊下を走るか。授業に遅刻するか。

 どちらにしても不良行為に変わりはないので、焦る頭で至急思考を巡らせた結果、彼女は前者を取ることにしたらしい。

 

「あらあら……走るのは、あまり好きではないのですが。仕方がありませんね」

 

 一体全体誰のせいだと思っているのか。

 美鈴は相変わらず笑みを浮かべたまま、マイペースにあくびを噛み殺す。

 それでも彼女が少し歩を早める気になったあたり、千奈の説教がわずかながらにでも効いたのかもしれない。そう願いたい。

 

「佑芽、佑芽。すでに足裏から危険信号を感じる。もしものときは……よろしく、ね」

 

「も〜、またあたしのことを乗り物みたいに言う。今回は特別だからね」

 

 軽口を交わしながら、広と佑芽もそれに続くように走り出す。

 そんな騒がしい面々を眺めながら、ミヤビはひとり小さく嘆息した。

 1年2組というクラスは、つくづく変わり者の吹き溜まりである。

 しかしながら、佑芽個人に対してそう感じたように、彼女たちのような曲者こそプロデュース次第で化けてしまえるのだろう、と予感する。

 だとすると、決して侮ることはできない。

 常に勝者であり続けることは、ミヤビが自身に課した宿命なのである。

 そんな埒もない感傷を抱きながら、彼女は4人分の足音に負けじと廊下へ走り出す。

 気が付けば、あんなにも執拗だった雨音はもういない。

 窓から覗く鈍色の空模様は少しずつ陽の光を取り戻し、少女たちを照らし始めていた。

 

 余談ではあるが、この後千奈と広の二人を両脇に抱えながら登場した花海佑芽の姿は、1年2組の間で語り継がれる伝説となったのだとか何とか。

 

 

 

08 劣等星




大変お待たせしております。
今回は1年2組+αのアイドルたちのお話でした。
序盤は登場頻度が少なめの想定なのでここいらで顔出しさせておこうという思惑があったりなかったり。
次回は学マスPの担当アイドル(?)のお話に戻る予定です。

現状あまり大きな山場は描けていないかと思いますが、もし本作を気に入っていただけた場合は、評価や感想、お気に入り登録していただけますと大変励みになります。
また誤字・脱字であったり、設定・アイドルの解釈に不備がある場合もご指摘していただけますと幸いです。
筆者自身の解釈もあるため、すべてのご意見を反映できるわけではありませんが、より多くの方が楽しんでいただけるような作品作りができればと思います。
何卒、よろしくお願いいたします。
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