学園アイドルマスター ASTERISM   作:縞E7

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09 采配

 プロデューサーは超人であれ。なんでもできる魔法使いであれ。

 初星学園プロデューサー科に入学してまず最初にそう教わる彼らも、もとを正せばただの大学生である。

 学科の特性上、何年か浪人してから入学した学生や、既に現役で活動しているプロデューサーが籍を置くこともあるため、学生の全員が年相応というわけではないが。

 それでもチャイムが鳴り、長時間にわたる授業が終わったとなれば、自然と緊張が解けて人間らしい一面が垣間見えるというものである。

 近頃担当アイドルたちから『プロデュースマシン』という身も蓋もない印象を持たれつつある彼も、その例外ではない。

 4限の講義が無事終了したのを見届けると、プロデューサーはふぅ、と深く息をつき、続けてグググと腕を伸ばす。

 脱力して振り下ろした右腕に携えた時計によれば、時刻は16時半を回ったところ。時間割通りなら、高等部は1時間以上前に放課後に入っているはずだ。

 

“……いけない。こんなことで気を緩めているようじゃ、まだまだだ”

 

 そんな事実を再確認して、彼は喝を入れ直す。

 10秒ほど本日の疲労を噛みしめたプロデューサーは、その人間味を惜しむこともなく、次の10秒後には荷物をまとめて席を立っていた。

 

 依然自席で談笑している他の学生たちに軽い挨拶だけして、プロデューサーは教室を後にする。

 一足先にプロデューサー科の時間割の拘束を逃れた青年は、一目散に担当アイドルたちのいるボーカルレッスン室へと足を向けた。

 プロデューサーが遅れることはわかりきっていたので、彼女たちには事務所に集合するのではなく、先にレッスンを開始するように伝えているのである。

 

「姫崎さん、お疲れ様です」

 

「あ、プロデューサーくん! お疲れ様だよ」

 

「生徒会の方はもう大丈夫なんですか?」

 

「うん。今後のイベントの関係で少し書類をまとめる必要があっただけだから」

 

 道中、ちょうどレッスン室に向かおうとしている莉波と合流する。

 今日は生徒会の作業があるとのことだったが、その用事は済ませてしまったらしい。

 

「プロデューサーくんの方は、今授業が終わったところ?」

 

「はい。今日は4限まで講義があったので」

 

「それでこの時間……そっか、プロデューサー科って授業の時間が90分なんだっけ」

 

 大変そうだね、と心からプロデューサーを労わる莉波。

 単位制という点はアイドル科にも共通するところではあるが、今の授業時間から1回30分近く延長されるというのは、彼女たちには想像も及ばぬ過酷さだろう。

 まして、その後にはプロデューサーとしての仕事が待っているというのだから、呑気にモラトリアムを満喫する暇もないはずである。

 

「大変なのかもしれませんが、楽しくもありますよ。日々プロデューサーとしての成長を実感できるのは、とてもやりがいがありますし」

 

 だが、当のプロデューサーはそんな生活をさして苦には思っていない。

 肉体面で言えば、たしかに毎日人並みの疲労が蓄積されつつあるのだが、アイドル4名をプロデュースするのであれば致し方ない────それどころか安いモノだと、彼はこれを割り切っている。

 そして、精神面はむしろ絶好調である。

 担当アイドルたちにとっての理想のプロデューサーを目指す彼にとって、プロデューサー科での講義は実に有意義な時間だ。

 実際のプロデュース業務との兼ね合いはやや難しいところがあるが、それでも敢えて不満を溢すようなことは何もない、というのが早2週間あまりの学生生活を経たプロデューサーの所感である。

 

「本当に、きみらしいなぁ」

 

 気付かれない程度に莉波は小さく笑う。

 互いに見違えてしまうほど成長したものの、生き生きと語る彼の横顔は今も尚あの夏の純朴さを残している。

 些細なことだが、彼女にはそれが無性に嬉しく思えてしまったのだ。

 

「レッスン室に着いたら着替える前にミーティングをしてしまいましょうか」

 

「うん、わかった。あまり待たせちゃったら申し訳ないもんね」

 

 そんな言葉を交わしながら、ふたりは特別教室棟に到着する。

 ここまで来れば、1年生組の待つ目的の教室までそう時間はかからない。

 それを認めて、莉波は少しだけ名残惜しそうに顔を俯かせた。

 もっとも、一体何を惜しんでしまったのか。その答えについては、彼女自身にもついぞわからないまま。

 

「咲季ィィィィ〜〜〜〜!! 今日という今日は許さないィィ〜〜!!」

 

「────────!?」

 

 途端、建物の奥から事件性を疑う叫び声を聞く。

 それは高い防音性能を謳うボーカルレッスン室をして、白旗を上げさせる怒号であった。

 顔を見合わせるように隣へ振り返る莉波と、すでに呆れるように額を押さえているプロデューサー。

 どちらにせよ放置するべきではないと判断したふたりは、すぐさま現場へと急行した。

 

「どうかしましたか? 月村さん」

 

 教室に入るなり、プロデューサーは叫喚の発生源へと声を投げかける。

 部屋の中では予想通り、手毬が咲季を問い詰めている状況であった。

 対する咲季は、彼女の訴えが不当だと言わんばかりに強硬な姿勢を示している。

 頭に血が上っているせいか。どうにも彼の呼びかけはふたりに届いていない。

 代わりに、その諍いを傍から眺めていたことねがこれに反応して。

 

「あ、プロデューサー! 莉波先輩! お疲れ様でぇす」

 

「お疲れ様、ことねちゃん。それで……この状況は一体?」

 

「あー、えっと、それはですねぇ……」

 

 莉波の問いかけに言葉を詰まらせる。

 見るからに渋い表情と曖昧模糊な態度は、ことねが双方の被害者であることを告げていた。

 やがて、プロデューサーと莉波の登場にようやく気が付いた手毬が必死の形相で駆け寄ってくる。

 

「プロデューサー! 姫崎先輩! 聞いてくださいっ!!」

 

 憤慨しながら、真に迫った様子で語りかける手毬。

 涙すら浮かべそうな有様は、もはや告発の形式を借りたSOSである。

 

「な、なにがあったの? 手毬ちゃん」

 

「私、咲季に作ってもらったお弁当を食べてるんですけど…………今とんでもない食材が使われてることが発覚したんです」

 

「とんでもない、食材って?」

 

「……ヘビです」

 

「ヘ、ヘビ!?」

 

 驚きのあまり飛び跳ねるようにリアクションする莉波。

 耳にした奇妙な音を聞き返しながら、慌てて頭の中で同音異義語を検索する。

 

 【ヘビ】

  ① 爬虫綱有鱗目ヘビ亜目の爬虫類の総称。蛇。

  ② 蛇に似た、細長くくねったもの。

  ③ 狡猾で執念深い人などを、蛇にたとえていう語。

  ④ 神話・伝承などにおいて、蛇の姿をとる神や怪物。くちなわ。ながむし。かがち。

 

 この場合、②〜④は①に由来するものなので無視するとして。

 すると、悲しきかな。手毬の口にした言葉の意味は自然と一意に定まってしまう。

 手毬と同じく食について並々ならぬ関心がある彼女にとって、その事実は驚嘆に値したのである。

 

「そ、そこまで驚くことなんでしょうか? ちゃんと安全な食用のものですし、味も栄養も抜群なはずなんですけど」

 

 そんな先輩の反応が気になったのか。

 断固として引けを取らない咲季の態度が少しばかり軟化する。

 大陸の方では薬膳や滋養食の具材として馴染み深いヘビではあるが、日本においては未だゲテモノな扱いを受けていることを彼女は理解していない。

 いやそもそもとして、言葉を選ばずに言うのであれば、ゲテモノをゲテモノと思う感性が咲季には欠如しているのだ。

 

「……たぶん、そこじゃねぇんだよナー」

 

