ワカバタウンでの調査を終えたナツキとヒノアラシは、西へ続く道を進み、ジョウト地方で最初の大きな街となるキキョウシティへ到着した。
街へ入って最初に目を引いたのは、遠くからでもはっきりと見えるほど高くそびえ立つ木造の塔だった。何層にも重なった屋根と、長い年月を経たことが一目で分かる落ち着いた色合い。周囲の新しい建物とは明らかに雰囲気が違い、街の景色の中に自然と溶け込みながらも、確かな存在感を放っている。
ナツキは道の途中で足を止め、塔の頂上を見上げた。
「……あれがマダツボミの塔か」
「ヒノ?」
ナツキの横にいたヒノアラシも同じように顔を上げる。かなり高い位置まで見上げなければならず、しばらくすると体ごと後ろへ傾きそうになっていた。
「そんなに無理して上まで見なくてもいいぞ」
「ヒノ!」
ヒノアラシは慌てて姿勢を戻した。
マダツボミの塔。
キキョウシティを代表する場所の1つであり、その名の通り、マダツボミと深い関わりを持つ塔だ。内部では修行をする人々が暮らし、多くのマダツボミが彼らと共に生活しているという。
ナツキが興味を持ったのは、その関係だった。
これまで見てきたポケモンの多くは、自然環境の中で生活していた。トキワの森のキャタピーやビードル、おつきみやまのピッピ、ディグダトンネルのディグダたち。
むじんはつでんしょやグレン島のポケモンやしきでは、人間が作り、その後使われなくなった人工物をポケモンが新しい生活場所として利用する姿も観察した。
だが、マダツボミの塔は違う。
ここでは今も人間が生活しており、そのすぐそばでポケモンも暮らしている。
自然環境だけではなく、人間との継続的な関わりそのものがポケモンの生態にどのような影響を与えているのか。
「今日はここだな」
ナツキがそう言うと、ヒノアラシが元気よく鳴いた。
「ヒノ!」
「ただ見学するだけじゃないぞ。ちゃんと調査するからな」
「ヒノ……」
少しだけ勢いが落ちた。
「なんでそこで残念そうになるんだよ」
ナツキは笑いながら、まずポケモンセンターへ向かった。
荷物を整理し、必要なものだけを小さめのフィールドバッグへ入れる。フィールドノート、筆記具、双眼鏡、簡易温度計。それからヒノアラシ用の水と少量のポケモンフーズ。
準備を終えると、2人はマダツボミの塔へ向かった。
近づくにつれて、遠くから見た以上にその大きさが分かってくる。古い木造建築でありながら柱や壁には丁寧な手入れが施され、塔の周囲に広がる庭もきれいに整えられていた。
そして、その庭に入る前から。
「ヒノ」
ヒノアラシが何かを見つけた。
「いたな」
庭の一角。
日当たりのいい場所に、数匹のマダツボミがいた。
細長い茶色の体。
大きな黄色い頭。
左右へ伸びる緑色の葉。
植物によく似た外見を持つポケモンだが、地面へ根を張っているわけではなく、必要なら自由に歩き回ることができる。
「マダ」
「ツボ」
風が吹くと、細い体が大きく傾いた。
普通なら倒れてしまいそうなほど曲がっているのに、マダツボミはそのまま風を受け流し、風が弱まるとゆっくり元の姿勢へ戻っていく。
ナツキはすぐには近づかず、庭の端にある邪魔にならない場所でしゃがんだ。
「まず外から見よう」
「ヒノ」
ヒノアラシも隣へ座る。
ナツキはフィールドノートを開いた。
『ジョウト地方・キキョウシティ』
『マダツボミの塔』
『午前10時42分』
『天候・晴れ。弱い風あり』
『塔周辺および内部におけるマダツボミの生活、人間との関係を観察する』
書き終えてから、改めて庭へ視線を戻した。
最も日当たりのいい場所にいるマダツボミは、葉を大きく左右へ広げている。その少し後ろでは、2匹が互いに近い位置で体を揺らしていた。別の個体は建物の陰近くにいたが、しばらくするとゆっくりと日の当たる場所へ移動し始めた。
歩く姿は独特だった。
細い体を左右へ揺らしながら、地面を進んでいく。
