ノエルとラミエルは、次の会議で配るための資料を運んでいた。
両手で箱を抱えながら、会館へと続く道を歩く。
「本当にすごいんですから! ぜひ見に行ってください!」
落ちそうになった箱を抱え直して、ノエルは隣にいるラミエルに力説する。
「分かった分かった。分かったから前見て歩けよ」
ラミエルが半ば呆れるように注意するが、それでもノエルは引き下がらなかった。
ノエル曰く、オリエント公園の『願いの木』がすごい見た目になっているらしい。
『願いの木』というのは、年に一度、強い願いを持った天使の思いに応えて姿を変える不思議な木だ。
去年は、枝先に色とりどりの見事な花を咲かせていたのだが、今年は——
「全体的にもふもふなんですよ!? ラミエル様は冷静すぎです!」
「もふもふで興奮しねーよ。お前じゃあるまいし……」
ノエルは、気づいたようにラミエルを見上げると、真面目なトーンで呟く。
「確かに……ラミエル様自体がもふもふですもんね。常日頃もふもふされているから驚かない、と」
「……なんか、誤解を招く言いかただな」
他にもツッコミたいことはあるが、言い出したらキリがないとラミエルはため息を吐いた。
ふと天を仰ぐと、見知った天使が上空を飛んでいる。
小柄な体に、大きめの猫耳と長い尻尾。
のんびりと蛇行するような飛びかたは、下を歩くラミエルたちが追い越しそうなほどに遅い。
「あそこにいるのはラジエル様? 一体どうしたんでしょう?」
「さあ……? 暇だから散歩でもしてんじゃねえの?」
二人の声に、ラジエルの耳がピクリと反応した。
「あ! ノエルとラミちゃん! 箱を持ってどこ行くの?」
ラジエルは、すぐさまノエルたちの元に飛んできた。ふわりと着地して二人が抱えている箱を見る。
「僕たちは、サリエル様から頼まれて、会議用の書類を運んでいるところです」
「ラジエル、お前はまた散歩だろ?」
ラミエルが、からかうように聞くと、ラジエルは不服だとばかりに言い返した。
「お散歩じゃなくて探検! 今から展望塔を調査しに行く予定なの」
「どっちも一緒だろ」
「ふーんだ。そんなこと言うラミちゃんには、何があっても教えてあげないもんね」
腕を組んでラジエルはそっぽを向く。
彼女の意味深な言葉に、ラミエルが口を開こうとしたが、それよりも先にノエルが尋ねた。
「展望塔って、オリエント公園の近くの塔ですか?」
「そうだよ。あの細長い塔」
「でしたら、ぜひ『願いの木』のほうにも行かれてみてください!」
ノエルは、例のもふもふの木の話をラジエルに熱弁し始めた。
そのあまりの熱意に、ラジエルも目を丸くして聞いている。
ノエルが説明を終えると、願いの木がある方向へ目を向けてラジエルは微笑んだ。
「今年はもふもふの木かー。ノエルの動物に対する気持ちが届いたんだね」
「サリエル様も同じことを仰っていました。どちらにせよ嬉しい限りです」
「ノエル、良かったね! じゃあ早速見に行ってくるよ!」
「ええ、お気をつけて!」
「ちょっと待ったあ!!」
和やかな雰囲気で別れようとするラジエルを、ラミエルが大声で引き止める。
突然大きな声を出されて、ノエルもラジエルも驚いて動きを止めた。
「さっき展望塔に調査しに行くって言ってただろ」
問い質しながら、ラミエルは資料入りの箱を地面に置く。
「うん。だから『モフの木』を見に行った後に展望塔に行こうかなって」
「なんだよ、『モフの木』って……」
「『願いの木』のことだよー。もふもふだから『モフの木』!」
「勝手に妙な名前を付けるな!」
天然とも言えるラジエルの返答に対して、いつもの調子でツッコミを入れる。
そんな二人の掛け合いを眺めて、ノエルは小さく笑った。
「お二人とも、本当に仲良しですね」
「仲良し……いや、俺はこいつの『おふざけ』に振り回されてるだけだから」