 事ここに関しては、被害者Kは珍しく手毬に同情的である。

 健康的な昼食を用意してくれることには常々感謝しているが、とはいえその食材に珍妙なものが使われているとなれば、ことねとしても思うところがないわけではない。

 しかし、そこは価値観の違いとして許容できる範疇の話だ。

 実際ほとんどのメニューがペースト状になってしまっている以上、咲季の自白がなければ使用されていることにすら気付かなかったレベルではあるし。

 あくまで善意として弁当を用意してもらい、それを受け取っている以上、その程度の不平不満を溢すのは憚られるというのが彼女の感想だった。

 一方、食材ものがヘビともなれば、好き嫌いの枠を越えて生理的に抵抗のある人がいるのも頷ける。

 よって、ことねはどちらの肩を持つわけでもなく、極めて中立的な立場で事態を傍観していた。

 

「だいたい、あなたはどうして何でもかんでもペーストに加工するの! 食事をとってる感じがしないんだけど」

 

「もちろん栄養管理の為よ。ペーストなら決まった分量を摂取するのが簡単だし、各栄養素の調整だって容易にできるもの。何より短時間で大量の栄養補給ができるところが魅力的ね。

 あ、もしかして、咀嚼回数が気になるのかしら。それなら食後に渡してるガムをいくつか増やしてあげるわ!」

 

 このように、ふたりの思想の隔たりはとてもふかい。

 そもそも食事という概念に対する認識がここまで乖離していては、そこを補足しないままに和解へ至ることは困難である。

 手毬はともかくとして、咲季がその事実に無自覚的である以上、この場は第三者が介入するのがもっとも穏便だろう。

 

「事情は把握しました。ひとまず咲季さん、認識を改めていただきたいことがあります」

 

「な、なにかしら……?」

 

「食事は栄養補給としての意味が強いですが、同時に嗜好品としての側面があります」

 

「嗜好品……もちろん理解はできるわ。若い世代の間でスイーツやパフェが流行するのは、そういうことなんだと思うし」

 

「ええ。肉体的な健康を意識するだけでは一見非効率に感じる行為も、それ自体を楽しいと感じることには一定の意義があります。

 そうですね……咲季さんにとっての、花海さんへのサポートに置き換えてもらえればわかりやすいかもしれません」

 

「む────────」

 

 その例えは卑怯だ、と咲季が睨む。

 実際のところ、佑芽ライバルを強く育てることは彼女のスポーツに対するモチベーションにも強固に繋がっていることなので、そっくりそのまま置換できる理屈ではない。

 だが、単純に妹と接することで精神的な癒しを得ている側面を否定できない以上、その価値を無碍にすることは彼女にはできないのだ。

 

「アイドルにとって食事とは、レッスンの一環であると同時に、心労を癒す貴重な機会でもあります。もちろん、その比重は人によってまちまちではありますが」

 

「……プロデューサーの言いたいこと、なんとなくわかったわ。要するにわたしにとっての佑芽と同じくらい、手毬にとっての食事の楽しみを大事にしてあげなさいってことね」

 

「平たく言えば。とはいえ、レッスンの一環という事実は変わりませんし、全くストレスがない状態を推奨しているわけでもありません。そもそも月村さんは減量中ですからね。ですから、あくまでもこれは、月村さんにとっての食事の価値を少なからず認めてほしいという話です」

 

「わかってる……たしかに食事を嗜好するって考えは、我が家ではあまりなかったわね」

 

 しみじみと感慨に耽る咲季。

 これはよく勘違いされがちなことなのだが、彼女にも常人と同等の味覚は備わっている。

 大前提として咲季のペーストご飯は、プロデューサーや亜紗里が不味いと評した花海社長のプロトタイプを調整し、佑芽が美味しいと感じられるレベルにまで改良を重ねたものなのだ。

 問題は、それ以上の改善を訴える存在がいなくなったこと。花海一家の美“味”意識はそこで見事に停滞してしまった。

 

「もとより月村さんの食事管理は俺がプロデューサーとして対処するべき課題ですから、咲季さんに無理に対応してもらうことではないのですが──」

 

「いいえ、わたしにやらせて頂戴! 文句を言わせたままにするのは悔しいもの。必ずや栄養バランスと嗜好性を兼ね備えた完全なるトップアイドル養成メニューを作って、手毬を満足させてみせるわ!」

 

「……わかりました。月村さんも、それで異論はありませんね?」

 

「はい……そうしてもらえると、すごく、嬉しいです」

 

 プロデューサーの提案を、手毬は控えめな態度で承諾した。

 立腹していた原因が取り除かれたことも理由のひとつではあるが、少し諭されただけで理性的に矛を収めてしまえた咲季と比べて、自身がどこか矮小に思えてしまったのである。

 

「月村さんは、とりあえず高圧的に食って掛かる癖を直しましょうか」

 

「うぐ…………」

 

 やがて彼が不意に口にしたそれは、手毬にとってトドメの一言となった。

 まるで咲季に向けていた怒りが、そっくりそのまま自分に返ってくるようだ。

 プロデューサーとしては、咲季の一方的な落ち度としないための両成敗的な配慮だったのだが、今の手毬には効果覿面である。

 まったく、情けないったらない。

 

「ふたりとも、なんか言うコトあんじゃねーの? お互いにさ」

 

 そうしてすっかり黙り込んでしまった手毬を見兼ねたのか、ことねが口を挟む。

 ふたりとも反省の色を見せてはいるが、穏便な喧嘩の終着というにはまだ物足りない。

 彼女の意図を察して、すぐに動いたのは咲季の方だった。

 

「手毬。自分のミスを認めなかったこと、ごめんなさい」

 

「こっちこそ、ごめん。私の言い方が悪かった。それと……いつも食事を作ってくれて、ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 歩み寄り合い、許し合うふたり。

 決して自戒までもが水に流されるわけではないけれども、不思議なもので、ただそれだけのことで少しばかり自分の心を赦せた気がする。

 

「これで一件落着かな」

 

 莉波は微笑みながらその一部始終を見届けた。

 本人たちは絶対に認めたがらないだろうが、プロデューサーの言う通り、この3人はとても相性がいいのだろう、と。

 

「コホン……気を取り直して、ミーティングを始めましょう」

 

 区切るように咳払いをひとつ。

 あからさまな合図はきちんと伝わったようで、4名のアイドルは揃って彼の方へと向き直る。

 

「まずは先日の中間試験までのプロデュースの総括と課題から────」

 

 そう言って、プロデューサーは手始めに中間試験の結果を列挙していく。

 彼の担当アイドルの中で好成績を収めたといえるのは、B評価を獲得した咲季とことねの2名。

 咲季は基礎部分の評価が軒並み高く、全体を通して安定感のあるパフォーマンスだったといえる。

 裏を返せば、突き抜けた長所がなかったともいえるが、それは現時点で考えるべき課題ではない。

 

「同感ね。ことねや手毬、姫崎先輩にもまだまだ学ぶところが多いわ。これまで通り先輩アイドルたちの魅力を学習して、まずはアイドルとしての基礎を固めるところから、でしょ?」

 

「……その通り」

 

 なので、彼女の方針については試験前から大きく変わらない。

 咲季自身もそれを強く自覚しているため、気付けばプロデューサーが言葉を尽くす必要はなくなっていた。

 プロデューサーとしての存在意義が疑われる一幕ではあったが、担当アイドルの自己管理能力が高いのは喜ばしいことだし、何より咲季のプロデュースにおいてそれを問われるのは今後彼女が行き詰ったときだろう、とプロデューサーはスルーすることにした。

 

 一方で、ことねはやはりダンス部分での評価が大きい。

 好調状態の肉体をフルに活用した踊りは、それ単体で見れば間違いなくA評価に相当したはずである。

 結果としてB評価に落ち着いてしまったのは、彼女自身が歌の不出来さをひどく気にしてしまったからだろう。

 特にことねの持ち味である可愛らしい所作は、存分に発揮されていたとは言い難い。

 同じ会場で彼女の演技を見届けた咲季曰く、

 

「たしかに、わたしとのダンス勝負の時と比べても、注意散漫だったように感じたわね。あれなら、ビジュアルの評価はわたしの方が上だったんじゃないかしら」

 

 とのこと。

 実際、咲季の見立ては正しい。

 同じB評価であっても、得点の内訳にはアイドルの特徴が色濃く反映される。

 今回の試験においてはことねはダンスが評価され、咲季はビジュアルの技能が秀でていると判断された。

 しかし咲季が睨んでいる通り、従来のことねの実力であれば、その両方の技能で彼女を圧倒することが可能だったはずなのである。

 

