粘土が甘えるように竜の体に絡みついた。一度固まれば、それは鉄以上の強度を持つ。
魔物の集落の中、私はピュトンの機動力を土魔法で奪っていく。
ようやく。ようやくだ。
あの最強の竜を殺すため、なんでもした。
川に毒を撒き、竜が庇護していた魔物たちを弱らせた。
少しでも勝率を上げるため、聖王国の貴族たちを脅し、兵隊をかき集めた。
油断はない。一瞬の判断ミスで、私の祖国は滅ぼされる。
「グルルルルァアアアアアァ!!」
怒りに満ちた声で竜が吠える。
その顔に、一人の兵士が切りかかった。
その緑髪には覚えがあった。
マツだ。
私の最初の友人。守りたい人の中に真っ先に思い浮かぶ大切な人。
マツは強い。剣の腕は私の部下の中でも一番だ。
今も、鋼鉄の鎧もかみ砕く竜の牙を剣で受け流している。
土魔法で援護をしようと足を踏み出した私に、もう一人の私が囁いた。
『今よ、マツごとピュトンを土の槍で串刺しにしましょう』
思わず魔法を発動させようと振るった手が止まる。
私の土の槍は人間なんか簡単に突き破れる。マツの体越しでも、ピュトンに致命傷を与えられるはずだ。
マツも自分ごと攻撃されるなんて思ってないからこそ、ピュトンもこの一撃は察することができない。
でも。
でも。
でも。
『今まで何人の命を踏みにじってきたと思ってるの? 友達だけ特別扱いするつもり?』
……ああ。
まったくその通り。
私はもう止まれないのだ。
指を振り、土の槍を伸ばす。
血しぶきが、私の前で広がった。
まあ。
そこまでしても、届かなかったのだけれど。
—————
「……何やってるんですか」
『飯探してんの。なんか、こう……ネクターとかない?』
「そんな高級なお酒、農家の娘の家にあるわけないでしょう。……どこで知ったんですか、そんないい物の味」
最悪な夢見から目覚めたセイロンの目に、家のツボをひっくり返しているピュトンの姿が映った。
つぶらな瞳で家のなかを歩きまわるピュトンは、子供たちがはしゃぐのも無理のない愛くるしさだ。
『俺、今まで人間に養ってもらってたんだよ。神通力を分け与えた、前世からの部下に。束縛がきつくて逃げだしてきちゃった』
セイロンの疑問に、平然とした様子でピュトンは答える。
「は、な……前世のころから、神通力の仕組みを知っていたのですか? 一体どこでその情報を……」
『あー、俺、代理戦争に参加するのこれが初めてじゃないんだ』
セイロンは絶句する。
千年に一度の代理戦争に、一つの命であれば何度も参加できるわけもない。
しかし、セイロンは知っている。神通力という、本来一つだけの命に続きを与える力を。
『俺、五十回くらい転生を続けてんだよね。代理戦争には六回参加した。勝ったのはそのうちの四回かな』
まあ、一回目の生がちょっと特殊だったんだよ。
ピュトンはそう言い、言葉を続ける。
セイロンも話を遮る気はなかった。
『俺の一回目の生は、虚飾の神の兵器だったんだよ。神々同士の殺し合いで、最前線に送られるドラゴンだった。戦争が終わって、四柱の神が世界を治めている今の世界の形になって、兵器の俺はいらなくなった』
「……神に廃棄された、と?」
『そうだな、神通力がたっぷり籠った一撃を食らって、俺は何回死んでも来世に記憶が持ち越されるようになった』
「……ひどい」
短い生が悲劇なら、長すぎる生は苦痛だ。
終わりがこない人生など恐怖でしかない。
少なくともセイロンはそう考える。
「代理戦争の報酬に『次の千年下界に干渉しないこと』を選んだのは、神への恨みからですか」
『恨みっつうか……まあ、人間とはいろいろ感覚も違うからな。たぶん俺に神通力を授けたのも代理戦争に参加させてくるのも、あの人らなりのお詫びなんだと思うよ。……ま、そんなに感覚が違うわけだから、地上のことにあんま関わってほしくねぇっていうか…… えーと、いろんな生を体験してきたから、できることもあるんだぜ?』
セイロンが話を聞いて眉のしわをどんどん深くしていくのを見て、ピュトンは慌てて話題を変える。
ピュトンが息を吐くと、竜の体が膨張していく。
頭部の角が縮み、代わりに髪の毛が生える。固い鱗は、絹の服のように柔らかく変わる。
数秒と経たないうちに、ピュトンは二十代ほどの、緑の服を着た人間の男になった。
「……!? へ、変身魔法ですか? 肉体をそこまで変えてしまうと、普段自分が扱っている体と動かし方が違いすぎてろくに歩けもしない筈じゃ……まさか」
「おうよ、何回も転生してるから、人間になったことだって当然あるぜ。虫や魚にだってな」
「うわ~~~、すごいですね! 筋肉のつき方だって人間そのもの……医療魔法のプロでもこれほど精巧な肉体は作れないのではないでしょうか」
セイロンの気を逸らすことに成功したらしいと判断したピュトンは、ほっと息を吐く。
土魔法の練度から、魔法は好きなんだろうとあたりをつけてはいたが、予想以上だった。
「顔もよく見せてください。……目の水晶体までよくできてる」
