マッドバッドダンジョン   作:syumasyuma

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雨宿りと、拾い物

 

 水たまりを踏んだ瞬間、左足の裏がひやりとした。

 

 すり減った靴底のどこかに、とっくに穴が空いていたらしい。じわり、と染み込んでくる冷たさに、俺は思わず足を止めた。

 

 ――最悪だ。金もないのに、これで靴まで買い替えなきゃいけないのか。

 

 内心では盛大にぼやいた。だが、それをそのまま口に出すのは、なんというか、負けた気がする。

 

 五社、六社、それ以上か。面接だ何だで、この靴でずいぶん歩いた。穴が空くくらい歩いたってことは、それだけ頑張った証拠だ。悪くない。むしろ誇っていい。

 

 いや、待てよ。よく考えたら、穴くらい別に大したことじゃない。むしろ靴なんて要らないまである。裸足で歩いたって、案外いけるんじゃないか。原始時代の人類は靴なしで大陸を横断してたわけだし。俺だって、その気になればできるはずだ。

 

 ならない。やらない。ただ、そう思えるだけで、なんとなく気が楽になった。

 

 面接官の「またご縁がありましたら」という顔を見た瞬間に、もう分かっていた。あの顔は絶対に縁を作る気がない顔だ。

 

 ――なんで俺ばっかり。

 

 その一言は、声にする前に飲み込んだ。代わりに、笑っておくことにする。ピンチの時こそ笑え、だ。中身が伴っていなくても、形だけは真似できる。

 

「はー……」

 

 息だけは、ため息の形で吐き出した。これくらいは、まあセーフだろう。すぐに思い直す。これだけ落ち続けてるってことは、それだけ「次こそは」の確率が積み上がってるってことでもある。宝くじだって、外れを引き続けた分だけ、いつかは当たりに近づいてるはずだ。多分。

 

 スーツの袖で顔を拭いながら、駅までの道をだらだら歩く。びしょ濡れの左足だけが妙に冷たくて、歩くたびにぐしゃりと嫌な音がした。まあ、この音も慣れれば愛嬌がある。俺の歩幅に合わせてリズムを刻んでくれる、専属のパーカッションみたいなものだ。そう思うことにした。

 

 人生、こんなもんだろ。

 

 昔からそうだ。宝くじは当たらないし、じゃんけんは負けるし、横断歩道はいつも赤で止まる。俺が並んだレジだけ、なぜか前の客がクレーム対応で長引く。今日だって、面接会場の傘立てに差しておいた傘が、面接の間に消えていた。駐輪場に停めておいた自転車も、いつの間にか消えていた。二つとも同じ日に、だ。運が悪いという自覚は、もうとっくに諦観に変わっている。

 

 空を見上げると、さっきまで晴れていたはずの空に、いつの間にか灰色の雲が重たく居座っている。

 

「うわ、マジか」

 

 ぽつり、ぽつりと来たと思ったら、あっという間に本降りになった。傘は、今日はもう俺の手元にない。まあ、濡れついでに靴も一緒に洗われると思えば、多少は建設的だ。俺は舌打ちしながら、近くの土手のほうへ走った。橋の下にでも入れば、少しはマシだろう。

 

 土手の斜面を駆け下りたところで、妙なものを見つけた。

 

 草むらの陰に、ぽっかりと黒い穴が空いている。直径は一メートルもないくらいの、井戸にしては浅く、雨宿りにしてはちょうどいい大きさの穴だった。

 

 妙なのは、入り口から覗き込んでも、中がまったく見通せないことだった。まるで黒く塗りつぶされたみたいに、奥の様子が一切分からない。

 

「……こんなのあったっけ」

 

 この辺りは何度も通っている道のはずだが、記憶にない。まあいい。今はとにかく雨をしのぎたい。濡れた靴の中の不快感から逃げるように、俺は迷わず頭から突っ込んだ。

 

 

 

 穴の中は、思ったより広かった。

 

 いや、広いというか――変だった。外の雨音がぴたりと聞こえなくなっている。さっきまであんなに叩きつけていたはずの雨粒の音が、まるで分厚い壁の向こうにあるみたいに、遠く、遠く感じる。

 

「なんだ、ここ……」

 

 目が慣れてくると、穴の奥がぼんやりと続いているのが見えた。妙な胸騒ぎがしたが、俺の足はなぜか止まらなかった。理屈より先に体が動くのは、昔からの悪い癖だ。

 

 奥に進むと、何かが横たわっているのが見えた。

 

 最初は人形かと思った。二十センチくらいの、こけしみたいに丸っこいシルエット。だが近づいてよく見ると、それはぴくり、ぴくりと弱々しく動いている。

 

「……は?」

 

 黒くつやのある髪、狩衣らしき装束。人形にしては妙に精巧で、生き物にしては小さすぎる何かが、地面に力なく転がっていた。

 

