キドリの森には雨が降っていた。
木々の間を、ぱしゃぱしゃと小さな足音が駆け抜けていく。
それは小さな竜だった。
ちょこんと生えた羽に尻尾、まだ生えそろってない牙、つぶらな瞳。
思わず可愛がりたくなるような、愛らしい見た目の竜の幼体だった。
「ウガアアアアアアア!!!!」
(死ぬぅうううううううう!!!!)
竜の背後には熊が迫っている。
体は赤く、腹部には巨大な口が、背丈は人間の大人三人分はあろうかという大きな熊だった。
(なんで、俺がこんな目に………!! ちょっと野宿したかったから横穴に入っただけなのに……!! そりゃ交尾を邪魔したのは悪かったけどさぁ!!)
竜は本当に悪かったと思っているらしく、熊に反撃をすることはなく、地形と体の小ささを活かして森の中を逃げ回る。
(この体はまだ四歳、家出をするには早かったか……? いやいや、この程度でへばってちゃ、ボウにまたデロデロに甘やかされて尊厳を失うことになる……! ピュトン様の実力ってやつを見せてやるぜ!)
さて、この竜だったが、少々特殊な事情を抱えていた。
前世の記憶があるのだ。
いまから三百年前のことである。
この世界を創造した四柱の神々は、千年に一度の恒例行事に励んでいた。
各々が選んだ世界最強の戦士に神通力を与え、殺し合わせる。
神々の代理戦争だ。
勝ったものは敗者の神通力を取り込み、最後まで勝ち残ったものは神に次の千年まで有効な命令を課すことができる。
この神通力が、問題だった。
戦闘力を大きく向上させるだけでなく、下界に生きるものの魂を大きく変質させてしまう。
本来なら輪廻の輪で漂白されるはずの魂に、前世の記憶が残ってしまったり。
ピュトンは三百年前の代理戦争の勝者だった。
他の戦士を全員殺し、大量の神通力を得たピュトンは前世の記憶をはっきり残したまま生まれてきたのだ。
しかしそんな輝かしい戦果も昔の話。
今のピュトンはまだ四歳。熊から逃げ切れるほどのスタミナなぞ持っていない。
「グ、グウウゥゥ………」
(こ、このままじゃ今世がここで終わっちまう……!! だれか、だれか助けてくれぇ!!)
と、ピュトンが他人任せの泣き言を吐いたところだった。
熊とピュトンを遮るように、地面から長方形の壁が空に向かってせり上がった。
驚いて背後を振り返ったピュトンは、それがよく練られた土魔法によるものだと理解する。
「ほら、逃げますよ!」
後ろから伸びてきた手が、ピュトンを抱きかかえる。
手の持ち主は、十三歳程度の幼い少女だった。
髪の色は明るい金髪。肩ほどまでの長さに丁寧に切りそろえられている。
安価な皮製のブラウスをベルトで腰に結んでいるあたり、そんなに裕福そうではない。
(この年齢で、ここまで土魔法を操るのか……! こいつ、すげぇ!)
たった今行使した魔術からは、確かな鍛錬の跡を感じた。
十そこらの子供の練度ではない。子供のうちは魔力量だって少ないのに。
「はぁ、はぁ…… そろそろ、大丈夫でしょうか?」
少女はピュトンを地面に下ろし、こまったように眉を下げる。
「森に竜が二匹も……ダークドラゴンの子供、ではないですよね……? 一体どこから……」
「グゥッ」
どうせなら少女に飼ってもらえないかな、と下心を込め、ピュトンは可愛く鳴く。
その瞬間だった。少女の金の髪を見て、ピュトンの脳裏でフラッシュバックするものがあった。
代理戦争で敵対した相手の中で最も手段を選ばない女。
有効だと判断すれば味方ごと攻撃するその苛烈さは、ピュトンの記憶に新しい。
聖王国の歴代でも最強とうたわれる伝説的な土魔法の使い手。
「ガゥアゥ……」
(聖女、セイロン……)
あんぐりと口を開けたピュトンは、己の失策を悟る。
こっちに記憶があるということは、当然相手にも—————。
「………ぴゅ、とん?」
ギラギラした目でこちらを見下ろすセイロンが怖かったので、ピュトンはおもわず後ずさった。
—————
「なるほど、前回の戦いではあなたが勝ち残り、今も私に前世の記憶があるのは神通力の影響だと……」
ピュトンの説明に納得したらしいセイロンは、ようやくピュトンの肩から手を放してくれた。
『一応聞くが、もう敵対する意思はないんだよな?』
高位の魔物がおおよそ扱える、思念を直接相手にぶつける魔術である念話を使い、ピュトンはセイロンに確認を取る。