「日向に移動してるのかな」
ナツキはその個体を目で追った。
数分後。
太陽が雲へ隠れた。
庭全体の明るさが少し落ちる。
すると、それまで大きく開いていたマダツボミの葉が、ほんの少し下へ落ちた。
「……ん?」
ナツキはペンを止める。
雲が流れる。
再び日差しが戻る。
マダツボミの葉が、またゆっくり広がっていく。
偶然かもしれない。
そこでさらに待った。
もう一度、日が雲へ隠れる。
やはり葉の角度が変わった。
『マダツボミ複数個体を確認』
『日照の強い場所を選んで静止する個体あり』
『日光が弱まった際、葉の位置に変化。日照回復後、再び葉を広げる』
『光量に応じて姿勢を変化させている可能性』
「ヒマナッツの時にも似たの見たな」
「ヒノ?」
「ワカバタウンで見ただろ? 太陽の方をずっと向いてたやつ」
「ヒノ」
ヒノアラシが分かったように頷いた。
植物に近い特徴を持つポケモンには、光を積極的に利用する行動が共通して見られるのかもしれない。
ただし、マダツボミの場合は自分から移動する。
ナツキが観察している間にも、日陰へ入った1匹が数mほど移動し、再び日当たりのいい場所へ体を落ち着けていた。
植物なら、その場に根を張ったら動けない。
けれどポケモンなら。
よりよい環境を自分から選ぶことができる。
「植物みたいだけど、ちゃんとポケモンなんだよな」
「ヒノ」
「当たり前なんだけどさ」
そのとき。
背後から穏やかな声が聞こえた。
「熱心に見ておられますな」
ナツキが振り返る。
そこには、僧衣を身につけた年配の男性が立っていた。
「あ、すみません。勝手に観察してしまって」
ナツキは急いで立ち上がる。
男性は首を横へ振った。
「構いませぬ。この子たちは塔の周囲を自由に歩いておりますからな。あなたはポケモンの研究者ですかな?」
「研究者というより、ポケモン調査官です」
「調査官」
「はい。いろんな場所を歩きながら、ポケモンがどう生活してるのかを調べています」
男性の視線がナツキの持つフィールドノートへ移る。
「なるほど。だからこれほど長く同じ場所を見ておられたのですな」
「気になると、つい」
「それはよいことです」
男性は庭にいるマダツボミへ目を向けた。
「多くの者はポケモンを見ると、強いか弱いか、珍しいかどうかを先に考えます。しかし、何をして暮らしているかまでじっくり見る者は多くありません」
「俺も前はそうだったと思います」
ナツキは少し笑う。
「でも旅をしてるうちに、普通にしてる時の方が面白いことが多いって分かってきて」
「よい旅をされているようですな」
「ヒノ!」
ヒノアラシも会話へ参加するように鳴いた。
男性がその姿を見て微笑む。
「よい相棒もおられる」
「はい」
そこだけは即答した。
ヒノアラシが嬉しそうに胸を張る。
「ヒノ!」
「褒められてるのはお前だけじゃないぞ」
「ヒノ?」
男性が小さく笑った。
ナツキは改めて塔を見る。
「中も見学できますか?」
「もちろんです。修行の邪魔にならないようにしていただければ」
「ありがとうございます」
「ただし、この塔は古い。多少揺れることがありますが、驚かぬように」
「揺れる?」
その言葉の意味は、塔へ入ってすぐに分かった。
入口をくぐる。
外の明るさから一転し、内部は柔らかな薄暗さに包まれていた。木の床は長い年月の使用によって表面が滑らかになり、歩くたびに小さく軋む音が響く。
そして塔の中央。
天井のさらに上へ向かって伸びる、巨大な柱があった。
「これ……」
ナツキが見上げる。
一本の太い柱が、塔全体を貫いている。
普通の柱なら、それだけだった。
だが。
ギィィ……。
低い音とともに。
柱が動いた。
「ヒノッ!?」
ヒノアラシがナツキの脚へ飛びつく。
「おっと」
ナツキも一瞬身構えた。
床そのものも、わずかに揺れている。
地震ではない。
周期も非常にゆっくりだ。
塔の外から吹き込んだ風に合わせて、中央の柱がしなるように動いていた。