「藤田さんの歌に対する極度の苦手意識は、可能な限り早く取り除きたいですね」

 

「そりゃそーなんですけど……それができたら苦労はしないっていうか。中等部での3年間ずっと歌が下手だ〜って叱られてきたわけで──もちろん、体調管理ができてなかったっていうのも原因なのはわかってるんですケド……それでも、いまさら急に技術が上がるワケないって思っちゃいます」

 

「正しい認識かと思います。たしかに藤田さんの歌は現時点でアイドルとしての基準に達していない。期末試験までにレッスンを詰め込んだとしても、評価に影響するような上達は期待できないでしょう」

 

「自分で卑下しておいてなんですけど、ちょっと辛辣じゃないです?」

 

 もう少しこう何というか、手心というか……と言い淀むことね。

 口だけなら何とでも言えるのだし、せめてもう少し希望的観測も述べてほしかったものである。

 だが、プロデューサーには良くも悪くも嘘がつけないというのはここ十数日で身に染みていることだ。

 そもそも、現状把握に机上の空論を持ち出すわけにもいかないのだろう、とことねは観念するようにうなだれた。

 

「────()()です」

 

「へ? そ、それって?」

 

「藤田さんは自分の歌を、賞賛に値しない、駄目なものだと思っています。自分自身が卑下するような歌では、誰も喜ばせることはできませんよ」

 

 咎めるようにプロデューサーが指摘する。

 そうした過剰な自己批判は今回のような結果を招くだけである、と。

 

「……そう言われましても。プロデューサーだって、今『あたしの歌には期待できない』って」

 

「はい。藤田さんの歌は下手です」

 

「こ……のッ! 酷評するか慰めるかどっちかにしてくださいよっ! 結局あたしはどーすればいいですか!?」

 

「失礼、混乱させてしまいましたね。たしかに藤田さんの歌はお世辞にも上手とは言えません。が、それをことさらに卑下する必要はない、ということです」

 

 相変わらず一言余計ながら、プロデューサーは啓蒙するように語る。

 彼の言わんとすることがいまいち理解できないのか、ことねは再び抗議の視線を送った。

 それに応えるように、プロデューサーは続ける。

 

「例えば咲季さんは藤田さんと同様に歌を苦手としていますが、ステージ上でそれを感じさせることは少ないかと思います。

 咲季さん、何か意識していることは?」

 

「意識、なんて大それたものじゃないけど……わたしって今のところダンスが得意じゃない? だから、ステージ上でもダンスを軸にするように心掛けてはいるわね。

 これまで色々なスポーツを経験してきたけど、どの競技でもその考え方は変わらない。佑芽あの子の得意分野で勝負していたら、わたしに勝ち目なんてないもの」

 

 ゆえにこそ、自身の得意を押し付ける戦い方には慣れているのだ、と咲季。

 自らの手札を把握し、その中から有効打を見極める論理性。

 そこに見出した勝ち筋と、そこへ進む自分自身を信じ抜く意志の強さ。

 ひいてはそれが花海咲季の高いビジュアルに繋がっていることを、彼女はまだ自覚していない。

 

「それにプロデューサーも前に言っていたでしょ? アイドルにとっての歌やダンスは、観客を魅了するための手段の一つに過ぎない、って。

 実際にわたしにそれを体感させてくれたのは、ことね────あなただったと思うけど?」

 

 なのにどうして先日のステージでは同じことができなかったのか、と咲季はことねを詰問する。

 ロジカルに正しい勝ち筋を積み上げる彼女と違って、ことねは感覚的にパフォーマンスを作り上げるところが大きい。

 彼女が兼ね備えた生来のセンスあればこそのことだが、同時にその匙加減でステージの是非が決定されてしまうということでもある。

 中間試験でのパフォーマンスはその最たる例だろう。

 果たして誰の影響なのか、彼女の根底には『ライブとは歌を聴かせる場』という認識が強く根付いているらしい。

 

「藤田さん、ライブとはあなたというアイドルの素晴らしさを観客に思い知らせる場です。それを歌で為す必要はありません。歌が苦手なのであれば、その他の魅力を強く押し出せばいい。

 ステージ上で歌を気にしている時点で、藤田さんは自身の苦手な土俵に上がってしまっていますよ」

 

「歌以外の、あたしの魅力……」

 

「自信を持って歌い、踊り、笑いかけ、手を振って────己のすべてで人々を魅了する。あなたには、すでにそれだけの力があります」

 

 それを自覚するための経験はこれまでに可能な限り積ませた、とプロデューサーは告げる。

 例えばそれは、咲季との最初のダンス勝負。

 自信喪失をすべて払拭するには至らなかったとはいえ、入学試験首席に勝利した事実は彼女のダンスに対する自信をたしかに押し上げた。

 例えばそれは、遊園地でのヒーローショーの仕事。

 休養をしっかりとって臨んだ演技は、好調な肉体によるパフォーマンスの是非を確信させた。

 そして、容姿については言を俟たない。

 藤田ことねは最初から、その魅力と扱い方を熟知している。

 

「自信を持って……自信、ねぇ……」

 

 ネックになるとすれば、やっぱりそこだ。

 どんなに自らの実力を把握できていたとしても、ステージ上で気負ってしまうのでは意味がない。

 彼女の自己不信は他人からの評価というものに強く依存してしまっている。

 そういう意味では、中間試験でのB評価という結果も悪くはなかったのだが。

 

「これまでのプロデュースでは、藤田さんに自身のポテンシャルを正しく認識してもらうことに注力してきました。実際、その経過は良好です。中間試験でのB評価もそれを後押ししていると思います」

 

「それは、そうですね。ちょっと前みたいにバイト漬けのままだったら、絶対に不合格になってたと思いますし。これまで本当に体調管理を疎かにしてきたんだなぁ、って痛感してます」

 

「そこに関しては、やむを得ない事情があったと認識していますよ」

 

 言わずもがな、初星学園は私立の学校である。

 その学費と寮費、さらには生活費をどうにかしようとすると、体調管理など二の次になっても致し方ない。

 そこまで追い込まれていては視野が狭くなるのは必然だし、冷静な判断を欠いてしまうのも道理である。

 

「ともあれ、藤田さんの自己認識はかなり改善されてきました。残す課題は、そこに自信を持てるようになることです」

 

「具体的には、どうしていくんですか?」

 

「まず、引き続き仕事をたくさんこなしてもらおうと考えています。藤田さんの自信のなさには、これまでのステージ経験の少なさも影響しているでしょうから。

 それに加えて、今後はボーカルを中心とした特訓を行ってもらいます」

 

「ボーカルを? 歌の上達は期待できないって話じゃ……?」

 

「はい。おそらく短期間で苦手を克服することは不可能ですし、仮にできたとしても、月村さんのように現時点で歌を得意とするアイドルには敵いません。

 しかし、苦手()()の克服となれば話は別です。それが達成できたのなら、藤田さんは歌ではなく、自身の得意分野でパフォーマンスをすることができるようになる」

 

 要するに心の持ちようの話だ、と説明するプロデューサー。

 どこまでいっても、今の彼女に求められるのは技術の向上ではなく、三年来の『不調』を取り除くこと。

 担当アイドルに弱体化デバフがかかっているのならそれを排斥するのが最優先事項である、と彼はプロデューサーとしてのセオリーを熟知している。

 その意志の強さ、迷いのなさはアイドルたちに不安を抱かせる隙すら与えない。

 青年の雄弁は、さながら正解を示す天啓のように。

 

「……わかりました。頑張って克服してみせますね! プロデューサー」

 

 信頼に満ちた眼差しで、威勢の良い応えを返すことね。

 プロデューサーはその返事に満足したように頷くと、彼女の話題を切り上げた。

 

 総評は、そのまま残りのふたりへと移る。

 手毬は試験直後にも言及したように、4人の中で最も厳しいC評価という結果に終わっている。

 集中すればするほど実力以上の底力を発揮する反面、著しくスタミナを消耗してしまうという彼女の特異な性質。

 その持続力のなさが災いし、彼女は楽曲の中盤で力尽きてしまったのだ。

 この弱点については、ことねと同じような誤魔化しが通用しない。

 彼女が強みとしている歌声は、その特異な性質があればこそ成立する諸刃の剣である。

 それが持つ魅力を活かしたままステージを走り切るためには、やはり反省会で結論付けたように、この弱みに耐えうる体力をつける他ない。

 