「ふざけてないもん!」
「……ノエル。悪いけど、ラジエルを『願いの木』まで案内してやってくれよ。こいつ一人だと色々やらかしそうで怖えから」
腕と尻尾を振って抗議するラジエルをかわしつつ、ラミエルは続けて話す。
「書類のほうは俺がまとめて運んどくからさ」
「ラミエル様お一人で? この箱、まあまあ重いですよ」
「このくらいの荷物、運び慣れてるから大丈夫だって」
自信満々な様子のラミエルに、ノエルは不安そうにしながらも、抱えていた箱を地面に置く。
それをラミエルが持ち上げ、地面に置いていたもう一つの箱の上に積み重ねた。
「じゃあなー、お前ら。暗くなる前に帰れよー!」
二つの箱を難なく持ち上げると、ラミエルは足早にその場を去っていく。
「すみません、ラミエル様! ありがとうございます!」
「転ばないよう気をつけてねー!」
その声を背に、ラミエルはホッと息を吐いた。
二人を『願いの木』に向かわせたのは、ラジエルが心配だったのもあるが、ノエルのもふもふ話に辟易としていたのも理由の一つだったのだ。
ラミエルと別れた二人は、早速『願いの木』があるオリエント公園へと向かった。
「ラジエル様! あの木です!」
案内のために少し先を飛んでいたノエルが、指を差しながら振り返る。
その先には、二十メートルほどの高さの樹木がどっしりと植わっていた。
去年とは全く違う異様な見た目に、ラジエルは瞬きを繰り返す。
「木っていうよりも……生き物みたい」
樹木全体が白い毛で覆われ、葉と思われる部分は、黄色のふわふわとした毛玉が連なっている。
特に際立っているのは、幹から生えているものだ。
ウサギのような長い耳に、くるんと巻かれた尻尾。そして猫のようにしなやかな前脚が二本。
それらが動く様は、ラジエルの言葉通り、まるで生き物のようだった。
「見た目だけじゃなく、手触りも動物そっくりなんですよ!」
「触ったんだ……近づいて大丈夫なの?」
「前脚にさえ気を付ければ問題ありませんよ。行きましょう!」
「う、うん」
公園には誰もいない。ラジエルは、その原因があの『願いの木』にあるのではないかと思った。
飛ぶのをやめ、ゆっくりと歩いて『願いの木』に近づいていく。
すると、二人の気配を感じたのだろう。両方の前脚が、激しく地面を引っ掻き出した。
がりがりと音を立てて抉れていく地面を見て、ラジエルは震える声で囁く。
「……機嫌が悪いのかな? 怒ってるみたいだよ」
「ラジエル様、逆ですよ。この子、僕たちに会えて喜んでます!」
「そうは見えないけど!?」
「テンションが上がるとこうなるんです。危ないので前脚には近寄らないでくださいね。後ろのほうに行きましょう」
言われるがままに、ラジエルはノエルとともに木の背後に回った。
見上げると、幹の中間あたりに生えた尻尾が、左右に大きく揺れている。
「ほら、嬉しくて尻尾まで振ってますよ! ワンちゃんみたいで可愛くないですか?」
「うーん。まあ、尻尾は可愛い……かも」
「ですよね! 感触も可愛いですから、触ってみてください!」
(……感触が可愛いって、なに?)
幹の真っ白な毛を、ノエルが優しく撫でている。
その光景を目にして、ラジエルは彼と初めて会った時のことを思い出した。
撫でさせてほしいと頼まれたことや、乱暴に撫で回されて髪の毛がぐちゃぐちゃになったこと。
あの時は、ノエルの行為に腹を立てたりもしたっけ、とラジエルは苦笑した。
ついこの間の出来事なのに、なぜか懐かしく感じる。
そういう気持ちになるのは、自分が成長している証だと、前にラグエルが言っていた。
当時は理解できなかったけれど、今なら分かる気がする。
ラジエルは長い袖をまくると、ノエルを真似するように幹の毛を撫でた。
ふわりと手に馴染む毛並みは、想像以上に細くて柔らかい。
(この手触り、私のものと似てるような……?)
