霧、時々晴れ   作:Aya0

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第1章第2話 1903年

1時間ほど前に、私が目を覚ました部屋。

窓際には、見上げるほど背の高い、端正でいかめしい男性。

ドア近くの壁際には、きちんとした身なりの初老の男性と、気難しそうな中年女性。

少し離れて、若い女性が2人控えている。

知らない外国人5人に囲まれて、息が詰まりそうだった。

彼らは先ほどから言葉を交わすこともなく、その上、みんな揃って佇まいに隙がない。

1人だけ椅子に腰掛けている私の背筋も、自然と伸びた。

 

(男性が来るから、寝巻きから着替えろって言われたのね……)

ここがどこかについては、イギリスかなと、乱暴に見当をつけてみてはいるが、英語圏だということと、どうやらお金持ちの家らしいということ以外ははっきりしない。

(私の身に、何があったの……)

海外旅行の途中で、事故にでも遭ったのだろうか?

それにしては、どこにも怪我はないようだった。

(私は、どうなるの?)

皆目見当がつかない。

 

そのとき、ドアをノックする音が聞こえた。

‘…Come in.’

長身の男性が返事をすると、ドアを開けて若い男性がきびきびとした所作で部屋に入ってきた。

顔立ちからすると、もしかして――

「初めまして。

亜双義一真と申します。

日本人です。

どうか、お気を楽に」

……日本語……!

ピンと張った背筋から、へなへなと力が抜けた。

アソウギカズマと名乗った男性は、つかつかとこちらへ歩み寄り、長身の男性と2つ3つ言葉を交わして、私の前に片膝をついた。

「ご自分の名前も思い出せないと伺っています。

さぞ心細いでしょう。

しかし、この家の人間は信用していい。

まずはご安心ください」

「……あ、ありがとうございます」

彼の言葉をそう受けたあと、私は思い切って尋ねてみた。

「あの。ここは、イギリスですか?」

アソウギを名乗る男性は、少し目を見開いた。

「そのとおりです。……なぜおわかりになりました?」

こう問われて、私は言葉に詰まった。

「……なぜ……なぜ……わかりません……」

不意に頭痛がして、思わずこめかみに手を当てる。

「ああ、申し訳ありません。

問い詰めようという気はありませんでした」

彼は思案深げに顎を撫でて、続けた。

「無理に思い出そうとなさらなくて結構ですが、少し確認したいことがあります。

どうやって英国に来たのかも、覚えていないのですか。

おそらく船旅だったでしょうが……」

今度は私が目を見開いた。

「……え? 船……? ふつう、飛行機でしょう?」

アソウギさんの顔色が、さっと変わった。

「……なんですって……ヒコウキ、と?」

な、なんだろう。飛行機の何がおかしいのだろうか?

‘What’s the problem?’

長身の男性が割って入ってきた。

‘I said, “plane”.’

‘…Plain? What’s plain?’

‘Wha…?’

「ああ、いえいえ、私が通訳しますので」

少し慌てた様子でそう制止され、私は長身の男性に会釈してアソウギさんに向き直った。

彼はわずかに逡巡したあと、こう質問してきた。

「お尋ねしますが、……ヒコウキとは、何のことです?」

「……な、何って……空を飛ぶ、乗り物のことです。……」

彼の顔が、硬直している。

絶句する、とはこういう状態のことを言うのだろうか。

 

ひとつ。

恐ろしい……荒唐無稽な可能性が、脳裏に浮かんだ。

まさか。そんなことが。……まさか……!

「あの……今は、何年ですか?」

「何年、とは?」

「今は、西暦何年ですか?」

「……1903年ですが。それが、どうかしましたか?」

自分の顔から、さあああ……と血の気が引いていく音が聞こえるようだった。

思わずそばのテーブルに肘をつき、片手で両目を覆う。

重い沈黙が、その場を満たした。

アソウギさんが、私の次の言葉を待っている。

他の5人も、きっと待っている。

なんとか、この思考を言葉にしなければ。

「私……よくは思い出せません。でも……」

この先を口にすれば、もう後戻りはできない。

そんな気がした。

それでも、言わなければならなかった。

「でも、私は。たぶん……21世紀の人間です……」

私が両目に当てた手を外しながらそう言うと、アソウギさんは眉間に手を当てて、よろめくように立ち上がった。

‘…Asogi.’

長身の男性が、アソウギさんに短く説明を促したようだった。

‘…Um… well…’

アソウギさんは、しばらく言い淀んで、英語で続けた。

‘Incredible though it may sound… she appears to regard flying machines as a common means of locomotion.

And… to believe that she has come from a much later time.’

アソウギさんの英語はほとんど聞き取れなかったが、長身の男性の眉間の皺が、深くなった。

こちらに目を向け、またアソウギさんに視線を戻す。

‘…And yet you repeat it.’

‘Yes.’

長身の男性は、深いため息をついた。

‘Quite unbelievable.’

……「アンビリーバブル」は聞き取れた。

長身の男性は腕を組み、目を閉じ、沈思黙考している。

私だって、信じられない。

 

……しばらくすると男性は腕をほどき、初老の男性に向かって言った。

‘She is to be treated courteously—as a guest.

What has been said here is not to leave this room.’

何と言ったのかはわからなかったが、とにかく長身の男性は初老の男性を伴って部屋を出て行った。

「さて」

2人を目で見送って、アソウギさんはテーブルの向かいの椅子を引き、腰を下ろした。

「まず、この屋敷と、屋敷の者たちについて、説明しておく必要があるでしょう。

いま退室した背の高い男性は、バロック・バンジークス卿。この屋敷の主(あるじ)です。

退室する前に、あなたを客人として遇するように、そして先ほどの話は他言無用に、と命じられました。

彼は優秀な検事で、私は彼の弟子としてこの英国で司法を学んでいます」

それからしばらく、屋敷の説明が続いた。

その場にいた家政婦長と2人の女中も紹介された。

バンジークス卿と一緒に退室した初老の男性は、執事ということだった。

 

最後に、夜には医師が来るのでそれまでは休むよう言われ、全員が退室して私は1人になった。

暖炉の火は燃えているのに、足元には冬の冷気が沈んでいる。

1903年……。

私はもう、何を考えることもできなかった。

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