「任せて、プロデューサー。新しいレッスンメニューをきっちりこなして、最後まで全力で歌い切れるようになってみせるから」

 

 自信満々に腕を組みながら、不敵に笑う手毬。

 すでに一度同じやり取りをしているとはいえ、彼女がこれだけ素直に信頼を露わにするのは珍しいだろう。

 どうやら、先日の反省会はプロデューサーと手毬の関係性にとって大きな転機となったようだ。

 

「頼もしい限りです。しかし、レッスンメニューについてはこの後改めて相談させてください」

 

「レッスンメニュー? 変更するんですか? この前調整したばかりなのに」

 

「少し検討していただきたいことができたので。もちろん、体力不足を克服するための改善案です」

 

「……そう。わかった」

 

 疑念を抱きつつも、そういうことなら、と身を引く。

 プロデューサーがあえて念を押すのであれば、きっと間違いないのだろうと確信して。

 そんな彼女の従順な態度が意外に思えたのか、咲季とことねは不思議そうに目を見合わせたが、プロデューサーと手毬がそれに気付くことはなかった。

 

「最後に姫崎さんの試験でのパフォーマンスについてですが────」

 

 やがて、話題は4名の中で唯一の3年生の方へ向く。

 莉波の結果は、咲季とことねにあと一歩届かずのC+評価。

 ふたりに比べればステージ上での経験は豊富な上に、技術的にも申し分ない彼女にしてはいまいち振るわない結果である。

 

「…………藤田さん、実際に同じ会場で鑑賞されてどう思いましたか?」

 

「え、あたし? う〜ん、そうですねぇ〜」

 

 急な問いかけに、困ったナー、と考え込むことね。

 プロデューサーが咲季ではなく彼女を指名したのは、アイドルへの理解度を考慮したからというのに加えて、莉波の抱える問題がことねの課題と近しいからだ。

 

「なんていうか……ちょっと、無理してるっていうか。笑顔が固い感じ? ですかねぇ。あたしが言うのもなんですけど、動きに迷いがあったというか……」

 

 客観的に見て自分もそうだったのだろうと考えながら、ことねは批評を口にする。

 普段の莉波を知っている彼女からすれば、先日のステージ上での表情はどこかぎこちない、作り物めいていたように思えた。

 いつも通りの自然な笑顔をしていたら、それだけで自身よりも高い評価を得ていただろう、とも。

 

「悪くない分析です。姫崎さんの先日のステージにおける問題点は大きくふたつ。

 ひとつは、ユニット時代の妹キャラが尾を引いてしまっていること。もうひとつは、お姉さんキャラを意識しすぎていることです」

 

 端的に要点をまとめるプロデューサー。

 身も蓋もない言い方をするのであれば、彼女は過去いもうと現在おねえさんの両極端なプロデュースプランに絶賛振り回されている最中なのである。

 文字に起こすとなかなかに混沌とした事態ではあるが、当事者である莉波にとっては一大事。

 コンセプトが対極に振れているなど、アイドルにとっては死活問題もいいところだ。

 

「プロデューサーくん、ちょっといいかな? 自分でも妹キャラを意識しちゃってるのはわかるの。前のユニットで無理やり妹っぽく演じる癖がついちゃってて、それはトレーナーさんにもよく注意されるし」

 

 特にビジュアルレッスンにおいてはその傾向が強い。

 莉波のステージ経験はほとんどが『Love☆しすたぁず』のメンバーとして培われたものである。

 すなわち、彼女がステージに上がるときは常に妹を演じることを求められてきたということだ。

 それはいつの間にか莉波の中で習慣となり慢性化している。

 この癖は一朝一夕で取り除けるものではない。それに────

 

「でも、お姉さんキャラを意識しすぎてるっていうのが、あまりピンと来てなくて。わたしなりに、お姉さんらしく振舞ってみたつもりではあるんだけど」

 

「単純な話です。姫崎さんはユニット時代に無理に妹っぽく演じていたと言いましたが、そのときに別の癖もついてしまっているんです」

 

「別の癖?」

 

「はい。今回の試験の映像を繰り返し見てようやく気づきました。

 姫崎さんには、自然な振る舞いをステージ上で封じ込めてしまう癖があります」

 

 真に厄介なのはこの悪癖だとプロデューサーは睨んでいる。

 前提として初公演の試験は当然のことながら学内限定で行われるものだ。

 また、アイドルとしての活動経験を積んでいる上級生ほど参加割合が少ない。

 つまるところ、会場でライブを見学していたのはほとんどが莉波の後輩にあたる人物だったのである。

 ヒーローショーの時と同様に、お姉さんらしい自然な振る舞いを模索中の彼女にとって、これほど好条件な舞台はなかったはずだ。

 しかしながら、先日のステージではその魅力は発揮されていなかった。

 純粋な試験に対する緊張と説明することも可能だが、莉波のパフォーマンスはそれにしては奇妙なぎこちなさを含んでいたのである。

 

「今の姫崎さんは一度自分の魅力を封印した状態で、改めて普段の自然な振る舞いを()()()()()()()()()

 それでは妹キャラを演じていた時と大差がない。あるとすれば妹を演じるのか、姉を演じるのか、その差だけです。だからこそ、ユニット時代と同様のぎこちなさが生まれている」

 

「そんな癖が…………でも、完全に無意識で…………一体どうすれば」

 

「もう少し観客を意識してみるといいかもしれません」

 

「観客を?」

 

 目を丸くして問い返す莉波に、プロデューサーはこくりと頷きを返す。

 

「有り体に言えば、先日の姫崎さんは自身のコンセプトを意識するあまり、観客に目を向けることができていませんでした。

 しかしあなたの魅力は、きっとひとりひとりのファンと向き合ってこそ発揮される。

 もちろん、年上のファンを相手にお姉さんらしく振る舞うのが難しい、という問題は残ったままですが、期末試験に限ればその心配は無用です」

 

「そっか。学内の試験なら、審査をしてくれるのは先生やトレーナーさんだけど、その他の観客は初星ここの生徒だもんね」

 

「その通り。ですので、姫崎さんには改めて観客を強く意識したファンサを習得してもらおうと思います。

 確認ですが、高等部での『ファンサ』カリキュラムはどこまで進んでいますか?」

 

「基礎的なレッスンは一通り終わってるよ。方向性は違うけど、ユニットでも必要な技術だったし」

 

「承知しました。では、その中でも『確定ファンサ』などの少人数向けのファンサを中心に特訓するとしましょう」

 

 現在身に沁みついている癖を、期末試験までの短い期間で引き剥がすのは難しい。

 ならば、付け焼刃ではあれど新しい習慣で上書きしてしまおう、というのがプロデューサーの考えである。

 それ自体は根本的な解決になっていないが、下級生の観客を強く意識することで、本来の彼女の振る舞いを一時的にでも引きずり出そうという狙いだ。

 

「わかった。頑張ってみるよ」

 

 その意図を汲み取って、莉波は彼の提案を快諾した。

 元より妹っぽい演技が定着してしまっている問題は彼女も懸念していたことなのだ。

 それを克服できる可能性があるのであれば断る理由はない、と二つ返事の首肯である。

 

「ありがとうございます。以上で、中間試験までの総括は終わりです。

 では、いよいよ本題。各々の課題に対する具体的なアプローチとレッスンメニューについてですが────」

 

 言うなり、プロデューサーはスマートフォンを取り出し、事も無げに画面を数回叩く。

 直後、レッスン室内の4つの端末が示し合わせたように振動した。

 

「今、皆さんにある楽曲のファイルを送信しました。確認してください」

 

「楽曲の?」

 

 急な指示に首を傾げながら、少女らはそれぞれの携帯を取りに向かう。

 プロデューサーから送信されたファイルをいち早く確認できたのは、制服姿のまま話を聞いていた莉波であった。

 

「これって、デモ音源?」

 

「はい。といっても、ブラッシュアップ前の仮オケを前倒しでいただいたものにはなりますが」

 

「なるほど……歌詞はもうできてるのかな?」

 

「ええ。それについては譜面を用意してあります」

 