無言で撫でるラジエルを眺めながら、ノエルは口を開く。
「僕、初めてこの木を触った時に、ラジエル様のことを思い出したんです」
「やっぱり。さっき私も、ノエルと初めて会った時のことを思い出しちゃった」
複雑な表情で笑うラジエルに、ノエルは申し訳なさそうに俯いた。
「ラジエル様。あの時は、初対面だったのに失礼なことをしてすみませんでした」
そう言って、ラジエルへと深く頭を下げる。
「自分のことばかりで、ご迷惑をおかけして……」
「確かにあの時は嫌だったけどさ。でも、ちゃんと謝ってくれたでしょ? だからもうおしまい!」
「ラジエル様……」
「実際に触ってみたら、ノエルがどんな気持ちだったのか、ちょっぴり分かったし」
自分にそっくりな白い毛を撫でながら、ノエルを見上げる。
「それよりも、ほんとにもふもふでびっくりしたよ。ここはノエルにとっての特別な場所だね!」
「僕にとっての特別な場所……そうですね」
ノエルは『願いの木』とラジエルの顔を交互に見て微笑んだ。
「天界に来て間もないのに、二つも特別な場所ができました」
「二つ? この場所の他にもあるの?」
「もう一つは、広場の……ラジエル様に教えていただいた、あの場所です」
あの場所とは、動物の代わりにと、ラジエルがおすすめした柔らかい芝生のことだ。
よく考えてみれば的外れな提案だったと、彼女は照れるように笑った。
「今思うと……あの葉っぱ、全然もふもふじゃなかったね。それでも特別?」
「はい。ラジエル様が、僕のことを考えて見つけてくれた場所ですから」
いつの間にか、地面を引っ掻く音が止んでいる。
風に揺れる草の音とともに、静かなノエルの声が、ラジエルの耳に届いた。
「素敵な思い出のある場所が、僕にとっての『特別な場所』です」
「もふもふじゃなくても?」
「ええ、もふもふじゃなくても……実は僕、天国にいた頃は、動物以外に好きなものがなかったんです」
「そうなんだ……」
「でも、ここに来て皆さんと出会って……動物以外にも、素敵なものがたくさんあるって気づきました」
ノエルは上を向いた。『願いの木』から生えているウサギ耳が、こちら側へ傾いている。
「だから……これからは動物の代わりではなく、動物と同じくらい好きになれるものを探します!」
「絶対見つかるよ! 天界は広いんだもん……あっ」
「どうしました?」
「私、展望塔に行く予定だったの、すっかり忘れてた」
自身の言葉がきっかけで、ラジエルは本来の目的を思い出した。
ノエルもハッとした様子で彼女に尋ねる。
「そういえば、調査に行かれるんでしたね。お仕事関係ですか?」
「仕事じゃないけど、約束したから……ノエルは? まだここに居る?」
「僕はラミエル様のところに戻ります。ラジエル様、お付き合いいただきありがとうございました」
「私のほうこそ、案内してくれてありがとう!」
二人は、大人しくなった『願いの木』の下で別れを告げると、それぞれの目的地へ飛び立った。
展望塔にたどり着いたラジエルは、意を決して扉に手をかけた。
ずっしりとした重みを感じながら、扉を開く。真っ先に目に入ったのは、上へと伸びる螺旋階段だった。
「階段長〜い!」
ラジエルの声が塔内に響く。内部はとてもシンプルな造りをしていた。
展望台へと続く、ひたすらに長い螺旋階段と、等間隔にある小さな窓。
普通の天使なら、そこで登るのを諦めて出ていくところだが、ラジエルは興奮して尻尾を膨らませた。
「登り甲斐がありそう!」
よし、と気合を入れて、一気に階段を駆け上がる。
カンカンと鉄を叩くような音を響かせながら、ラジエルは一度も立ち止まることなく展望台へ到達した。
「はあ……流石にちょっと疲れちゃった」
呼吸を整えて、眼下の景色を一望する。
先ほどノエルと行った『願いの木』や、その木があるオリエント公園。
近くにある小さな聖堂の庭では、一人の天使が掃除をしている。
「おーい!」
ラジエルは、聖堂の庭を手入れしている天使に向かって手を振った。
天使は塔のほうを見上げたが、すぐに下を向いて、箒を手に聖堂へと入ってしまった。
「向こうからは見えないかー」
気を取り直して、遠くを眺める。長い間暮らしてきたのに、初めて見る景色だった。
ずっと地上に行けることを夢見てきた。ここには無いものが、たくさんあるから。
でも、天界にだって、まだまだ自分の知らない楽しいものがたくさんある。
「見つかるといいな……」
ラジエルは、希望に満ちた瞳で、目の前に広がる世界を見渡した。