「これ、本当に動いてるんですね」
先ほどの男性が頷く。
「この塔の柱は、力を真正面から受け止めるのではなく、しなることで受け流すよう作られております」
「わざと揺れるように?」
「ええ」
男性は庭にいるマダツボミの方を振り返った。
「マダツボミは細い体をしております。しかし強い風を受けても、簡単には折れませぬ。体を曲げ、力を受け流し、また元へ戻る」
ナツキは中央の柱を見る。
もう一度風。
ゆっくりしなる。
確かに。
外で見ていたマダツボミとよく似ている。
「この塔そのものが、マダツボミから学んでるんだ」
「そう語り継がれております」
ナツキはフィールドノートを開いた。
本来ならポケモンそのものの生態ではない。
それでも記録しておきたいと思った。
『塔中央の柱は外力に応じて大きくしなる構造』
『マダツボミの柔軟な身体特性を思わせる』
『ポケモンの特徴を人間側の建築へ取り入れた例』
書きながら、これまでの調査を思い返す。
むじんはつでんしょでは、コイルやビリリダマが人間の残した電気設備を利用していた。
グレン島のポケモンやしきでは、ドガースが古い人工物の内部を住処として利用していた。
人間がポケモンの環境を作り変える。
そしてポケモンが、それを新しい環境として利用する。
しかしここでは逆だ。
人間がポケモンを観察し。
その特徴から学んでいる。
「ポケモンと人間の影響って、一方通行じゃないんだな」
ナツキが呟く。
男性はその言葉を聞いて、静かに頷いた。
塔の上階へ進む。
階段を上るたび、床が小さく鳴る。
最初はその度に警戒していたヒノアラシも、少しずつ慣れてきたらしい。それでも中央の柱が大きく揺れると、念のためナツキの近くへ寄ってくる。
「別に壊れないから大丈夫だって」
「ヒノ」
「怖い?」
「ヒノ!」
「はいはい。怖くないんだな」
「ヒノヒノ!」
そんなやり取りをしながら2階へ上がると、数人の修行者が静かに座っていた。
そして、その前にはマダツボミがいる。
1匹。
2匹。
3匹。
「マダ」
「ツボ」
窓から風が入る。
マダツボミたちの体が揺れる。
その正面に立っている若い修行者も、同じように体を左右へ動かしていた。
ナツキは通路の端で止まる。
「何してるんだろう」
話しかけず、まず見る。
マダツボミが右へ。
修行者も右へ。
左。
また右。
ただ真似をしているだけには見えない。
人間側は力を抜き、マダツボミの動きへ合わせるように体を動かしている。
数分後。
修行が終わった。
ナツキが近くへ行くと、修行者の方から声をかけてきた。
「見学ですか?」
「はい。ポケモンの生態調査をしていて……今のはマダツボミの動きを真似してたんですか?」
「真似、というより合わせる修行ですね」
「合わせる?」
修行者は隣のマダツボミを見る。
「マダツボミは風を受けても無理に耐えようとしません。体を曲げて、流してしまう」
「さっき外でも見ました」
「僕たちもそこから学ぶんです。力を受けたとき、真正面からぶつかるだけが方法ではないと」
「ポケモンの動きそのものが修行になってるんですね」
「そういうことです」
ナツキは再びマダツボミたちを見る。
同じ種類。
同じ場所。
同じ風。
けれどよく見ると、3匹とも揺れ方が違った。
一番左の個体は大きく体を曲げる。
中央はそれほど動かず、葉だけを大きく揺らす。
右の個体は一度小さく曲がってから、少し遅れてさらに深く体を倒した。
「個体差がある」
ナツキはすぐにノートへ書く。
『マダツボミ3匹』
『同程度の風を受けた際でも、身体の曲げ方、葉の動きに個体差あり』
『人間側はマダツボミの動きを観察し、それへ合わせる形で修行を行っている』
しばらく観察していると、もう1つ気づいた。
修行者が動きを間違えたとき。
マダツボミは特に気にする様子を見せない。
反対に人間の方が、マダツボミを見直して姿勢を修正している。
