ポケモンフィールドノート   作:ひよこ大福

2 / 9
トキワの森

マサラタウンで最初のフィールドワークを終えたナツキは、トキワシティで一泊した翌朝、さらに北へ向かっていた。

 

今日の目的地はトキワの森。

 

カントー地方南西部に広がる大森林で、ポッポやコラッタはもちろん、キャタピー、ビードルといったむしポケモンが数多く生息していることで知られている。森を抜ければ、その先はニビシティへと続いている。

 

「ここからトキワの森か」

 

巨大な木々が連なる森の入口で、ナツキは足を止めた。

 

マサラタウン周辺の草原とは空気からして違う。木々が日光を遮っているため気温は少し低く、湿った土と落ち葉の匂いが濃い。森の奥からはポケモンの鳴き声や羽音が絶え間なく聞こえてくる。

 

「ヒノ?」

 

隣にいるヒノアラシも森の中を覗き込んでいた。

 

「今日はこの森を抜けながら生態調査する。暗くなる前には反対側まで出たいから、見つけたポケモン全部を追いかけるのは禁止な」

 

「ヒノ!」

 

「それ、俺じゃなくてお前に言ってるから」

 

「ヒノ?」

 

本気で分かっていなさそうな顔をするヒノアラシに苦笑しながら、ナツキはフィールドノートを開いた。

 

『カントー地方・トキワの森』

 

『午前8時21分』

 

『天候・晴れ』

 

『森林内部は日照が少なく、外部より湿度が高い。地面には厚く落ち葉が堆積している』

 

最初の記録を書き終え、ナツキはヒノアラシとともに森へ足を踏み入れた。

 

森に入ってまだ10分ほどしか経っていないところで、ナツキは早くも足を止めた。

 

「ヒノアラシ、ちょっと待って」

 

「ヒノ?」

 

道脇に生えている低木。

 

その葉の何枚かが、不自然に欠けている。

 

ナツキはしゃがみ込み、葉を摘み取らないよう注意しながら観察した。

 

「食べられた跡だな」

 

葉の外側から中心へ向かって削り取るような跡が残されている。同じ低木だけでなく、周囲に生えている植物にも似た跡があった。

 

「むしポケモンかな」

 

「ヒノ」

 

ヒノアラシが鼻を近づける。

 

「食べるなよ」

 

「ヒノッ!?」

 

「まだ何もしてないって顔するな」

 

ナツキは笑いながら立ち上がり、周囲を見回した。

 

食痕が新しいのなら、食べたポケモンはまだ近くにいるかもしれない。

 

葉の表。

 

裏。

 

枝。

 

木の幹。

 

ゆっくり探していく。

 

「ヒノ!」

 

先に見つけたのはヒノアラシだった。

 

低い枝を鼻先で示している。

 

「あそこか」

 

緑色の小さな体が、葉の間に紛れていた。

 

「キャタピー」

 

キャタピーは枝にしがみつき、葉の端を少しずつ齧っている。

 

ナツキは距離を保ったまましゃがんだ。

 

ヒノアラシにも隣へ座るよう手で合図する。

 

『キャタピー1匹』

 

『低木上で摂食中』

 

『葉の外縁部から内側へ向かって食べ進めている』

 

キャタピーは休むことなく葉を食べ続けた。

 

小さな体から想像していた以上の速さで葉が減っていく。

 

「結構食べるな」

 

ナツキは先ほど見た食痕と見比べる。

 

形はよく似ていた。

 

『周囲で確認した食痕と形状が類似。キャタピーによるものの可能性あり』

 

断定せず、可能性として残す。

 

それがナツキの調査方法だった。

 

数分後、キャタピーの動きが突然止まった。

 

「ん?」

 

頭を上げている。

 

ナツキもペンを止めた。

 

パサッ。

 

上の枝へ1匹のポッポが降り立つ。

 

その瞬間、キャタピーは素早く枝の裏側へ移動した。

 

「……警戒した?」

 

先ほどまで堂々と食事をしていたのが嘘のように、葉の陰で完全に動きを止めている。

 

ポッポは周辺の枝を数回移動した。

 

その間、キャタピーは全く動かない。

 

やがてポッポが飛び去った。

 

それでもキャタピーはすぐには戻ってこなかった。

 

30秒。

 

1分。

 

ようやく葉の陰から姿を現し、周囲を確認するように頭を動かしてから食事を再開した。

 

「ポッポを天敵として警戒してる可能性が高そうだな」

 

『ポッポ接近直後に摂食停止』

 

『葉の裏へ退避。その場で静止』

 

