おつきみやまを抜けたナツキとヒノアラシは、ハナダシティを経由してさらに南へ進み、クチバシティまでやってきていた。
港町であるクチバシティ周辺では、海辺に生息するポケモンを調べることもできる。
しかし今回、ナツキが先に向かったのは海ではなかった。
クチバシティの東。
そこには、あるポケモンによって掘り進められた巨大な地下道が存在している。
ディグダトンネル。
「ここだな」
ナツキはトンネルの入口を見上げた。
人が通れるほど大きく開いた穴が、地面の下へ向かって続いている。
一般的な洞窟とは違う。
元々自然に形成された空洞ではなく、多くのディグダが地中を移動することで作られた場所だと言われている。
ナツキにとって、これほど興味を惹かれる場所はなかった。
「ヒノ?」
隣にいたヒノアラシが穴の奥を覗き込む。
「今日はここ」
「ヒノ!」
「ディグダを調べる」
「ヒノ?」
「もしかしたらダグトリオも見られるかもしれない」
ヒノアラシはもう一度トンネルの奥を見る。
少しだけ警戒しているようだった。
おつきみやまと違い、ディグダトンネルは全体的に土が多い。
地面も壁も柔らかな土で構成されている場所があり、ところどころに小さな穴が開いていた。
「足元から急に出てくるかもしれないから、びっくりして火を出すなよ」
「ヒノ!」
「本当に頼むぞ?」
「ヒノヒノ!」
ナツキは苦笑しながらフィールドノートを取り出す。
新しいページを開いた。
『カントー地方・ディグダトンネル』
『午前9時36分』
『天候・晴れ』
『地下環境。おつきみやまと比較して岩盤が少なく、土壌が露出している場所が多い』
さらに今日の目的を書く。
『ディグダの地中生活および掘削行動を観察する』
「よし」
ノートを閉じる。
「行こう」
「ヒノ!」
トンネルへ入る。
最初に気づいたのは、足元だった。
「柔らかいな」
踏みしめるたび、靴がわずかに沈む。
おつきみやまでは硬い岩盤や砂利が中心だったが、ここでは細かな土が多い。
壁へ目を向ければ、何かが通り抜けたような小さな穴がいくつも見つかった。
ナツキはすぐに立ち止まる。
「これ全部ディグダが掘ったのかな」
「ヒノ?」
「見て」
壁に残された跡を指差す。
一定方向に土が削られている。
人間が道具を使って掘ったような形ではない。
ナツキは触れずに観察し、簡単なスケッチを描いた。
『壁面に複数の小型トンネルを確認』
『形状はほぼ円形』
『同程度の直径の穴が複数方向へ伸びている』
「人が通る大きな道とは別に、ディグダ専用の通路があるのか」
地上から見えているディグダの体は一部分だけ。
地面の下がどうなっているのかは、簡単には見ることができない。
だからこそ、ナツキはディグダそのものだけではなく、彼らが生活した結果として残るものにも注目していた。
トンネル。
掘り返された土。
地面の盛り上がり。
小さな足跡が残るポケモンとは違い、ディグダの場合は地形そのものが生態の記録になる。
「面白いな……」
「ヒノ」
ヒノアラシはすっかり慣れたのか、ナツキが止まると自分も隣へ座る。
その直後だった。
ボコッ。
「ヒノ!?」
ヒノアラシのすぐ前で土が盛り上がった。
「待て!」
ナツキが声をかける。
地面から茶色い頭が現れた。
「ディグ」
ディグダ。
丸い頭。
黒い目。
大きな赤い鼻。
体の大部分は地面の中に隠れたままだ。
ヒノアラシとディグダが数秒間見つめ合う。
「ヒノ……」
「ディグ?」
互いに首を傾げることはできないため、目だけで相手を確認しているようだった。
「動かないで」
ナツキはゆっくりしゃがむ。
ディグダはこちらを警戒している様子はあるものの、すぐには逃げなかった。
「ディグ」
鼻をひくつかせる。
ヒノアラシの匂いを確認しているのだろうか。
「ヒノ」
ヒノアラシも鼻を動かす。
すると。
スポッ。
ディグダが一瞬で地面へ消えた。
「速っ」
ナツキが思わず呟く。
次の瞬間。
ボコッ。
少し離れた場所から顔を出した。
「そこ?」
さらに。
スポッ。
ボコッ。
今度は反対側。
「地中では相当速いな」
ディグダは地上へ出たり潜ったりしながら移動している。
しかし地面の表面は、それほど大きく崩れていない。
「どうやって掘ってるんだ……」
ナツキはペンを走らせる。
『ディグダ1匹』
『地上へ出現後、短時間で地中へ潜行』
『約2m離れた地点から数秒以内に再出現』
『移動後も地表の崩壊は小さい』