 流れるように数枚の紙束を手渡すプロデューサー。

 受け取った莉波が目を落とした先には、五線譜に添えられた言の葉と、その上に並ぶ身近な英数字の羅列。

 旋律の骨子、歌詞、そして伴奏の要となるコード進行までもが収められた、いわゆるリードシートと呼ばれる資料である。

 

「────『Luna say maybe』」

 

 やや圧倒されながら、莉波はページの最上部に記された英語を読み上げる。

 他の情報よりも目立って大きく記載されたそれは、十中八九この楽曲のタイトルなのだろう。

 その題名からして、プロデューサーがこの歌を誰に宛がうつもりなのかなんとなく察する莉波なのであった。

 

「プロデューサー、これって何の曲なんですか?」

 

「ソロアイドル・月村手毬のデビュー曲です」

 

「は?」

 

 帰還して早々、衝撃の事実を告げられて思考が停止する手毬。

 『SyngUp!』の経験から楽曲を提供してもらうことには慣れていた彼女であったが、流石にこのタイミングでの新曲は想定していなかったらしい。

 それもそのはずだ。

 H.I.F選抜試験はさておき、その直前に控える期末試験は参加者全員が共通して『初』での挑戦となる。

 その課題曲を中間試験時点で十全に歌い切れていないアイドルに、追加でもう1曲習得させようというのは常人の思考ではない。

 

「どういうことですか? この時期に新曲なんて……それに、どうやってこんなにも早く専用曲を────」

 

 用意できたのか、と恐れ戦く。

 調整前とはいえこのタイミングで音源を仮納品できているということは、遅くとも手毬をスカウトした数日後には楽曲を発注していないとおかしい。

 しかしその頃といえば、手毬は絶賛同時プロデュースに反対中だったと思われるし、プロデューサーとて初星学園に入学して間もない時期である。

 否、それから半月ほど経過した今もなお彼が新入生という事実は覆しようがないのだが。

 

「最初から月村さんにはソロライブを目標にしてもらう想定でしたから。選抜試験時点で楽曲を習得できているのが望ましいとは考えていたんです」

 

「────────────────」

 

 だから用意した、と言わんばかりにプロデューサーは堂々とうそぶく。

 理屈としては理解できるのだが、それでもこの迅速さを説明するには不十分だと手毬は眉を顰めた。

 実際のところ、プロデューサーがこれだけ楽曲の完成を急いたのには別の理由がある。

 が、当人にはとても告げることはできない内容な気がしたので、意図的に掴みどころのない返答をしたのである。

 

 振り返るのは月初のこと。

 若くして初星学園プロデューサー科の狭き門を潜り抜けたはいいものの、学科内で孤立気味だった青年を見兼ねて、あさり先生が彼を呼び出したことに始まる。

 

『きみはもっとプロデューサー科の中で交流をもたないとだめですよっ! 同業者との交流で得られるものは、決して小さくはないんです』

 

 その時の先生のお叱りは、大雑把にそのような内容であった。

 すでに手毬とことねのスカウトに成功し、さらには咲季のスカウトを考えていたプロデューサーにとっては、そっちに時間を割いている余裕はないという認識だったのだが、『プロデューサー同士の横のつながりが、いつか担当アイドルを助ける日が来るかもしれない』という彼女の言論には、たしかに一考の余地があった。

 なので熟慮の末、当時直面していたある難題に関してあさり先生からのアドバイスを実践することにしたのだ。

 同時プロデュースを行う上でプロデューサーが予め懸念していた問題、ずばり、

 

『月村手毬をいかにして納得させるか』

 

 ────である。

 咲季とことねに関しては、何か問題が発生したにしても難なく説得できる確信があった。

 彼女らがアイドルに求めるもの、ひいてはプロデューサーをはじめとする仲間に求めるものが明確に定まっていたためである。

 手毬についても、同時プロデュースのメリットさえ理解させられれば得心するだろうとは予測していたが、『SyngUp!』解散の一件が、そこまでの過程を極度に難しくしているように感じられたのだ。

 そこで、三人寄れば文殊の知恵というように、プロデューサーは同業者たちの意見を乞うことにしたのである。

 

 これに対して、プロデューサーと同期にあたる学生A曰く、

 

『そりゃあ、時間をかけて信頼を獲得するに限るだろ。同時プロデュースを拒絶されたにしても、せめて体調管理くらいは関わらせてほしいだとか何とかアプローチをし続けて。

 フット・イン・ザ・ドアってやつ? 少しずつでもプロデュースに関わる領域を広げていければ、向こうもあんたのことを認めざるを得なくなると思うぜ』

 

 つまり、アイドル側の根負けを狙っていけ、という寸法だ。

 これは最もシンプルかつ堅実なアプローチだろう。

 下手に接触を繰り返すとかえって反感を買う点には注意が必要だが、それは他の作戦にも共通する前提条件のようなものである。

 A氏はこれに付言して『あと、最初に手をつけるなら食が良い。胃袋さえ掴んでしまえばもうこっちのモンよ』とも説いていた。

 彼自身は料理の腕が絶望的なので実績ゼロ・説得力ゼロの机上の空論ではあるのだが、当時のプロデューサーにとってこれは妙案であった。

 前々からアイドルの食事管理を想定して腕を磨いていたプロデューサーをして、その使い方があったか、と思わず手を打ったほどである。

 何より、同時プロデュースを承諾してもらった後にもコミュニケーション面で一定の効果が期待できそうなのが良い。

 惜しむらくはこの戦術を咲季に奪われてしまったことだが、アイドル同士の関係性が良好に気付けているのであれば、それはそれで結果オーライである。

 

 一方、1年先輩の学生Bは次のような苦言を口にした。

 

『あまりこちらが積極的になりすぎるのもいけません。プロデューサーとはアイドルにとって頼れる存在である必要がありますからね。常に悠々とした態度でなければ。

 古くから押しても駄目なら引いてみよと言いますし。あえて他のアイドルたちのプロデュースに専念することで、相手方の興味を惹くという手もあるでしょう』

 

 こちらは要するに、対象の嫉妬を誘うという作戦である。

 アイドルの心を折らせるという点ではさっきの戦術と似ているが、少し相手を選ぶ方法だろう。

 実際、プロデューサーもこれは参考にならない、と早々に切り捨てた。

 ユニット解散によって人一倍繊細になっている少女にとっては酷な状態になりかねないし、何といっても待ちの姿勢は彼の性には合っていなかったのだ。

 とはいえ、咲季とことねが和解してからのしばらくの期間は、図らずもこのスタンスをとっていたことになる。

 他人との関わりを拒んでいた手毬が感情的になって咲季たちと語り合えたのも、この期間のおかげ────と言えなくもない。

 

 以上を受けて、プロデューサー科3年目の中堅Cはこう語る。

 

『こういうのは何でもわかりやすいのがいい。要はこちらの実績だ。どんなアイドルでも優秀なプロデューサーの話であれば一度は耳を傾けようと思うもの。

 新人で実績がないのなら、飛び道具に頼るのもいい。担当アイドルに合ったライブ衣装や楽曲の発注などはプロデューサーの腕が試されるところだからね』

 

 すなわち、プレゼントによる一撃必殺。

 思わず着たくなる衣装や歌いたくなる楽曲をチラつかせて相手を従わせてしまえ、とのことである。

 やや力業のようなところはあるが、プロデュース能力を端的に示したいのなら理には適っている、とプロデューサーは思う。

 それに遅かれ早かれ専用の楽曲は必要だ。

 すでに一定の活動を経験し、ライブをするに足る実力が備わっているアイドルが相手なら尚更である。

 

 なので、彼は迷わずこれを実行してみることにした。

 幸いスカウト自体は成功しているし、手毬の事情も一通り調査済みである。

 細かな調整はプロデュースを進めていく中で随時相談させてほしい、との託けだけ添えて、プロデューサーは楽曲制作を依頼したのだった。

 現に提供された楽曲は、ここ十数日で彼が学習した月村手毬のアイドル像を反映したものとなっている。

 

 閑話休題。

 そのような経緯を思い返して、やはりこれは隠匿しておこう、と改めて心に決めるプロデューサー。

 本人たちにとっては極めて真剣な話題ではあったのだが、『アイドルをどうやって釣るか』という議題はなんだか全体的に人聞きが悪い気がしてならない。

 