セイロンの手に頬を挟まれ、ピュトンは瞳をのぞき込まれる。
まつ毛が触れ合うほどまで近づいてきたセイロンに、ピュトンはさすがに制止の言葉を発しようとして。
「イツ!! な、ななな何してるのさ!!!」
声の方を向けば、三十代ほどの女性が玄関に立っていた。
女性は部屋に入りこんできて、ピュトンとセイロンの間に割り込んでくる。
緑の髪が印象的な彼女は、敵意のある視線でピュトンを警戒している。
「あんた、この村の人間じゃないね。どこからここに来たんだい」
「ち、違うのお母さん、この人は旅人で…… 私が家に泊めているんです」
「あんたはまだ十三歳だろう! ……魔法が使えるから大人並みに働けるとはいえ、そんな苦労まで背負う必要はないじゃないか」
セイロンの母親らしい女性は、セイロンの一人暮らしにもあまり好意的ではないようだ、とピュトンはなんとなく察した。
一人暮らしをしているのは、環境のせいじゃなくセイロンが望んだことなのだ、とも。
「この人は優秀な魔導士で、今も魔法を見せてもらってたんです! ね、そうでしょう?」
「おう」
セイロンに話を振られ、ピュトンは頭だけを犬に変えてみせる。
呆気にとられた緑髪の女性を、セイロンは土魔法で作った腕で外に押し出す。
「私のことは心配いりませんので! 今後私の家に入るときはノックをすることを徹底してくださいねっ!」
「ちょ、ちょっと……玄関の前に食料を置いておいたから、今日の夕飯にでもするんだよ!!」
緑髪の女性を外に押し出し、ぴしゃりとドアを閉めるセイロン。
肩で息をするセイロンに、ピュトンが口を開く。
取引を持ち掛けられたものとして、ここは聞いておかねばならない場面だろうと思ったからだ。
「お前が死にたいっていうのは……あの人が関係してるのか?」
「ええ、察しますか」
「戦った相手の顔はなるべく覚える主義なんだよ」
前世で起こった決戦で、ピュトンはセイロンの率いる騎士団と戦った。
戦いの中で、剣の腕に優れていた緑髪の騎士がいた。
緑髪の騎士は、セイロンの母と瓜二つだった。
「たまにあるんだよな、前世の縁が深いと来世でも縁が続くの……」
「………苦しいんです。私の過ちを突き付けられているようで」
セイロンは、顔を伏せ、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「私は、マツを……大事な人を守りたかった。本当はそのために戦ってたのに、犠牲にした人が多すぎて、だんだん本当は何をしたかったのかわからなくなって……父も、前世の親友なんです。私の采配ミスで死なせてしまった。……愛されれば愛されるほど『もしお前がいなかったら、私たちはこんなに幸せになれたんだぞ』と言われてるようで、狂いそうになる」
だから。
だからどうか。
「私を殺してはくれませんか。野良の竜に殺されたという『事故』であれば、自殺するより両親のショックは小さいでしょう」
ピュトンはしばらく考え、ゆっくりと口を開いた。
「………まぁ、まあまて。前世と違って、ここは太平の世なんだ。人が死ぬっていうのは大変なことだし、大変以上に面倒なことだ。葬式やって、埋葬して、結んでいる契約を解除して…… 自分が死んだあとのことまで考えたいっていうなら、その辺も過不足なくやっておこうじゃねえか」
「……それもそうですね」
ピュトンの言葉にセイロンは納得したらしく、立ち上がってドアを開けた。
「今から私の埋葬場所の下見にいきます」
「行動力すげぇな…… いいぜ、泊めてもらった分は返そう。ついていくさ」
ピュトンが小竜の姿に戻り、セイロンの後ろから歩いてくる。
共同墓地に行こうと村の中心を通った時のことだった。
「普段遊んでいる場所に子供たちがいないんだって!」
「まぁあの子たちもバカじゃないんだし、そのうち帰ってくるんじゃないかねぇ」
「そんな悠長なこと言って何かあったらどうするんだい!」
道端で会話をしている中年女性の声を聞いて、セイロンは嫌な予感がした。
昨日、子供たちの好奇心を刺激するような幼竜を確かに見せた。
もしピュトンのような凶暴性の無さが竜の普通だと思ってしまったら……
セイロンは近場にあった民家の影に隠れて印を結ぶ。
『……マーキングの魔術? 村の子供につけてるのか?』
「子供はすぐ死ぬんですよ、仕方ないじゃないですか」
『んまぁ気持ちはわかるが……』
セイロンは意識を集中させる。
村から離れた森の南部に複数の反応が確認できた。
ダークドラゴンの痕跡が確認された場所である。
「ピュトン、また契約を結んでくれませんか?」
『いいぜ。……死んだらまたこういうことがあっても助けに行けねぇな』
「……っ」
『悪かった、悪かったから蹴るなって! ……ダークドラゴン相手には真正面から戦っても分が悪い。俺も部下を念話で呼ぼう』
言葉を交わし合いながら、ピュトンとセイロンは森の南部へと駆け出した。