ディグダトンネルでの調査を終えてから数日後。
ナツキとヒノアラシは、ハナダシティから東へ流れる川沿いを歩いていた。
目的地は、人の使わなくなった古い発電施設――むじんはつでんしょ。
かつては多くの人が働いていたものの、現在はほとんど利用されておらず、その内部にはでんきタイプのポケモンが住み着いているという。
森でもない。
洞窟でもない。
人間によって作られ、その後放棄された建物。
そこへポケモンが入り込み、今では新しい生活場所として利用している。
ナツキが興味を持ったのは、まさにその部分だった。
「人がいなくなった建物を、ポケモンがどう使ってるのか……」
「ヒノ?」
足元を歩いていたヒノアラシが顔を上げる。
「トキワの森とか、おつきみやまは元々ポケモンが暮らしてた場所だろ?」
「ヒノ」
「でも今日行くところは人間が作った場所なんだ。そこに後からポケモンが住み着いた」
ナツキは前方を見る。
遠くに大きな建物が見え始めていた。
長い間使われていないことが遠目からでも分かる。
外壁はところどころ汚れ、周囲には雑草が伸びている。
それでも完全に崩れているわけではなかった。
「ポケモンにとっては、人工物も環境の1つになるのかもしれない」
「ヒノ?」
「まあ、見れば分かるか」
「ヒノ!」
しばらく歩き、むじんはつでんしょの前へ到着する。
ナツキはすぐには中へ入らなかった。
まず建物の外側を一周する。
壁。
窓。
周囲の地面。
川との距離。
ポケモンが出入りできそうな場所。
それらを簡単に確認してから、フィールドノートを開いた。
『カントー地方・むじんはつでんしょ』
『午前9時18分』
『天候・曇り』
『現在使用されていない発電施設』
『人工建造物内部に生息するポケモンの生活環境および行動を観察する』
少し考え、一文追加する。
『特に、でんきタイプのポケモンが人工設備をどのように利用しているか確認したい』
「よし」
ノートを閉じる。
「ヒノアラシ、中では絶対に勝手に触るなよ」
「ヒノ?」
「機械が全部止まってるとは限らないから」
「ヒノ」
「それと、丸いものが落ちてても近づかない」
「ヒノ?」
「ビリリダマかもしれない」
ヒノアラシが少し考える。
「ヒノ」
「分かった?」
「ヒノ!」
「本当かな……」
少し不安を覚えながら、ナツキは入口から内部へ入った。
中は薄暗かった。
窓から差し込む光と、一部だけ点灯した古い照明が通路を照らしている。
床には埃が積もっている場所もある。
しかし。
「……完全に止まってるわけじゃないな」
低い音が聞こえる。
ブゥゥン……。
建物のどこかで機械が動いている。
壁の一部には、まだ小さなランプが点灯していた。
「ヒノ」
ヒノアラシも周囲を警戒する。
そのときだった。
バチッ。
前方で青白い光が走る。
「止まって」
ナツキがヒノアラシを制止する。
物陰から、金属質の小さな体が浮かび上がった。
左右に磁石。
中央に大きな目。
「コイル」
「コイー」
1匹のコイルが、床から1mほどの高さをゆっくり移動していた。
ナツキとヒノアラシには気づいていない。
コイルは壁際へ近づく。
そこには古い配電設備があった。
壁から伸びるケーブル。
そのすぐ近くで、コイルが停止する。
バチッ。
また小さな放電。
ナツキは動かない。
「何してる?」
コイルがわずかに回転する。
左右の磁石が配電設備の方向へ向く。
しばらくその状態が続いた。
そして。
ピッ。
それまで消えていた小さなランプが、一瞬だけ点灯した。
「……電気を流した?」
ナツキはフィールドノートを開く。
『コイル1匹』
『旧配電設備付近で滞空』
『設備方向へ磁石を向け、小規模な放電を確認』
『放電直後、設備側の表示灯が短時間点灯』
「電気を吸ってるのか、それとも逆に流してるのか……」
どちらなのかは分からない。
ナツキは無理に答えを決めず、そのまま記録する。
コイルは数分ほどその場にいた後、ゆっくり廊下の奥へ移動していった。
「追いかける?」
「ヒノ」
「少しだけ」
距離を取ったまま後を追う。
コイルは一直線には進まなかった。
壁際。
天井付近。
機械の横。
電気設備がある場所を選ぶように移動している。
やがて広い部屋へ入った。
ナツキが入口から覗く。
「……多いな」
そこにはコイルが1匹ではなく、何匹もいた。
5匹。
6匹。
さらに奥にもいる。
「最低8匹」
部屋には大型の機械が並んでいた。
コイルたちはそれぞれ違う機械の近くに浮かんでいる。
時々。
バチッ。
パチッ。
小さな放電音が響く。