「なら、プロデューサーは選抜試験までの期間で手毬にこの曲を習得させるつもりなの?」

 

 会話に合流した咲季が尋ねる。

 手毬と同じく、それは相手の正気を疑う問いかけだった。

 少し遅れて帰ってきたことねや莉波もまた、口には出さないまでも、同様の視線をプロデューサーに向けている。

 

「はい。月村さんにならできると考えています」

 

 そんな四面楚歌な状況ながら、彼は怯むことなく断言した。

 嫌疑の芯を食わない、ズレた返答。

 結局、本人に誤魔化す意図があるにしろないにしろ、プロデューサーは致命的に言葉足らずなのである。

 せめてもの救いは、担当アイドルたちがその性質を理解してくれていることだろう。

 

「『初』を特訓する必要はないのかしら? 場合によっては、二兎追う結果になりかねないと思うのだけれど」

 

「咲季さんの懸念はごもっともです。しかし、その心配は無用ですよ。月村さんはすでに高い水準で『初』を習得できていますから。

 彼女の課題は先ほどもお伝えした通り、極度の集中状態におけるスタミナ不足なんです」

 

 つまりは楽曲に依存する問題ではない、とプロデューサーは説明する。

 目下の課題と無縁なのであれば、わざわざ任意の曲に拘る必要がないというのは道理ではあるが。

 

「言いたいことはわかりますケド、それが新曲を習得することとどう繋がってくるんですか? プロデューサー」

 

 今度はことねが尋ねた。

 『初』の特訓に集中しなくて良い理由と現在月村手毬が抱える問題点。

 それらは確かな根拠で説明されてきたが、あくまでも点と点。

 彼の語り並べる理屈は、どれもまだ線で繋がっているとは言い難い。

 

「その質問にお答えする前に、一度楽曲を聴いてみてもらってもいいでしょうか?」

 

 きっとその方がわかりやすい、とプロデューサーは各人に再生を促す。

 然り。彼がどんなに言葉を重ねたところで、当の楽曲がいかに有用なのかは実際に聴かないことには理解できまい。

 それに従って、ことねたちは言われるがままイヤホンを装着してスマートフォンを操作する。

 程なくしてそれぞれの耳元からバラバラと、しかし同じ旋律が流れ出した。

 

「────────」

 

 序盤から一切の遠慮がない、儚げながら力強いイントロ。

 テンポはやや急くように速く、それでいて音の一つひとつが重厚で、聴く者の胸倉を掴んで離さないような迫力。

 そんな楽曲の魅力に圧倒されてか、誰からともなくその場に沈黙が満ちる。

 配られた譜面に視線を落としたまま、あるいは目を閉じて、少女たちはその音色に耳を傾け続ける。

 咲季は腕を組んで微動だにせず。

 ことねはリズムを刻むように、指先だけを動かして。

 莉波は歌詞を目でなぞりながら。

 そして手毬は、逸る脈動を隠すように胸の上に手を置きながら、その一部始終を噛みしめる。

 

 やがて曲が終幕を迎えても、しばらくの間、誰ひとりとして口を開こうとはしない。

 ただ、4分と少しばかりの旋律の余韻だけが、静かにレッスン室の中に横たわっていた。

 その静寂を破ったのは他でもない手毬だ。

 彼女は渦巻く感情をそっと置くように息を吐くと、両耳のイヤホンを外して、

 

「なるほど……いい曲だね。力強くて、歌いがいがありそう」

 

 淡々とそのような感想を述べた。

 平静を装ってはいるが、彼女はプロデューサーの用意した楽曲を甚く気に入っている。

 仮に今も同時プロデュースを拒否し続けていたとして、これを渡された暁には懐柔も辞さない、と思えるくらいには。

 

「えっぐ……どこで息継ぎすんだよ、これ」

 

 その傍らでことねは独り言のように驚愕する。

 リードシートを改めて俯瞰してみても、この曲の休符の割合は極端に少ない。

 全身全霊で畳みかけるようなメロディラインはきっと少しの小休止も許してくれないだろう。

 否、そんな細かな評価項目に分解するまでもなく、その難易度の高さは明らかであった。

 並大抵の歌唱力では、この素晴らしい楽曲の胸を借りるどころか、かえって呑み込まれる危険性すらある。

 手毬の真に迫る歌声と同じく、これは諸刃の剣だ、と。

 

「プロデューサーくん、本当にこの曲を習得してもらうの?」

 

 不安に満ちた声で莉波が問う。

 いくら元中等部No.1の歌姫としての実力があろうとも、2週間足らずでの習得は困難を極めるはずだ。

 しかし、アイドルたちの考えつく当然の懸念をプロデューサーが見越していないわけもなく、彼はその事実を認めながら、それでもなお自信ありげに。

 

「月村さんならできます。いえ、そうでなければ困ります」

 

「どういうこと?」

 

「『Luna say maybe』は並外れた歌唱力と同時に、研ぎ澄まされた集中力と高度なスタミナ管理を要求する楽曲です。

 なにせ、1番の冒頭から絶えず全身全霊を出し続けながら、最後を飾る4小節以上のロングトーンまでを完璧に歌い切る必要がありますからね。これほどまで月村さんの歌い方、そして彼女が抱えている課題に合致するような曲は他にありません」

 

 まあ、月村さんのために作っていただいた曲なので当然といえば当然なのですが、とプロデューサーは自らの説明に苦笑をこぼす。

 新曲がこれだけ条件を満たしているのであれば──その習得にかかる時間を加味したとしても──ただ漫然と課題曲を練習するよりもよっぽど効果が期待できるというのが彼の主張だ。

 実際、『初』の難易度は決して低くないとはいえ、手毬の課題をそのまま反映しているような楽曲とは言い難い。

 中間試験でのあの惨状はステージ上での彼女の過集中が招いた一種の事故のようなもので、レッスン中にあの状態を再現し、直接その改善に着手するというアプローチは難しいのだ。

 だが、一方で『Luna say maybe』はそれを可能な限り叶える曲だ。

 これを習得するということは、すなわち先日のステージ上での彼女の欠点を克服することだと言っても過言ではない。

 

「最初から、月村さんのプロデュースにおいて定期公演と選抜試験はソロライブを見越した“調整”とする方針でした。であるなら、このくらいはやってのけてもらわなければ……」

 

「……プロデューサーって、意外と容赦ない信頼を向けてくるんですね」

 

 不満をこぼすように苦笑しながら、手毬は知らず頬を緩ませる。

 過度な期待はプロデューサー科ではアイドルにとって重圧にもなりかねないと指導されるのだが、おそらくこの男の場合はそれすらも担当アイドルのモチベーションに繋がると熟知してのことなのだろう、と。

 以前まではそんな手玉に取るような言動すら癪に障っていた彼女だが、例の反省会以降、気付けばプロデューサーのこの愚直さも悪くないと思えるようになっていた。

 無論、今度はその事実を認めて、無性に腹立たしく思えたりするのだが。それでも最後には不敵な様子で。

 

「異論はないよ。元々、弱点は全部克服するつもりでしたし。新曲の習得、やり遂げてみせます」

 

 強気に意気込む手毬。

 それも咲季やことねにとっては意外である。

 彼女らにとって手毬は、もう少し他人の厚意をまっすぐに受け取るのが苦手な印象だったのだ。

 

「ところでプロデューサー、手毬以外に楽曲を共有したのにも何か意味があるのかしら?」

 

 それはそれとして、咲季はプロデューサーに問いを投げかける。

 特別意味がなくては困ることではないが、これほどまで理屈を徹底しているプロデューサーをして、そこに一切の意義が含まれていないということはまずないだろう。

 

「はい。これから期末試験まで、みなさんには『初』に加えてこの楽曲を使用してボーカルの特訓を行ってもらう想定です」

 

「それは……単に歌唱力の底上げ、というわけではなさそうね?」

 

「その狙いも全くないわけではありませんよ。特に咲季さんと藤田さんはボーカルを苦手としていますし、姫崎さんも得意な方ではありませんから。

 ですが、狙いは他にもあります。

 ひとつは、月村さんに他3名を指導させることで彼女自身の基礎の見直しを行うこと。それと同時に、咲季さんと一緒に特訓を行うことで正しい体力管理方法を身につけさせることです」

 