前世の記憶があるということは、恨みも当然持ち越しているはずだ。
「……ええ。前世で私が戦っていたのは、神に『勝ち残らなければお前の祖国を滅亡させるぞ』と脅されていたからです。あなたが私の祖国を守ってくれた以上、あなたと争う意思はありません」
『守ったっつーか……結果的にそうなっただけだ。あんまり恩とか感じないでいいぞ』
代理戦争を勝ち残ったピュトンが四柱の神に願ったのは、「次の千年下界に干渉しないこと」だった。
ピュトンの命令により今後千年、聖王国に神は干渉できなくなっていた。
「千年経てばどんな王国だろうとそのままの形ではいられないでしょう。もう、神に私の愛した聖王国を滅ぼすことはできません…… ふぅ~~~っ。あなたのおかげで、私の心残りは解消されました」
セイロンは長いため息をつき、ピュトンにニコリと微笑んだ。
「私は来世でも記憶を持ち越せるのでしょうか?」
『いや、お前は得た神通力の量が小さい。来世に記憶は持ち越せんだろう』
セイロンの笑みが深くなった。ピュトンは嫌な予感がした。
「……一つ、お願いを聞いてくれませんか」
『……? 救済はしない主義でな。取引ならいいぞ』
「了解しました、では取引をしましょう。私にできることならなんでもいたします」
『おい、なんでもってな……』
「いいんです」
セイロンはうっとりとピュトンの爪を撫で、喜悦を滲ませた声で囁いた。
「私のお願いはシンプルです。———私を殺してください。前世と同じように、その顎で噛みちぎって」
しばらくの沈黙の後、ピュトンは口を開く。
『……それじゃ取引にならねぇな。なんでもしますって言われても、見ての通り、野良竜なんだ俺は。前世と違ってお前を十分に活かせる立場もないし、たとえ財宝を貰ったとて活用できる取引相手がいない。 ……とりあえずは、俺をお前の家に泊めてくれよ。そこでの生活が快適だったら、取引を考えないこともない』
セイロンは僅かに眉を下げ、その場でくるりと反転した。
「……では、キドリ村へ行きましょうか。ついてきてください」
なんだか面倒な相手に捕まった。
ピュトンは小さくため息をつき、セイロンの背を追いかけていった。
—————
「うわ〜〜っ本当にドラゴンだ!!」
「見せて見せて」「ツノかっこいい!!」
「グルルルルゥァアア??!」
(やめっ、バカ、どこ触ってんだ!! いて、痛てててて)
イツ(セイロンの今世の名前)が希少種である竜を連れ帰ったことは、瞬く間に村中に知れ渡った。
子供たちは一切の遠慮なく、ピュトンを撫で、つねり、引っ張った。
「これダークドラゴンの子供? イツ姉ちゃん盗んできたの?!」
「違いますよ。今森の南部に居座っているダークドラゴンとは別の種族です。ダークドラゴンに手を出したら私でも生きて帰れませんよ」
村の子供たちに英雄を見るかのような視線で射抜かれ、セイロンは居心地悪そうに首を振る。
『セ、セイロン助けて! 俺、こいつら、無理!!』
泣きながらピュトンはセイロンの胸に飛び込んで、体を小さく小さく丸めて怯えたフリをする。
「あー怯えちゃった」「アポちゃんが尻尾引っ張るから」「俺のせいっていいたいわけ?」
子供たちの間では、即座に犯人探しが始まった。
その隙にセイロンは家に入る。
「ふぅ…… 大変な歓迎でしたが、何分ご容赦を。子供のすることですので」
『ああ、それはいいんだ…… 子供はかっこいい存在を見ると何してもしょうがない生き物だから……』
疲れ切った目で、ぼんやりピュトンは部屋を眺めた。
(……食器やベッドが一個しかねぇ。この年で一人で暮らしてやがる。家族とかいないのか?)
何か悲しい事情があるかもしれないし、前世から引き継がれた知識の力で大人として認められているだけかもしれない。
聞いても得はなさそうだと判断したピュトンは、何も言わず床に寝そべった。
「……竜って案外大人しいんだな?」
「ね。間近で見るとカッコよかった〜〜! ……あれくらい大人しいならさ、ダークドラゴンってどうなんだろう?」
「だ、ダメだよ、イツ姉ちゃんに行くなって言われてるじゃん……」
「お前イツ姉の言うことならなんでも聞くわけ? エロガキじゃん」
「ち、違うもん……」