『ポッポ離脱後、約1分経過してから摂食再開』

 

記録を終えたナツキは、小さく頷いた。

 

図鑑を読めば、キャタピーが鳥ポケモンに狙われることは知ることができる。

 

けれど実際に目の前で見ると、その一文の中にどれほど細かな行動が含まれているのかが分かる。

 

ただ逃げるのではない。

 

隠れ、安全を確認し、それから活動を再開する。

 

「面白いな」

 

「ヒノ?」

 

「行こう。まだ入口付近だからな」

 

「ヒノ!」

 

2人は再び歩き始めた。

 

森の中を進むにつれ、キャタピーを目にする回数が増えていった。

 

地面近くの草を食べている個体。

 

木の幹を登っている個体。

 

枝の裏で休んでいる個体。

 

ナツキはすべてを書き留めることはせず、特徴的な行動だけを記録しながら森を進んだ。

 

昼前。

 

それまでキャタピーが多かった区域を抜けた辺りで、周囲の植物が少し変わった。

 

低木が減り、太い幹を持つ木が目立つようになる。

 

そして。

 

「ビードル」

 

木の幹を、黄色い小さなポケモンがゆっくり登っていた。

 

近くを見るともう1匹。

 

さらにその向こうにもいる。

 

「1、2……4匹。いや、あっちにもいるから5匹以上か」

 

「ヒノ」

 

ヒノアラシが近づこうとしたため、ナツキがすぐ腕を出した。

 

「そこまで。ビードルは頭の毒針があるから刺激しない」

 

「ヒノ……」

 

少し不満そうだが、素直に止まった。

 

ナツキは双眼鏡を取り出す。

 

ビードルたちは同じ種類の木を中心に集まっていた。

 

葉を食べる個体。

 

幹を登る個体。

 

葉の付け根でじっとしている個体。

 

「キャタピーが多かった場所と植生が違うな」

 

ナツキは周辺を見渡した。

 

先ほどまで頻繁に見かけたキャタピーはほとんどいない。

 

反対に、この辺りではビードルが目立つ。

 

『ビードル5匹以上確認』

 

『同一種と思われる樹木周辺へ集中』

 

『キャタピーが多かった区域とは植生に差あり』

 

「食べる植物の好みが違うのか、それとも温度や湿度の問題か……」

 

ナツキが考え込んでいると、ヒノアラシが上を向いた。

 

「ヒノ?」

 

「どうした?」

 

ブゥゥゥン。

 

低い羽音が聞こえた。

 

ナツキの表情が変わる。

 

「ヒノアラシ、動くな」

 

「ヒノ……」

 

木々の間から、黄色と黒の大型のポケモンが姿を現した。

 

両腕に鋭い針を持つ。

 

スピアー。

 

1匹だけだった。

 

しかし、その視線は明らかにこちらへ向けられている。

 

「近づきすぎたか」

 

ナツキは周囲を確認する。

 

するとビードルがいた木の上方に、黄色い繭のようなポケモンが複数見えた。

 

コクーンだ。

 

ビードル。

 

コクーン。

 

スピアー。

 

「……この辺りが群れの生活圏なんだ」

 

ブゥゥン。

 

スピアーが数m近づいた。

 

ヒノアラシの背中から小さな炎が漏れる。

 

「ヒノアラシ」

 

「ヒノ」

 

「戦わない。ゆっくり下がるぞ」

 

ナツキ自身もスピアーから目を離さないまま、一歩ずつ後退する。

 

ヒノアラシも合わせて下がる。

 

10mほど離れてもスピアーはまだこちらを見ていた。

 

さらに下がる。

 

すると一定の距離を越えたところで、スピアーは追跡を止めた。

 

旋回してコクーンたちのいる木へ戻っていく。

 

「……よし」

 

ナツキはそこで初めて息を吐いた。

 

「ヒノォ」

 

「お前もちゃんと我慢できたな」

 

「ヒノ」

 

ヒノアラシの頭を撫でる。

 

ナツキは十分に距離を取ってからノートを開いた。

 

『コクーン複数個体を確認』

 

『接近時、スピアー1匹がこちらへ接近』

 

『後退すると一定地点から追跡せず』

 

『ビードル、コクーン周辺を守る行動の可能性』

 

最後には疑問符を付けた。

 

スピアーが仲間を守ったのか。

 

単純に縄張りから侵入者を追い出したのか。

 

今日だけでは分からない。

 

「でも、あそこに群れがあることは分かった」

 

それだけでも十分な収穫だった。

 

昼過ぎ。

 

比較的開けた場所を見つけ、ナツキは大きな木の根元へ腰を下ろした。

 