 手毬の全力は、我武者羅とした側面が強い。

 彼女が自身を律する強固なストイックさを追い求めての結果ではあるのだが、手毬が認識している“ストイック”は自分を追い込むことに重きを置きすぎていて、あまり理性的とはいえない。

 要するに、無駄な体力消費が多いのである。

 

「全力と一口にいっても、肉体や技能、ステージに求める意味が三者三様である以上、その定義も人それぞれです。自己最高のパフォーマンスを発揮するという意味なら、先日の花岡さんのステージは良い例でしょう」

 

「……そうね。録画を見返しただけだけれど、良い意味で収まりのいいパフォーマンスだったわ」

 

 見ようによっては、どの技能に拘ることもしなかった妥協だらけのステージ。

 ただ歌とダンスの調和だけを目指した、2分間と30秒程度。

 それでも我を出すだけでは月村手毬の才覚に適うはずがない、と。

 それは現時点での自身の限界を熟知したが故の、彼女なりの全力に他ならなかった。

 

「身体能力の許容を超えたパフォーマンスはスタミナを極端に消費します。これを回避するには、身体自体の許容値────つまりは体力を伸ばすことと、その臨界点を月村さん自身が強く意識することが大事です。

 それが叶えば、月村さんは最適な全力を以てこの楽曲を歌い切ることができるはずです」

 

「プロデューサーはそれを、咲季から学べと?」

 

「ええ。咲季さんほど自己管理能力に秀でたアイドルはそうそういませんからね」

 

「む、それは……認めますけど」

 

 悔しそうに顔を歪ませながらも、プロデューサーの言葉に首肯する手毬。

 数多くの競技に対する経験と、おまけにトレーナーとしての知識まで持ち合わせているとなれば、咲季の自律能力を疑う方が難しい。

 プロデューサーも客観的な分析は可能だが、当事者レベルの実演となると彼女に及ぶはずもなく。

 手毬の等身大の見本として、花海咲季以上に適した存在を()()()()()()()()()()()()

 

「そして、月村さんに指導してもらうことは咲季さんたちにとってもメリットとなります」

 

「わたしの場合は、引き続き手毬やことね、姫崎先輩に習うって方針だものね」

 

 理に適っている、と納得する元アスリート。

 そんな咲季とは対極的に、同じく手毬の門下に加わることねは訝しげな表情を浮かべていた。

 

「プロデューサー……あたし、手毬や咲季と一緒に特訓なんかしたら、余計に自信がなくなる気がするんですケド……」

 

 ことねの課題は実力派な彼女たちと違って精神的なものである。

 真にストイックを極める咲季と、少なくとも表面上はストイックな手毬に板挟みにされれば、自己不信はむしろ加速しかねない、と。

 もっとも、その懸念の3割ほどは彼女の勘違いである。

 咲季はデータに嘘こそつかないものの、基本的に褒めて伸ばすタイプの教育方針だ。

 ことねの性格とはむしろすこぶる相性がいいだろう。

 厄介なのは、月村手毬残りの7割が全く以て想像通りということだ。

 ステージ上でのパフォーマンスばかりを気にしていたが、よくよく考えればステージを降りたときの彼女ほど手に負えないものはない。

 

「たしかに、藤田さんの指摘には一理ありますね。

 ではこうしましょう。月村さん、期末試験まで藤田さんへの過度な苦言を禁止します」

 

「は?」

 

 唐突なルールの制定に戸惑う手毬。

 彼女の中では、どうしてそのような話になってしまうのかまるで理解が追いついていない。

 否さ、これからプロデューサーによる無慈悲な方策が始まろうとしていることだけはなんとなくわかる。

 

「今何か口走りましたか? プロデューサー」

 

 恐る恐る、されど高圧的に聞き返す。

 あわよくば聞き間違いであってくれと願んだ少女の望みは、彼の人畜無害な笑顔を前に木っ端みじんと砕け散ることとなった。

 

「はい。以前から月村さんの素行の悪さはどうにかしようと考えていたんです。どれだけ立派なライブをしても、普段の振る舞いでプラマイゼロとなっては目も当てられませんし。藤田さんの自信回復を妨害されては困ります」

 

「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃないですかッ! まるで人の性格が悪いみたいに!」

 

「いえ……月村さんの性格は悪いですよ?」

 

「んな────────」

 

 自覚がなかったんですか、とでも続きそうなプロデューサーの発言に手毬はたじろぐ。

 彼女の性格の悪さは確かに自明だが、この男も大概質が悪かろう。

 しかし、日常的に手毬の暴走に付き合わされている咲季とことねは彼の猛攻を止めようとしない。

 むしろ満足そうに腕を組みながら「もっと言ってやれ」うんうんと頷いているほどである。

 民主主義とはときに残酷なのだ。

 

「プロデューサーくん、そういう言い方は良くないよ」

 

 唯一それを咎めるとすれば、比較的穏健派な莉波である。

 主張の是非はともかくとして、そういう高圧的で意地の悪いやり取りは彼女の好むところではない。

 そんな彼女の叱りつけが効いたのだろう。プロデューサーは「失礼しました」と添えながら我に返る。

 手毬も思うところがあったのか、少しだけ落ち着きを取り戻した。

 ちなみに、当然のことながら手毬は自身の性格の悪さを自覚している。

 つい声を荒げて反論してしまうのは、第三者に図星を指されてしまったことに対する反射反応のようなものだ。

 

「コホン。とにかく、せっかくですので月村さんの素行の矯正を図りたいと思います。まずは藤田さん相手にだけで構いません」

 

「……そうはいいますけど、指導するなら強い物言いになるのは仕方ないですか? 私、褒めるの苦手なので」

 

「あまり自信満々に言うことではありませんが……そこは安心してください。あくまでも取り締まるのは不必要な暴言だけです。指導上必要な範囲であるのなら、それは不問とします」

 

 何事も程度が大事なのだ、と説くプロデューサー。

 それを聞きながら「まるでパワハラ対策だナー」とことねは所感を抱く。

 実際パワハラに対する線引きと同様に、指導の範疇に収まる叱責はむしろ推奨されるものである。

 単に甘やかすだけでは指導の意味はないし、そんなものではことねの自己不信は取り除けない。

 

「それって、もし私がルールを破ってしまった場合はどうなるんですか?」

 

「ペナルティとして、咲季さんの作る食事に月村さんの苦手な食材を投入してもらいます」

 

「────────」

 

 眩暈がする。

 プロデューサーが正気でないのは今に始まったことではないが、どうやら彼は今回も本気のようだ。

 ただでさえ無許可でゲテモノをペースト化する咲季シェフに、悪意を以て嫌いな料理を作らせてしまったらどうなるかなんて、想像するだけでも悍ましい。

 そうやって具体的なイメージをしてしまったせいか、手毬の顔はすでに血の気が引いて青白くなり始めていた。

 

「た、食べ物を人質に使うのは話が違いますよプロデューサー! さっき食事は心身を癒す大事なものだって言ってたのに!」

 

「たしかにアイドルにとって食生活は重要なものです。しかし、素行はそれ以上に大事ですよ、月村さん」

 

「う………ぐっ────!」

 

 歯に衣着せぬ正論に怯む手毬。

 『SyngUp!』は少々特殊だったかもしれないが、原則としてアイドルが罵詈雑言を発するのはあまり好しとされていない。

 バラエティ的に解釈してもらえるのなら問題はないが、手毬の場合はそれでも擁護しきれないところがあるだろう。

 彼女自身もそれは痛いほど理解している。

 そもそも暴言を吐かなければ発生しないペナルティの内容に固執してしまっているのは、つまりそういうことだ。

 

「いまさらだけど、手毬ちゃんの苦手な食べ物を把握してるんだね? プロデューサーくん」

 

「調べましたから」

 

「調べてわかるものなのかな……それって……」

 

 プロデューサーの調査能力に改めて莉波は恐怖する。

 好きな食べ物ならともかくとして、苦手な食べ物を手毬が他人に教えるとは考え難い。

 とすると、プロデューサーは一体どこからその情報を入手したのだろうか。

 謎と畏怖は深まるばかりである。

 

「ともあれ、これで少しは藤田さんの不安を取り除くことができたでしょうか?」

 

「いやまぁ、手毬から辛辣な言葉が飛んでこなくなるのはありがたいですケド。それでもあたし、咲季や手毬と比べると歌のレベル低いんで……自信がつくイメージ、湧かないです」

