第1章第1話 見たことのない部屋
家政婦長は、私の部屋に入ると、丁寧に一礼した。
両手に畳んだ衣服を抱えている。
「例の女性は寝巻きに着替えさせて客室のベッドに寝かせました。
脱がせた衣服はこちらに。ただ、肌着には手をつけておりません」
私は彼女の抱えた衣服を一瞥して、
「結構だ。衣服は暖炉脇のサイドテーブルに置いておけ」
とだけ答えた。
家政婦長は、言われたとおりに衣服を置き、扉の前でまた一礼して、この部屋を辞した。
* * *
目を開けると、
(……白い)
最初に、そう思った。
いや、思ったというより、ただ白かった。 天井らしきものが、ぼんやりと視界の上に広がっている。
(……ここ、どこ?)
そんな疑問が浮かぶまでにも、少し時間がかかった。
頭の中に靄がかかったようで、考えようとすると、何かが水底へ沈んでいく。
どうも私は、寝ていたみたいだけど……ここは……。
木製の、きちんとしたベッド。見覚えのない部屋だ。
病院でもない。 ホテル……でも、たぶんない。 身体が重い。
寒い、ような気もする。 けれど、布団はあたたかい。
(……布団?)
これは布団じゃない。
身体の上に白いシーツがかかっていて、その上に毛布が2枚かかっている。
ホテルのベッドのようではある。
私は、どうしてここにいるのだろう。
なんとか上半身だけ起こして、ベッドの上から室内を見渡した。
見たことのない天井。 見たことのない部屋。 見たことのない……暖炉。
本物の暖炉だ。
火が入った、本物の暖炉。
この人生で、そんなものにお目にかかる日が来るとは思わなかった。
怖い。
ここ、どこ?
視線を落として自分の身体を見ると、白い長袖の服を着せられていた。
そう、着せられていた。こんな服は記憶にない。
シーツの中に手を入れて服の裾を探ると、丈は足首ほどまでありそうだった。
生成りがかった木綿の、ゆったりとしたワンピース。
(……ネグリジェ?)
自分の身体を服の上から両手のひらで叩いてみる。
寝巻きの下は、ブラジャーとショーツだけのようだった。
一体、誰に着替えさせられた?
矢も盾もたまらず、ベッドを降りる。
足裏に柔らかなラグの毛足が触れた。
板張りの床に大きなラグが敷かれ、ベッドはその上に置かれている。
(裸足で床を歩いていいんだろうか?)
そう思い、ベッドの周りを一周したが、スリッパはない。
仕方ない。
次に、大きな窓が目に入った。
(……外がどうなってるか見てみよう)
窓に近寄って外を覗くと、外は一面の銀世界だった。
(え……冬……?)
今って、冬だっけ?
そう思ったとき、背後でガチャリと音がした。
振り返ると、外国人と思しき女性がドアを開けて部屋に入ってくるところだった。
――外国人!?
そう思うより先に、女性の方が驚いた様子で言った。
‘Oh! I’m sorry! I didn’t realise you were awake!’
えっ……えっ……
英語――――!?
窓際の私と、ドアを開けた女性は、お互いを凝視したまましばらく固まっていた。
先ほどの、女性の言葉。
『オウ! アイムソーリー!』まではわかったが、その後に続く英語はまったく聞き取れなかった。
「アイ……アイ……アイキャントスピークイングリッシュ……」
やっとのことで、そう絞り出す。
女性は一瞬、怪訝な顔をしたが、おずおずと
‘Are you Japanese…?’
と訊いてきた。聞き取れた。
「イ……イエス、アイムジャパニーズ」
そう返事をすると、女性の顔がパッと明るくなった、ような気がした。
‘There’s a Japanese man in the house. Please, have no fear!’
英語で何やら言っているが、『ジャパニーズ』と『プリーズ』しか聞き取れない。
「アイ……アイキャント……アイムノット……」
口をぱくぱくさせながらしどろもどろになるばかりで、何と言っていいか、まったくわからない。
女性も困り果てた様子だ。
‘That is rather a difficulty, isn’t it? Whatever are we to do? ...For the moment, might I ask your name?’
ぜんぜん聞き取れない。
「……ス、スロウリー、プリーズ……」
なんとかそれだけ言うと、女性も少し口をぱくぱくさせて、
‘Your name, please.’
と言い直してくれた。聞き取れた。
「マイネイム?」
‘Yes!’
私の名前を訊いている。
私の、名前……名前……。
顔から血の気が引いていくのが、自分でもわかった。
自分の名前が、わからない。