ディグダはさらに移動する。
その後を追おうとはせず、ナツキはその場から観察する。
しばらくして姿が見えなくなった。
「行っちゃったな」
「ヒノ」
「でも十分見られた」
ナツキはディグダが潜った場所へ近づく。
穴が完全に残っているわけではない。
土が少し盛り上がっている程度だった。
「通った後に土を戻してる?」
あるいは柔らかい土が自然に崩れて塞がっているのかもしれない。
どちらなのかは分からない。
『地表へ明確な開口部は残らない』
『地中移動後、土が自然に塞がる可能性あり』
疑問として残しておく。
さらに奥へ進む。
すると今度は、地面にいくつもの小さな盛り上がりが見つかった。
「これは……」
先ほどのディグダが通った場所と似ている。
しかし1本ではない。
複数の線が交差するように続いている。
ナツキはしゃがんだ。
「この下に道があるかもしれない」
「ヒノ?」
「ディグダが何匹も使ってる通路とか」
ヒノアラシが耳を地面へ近づけた。
「何か聞こえる?」
「ヒノ……」
しばらく静かにしている。
「ヒノ!」
ヒノアラシが急に顔を上げた。
「何かいる?」
「ヒノヒノ!」
ナツキも地面へ耳を近づける。
最初は何も聞こえなかった。
だが。
ザザザ……。
かすかな音。
土が擦れるような音が、地面の下から聞こえる。
「本当にいる」
音が近づく。
ナツキは慌てて立ち上がった。
「ヒノアラシ、少し離れよう」
2人が数歩下がった直後。
ボコッ。
1匹。
ボコッ。
2匹。
さらに。
ボコッ。
「3匹……」
ディグダが次々と地上へ顔を出した。
「ディグ」
「ディグディグ」
「ディグ」
同じ場所に3匹。
ただし互いにかなり近い。
ナツキは距離を取りながら観察を始めた。
『ディグダ3匹を同時確認』
『同一地点付近から出現』
『互いに攻撃、威嚇する様子なし』
1匹が地中へ潜る。
残り2匹も数秒遅れて潜った。
そして同じ方向へ移動していく。
「一緒に移動してる?」
地表の盛り上がりも似た方向へ続いている。
「群れで生活することもあるのかな」
図鑑的な知識だけでは分からない。
単に同じ道を偶然利用しているだけかもしれない。
ナツキは断定せず記録した。
それからしばらく歩いたところで、トンネルの一角に他とは明らかに違う場所を見つけた。
「……広い」
地面が大きく掘り返されている。
通路も複数方向へ伸びており、まるで地下の交差点のようになっていた。
壁の小さな穴も多い。
「ここ、よく使われてる場所かも」
ナツキは周囲を見回す。
新しい土。
古く乾いた土。
場所によって状態が違う。
「何度も掘り直してる?」
そのとき。
ヒノアラシが急に足を止めた。
「ヒノ……」
「どうした?」
先ほどとは様子が違う。
ヒノアラシは地面を見ている。
ナツキも耳を澄ませる。
ズズズズ……。
さっきより大きな音。
「来る」
音が真下から近づいてくる。
ナツキはすぐに後退した。
ヒノアラシも隣へ下がる。
地面が盛り上がった。
ボコッ。
最初に見えたのは茶色い頭。
だが。
もう1つ。
さらにもう1つ。
3つの頭が同時に地面から飛び出した。
「ダグトリオ……!」
ナツキの声が小さくなる。
ダグトリオ。
3つの頭を持つ、ディグダの進化したポケモン。
「ダグ」
中央の頭が周囲を見る。
「トリ」
右。
「オ」
左。
3つの頭が、それぞれ別方向へ視線を向けていた。
ナツキは動かない。
ヒノアラシも隣で静止する。
ダグトリオはこちらを見た。
「ヒノ……」
ヒノアラシの背中からわずかに火が漏れた。
「大丈夫」
ナツキは小声で言う。
「刺激しなければいい」
ダグトリオはすぐには逃げなかった。
しばらくすると中央の頭が地面へ鼻を近づける。
左右の頭は周囲を見たまま。
「役割が違う?」
ナツキの目が細くなる。
1つの頭が地面。
残り2つが周囲。
偶然かもしれない。
数秒後。
今度は右の頭が地面へ鼻を近づける。
中央と左は別方向を確認している。
「交代してる……?」
ナツキは急いで記録する。
『ダグトリオ1匹』
『3つの頭が同一方向だけではなく、それぞれ別方向を確認』
『1頭が地面を確認している間、他2頭は周囲を見る行動を確認』
「警戒と探索を同時にしてるのかもしれない」
そのとき。
少し離れた場所から、ディグダが1匹姿を現した。
「ディグ」
ダグトリオがそちらを見る。
ナツキはさらに息を殺した。
ディグダは逃げない。