 

 比較対象が近くにいるのはかえって逆効果では、とことねは論じる。

 

「そこに関してはあまり問題とは考えていません。藤田さん、他者との比較を交えつつ自分の実力を正しく把握することは大事です。

 ステージ直前に他のパフォーマンスを見て臆するよりは、むしろ今のうちにしっかりと見切りをつけて、耐性をつけてしまうのがいいでしょう」

 

「今、遠回しにあたしの歌は成長の余地がないって言いました?」

 

「そういう意味ではありません。“見切りをつける”というのは、他の人との実力差を指してのことです。

 現時点で藤田さんより歌が上手な月村さんや咲季さん、花岡さんを筆頭に、同級生ライバルたちも藤田さんと同様に実力を伸ばそうと努力します。

 だからこそ、その差を埋めるのは容易なことではない。これは、そういうものだと受け入れてもらう他ありません」

 

 大事なのは絶対的に自身の成長を認めてやることだ、と続けるプロデューサー。

 無論、ことねにおいてはそれができれば苦労はしないのだが、そこで話は合同レッスンに繋がってくる。

 

「みなさんと一緒にボーカルを特訓していただくのは、客観的な意見を交換してもらうためです。

 自己評価の低い藤田さんでも、第三者からの評価なら疑うことはできないはずでしょう?」

 

「それは……そうかも」

 

 見透かしたようなプロデューサーの言葉にことねは知らず苦笑する。

 彼女の自信が他人からの評価によって損なわれているのなら、同様に他人からの評価を使って回復させればいいというのは実にわかりやすい理屈だ。

 普段辛口なところがある分、咲季と手毬の評価は信頼がおけるし、莉波の褒め言葉は彼女の自己肯定感を底上げするのにきっと一役買うことだろう。

 もともと仕事を多く受ける方針もこの理屈に基づくものではあったし、こと歌唱力にフォーカスするのであれば、今回のテコ入れは合理的なのかもしれない。

 

「納得していただけましたか?」

 

「はい。相変わらず不安は不安なままですけど、頑張ってやってみたいと思います。その代わり、プロデューサーもたくさん褒めてくださいね!」

 

「ええ、お任せください」

 

 愛想よく要求することねに、プロデューサーは胸を張って応える。

 それで担当アイドルが絶好調になってくれるのなら、彼は何度でも心からの称賛を口にする心づもりである。

 しかして、ことねの不安に対する言及はひと段落と相成った。

 それを頃合いとみて、今度は莉波がプロデューサーに投げかける。

 

「ところでプロデューサーくん、私もみんなと一緒に歌をメインに特訓するのかな?」

 

「メインではありませんが、合同レッスンは行ってもらうつもりでいます。

 お察しの通り、現状の姫崎さんにとって歌は大きな課題ではありません。他3名と一緒に特訓を行ってもらうのには歌唱力の強化とは別の意図があります」

 

「別の意図?」

 

 問い返す莉波に、静かにこくりと頷くプロデューサー。

 

「先ほどもお伝えしたように、期末試験の観客は初星の生徒、さらには下級生が大半を占めます。彼女たちへの振る舞いファンサを確かなものとするために、まずはパフォーマンス中に後輩を意識する癖をつけていただこうかと」

 

「後輩を、意識……手毬ちゃんたちとの関わりを強く持つってこと?」

 

「その通りです。姫崎さんは生徒会や寮で後輩と交流する機会が多いかと思いますが、レッスン中などのステージを意識する場面ではその限りではないはずです」

 

「言われてみれば……たしかに少ない、のかも? 今までは、麻央と一緒にレッスンすることが一番多かったし」

 

「それが特別悪いというわけではありません。実際、みなさんとの訓練に加わったからと言ってステージ上での意識が本当に変わるのかは不確かなところです。しかし、癖付けるに越したことはないかと思います」

 

 寮の後輩たちは莉波の自然な魅力には人一倍敏感なはずだ。

 彼女たちのフィードバックを受けながら特訓を繰り返すことで、少しでもそれを引き出したいというのがプロデューサーの目論見である。

 あと、これは完全にプロデューサーの都合ではあるのだが、ことねの自信回復に際して莉波の包容力による恩恵を受けたいという理由もあったりする。

 

「とはいえ、注力したいのはやはりファンサの方です。こちらはビジュアルトレーナーにも相談して、特別レッスンを受けていただこうと考えています」

 

「うん、わかった」

 

「そしてここからが肝ですが、つどつどファンサをみなさんを相手に実演する機会を設けたいと思います。要はアウトプットです」

 

「予行練習でも意識を癖付けるってことだね」

 

「ええ。どこかステージをお借りするのが最善ではありますが、これは後ほど確認を取る予定です。

 とにかく、本番に近い環境で自然な振る舞いを引き出す訓練を繰り返す。それが姫崎さんの具体的な方針です」

 

 簡潔に説明するプロデューサーに、なるほどと頷きを返す莉波。

 3年間培ってきた技術をさらに底上げする特訓と、それを十全に発揮するための心構えを整える一手。

 プロデューサーの計画は彼女の課題にとってこれ以上ない回答であった。

 

「さて、以上が期末試験までのプロデュース方針となります。

 が、月村さん、どこか浮かない表情をしていますがどうかしましたか?」

 

 用意してきたプランを話し終えて、プロデューサーは改めて担当アイドルたちの反応を見渡す。

 過半数が得心したような表情を見せている中、手毬は気難しそうに眉を顰めていた。

 苦手な食べ物をペナルティに設定したことを恨んでいるのかとも思われたが、どうにもそういう感情とはまた違う。

 

「いえ、別に大したことでは。ただ楽曲を習得する上で、ひとつだけ心配なことがあって」

 

「意外ですね。聞きましょう」

 

「これ、かなりひねくれた女の子の歌だよね。私とは性格が違いすぎて……感情を入れにくいと思う」

 

「────────────────」

 

 ゴン、と何か鈍器のようなもので頭を叩かれたと錯覚するほどの衝撃。

 動揺のあまり、プロデューサーはおろか、咲季やことね、莉波さえも声が出ない。

 続く2秒ほどの沈黙。

 それはボーカルレッスン室の防音性能を再評価するに足る静寂だった。

 

「はああああああああ────────!?」

 

 しじまを破ったのは、ことねによる非難の叫びである。

 

「な、なに……?」

 

 その迫力に気圧されながら、何かおかしなところがあっただろうかと小首を傾げる手毬。

 少なくとも彼女は本気で今の台詞を口にしていたらしい。

 そんな素っ頓狂な様子が、ますますことねの溜飲を押し上げていく。

 

「おまえ、自己認識どうなってんの?」

 

「は?」

 

「いや『は?』じゃねーし! 手毬の性格がひん曲がってるせいであたしと清夏が普段どんだけ苦労してると思ってんだ!」

 

「ひ、ひん曲が────そこまで言うことないでしょッ!!」

 

「いや言うわ! 1日にどんだけトラブル起こせば気が済むんだよ!」

 

 ギャーギャーと怒号を浴びせ合うふたり。

 先ほどの静寂はどこへやら、気付けばボーカルレッスン室は騒がしいことこの上ない。

 残る3名はそんな鬼気迫る茶番劇を呆れたように眺めていた。

 ふと咲季がプロデューサーの横に並び立ち、彼にぎりぎり聞こえる程度の声で、

 

「期末試験までに手毬の好きな食材が残ってるといいのだけれど」

 

 ぼやくようにそんな縁起でもないことを口にしたのだが、プロデューサーは全力で聞かなかったことにした。

 

 

 

09 采配




またしても大変お待たせしております。
4人分の課題の話をしていたら文字数がかなり膨らんできて手に負えなくなっていました。
その関係で今話でしたかった内容を半分くらい取り逃していたりするのですが、いい加減大きく話を動かしていきたいところ。

それはそれとして、最近お気に入り登録が少し増えて大変励みになっております。
拙い筆はありますが、もし本作を気に入っていただけた場合は評価や感想、お気に入り登録していただけますと幸いです。
また誤字・脱字であったり、設定・アイドルの解釈に不備がある場合もご指摘していただけますと幸いです。
引き続きよろしくお願いいたします。
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