ポケモンフィールドノート   作:ひよこ大福

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おつきみやま

トキワの森を抜けたナツキとヒノアラシは、ニビシティで数日分の食料と調査道具を補充した後、東へ向かって歩いていた。

 

次の目的地は、おつきみやま。

 

ニビシティとハナダシティの間にそびえる大きな山であり、内部には複雑な洞窟が広がっている。ズバットやイシツブテといった洞窟を好むポケモンが多く生息しているほか、化石が発見されることでも知られている場所だった。

 

そしてナツキが特に興味を持っていたポケモンがいる。

 

ピッピ。

 

おつきみやまに生息していることで知られているものの、頻繁に人前へ姿を現すポケモンではない。

 

「会えたらいいな」

 

「ヒノ?」

 

隣を歩いていたヒノアラシが顔を上げる。

 

「ピッピだよ。おつきみやまにいるらしいんだけど、警戒心が強いみたいだから」

 

「ヒノ」

 

「だから見つけても追いかけない。絶対だぞ」

 

「ヒノ!」

 

「お前、返事だけは毎回いいんだよな」

 

山道を登りながら、ナツキは苦笑する。

 

しばらくすると、大きく口を開けた洞窟の入口が見えてきた。

 

おつきみやま。

 

入口の前まで来たナツキはバッグからフィールドノートを取り出した。

 

新しいページを開く。

 

『カントー地方・おつきみやま』

 

『午前10時08分』

 

『天候・晴れ』

 

『洞窟内部の生態調査を実施。主に洞窟内で生活するポケモンの行動と生息場所を観察する』

 

最後に少しだけ迷ってから、一文を書き足した。

 

『可能であればピッピを観察したい』

 

「よし」

 

ノートを閉じる。

 

「行くぞ、ヒノアラシ」

 

「ヒノ!」

 

洞窟へ入った瞬間、空気が変わった。

 

外の暖かな空気とは違い、ひんやりとしている。

 

奥へ進むほど太陽の光は弱くなり、代わりに壁へ取り付けられた照明や天井の隙間から差し込むわずかな光だけが周囲を照らしていた。

 

ナツキは小型ライトを取り出した。

 

「暗いから足元気をつけろよ」

 

「ヒノ」

 

ヒノアラシも慎重に歩く。

 

数分もしないうちに、洞窟らしいポケモンと出会った。

 

「ズバッ!」

 

頭上から羽音がする。

 

ナツキがライトを少し上へ向けると、天井付近に数匹のズバットがぶら下がっていた。

 

「いた」

 

「ヒノ?」

 

「静かに」

 

ナツキはライトを直接向けないよう角度を変える。

 

ズバットたちは天井の凹凸へ足を掛け、逆さまになったままほとんど動いていない。

 

時折、1匹だけ羽を動かす程度だった。

 

『ズバット複数個体』

 

『天井付近で休息』

 

『比較的暗く、人の通行が少ない場所へ集中』

 

ナツキは小声で呟く。

 

「昼だから休んでるのかな」

 

ズバットは目がない代わりに超音波を使って周囲を把握するポケモンとして知られている。

 

洞窟内を移動している姿はよく報告されているが、こうして集団で休んでいる様子を見ると、彼らがどんな場所を寝床として選んでいるのかも分かる。

 

「ヒノアラシ。行こう」

 

「ヒノ」

 

起こさないよう静かにその場を離れた。

 

さらに洞窟を進む。

 

足元の地面は場所によって大きく違っていた。

 

平らな岩盤。

 

細かな砂利。

 

大きな岩が転がる区域。

 

時折、水が染み出している場所もある。

 

「同じ洞窟の中でも結構環境が違うんだな」

 

トキワの森を調べたときと同じだった。

 

1つの場所としてまとめてしまえば見逃してしまう。

 

洞窟の中にも、ポケモンごとに好む場所があるはずだ。

 

そんなことを考えていると。

 

ゴトッ。

 

「ん?」

 

少し先で石が動いた。

 

ナツキが足を止める。

 

石だと思っていた丸い物体から、2本の腕が伸びた。

 

「イシツブテか」

 

「ツブ!」

 

イシツブテはナツキたちを見ると、両腕を使って少し移動した。

 

「ヒノ!」

 

ヒノアラシが興味を持って近づこうとする。

 

「待った」

 

ナツキが止める。

 

「野生だから距離取ろう」

 

「ヒノ……」

 

イシツブテは襲ってくる様子を見せない。

 

しばらくこちらを見た後、再び岩場へ体を寄せた。

 