「人間が合わせる側なんだ」
ポケモンへ命令して動かしているわけではない。
人間がポケモンを見る。
ポケモンから学ぶ。
それだけでも、人とポケモンの関係は成り立つ。
ナツキにとって新しい視点だった。
さらに上へ。
階段の途中。
ヒノアラシが突然足を止めた。
「ヒノ?」
「どうした?」
ヒノアラシの視線。
木箱の横。
小さな茶色い影が動いた。
「ラッタ」
「コラッタ」
マダツボミではない。
ワカバタウンからジョウトに入り、それでも何度も見かける馴染み深いポケモン。
コラッタが1匹、塔の内部を歩いていた。
「こんな上まで来るんだな」
ナツキは少し離れた場所へしゃがむ。
コラッタはナツキたちに気づいていない。
木箱の周囲を鼻で探っている。
床の隙間。
壁際。
そして。
何か小さなものを見つけた。
「食べ物?」
木の実の欠片のように見える。
コラッタはそれを前足で押さえ、すぐ食べ始めた。
ナツキの手が動く。
『コラッタ1匹』
『塔内部で確認』
『木箱、床、壁際を嗅ぎながら探索』
『人間あるいは塔内のポケモンが残したと思われる食物片を摂食』
「人間の生活圏を餌場として使ってる」
マサラタウンの草原では地面を掘る姿を見た。
トキワの森では草むら。
ここでは木造の建物。
同じコラッタでも、周囲の環境が違えば利用するものも変わる。
「同じポケモンを別の場所で比べるの、やっぱり大事だな」
「ヒノ」
「珍しいポケモンばっかり追いかけてたら見逃してた」
コラッタがこちらへ気づいた。
「ラッ」
一瞬で木箱の裏へ走り込む。
姿が消えた。
「追わない」
「ヒノ」
ヒノアラシもその場に留まる。
旅を始めたばかりの頃と比べると、言わなくても調査のやり方をかなり理解してきていた。
「お前も調査員っぽくなったな」
「ヒノ?」
「褒めてる」
「ヒノ!」
すぐ得意そうになる。
塔をさらに上るにつれて、外から差し込む光が少なくなっていった。
窓の数はある。
けれど建物の構造や時間帯の関係で、階段の端や廊下の奥には暗がりができている。
そして。
その暗がりの前へ来たとき。
ヒノアラシの歩みが止まった。
「ヒノ……」
先ほどのコラッタを見つけた時とは、声が違う。
警戒している。
背中の炎が、小さく揺れ始めた。
「何かいる?」
ナツキも足を止める。
薄暗い廊下。
最初は何も見えなかった。
しかし。
ゆらり。
紫色の霧のようなものが浮かんだ。
「……ゴース」
「ゴォス……」
球状の黒い顔。
大きな目。
周囲を包む紫色のガス。
ゴースが壁際に浮かんでいた。
「昼間にも活動してるんだ」
ナツキはすぐノートを開かない。
まず様子を見る。
ゴースはゆっくり移動していた。
壁へ近づく。
紫色のガスが、古い木材の隙間へ入り込む。
体の輪郭そのものが少し薄くなったようにも見える。
「ヒノ」
ヒノアラシが一歩前へ出ようとする。
「待って。まだ何もしてない」
「ヒノ……」
「炎もそのくらいで」
背中の炎が少し弱まる。
ゴースはそのまま梁の近くへ移動し、天井付近へ上がった。
人間や多くの地上ポケモンにとっては、床と壁と天井が明確に分かれている。
しかし浮遊するゴースには関係ない。
古い塔の梁や隙間を自由に行き来できる。
『ゴース1匹』
『塔上層部の暗所で確認』
『床面を利用せず、壁および梁周辺を立体的に移動』
『体表のガス状部分が木材の隙間へ入り込むような様子を確認』
「この塔、ゴースにはかなり移動しやすそうだな」
壁の隙間。
梁の陰。
暗所。
隠れられる場所が多い。
人間にとっては古い建築物。
ゴースにとっては、それそのものが優れた生息環境なのかもしれない。
そんなことを考えていると。
ゴースが止まった。
こちらを見る。
「ゴォ?」
ナツキと。
その横のヒノアラシ。
特にヒノアラシへ興味を持ったらしい。
ゆっくり下降してくる。
「ヒノ……」
ヒノアラシの炎がまた少し強くなる。