「お、おい。大丈夫か」

 

 声をかけると、その小さな何かは、うっすらと目を開けた。

 

 助けを求める小さき者。俺は無意識のうちに、片膝をついて右手を差し伸べるという、我ながらキザなポーズを取っていた。

 

「安心しろ。俺が来たからにはもう――」

 

 言いかけたところで、足元がぬかるみに滑り、キメ顔のまま盛大にバランスを崩した。踏ん張ろうとした拍子に、差し伸べたはずの手が地面に突き刺さる。

 

「――だ、大丈夫、今のはノーカンだから」

 

 誰に言い訳しているのか自分でも分からなかった。

 

「……そなた、人間か」

 

 声は思ったよりしっかりしていた。俺はしゃがみこんで、その小さな体をそっと持ち上げる。羽根みたいに軽い。

 

「人間だけど。お前、何なんだよ、これ」

 

「ヒメは……ヒメは、八牟須毘比売命と申す。神……ではあるのじゃが、いささか、力を使い果たしてしもうての」

 

「神様?」

 

 俺は正直、頭の中で「はいはい」と流す準備をしていた。厨二病かオカルト好きの人形か何かだろう、と。だが、その"人形"の目には、演技には見えない、本物の弱さと必死さが宿っていた。

 

 理屈はあとだ。

 

「とりあえず、外に出るぞ。ここにいたら埒が明かない」

 

「え、あ、ちょっと――」

 

 俺は迷わず、その小さな体をポケットに突っ込んだ。行儀が悪いのは分かっているが、両手が塞がっていては歩けない。

 

 その瞬間だった。

 

 体の奥から、これまで感じたことのない熱のようなものが、ぶわっと湧き上がった。何かのスイッチが入ったような、体の輪郭がやけにはっきりと感じられるような、妙な感覚。

 

「うおっ、なんだ今の……」

 

「あ、それは多分、ヒメを助けようとしたことで、そなたの内なる気が動いたのであろうよ」

 

「気?」

 

「詳しい話はのちほどじゃ。とりあえず、ここから出ようぞ」

 

 言われるがまま、俺は奥から入ってきた道を戻った。不思議なことに、穴はさっきよりも近く感じた。数歩歩いただけで、もう外の光が見えてくる。

 

 外に出ると、雨はすっかり上がっていた。雲の切れ間から、やけにまぶしい西日が差し込んでいる。

 

「して、そなた、名は」

 

 ポケットから顔だけ出したヒメが、こちらを見上げて聞いてきた。

 

「赤城豪。今年で二十八」

 

「ゴウか。よい名じゃ」

 

「お前が勝手に決めた基準だろ、それ」

 

「……で、お前、これからどうすんの」

 

「ヒメ、目覚めたゆえ、その旨、報告に参らねば」

 

「報告? 誰に」

 

「アマテラスさまじゃ」

 

 ポケットから顔を出したヒメが、けろっとした顔でそう言った。

 

「……アマテラス? あの、天照大神の?」

 

「左様。ヒメは低位の神ゆえ、直にお目通りは叶わぬが、近くの社にて詣でれば、ちゃんとお伝わりになるはずじゃ」

 

「いや、待てよ。俺、ただ雨宿りに来ただけなんだが」

 

「よいではないか、よいではないか。付き合うてたもれ、命の恩人であろう」

 

 軽いノリでぐいぐい来られると、こっちも断りづらい。まあ、どうせ暇だ。仕事もないし、金もない。神社参りくらい、タダだしな。

 

「……分かったよ。付き合う」

 

 結局、俺はその足で、近所の小さな神社に向かった。参道を歩きながら、ヒメがポケットから顔を出したまま、鳥居やら灯籠やらを珍しそうに眺めている姿は、なんだかコントのようだった。

 

 賽銭箱の前で、ヒメが「よし」と小さく気合を入れる。

 

「アマテラスさま、聞こえておりましょうか。ヒメにございます。目覚めましてございます。この者に、助けられましてございます」

 

「……お参りって、そういう感じでいいのか」

 

「気持ちが大事なのじゃ、気持ちが」

 

 俺は苦笑しながら、財布から小銭を取り出して賽銭箱に放り込んだ。五円玉しかなかったのが、我ながら情けない。

 

 パンパン、と手を叩く。特に願い事は浮かばなかった。強いて言うなら、次こそ面接に受かりますように、くらいのものだ。

 

 こんなことが、後々どれほど大きな意味を持つことになるかなんて、この時の俺は知る由もなかった。

 

 夕暮れの空を見上げながら、俺は独りごちる。

 

「まあ、なるようになるか」

 

 結局、その日の面接の結果はまだ来ていなかったし、財布の中身は五円玉分だけ減っていた。それでも、なぜか気分は悪くなかった。

 