周囲には似たような岩がいくつもある。

 

注意して見なければ見分けるのは難しい。

 

「これ、擬態みたいな役割もあるのかな」

 

ナツキはしゃがみ込み、遠くから観察する。

 

『イシツブテ1匹』

 

『周囲の岩石と非常に似た外見』

 

『静止時、遠目では通常の岩石との識別が困難』

 

少し進むと、別のイシツブテも見つかった。

 

今度は壁際。

 

さらに奥にも1匹。

 

「岩が多い場所に集中してる」

 

当然と言えば当然なのかもしれない。

 

しかし、その当然を実際に確認することも生態調査では重要だった。

 

ナツキは簡単な洞窟の見取り図を描き、イシツブテを確認した場所へ印をつけた。

 

昼を過ぎる頃。

 

ナツキたちは洞窟内の少し広い空間へ到着した。

 

「ここで休憩するか」

 

「ヒノ!」

 

「その反応だけは早いな」

 

バッグを下ろす。

 

岩へ腰を掛け、自分用の携帯食を取り出す。

 

ヒノアラシにはポケモンフーズを用意した。

 

「はい」

 

「ヒノヒノ!」

 

嬉しそうに食べ始める。

 

ナツキも食事をしながら、午前中の記録を読み返した。

 

ズバット。

 

イシツブテ。

 

まだ2種類だけだが、洞窟での生活に適応した行動を見ることができた。

 

しかし。

 

「ピッピは全然いないな」

 

「ヒノ?」

 

「まあ簡単に会えないからこそ珍しいんだろうけど」

 

ナツキは洞窟の奥を見る。

 

ピッピを探し回るつもりはない。

 

生態調査とは、目的のポケモンだけを追いかけるものではない。

 

見つからないなら、それも1つの結果だ。

 

そう自分へ言い聞かせて食事を終える。

 

午後の調査を始めてから、およそ1時間。

 

それまで続いていた人の通る道から少し外れた場所で、ナツキは妙なものを見つけた。

 

「……ヒノアラシ」

 

「ヒノ?」

 

「そこ踏まないで」

 

地面。

 

砂の上に、小さな足跡が残っている。

 

丸みを帯びた足跡。

 

イシツブテとは明らかに違う。

 

ズバットでもない。

 

ナツキはしゃがみ込み、定規を横へ置いて大きさを確認する。

 

「小型の二足歩行……」

 

1つではない。

 

複数の足跡がある。

 

同じ方向へ続いていた。

 

「何匹か一緒に通った?」

 

「ヒノ」

 

ヒノアラシも地面の匂いを嗅ぐ。

 

「追ってみるか」

 

ただし、慎重に。

 

足跡そのものを踏まないよう道の端を歩く。

 

しばらくすると、地面に小さな木の実の欠片が落ちていた。

 

洞窟の中には生えていない種類だ。

 

「外から持ち込んだのかな」

 

さらに進む。

 

すると今度は、壁際に木の実の皮がいくつか集められていた。

 

「食べた跡?」

 

ナツキの目が輝く。

 

『小型ポケモンと思われる複数の足跡』

 

『洞窟外に生える木の実の食痕を確認』

 

『何者かが外部から運び込んだ可能性あり』

 

そこから先。

 

洞窟はさらに暗くなっていた。

 

人の通行もほとんどないらしく、足元には人工的な跡が少ない。

 

「ヒノアラシ」

 

「ヒノ」

 

「ここからもっと静かにな」

 

ヒノアラシが小さく頷く。

 

足跡を追う。

 

やがて前方から、かすかな音が聞こえてきた。

 

「……?」

 

鳴き声。

 

それも1匹ではない。

 

ナツキはライトを消した。

 

完全な暗闇にはならなかった。

 

洞窟の奥から、淡い光が漏れていたからだ。

 

ゆっくり近づく。

 

曲がり角から顔だけを出したナツキは、そのまま動きを止めた。

 

「……いた」

 

声はほとんど息だった。

 

広い空洞。

 

天井には細い亀裂が入っている。

 

そこから外の光が差し込んでいた。

 

空洞の中央。

 

淡い光に照らされながら、小さなピンク色のポケモンたちが集まっている。

 

ピッピ。

 

1匹。

 

2匹。

 

3匹。

 

ナツキは目を凝らした。

 

「7匹……いや、奥にもいる」

 

少なくとも10匹近い。

 

「ヒノ……」

 

ヒノアラシも驚いたように見ている。

 

ナツキは口元へ指を当てた。

 

「静かに」

 

ピッピたちはナツキたちに気づいていない。

 