むしろダグトリオへ近づいていく。
「ダグ」
ダグトリオの1つの頭が鳴く。
「ディグ」
短く返す。
その後、ディグダはダグトリオの近くへ並んだ。
しばらくするともう1匹。
さらに1匹。
「集まってきた……」
合計4匹のディグダ。
中央にダグトリオ。
争う様子はない。
「もしかして、この場所……」
ナツキは周囲を見る。
複数のトンネル。
新しい土。
多くの通行跡。
「集まる場所なのか?」
生活拠点。
通路の合流地点。
あるいは餌場。
まだ分からない。
しかし少なくとも複数の個体が頻繁に利用している場所である可能性は高い。
『ダグトリオ周辺へディグダ4匹が集合』
『攻撃的行動なし』
『短い鳴き声によるやり取りを確認』
『周囲には多数の地下通路跡』
『群れの合流地点、生活圏中心部などの可能性あり』
ナツキが書き終えた直後だった。
ダグトリオの3つの頭が、一斉にこちらを向いた。
「……気づかれた」
「ヒノ」
ダグトリオは逃げない。
だが周囲のディグダたちが少しずつ地中へ潜り始めた。
1匹。
2匹。
3匹。
最後の1匹も消える。
ダグトリオだけが残った。
「警戒させたな」
ナツキはノートを閉じる。
「ここまで」
「ヒノ?」
「戻ろう」
せっかく複数のポケモンが自然に集まっていた。
自分たちがいることでその行動が変わり始めたのなら、観察は終わりにする。
ナツキとヒノアラシはゆっくり後退した。
ダグトリオは追ってこない。
20mほど離れたところで振り返る。
そこにはもう姿がなかった。
「潜ったか」
ナツキは小さく息を吐く。
「すごかったな」
「ヒノ!」
「ダグトリオだけでも驚いたけど、ディグダが集まってくるとは思わなかった」
今日見たことで、ナツキの中に新しい疑問がいくつも生まれていた。
ディグダはどの程度の範囲を移動するのか。
地下の通路は個体ごとに分かれているのか。
それとも複数のディグダが共有しているのか。
ダグトリオとディグダはどういう関係なのか。
進化前後の個体が同じ場所で暮らすことは多いのか。
「……調べたいこと増えたな」
「ヒノォ」
「何その嫌そうな声」
「ヒノ」
「今日はもう帰るって」
「ヒノ!」
それを聞いて急に元気になる。
「お前、本当に分かりやすいな」
ナツキは笑った。
夕方。
ディグダトンネルを抜けたナツキは、近くの草地へ腰を下ろした。
今日の記録を整理する。
『ディグダは地中を高速で移動し、移動後も地表へ大きな穴を残さない』
『複数個体が同方向へ移動する様子を確認』
『トンネル内部には、ディグダが頻繁に利用していると思われる地下通路の合流地点が存在』
『ダグトリオと複数のディグダが同一地点に集まる行動を確認』
そして最後に、今日最も強く感じたことを書く。
『ディグダの生態を知るには、地上に現れた姿だけを見るのでは不十分』
ナツキは少し考えて、続きを書いた。
『残された土、通路、振動、地形の変化そのものが生活の痕跡になる』
「これだな」
地上へ出ている時間は短い。
すぐに地面へ潜ってしまう。
だからポケモンそのものだけを追えば、見失う。
けれど地面を見れば。
壁を見れば。
耳を澄ませれば。
そこには確かにディグダたちの暮らしが残っている。
ナツキはフィールドノートを閉じた。
「調査終了」
「ヒノ!」
ヒノアラシを撫でる。
「今日はちゃんと火を出さなかったな」
「ヒノヒノ!」
得意そうだ。
「偉い偉い」
「ヒノ!」
ナツキはバッグを背負って立ち上がる。
振り返れば、先ほどまで歩いていたディグダトンネルの入口が見える。
地面の下。
人間の目ではほとんど見ることができない場所に、いくつもの道が広がっている。
その中を今もディグダやダグトリオが動き回っているのだろう。
「地面の下にも、ちゃんとポケモンの生活があるんだな」
「ヒノ?」
「俺たちから見えないだけでさ」
ヒノアラシは少し考えるように地面を見た。
「ヒノ」
そして前足で土を軽く叩く。
「出てこないぞ、たぶん」
「ヒノ?」
「呼んでたの?」
「ヒノ!」
「やめなさい」
ナツキは笑いながら歩き始めた。
フィールドノートには、また新しいページが加わった。
森。
洞窟。
そして地中。
環境が変わるたび、ポケモンの暮らし方も変わる。
次はいったい、どんな場所で。
どんなポケモンの日常を見ることができるのか。
相棒のヒノアラシと並びながら、ナツキは次の調査地へ向かって歩いていった。