 困ってる誰かを助ける。カッコよく現れて、名乗りもせずにサッと去っていく――なんてのは今日は無理だったが、まあ、及第点にしておこう。次はもう少し、決まった感じでいきたいものだ。

 

 小さな神様と一緒に帰る、妙な一日だった。

 

 

 

 

 

 

 その日、皇都の反対側でも、同じ雨が降っていた。

 

 男は、いつもの近道を使うつもりだった。会社帰り、少しでも早く家に帰りたくて、普段は避けている河川敷の脇道に足を踏み入れた。

 

 雨脚が強くなる中、傘もささずに歩いていると、視界の端に、奇妙な裂け目が見えた。

 

 塀か、地面か、境目のはっきりしない場所に、黒い裂け目のようなものが走っている。近寄って覗き込むと、思ったよりも奥行きがあるようだった。

 

 ただの側溝の凹みだと思っていた。

 

 雨宿りにちょうどよさそうだ、と男は思った。傘を持たない自分を呪いながら、その裂け目に体を滑り込ませる。

 

 中は、思ったよりも広かった。

 

 外の雨音が、急に遠くなった気がした。

 

「……あれ」

 

 妙な違和感を覚えて振り返ると、入ってきたはずの裂け目が見当たらない。

 

 ただの闇が、そこにあるだけだった。

 

「おーい」

 

 声を出してみても、返事はない。反響すらしない、奇妙に静かな闇だった。

 

 男は、少しずつ足を進めた。出口を探して、右へ、左へ。だが進めば進むほど、方向感覚が失われていく。時間の感覚さえも、次第に曖昧になっていった。

 

 どれくらい経っただろうか。

 

 喉の渇きと、底知れない疲労感が体を蝕んでいく。誰かに助けを求めたくても、声を出す気力すら残っていなかった。

 

 男は、ただ座り込んだ。

 

 冷たい闇の中で、意識が少しずつ薄れていく。最後に思い浮かんだのは、家で待っているはずの、誰かの顔だった。

 

 それきり、男の姿は、誰の目にも触れることはなかった。

 

 

【謎】最近やたら見る変な穴、なんなの?【急増中】

 

1:名無しさん

 最近近所で変な穴見かけない?地面にぽっかり空いてるやつ

 

17:名無しさん

 あるある、うちの近くの土手にもあったわ

 最初工事現場かと思った

 

19:名無しさん

 うちの方は塀に亀裂みたいなのが走っててそこが穴になってた

 普通の陥没とは違う感じ

 

23:名無しさん

 >>19

 それ怖くね、地盤沈下とかじゃないの

 

31:名無しさん

 役所に問い合わせたけど「調査中です」の一点張り

 たらい回しにされた

 

34:名無しさん

 覗いてみたけど普通に真っ暗で何も見えんかった

 入るのはやめとけよ絶対

 

42:名無しさん

 数だけはやたら増えてる気がする

 先週は1個だったのに今週3個見た

 

45:名無しさん

 地震の前兆とかじゃないよな…不安になってきた

 

 

【拡散】近所で行方不明者が増えてる件

 

1:名無しさん

 うちの近所、ここ数日で行方不明者のポスター2枚見た

 偶然にしては多くない?

 

14:名無しさん

 それうちの方でも聞いた

 会社帰りに忽然と消えたとか

 

18:名無しさん

 遺留品も何も見つからないってのが不気味

 事件性ないって警察は言ってるらしいけど

 

25:名無しさん

 最近の変な穴と関係あるんじゃね?って冗談で言ってたら

 マジでそうなんじゃないかって思えてきた

 

29:名無しさん

 考えすぎだろ、単なる偶然だって

 

30:名無しさん

 でも数が多すぎる気がするんだよな…

 気のせいだといいけど

 

38:名無しさん

 うちの近所の掲示板でも似たような話出てる

 なんか嫌な予感する

 

 

【海外】各国で同時多発、原因不明の陥没・失踪報告

 

1:名無しさん

 海外掲示板でも似たような話題見つけた

 アメリカ、ヨーロッパ、東南アジア…あちこちで報告あるらしい

 

16:名無しさん

 翻訳して読んでみたけど、日本の状況とほぼ同じ内容だった

 謎の穴、行方不明者の増加

 

19:名無しさん

 これもう日本だけの話じゃないってことだよな

 同時多発ってことは自然現象なのか?

 

27:名無しさん

 専門家のコメントとかまだ全然出てこないの怖い

 みんな手探り状態ってことでしょ

 

33:名無しさん

 そのうち各国政府が公式発表するんじゃない

 さすがにこれだけ広がってたら無視できないだろ

 

39:名無しさん

 なんか、始まったばかりって感じがして落ち着かない

 

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