何匹かは地面へ座っている。

 

別の個体は仲間同士で顔を寄せ合い、小さく鳴き交わしていた。

 

そして中央には、大きな岩があった。

 

普通の岩ではない。

 

表面の一部が淡く光を反射している。

 

「もしかして……つきのいし?」

 

ナツキは双眼鏡を取り出した。

 

それ以上近づかない。

 

遠くから観察する。

 

1匹のピッピが持っていた木の実を仲間の前へ置いた。

 

すると別のピッピがその木の実を半分に割り、さらに別の個体へ渡す。

 

「食べ物を分けてる?」

 

『ピッピ10匹前後』

 

『洞窟奥部の空洞へ集団で滞在』

 

『木の実を個体間で分配する行動を確認』

 

ナツキのペンが止まらない。

 

別の場所では、小さなピッピが岩へ登ろうとしていた。

 

何度か足を滑らせている。

 

すると近くにいた大きな個体が後ろから支えるように手を伸ばした。

 

小さなピッピが岩の上へ登る。

 

「子供かな」

 

体格に差がある。

 

群れの中に年齢の違う個体がいる可能性が高い。

 

そのまま観察を続けていると、空洞の中が少しずつ明るくなった。

 

ナツキが上を見る。

 

天井の亀裂。

 

そこから差し込んでいる光が変化している。

 

「……月?」

 

洞窟の天井に開いた小さな穴。

 

位置の関係なのか、そこから白い光が真っ直ぐ差し込んでいた。

 

夕方から夜へ変わり始めたのだろう。

 

ピッピたちの様子も変化した。

 

それまで座っていた個体が立ち上がる。

 

「ピッ」

 

「ピッピ」

 

次々に鳴き声が重なる。

 

1匹が中央へ移動する。

 

次の1匹。

 

さらにもう1匹。

 

やがてピッピたちは、中央の岩を囲むように集まった。

 

「……何をするんだ?」

 

ナツキは息を殺す。

 

ピッピが跳ねた。

 

右。

 

左。

 

また右。

 

隣のピッピも同じように動く。

 

別の個体も続く。

 

少しずつ全体の動きが揃っていった。

 

「踊ってる……?」

 

円を描くように移動しながら、ピッピたちは楽しそうに跳ねている。

 

月明かりの下。

 

中央の岩を囲むように。

 

「ピッピ!」

 

「ピィ!」

 

鳴き声が洞窟へ響く。

 

それはバトルでも、餌を探す行動でもなかった。

 

ナツキが今まで観察してきたポケモンたちとは、まるで違う行動だった。

 

「群れでやる行動……」

 

何のためなのか。

 

仲間との交流なのか。

 

何か特別な意味があるのか。

 

それとも単純に遊んでいるだけなのか。

 

分からない。

 

ナツキはその光景を急いで言葉へしなかった。

 

まず見る。

 

ピッピがどのような順番で動いているのか。

 

すべての個体が参加しているのか。

 

体の小さな個体はどうしているのか。

 

しばらく観察すると、幼いと思われる個体も大人の真似をするように跳ねていた。

 

上手く動けず転ぶ。

 

近くのピッピが手を差し出す。

 

再び輪へ加わる。

 

ナツキは小さく笑った。

 

「……楽しそうだな」

 

「ヒノ」

 

ヒノアラシもじっと見ている。

 

しばらくすると、ピッピたちが一斉に立ち止まった。

 

そして空洞の中央へ視線を向ける。

 

月明かりが中央の石へ当たり、その表面が淡く輝いていた。

 

ピッピたちは静かにその周囲へ座る。

 

先ほどまでの賑やかさが嘘のようだった。

 

「月の光と関係してる?」

 

ナツキはノートに大きく疑問符を書く。

 

その直後。

 

「ヒノッ」

 

ヒノアラシが小さくくしゃみをした。

 

「っ」

 

ナツキの心臓が跳ねる。

 

ピッピたちが一斉にこちらを見る。

 

「ピッ?」

 

「ピィ?」

 

見つかった。

 

ヒノアラシが申し訳なさそうにナツキを見る。

 

「大丈夫」

 

ナツキはその場を動かない。

 

ピッピたちも逃げない。

 

だが、明らかに警戒している。

 

一番大きなピッピが群れの前へ出た。

 

「ピッピ」

 

低く鳴く。

 

「これ以上は駄目だな」

 

ナツキはノートを閉じた。

 

ゆっくり立ち上がる。

 

「ヒノアラシ、戻ろう」

 

「ヒノ」

 

後退する。

 