「ここを生活場所にしてる?」
ナツキは部屋へ入らず、入口から観察する。
コイル同士が近づくこともあった。
2匹が接近すると、一瞬だけ互いの磁石が向き合う。
その後、押し合うように離れた。
「磁石だから近づき方で反発するのか?」
また別の2匹。
こちらは逆に引き寄せられるように接近する。
数秒間隣り合って浮いた後、それぞれ別方向へ移動した。
『コイル最低8匹』
『複数個体が大型設備周辺に集中』
『個体同士の接近時、引き寄せられるような動きと反発するような動きの両方を確認』
『磁極の向きによる可能性あり』
「ヒノ……」
ヒノアラシが退屈そうに足元へ座っている。
「もう少しだけ」
「ヒノォ」
「分かった分かった」
ナツキは最後に部屋全体の簡単な図を描き、観察を切り上げた。
次の通路へ進む。
先ほどの部屋よりさらに薄暗い。
足元に古い部品や工具が散らばっていた。
「ここは気をつけよう」
「ヒノ」
ヒノアラシもナツキのすぐ横を歩く。
しばらくすると。
廊下の中央に赤と白の丸いものが落ちていた。
「止まって」
「ヒノ?」
ナツキの声が少し強くなる。
見た目だけならモンスターボールによく似ている。
しかしサイズが大きい。
そして。
「……やっぱり」
丸い物体がわずかに動いた。
「ビリ?」
赤と白の体。
鋭い目。
ビリリダマだった。
「ヒノ!」
「近づかない」
ヒノアラシを止める。
ビリリダマはその場から動かない。
ナツキたちを見ている。
「ビリ」
転がる。
数十cmだけ移動して止まる。
また転がる。
「歩くんじゃなくて転がって移動するんだな」
当然と言えば当然だが、実際に見ると面白い。
床が少し傾いている場所へ来ると、ビリリダマは自分で進まなくても転がっていく。
しかし途中で体を動かし、方向を調整していた。
『ビリリダマ1匹』
『廊下上で確認』
『主な移動方法は転がること』
『傾斜を利用しながら移動方向を調整する様子あり』
ビリリダマは壁際へ移動した。
そこには複数の古い電池のような機器が置かれている。
「また電気設備の近く?」
ビリリダマはその場で静止する。
しばらく変化はない。
だが。
パチッ。
体の表面に一瞬だけ電気が走った。
「充電してる?」
そう見える。
しかし設備からビリリダマへ電気が流れているのか、逆なのかは判断できない。
ナツキは少し離れた場所から観察を続ける。
数分後。
ビリリダマがこちらを向いた。
「ビリ」
目つきが変わった。
「警戒された」
ナツキはすぐにノートを閉じる。
「戻ろう、ヒノアラシ」
「ヒノ」
ゆっくり離れる。
ビリリダマは追いかけてこなかった。
ナツキたちが廊下の角を曲がるまで、その場に留まっていた。
「刺激すると危ないからな」
「ヒノ?」
「ビリリダマは、驚いたり危険を感じたりすると爆発することがある」
「ヒノッ!?」
ヒノアラシが慌てて後ろを見る。
「大丈夫。追ってきてない」
「ヒノォ……」
「だから最初に丸いものには近づくなって言っただろ」
「ヒノ」
今度は真剣に頷いていた。
発電所の奥へ進むにつれ、ポケモンの数が増えていった。
コイル。
ビリリダマ。
時折、奥から別の鳴き声も聞こえる。
そしてナツキはあることに気づいた。
「ポケモンがいる場所だけ、設備が動いてることが多いな」
「ヒノ?」
周囲を見る。
照明が点灯している区画。
低い駆動音が続く機械。
小さな表示灯。
その近くでは高い確率でコイルやビリリダマが見つかった。
反対に完全に電気が失われた場所では、ほとんど姿を見ない。
「電気がある場所を選んでる?」
当然、でんきタイプだからという説明はできる。
しかしナツキが知りたいのは、その先だった。
電気を餌のように利用しているのか。
住みやすい環境条件として選んでいるだけなのか。
電気設備の発する磁場に反応しているのか。
「長期間調査したら、設備の電力量と生息数を比べられそうだな」
『設備が稼働している区域ほど、でんきポケモンの確認数が多い傾向』
『ただし観察範囲が限定的なため要追加調査』
ナツキが書いていると。
「ヒノ」
ヒノアラシが何かに気づく。
廊下の奥。
ドン。
重い音がした。
「何だ?」
ドン。
もう一度。
ナツキはノートを閉じる。
「ヒノアラシ、俺の後ろに」
「ヒノ」
ゆっくり進む。
やがて大きな機械室へ出た。
その中央。
黄色い体。
黒い模様。
額から伸びる2本の角。
「エレブー」
ナツキの声が自然と小さくなる。
エレブーは大型の発電設備の前に立っていた。
両腕を広げる。
バチバチバチッ!