「昼飯にするか」

 

「ヒノ!」

 

「急に元気になるなあ」

 

バッグから自分用のパンと、ヒノアラシ用のポケモンフーズを取り出す。

 

ヒノアラシはナツキの隣に座り、夢中になって食べ始めた。

 

「午前だけでも結構見られたな」

 

フィールドノートを読み返す。

 

キャタピー。

 

ポッポ。

 

ビードル。

 

コクーン。

 

スピアー。

 

同じ森の中でも、場所によって見られるポケモンがはっきり変化している。

 

ナツキは簡単な地図を描き、それぞれを確認した場所を書き込んだ。

 

「森全体を1つの環境として見るだけじゃ駄目なんだな」

 

「ヒノ?」

 

「同じトキワの森でも、住んる場所がちゃんと分かれてるってこと」

 

「ヒノ」

 

分かったのか分かっていないのか、ヒノアラシは食べながら頷いた。

 

食事を終え、再び北へ向かって歩く。

 

午後になると木漏れ日が少し強くなり、午前中より森が明るく感じられた。

 

その途中。

 

「ヒノ?」

 

ヒノアラシが足を止める。

 

「また何か見つけた?」

 

視線の先に、黄色い影があった。

 

「ピカ?」

 

赤い頬。

 

長い耳。

 

稲妻のような尻尾。

 

「ピカチュウ……」

 

野生のピカチュウだった。

 

トキワの森に生息していることは知っていたが、キャタピーやビードルほど多く確認されるポケモンではない。

 

ナツキはすぐに姿勢を低くした。

 

「ヒノアラシ、動くなよ」

 

「ヒノ」

 

ピカチュウはこちらに気づいていない。

 

地面に落ちた木の実へ近づき、前足で持ち上げた。

 

匂いを嗅いでから一口齧る。

 

ナツキはゆっくりノートを開いた。

 

『ピカチュウ1匹』

 

『落下した木の実を摂食』

 

ピカチュウは木の実を半分ほど食べた。

 

しかし残りを捨てず、そのまま抱えて移動を始めた。

 

「持っていくのか?」

 

近づかず、視線だけで追う。

 

ピカチュウは太い木の幹へ飛びつき、慣れた様子で登っていく。

 

少し上にある樹洞へ辿り着くと、持っていた木の実を中へ押し込んだ。

 

「……食べ物を保管してる?」

 

その後、再び地面へ降りる。

 

別の木の実を拾う。

 

そしてまた同じ樹洞へ運んだ。

 

1回。

 

2回。

 

3回。

 

「これは偶然じゃなさそうだな」

 

『同一の樹洞へ木の実を3回運搬』

 

『貯食行動の可能性』

 

書きながらナツキは少しだけ興奮していた。

 

ピカチュウといえば電気を使うポケモンとして知られている。

 

しかし今目の前にいるピカチュウがしていることは、戦いとは全く関係がない。

 

生きるための行動。

 

それこそナツキが見たかったものだった。

 

「ピカ」

 

突然、ピカチュウがこちらを見る。

 

「気づかれた」

 

ナツキは動きを止めた。

 

ピカチュウはナツキではなく、その横のヒノアラシをじっと見ていた。

 

「ヒノ?」

 

「ピカ?」

 

ヒノアラシも首を傾げる。

 

ピカチュウが少し近づく。

 

「ヒノアラシ、そのまま」

 

「ヒノ」

 

さらに一歩。

 

ピカチュウは鼻を動かし、ヒノアラシの匂いを確かめるような仕草をする。

 

ヒノアラシも同じように鼻を近づけた。

 

パチッ。

 

突然、ピカチュウの頬から小さな電気が弾けた。

 

「ヒノッ!?」

 

驚いたヒノアラシが飛び退く。

 

「ピカ!」

 

ピカチュウも驚いたように木へ駆け上がった。

 

「ヒノアラシ、待った!」

 

追いかけようとした相棒をナツキが止める。

 

「ヒノォ!」

 

「びっくりしたな。でも追いかけるな」

 

「ヒノ!」

 

「あの程度なら攻撃というより警告だと思う」

 

木の上を見る。

 

ピカチュウはこちらを警戒している。

 

「俺たちの方が近づきすぎた」

 

ナツキは自分から後退した。

 

それ以上観察を続けない。

 

野生ポケモンが明確に警戒しているなら、調査を打ち切る。

 

自然な行動を知りたいのに、調査する人間がその行動を変えてしまっては意味がないからだ。

 

しばらく歩いて距離を取ってから、ナツキはノートへ記録した。

 