「大丈夫。近づいてくるだけならそのまま」
「ヒノ」
ゴースとの距離が縮まる。
3m。
2m。
そこでゴースが止まった。
「ゴース」
ヒノアラシの周囲を半周するように移動する。
「ヒノ?」
ヒノアラシも目で追う。
ゴースがナツキの方へ。
またヒノアラシの方へ。
警戒というより。
「興味持ってる?」
その直後。
ゴースの姿が薄くなった。
「え?」
完全に消えた。
「ヒノ?」
ナツキとヒノアラシが周囲を見る。
右。
左。
天井。
いない。
数秒。
「どこ――」
「ゴース!」
ヒノアラシの真後ろ。
「ヒノォ!?」
ヒノアラシがその場から飛び跳ねた。
背中の炎が一気に燃え上がる。
「ヒノォォ!」
「ゴッ!?」
今度はゴースが驚いた。
慌てたように上へ逃げる。
「ヒノアラシ、落ち着け!」
「ヒノ!」
完全に怒っている。
「攻撃しない!」
「ヒノヒノ!」
「びっくりしただけだから!」
ゴースは少し離れた梁の近くに浮かんでいた。
「ゴォス」
口元が大きいので判断しにくいが。
どこか楽しそうに見える。
ナツキは数秒黙った。
「……お前、絶対わざとやっただろ」
「ゴース」
ゴースの体がゆらゆら揺れる。
そして今度は天井の向こうへ姿を消した。
「行った」
「ヒノォ……!」
まだ怒っている相棒を撫でる。
「悪かったって。俺もあんなことすると思わなかった」
「ヒノ」
「でも火を撃たなかったのは偉い」
「ヒノ!」
少しだけ機嫌が戻った。
ナツキは先ほどの行動を記録する。
『こちらを認識後、ヒノアラシへ自発的に接近』
『周囲を回るような行動の後、一度姿を消す』
『その後、ヒノアラシ背後から突然再出現』
『驚かせる遊び、好奇心に基づく行動の可能性』
書いてから、ナツキは少し笑った。
「ゴースって、ああいうことするんだな」
「ヒノ!」
「お前は笑えないよな」
「ヒノォ」
技や危険性だけ見れば。
ゴースは毒を持つガスで包まれた、警戒すべきポケモンだ。
けれど。
今の行動だけを見るなら。
人を驚かせることを楽しんでいるようにも見えた。
ポケモンにはそれぞれ。
図鑑に数行では収まらない性格や行動がある。
やがて最上階付近へ到着した。
そこにはこれまで以上に静かな空気が流れていた。
数人の修行者。
数匹のマダツボミ。
中央では塔を支える柱が、風に合わせてゆっくりと揺れている。
ナツキは邪魔にならない位置へ座った。
最初に庭で見たマダツボミ。
塔の中央柱。
修行者とマダツボミ。
塔内部で食べ物を探すコラッタ。
暗所を利用するゴース。
同じ塔の中。
それぞれが別の方法でこの場所を利用していた。
ナツキはフィールドノートを膝の上で開く。
「今まで、自然環境ばっかり見てたな」
「ヒノ?」
「森とか山とか、川とかさ」
けれど。
人間が生活している場所も、ポケモンにとっては環境だ。
人間が食べ物を落とせば、それを利用するポケモンがいる。
建物を作れば、その隙間に住むポケモンがいる。
人間がポケモンと長く暮らせば。
ポケモン側が人間の生活へ影響を与えることもある。
マダツボミの塔は、それを分かりやすく見せていた。
ナツキは今日のまとめを書き始めた。
『マダツボミの塔』
『マダツボミは塔周辺および内部で人間と共に生活』
『日照条件の変化に応じた葉の動き、および日当たりのよい場所への自発的な移動を確認』
『風を受けた際の身体の曲げ方には個体差あり』
『塔の修行者はマダツボミの柔軟な身体特性を修行へ取り入れている』
『塔中央の柱にも、マダツボミのしなやかさを模した思想が見られる』
さらに。
『塔内部ではコラッタ、ゴースも確認』
『コラッタは人間の生活によって生じた食物を利用』
『ゴースは塔の暗所、梁、壁の隙間などを立体的に利用』
そこまで書いたあと。
ナツキは少し長く考えた。
そして最後へ。
『ポケモンにとって、人間も生活環境の一部になり得る』