体の周囲に強い電気が走る。
「ヒノ……!」
ヒノアラシがナツキの後ろへ下がる。
ナツキも身を低くした。
エレブーはまだこちらに気づいていない。
設備から一定間隔で火花が飛んでいる。
そのたび、エレブーが腕を近づける。
すると電気がエレブーの体へ引き寄せられるように流れていった。
「今のは……」
ナツキの目が輝く。
「電気を取り込んでる?」
1回。
2回。
同じ行動を繰り返す。
エレブーの体表を電気が走る。
それでも痛がる様子はない。
むしろ機嫌が良さそうに見える。
『エレブー1匹』
『大型発電設備付近で確認』
『設備から発生する放電へ自ら接近』
『電流を体へ取り込むような行動を複数回確認』
『電気エネルギーの摂取行動である可能性』
ナツキは夢中で書き込む。
その瞬間。
カツン。
ペンのキャップが床へ落ちた。
「……あ」
小さな音。
しかし静かな機械室ではよく響いた。
エレブーがこちらを振り返る。
「エレ?」
視線が合う。
「ヒノ……」
ヒノアラシの背中に炎が灯る。
「まだ」
ナツキは小声で制止する。
エレブーがこちらを見る。
警戒している。
しかしすぐには襲ってこない。
ナツキは動かない。
数秒。
エレブーが鼻を鳴らす。
「エレブ」
そして再び設備へ向き直った。
「……大丈夫そうだ」
ナツキはゆっくり後退する。
「もう十分見た。離れよう」
「ヒノ」
機械室を出る。
安全な距離まで離れてから、ナツキは大きく息を吐いた。
「びっくりした」
「ヒノォ」
「ごめん。俺のせい」
ヒノアラシを撫でる。
「でもエレブー、本当に電気そのものを利用してるように見えたな」
コイル。
ビリリダマ。
エレブー。
同じでんきタイプでも、設備との関わり方が少しずつ違っているように見える。
「人工物だからポケモンが住みにくいとは限らないんだな」
むしろ発電所だからこそ暮らしているポケモンがいる。
人間が作った環境が、いつの間にか野生ポケモンの生息地へ変化している。
それはナツキにとって、これまで訪れた場所にはない面白さだった。
さらに奥へ進もうとして。
ナツキは足を止めた。
空気が違った。
「……?」
髪がわずかに逆立つ。
肌に静電気のような感覚がある。
ヒノアラシも気づいたらしい。
「ヒノ……」
先ほどまで聞こえていたコイルたちの音がしない。
妙に静かだった。
その代わり。
遠く。
建物のさらに奥から。
ゴロゴロ……。
雷鳴のような音が響いた。
「雷?」
外は曇っていたが、雨は降っていなかった。
それに音は建物の内部から聞こえた。
ゴロゴロ……。
もう一度。
ナツキはその方向を見る。
奥へ続く通路。
薄暗い。
その先から、時折黄色い光が漏れている。
「ヒノ」
ヒノアラシが一歩前へ出ようとする。
「待って」
ナツキは止めた。
興味はある。
強烈にある。
何がいるのか見てみたい。
だが、ここまでの状況を考えれば、普通のコイルやビリリダマが出している電気とは明らかに規模が違う。
そして調査官として大切なのは、何でも確認することではない。
危険を判断することも必要だった。
「今日は行かない」
「ヒノ?」
「装備が足りない」
電気に対する安全装備。
建物の詳しい構造。
退避経路。
何も準備していない。
ただ興味があるから奥へ進むのは調査ではなく無謀だ。
「場所だけ記録する」
ナツキはフィールドノートへ現在地と方角を書き込んだ。