『ヒノアラシを認識後、自ら接近』

 

『至近距離で弱い放電。その直後に退避』

 

『好奇心による接近、あるいは警戒確認の可能性』

 

『こちらの存在が行動へ影響したため観察終了』

 

「これでいい」

 

「ヒノ?」

 

「見たいからって、どこまでも追いかけるわけにはいかないからな」

 

「ヒノ」

 

夕方が近づくにつれ、森の様子が少しずつ変化し始めた。

 

昼間に活発だったポッポの鳴き声が減り、木々の奥から別の音が聞こえ始める。

 

「時間帯でも変わるんだよな」

 

本当なら夜まで観察したい。

 

しかし今日はトキワの森を抜けると決めている。

 

森の夜間調査をするなら、適切な準備をして改めて来るべきだ。

 

ナツキは先を急ぎすぎない程度に歩きながら、最後まで周囲を観察し続けた。

 

やがて木々の隙間から強い光が差し込んできた。

 

「出口だ」

 

「ヒノ!」

 

ヒノアラシが走り出す。

 

「だから勝手に先に行くなって!」

 

ナツキも後を追う。

 

木々の間を抜けると、急に視界が開けた。

 

振り返れば、そこには今日1日歩き続けたトキワの森が広がっている。

 

朝に入った南側の入口はもう遥か向こうだ。

 

ナツキは道端へ腰を下ろし、最後にフィールドノートを開いた。

 

今日の調査内容を整理する。

 

キャタピーは低木が多い区域で多く確認。

 

ポッポ接近時には葉の裏へ隠れ、しばらく安全確認をしてから活動を再開。

 

ビードルは別の植生を持つ区域に集中。

 

コクーンの近くではスピアーが接近し、一定距離まで侵入者を追うような行動を確認。

 

ピカチュウは木の実を樹洞へ運ぶ行動を見せた。

 

たった1日の調査。

 

当然、これだけでトキワの森の生態を理解したとは言えない。

 

それでもナツキには、大きな発見が1つあった。

 

『トキワの森』

 

その下に今日のまとめを書く。

 

『同じ森林内であっても、植生や高さ、日照などの環境差によって確認できるポケモンが変化する』

 

『ポケモン同士にも捕食、警戒、群れの防衛など複数の関係が確認できた』

 

そして最後に。

 

『トキワの森を1つの場所として見るのではなく、小さな環境の集合として見る必要がある』

 

「よし」

 

ノートを閉じる。

 

「ヒノアラシ、今日の調査終了」

 

「ヒノォ!」

 

喜び方が大きかった。

 

「そんなに疲れた?」

 

「ヒノ!」

 

「即答かよ」

 

ヒノアラシはその場へ座り込んだ。

 

ナツキも笑いながら隣へ腰を下ろす。

 

朝からずっと森の中を歩いていたのだから、ナツキ自身も足が重い。

 

それでもフィールドバッグの中に入っているノートは、朝より確実に重くなったように感じた。

 

紙の重さが増えたわけではない。

 

そこに今日見たポケモンたちの暮らしが記録されているからだった。

 

「面白かったな、トキワの森」

 

「ヒノ」

 

「また来たいな」

 

「……ヒノ」

 

「なんだよ、その微妙な返事」

 

「ヒノォ」

 

「次はもうちょっと短くするって」

 

ナツキは立ち上がる。

 

森の北側から続く道の先。

 

遠くには岩山が見えていた。

 

ニビシティの方向だ。

 

「次はニビシティか」

 

「ヒノ!」

 

「町の周りには岩場もあるだろうし、森とは全然違うポケモンが見られそうだな」

 

ヒノアラシが元気を取り戻したように立ち上がる。

 

ナツキはトキワの森をもう一度振り返った。

 

1日で見られたものは、きっとこの森に存在する生態のほんの一部に過ぎない。

 

夜の森。

 

雨の日の森。

 

季節が変わった森。

 

それらを調べれば、今日とはまた違った記録が残るだろう。

 

だからこそ、生態調査には終わりがない。

 

一度訪れた場所でも、条件が変われば新しい発見がある。

 

ナツキはそのことをフィールドノートの端へ小さく書き加えた。

 

『いつか再調査すること』

 

そして今度こそノートをバッグへしまう。

 

「行こう、ヒノアラシ」

 

「ヒノ!」

 

マサラタウンから始まったポケモン調査の旅。

 

最初の大きな調査地となったトキワの森を抜け、ナツキとヒノアラシは次の土地へ歩き始めた。

 

トキワの森でのフィールドワークは、これで終了した。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。