1歩。

 

2歩。

 

ピッピたちはこちらを見続けている。

 

それでも追ってはこなかった。

 

空洞が見えなくなるところまで下がったナツキは、ようやく大きく息を吐いた。

 

「……すごかったな」

 

「ヒノ!」

 

「本当に会えるとは思わなかった」

 

興奮で手が少し震えている。

 

すぐにノートを開く。

 

忘れないうちに記録する。

 

『ピッピの群れを確認』

 

『最低10匹前後』

 

『群れには体格差あり。幼体と思われる小型個体を確認』

 

『木の実を分け合う行動』

 

『他個体を補助する行動』

 

『月光が空洞へ差し込んだ後、中央の石を囲むように集団行動を開始』

 

『跳躍と移動を組み合わせ、輪を作るような行動』

 

『行動終了後、中央の石周辺へ座る』

 

『月光、中央の石、集団行動の関連は不明。継続的な観察が必要』

 

ナツキはそこまで書き、最後の一行で手を止めた。

 

そして。

 

『調査者の存在を認識した時点で観察終了』

 

と付け加えた。

 

「もっと見たかったけどな」

 

「ヒノ……」

 

「仕方ないよ。あそこは俺たちの場所じゃない」

 

野生のポケモンたちが生活している場所へ、人間が勝手に入っている。

 

それを忘れてはいけない。

 

見つけたから近づく。

 

珍しいから触る。

 

写真を撮りたいから追いかける。

 

それでは生態調査にならない。

 

相手の生活を乱さず、そのままを見る。

 

ナツキが何より大切にしたいことだった。

 

「それに、十分見られたよ」

 

「ヒノ?」

 

「ピッピって、もっと1匹で隠れて暮らすポケモンだと思ってた」

 

今日見たのは違った。

 

群れで集まり。

 

食べ物を分け。

 

小さな個体を助け。

 

そして一緒に踊る。

 

図鑑に載っている名前や姿だけでは分からない生活が、そこにはあった。

 

それからナツキたちは来た道を戻り、一般の通路へ合流した。

 

洞窟を抜けた頃には、すっかり夜になっていた。

 

空を見上げる。

 

丸い月が浮かんでいる。

 

「……あれを見てたのかな」

 

「ヒノ?」

 

「ピッピたち」

 

月の光。

 

洞窟。

 

中央にあった不思議な石。

 

そして踊るピッピたち。

 

まだ分からないことばかりだ。

 

だからこそ面白い。

 

ナツキは道端へ座り、今日のまとめを書く。

 

『おつきみやま』

 

『洞窟内部では、光量、岩場の状態、人間の通行量などによって確認できるポケモンと行動に違いが見られた』

 

『ピッピは洞窟奥部で複数個体による群れを形成していた』

 

『個体間での食料分配、幼い個体への補助、集団での特殊な行動を確認』

 

そして最後。

 

『ピッピたちにとって月は、ただ夜空にあるだけのものではないのかもしれない』

 

「……うん」

 

ノートを閉じる。

 

「今日の調査終了」

 

「ヒノォ!」

 

「お疲れ」

 

ヒノアラシを抱き上げる。

 

洞窟の中を長時間歩いたせいか、相棒もかなり疲れていた。

 

ナツキ自身も足が重い。

 

それでも気分は軽かった。

 

「次はハナダシティだな」

 

「ヒノ」

 

「川とか水辺が多そうだから、今度はみずポケモンを見たいな」

 

「ヒノ……」

 

「大丈夫。今日はもう調査しないって」

 

「ヒノ!」

 

急に安心したような顔をする。

 

「信用ないなあ」

 

ナツキは笑いながら歩き始めた。

 

背後には、おつきみやま。

 

その山の内部では今も、あのピッピたちが月明かりの下で過ごしているのかもしれない。

 

今日だけでは分からなかったことがいくつもある。

 

あの集団はいつも同じ個体なのか。

 

なぜ木の実を洞窟まで運ぶのか。

 

なぜ月が差し込む場所へ集まるのか。

 

中央にあった石には、どんな意味があるのか。

 

いつかまた訪れれば、その答えの一部を見ることができるかもしれない。

 

ナツキはフィールドノートの端に、小さく書き加えた。

 

『再調査候補――おつきみやま・ピッピの群れ』

 

そしてヒノアラシとともに、次の街へ続く道を歩いていく。

 

ポケモン調査官ナツキのフィールドノートに、新たなページが増えた。

 

そこに記されたのは。

 

月明かりの下で暮らす、ピッピたちの知られざる日常だった。

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