『発電所奥部より強い放電音および発光を確認』
『周辺では他のポケモンの活動が少ない』
『危険性が不明のため接近せず』
最後に大きく。
『再調査には対電気装備が必要』
と書く。
「帰ろう」
「ヒノ」
2人は来た道を戻った。
途中、コイルたちの部屋を通る。
先ほどと変わらず、何匹ものコイルが機械の周囲を飛んでいた。
ビリリダマも少し離れた場所で転がっている。
けれどナツキは先ほどまでとは違う目で発電所全体を見ていた。
最初に思っていたような「人のいなくなった建物」ではない。
ここにはすでに別の住人がいる。
古い配電設備を利用するコイル。
廊下を転がるビリリダマ。
電気を取り込むエレブー。
そしてまだ確認していない、奥に存在する何か。
人間にとって役割を終えた場所でも。
ポケモンたちにとっては、今も生きた環境なのだ。
昼過ぎ。
外へ出ると、ナツキは近くの川辺へ腰を下ろした。
「ヒノォ……」
ヒノアラシも隣に座り込む。
「疲れた?」
「ヒノ」
「今日はあんまり歩いてないだろ」
「ヒノ」
ヒノアラシが発電所を見る。
「ああ。緊張したか」
「ヒノォ」
「俺も」
ナツキは笑い、ポケモンフーズを取り出した。
「はい。お疲れ」
「ヒノ!」
急に元気になった。
「飯になると復活するな、お前」
ヒノアラシが食べている横で、ナツキは今日の記録を整理する。
『むじんはつでんしょ』
『コイル、ビリリダマ、エレブーを確認』
『いずれも稼働中、または電気が残る設備付近で活動する傾向が見られた』
『人間の放棄した人工建造物が、でんきポケモンにとって新たな生息環境となっている可能性』
そこで一度ペンを止める。
今日もっとも印象に残ったことを考える。
そして続きを書いた。
『人工物と自然は必ずしも別々ではない』
『人間が作った環境であっても、時間が経てばポケモンが利用し、その場所独自の生態系が形成されることがある』
「……これかな」
森に住むポケモン。
山に住むポケモン。
地中に住むポケモン。
そして。
人間の残した建物に住むポケモン。
生き物は、自分たちが想像している以上に様々な場所で暮らしている。
ナツキは最後に、ページの一番下へ別の記録を残した。
『発電所最奥部――未調査』
その横に小さく疑問符を描く。
あの雷鳴のような音。
黄色い光。
一体何だったのか。
「いつか調べに戻ろう」
「ヒノ?」
「ちゃんと準備してからな」
「ヒノ」
ナツキはフィールドノートを閉じる。
空を見る。
曇っていた雲の隙間から、少しだけ青空が覗いていた。
その直後。
建物の奥で。
ピカッ――。
窓の向こうが黄色く光った。
数秒遅れて。
ゴロゴロゴロ……!
大きな音が響く。
「ヒノッ!?」
ヒノアラシがナツキへ飛びついた。
「おっと」
抱き止めながら発電所を見る。
「……やっぱり何かいるな」
今日は追わない。
まだその正体を確かめるときではない。
ナツキはヒノアラシを地面へ下ろし、バッグを背負った。
「行こう」
「ヒノ!」
むじんはつでんしょを背に、2人は歩き始める。
フィールドノートにはまた新しい環境と、そこで暮らすポケモンたちの生活が刻まれた。
そして同時に。
まだ空白のまま残された、小さな謎も。
ナツキは知らない。
今日踏み込まなかった発電所の最奥部で、巨大な翼を持つポケモンが静かに羽を休めていることを。