『同時に、人間もポケモンを観察し、その行動や身体特性から学んでいる』
『人とポケモンは、互いに相手の生活へ影響を与えながら暮らしている』
「……よし」
ノートを閉じた。
すると。
「マダ?」
すぐ近くから声がした。
1匹のマダツボミがナツキたちのところへ歩いてきている。
「どうした?」
ナツキは手を伸ばさない。
マダツボミの方から近づいてきたため、そのまま待つ。
「マダ」
まずナツキを見る。
次に。
「ヒノ?」
ヒノアラシを見る。
マダツボミが葉を少し動かした。
ヒノアラシも鼻を近づける。
「マダ」
「ヒノ」
互いに特に警戒している様子はない。
ヒノアラシにとっても、ジョウト地方へ入ってから出会う新しいポケモンが増えている。
その度。
最初は興味本位で近づこうとしていた相棒も、今では相手の反応を待つようになっていた。
ナツキはそれを見て、少し嬉しくなる。
「お前も変わったな」
「ヒノ?」
「何でもない」
そのとき。
窓から少し強い風が吹き込んだ。
マダツボミの細い体が。
ぐにゃりと大きく曲がる。
「ヒノッ!」
ヒノアラシが驚いて前へ出ようとする。
しかし。
マダツボミは倒れなかった。
風に合わせて大きくしなり。
力を受け流し。
風が弱くなるにつれて。
ゆっくり元へ戻る。
「マダ」
何事もなかったように立っている。
「ヒノ……」
ヒノアラシがじっと見る。
「大丈夫だっただろ」
「ヒノ」
「細いから弱いってわけじゃないんだな」
マダツボミはまた葉を動かした。
それから満足したように、他の仲間たちのところへ戻っていった。
夕方。
塔を出る。
外の空は橙色に染まり始めていた。
昼間に観察した庭のマダツボミたちは、午前とは違う場所に集まっている。
太陽が西へ移動したことで。
日当たりのいい場所そのものが変わったのだろう。
「やっぱり太陽を追ってる」
ナツキは最後にその位置を簡単な図へ残した。
朝。
昼。
夕方。
同じ庭でも。
時間によってマダツボミが集まる位置が変わる。
たった1日の観察でも、それが見えた。
「同じ場所に長くいるのも大事だな」
「ヒノ」
「最初の頃はポケモン見つけたらすぐ次行ってたけど」
最近は。
待つ時間が増えた。
同じ個体を見る時間も。
同じ場所へ留まる時間も。
その分。
見える行動も増えた。
ナツキは塔を見上げる。
高い木造の塔。
風を受け。
わずかに揺れている。
入る前は。
ただ古く、大きな建物に見えていた。
今は違う。
あの中では。
マダツボミと人間が共に暮らし。
人間はマダツボミから学び。
コラッタは人間の残した食べ物を利用し。
ゴースは古い建物の隙間を遊び場のように使っている。
1つの建物。
その中に。
いくつもの生活が重なっている。
「面白かったな」
「ヒノ!」
「ゴース以外は?」
「ヒノ!」
「まだ怒ってるんだ」
「ヒノォ」
ナツキが笑う。
「ご飯食べたら忘れるだろ」
「ヒノ?」
ヒノアラシの耳がぴくりと動いた。
「……ご飯」
「ヒノ!」
「ほらな」
一気に機嫌を直したヒノアラシが前へ走り出す。
「だから走るなって!」
ナツキもその後を追う。
数歩進んだところで。
一度だけ振り返った。
夕焼けを背にしたマダツボミの塔。
風が吹く。
塔が静かに。
ほんの少し揺れた。
折れず。
力に逆らわず。
しなるように。
まるで。
庭で風を受けていたマダツボミのように。
ナツキはフィールドノートの最後の余白へ一文だけ書いた。
『強さとは、耐えることだけではない。受け流し、元へ戻ることもまた、生きるための強さなのかもしれない。』
ノートを閉じる。
「今日の調査、終了」
「ヒノ!」
キキョウシティでの最初の調査。
マダツボミの塔。
そこにあったのは、マダツボミだけの生活ではなかった。
人とポケモン。
野生と人工物。
昔から続く習慣と、そこで生まれる新しい暮らし。
自然の中だけを歩いていては見つけられなかった関係が。
古い塔の中で、静かに続いていた。